3.起死回生(きしかいせい)
商談成立とニヤニヤしているエンタク、祈りながら必死に馬を操る御者、そして小さな檻の中ですやすやと眠りこけている妖精を乗せて、交易馬車は北へと逃げ続けている。
「さてと、じゃあその妖精をこっちへ貰おうか。おっと先払いさせて逃げちまおうだなんて思って無えぜ? コイツの力を引き出してやろうってことさ。その代り契約者はオレになっちまうからな?」
「ああそういうことか、どっち道助かりゃソイツはアンタのもんだ。好きにしてくれよ。その代り絶対に見捨てないでくれよな!」御者は涙を流しながら懇願しているのだが、エンタクはまったく動じずに妖精を受け取った。
「おっと、コイツは男の妖精だったか。普通こう言うのは愛玩用を兼ねてるから女を選ぶもんなんだがなあ。だがまあ仕方ねえ」そう言いながらエンタクが妖精へ差し出したのは樹液を付けた指先だった。
妖精は匂いに釣られたのか唐突に起き上がると、喜んでその無骨な指先を舐めている。二度三度と繰り返すと警戒心は薄れたようだ。その隙を見逃さないと言わんばかりにエンタクは檻へと手を突っ込み妖精を摘まんで服をはぎ取った。
『くぁwせdrftgyふじこlp!!』
「まあまあそんなに怒るなよ、今コイツをやるからな。ほれ、言うこと聞いてくれたらもっと喰わせてやるし、生き延びて村へついたら上等なやつだって買ってやるから勘弁しろよ?」そう言って砂糖の塊を与えた。
妖精は大喜びで塊を抱えてむさぼりはじめる。エンタクはそのまま妖精を握って檻から出すと、あらかじめ魔方陣を描いておいた羊皮紙へと妖精を座らせた。一応逃げられないように腰のあたりを摘まんでいるが、妖精は砂糖に夢中で気にする様子もない。
「むにゃむにゃんげむーんげむーごっごのすりけーかじゃすぎの~」何やら呪文を唱えると妖精の背中にも魔方陣が浮かび上がった。すかさずエンタクが自分の親指を押し付けると、その指先と妖精の背中が光を放つ。
「どうやら上手く行ったみてえだな。さてと、おい妖精、言葉がわかるようになったか?」
『ああわかるぜ、オマエがオレの契約者なんだな? それにしてもアイツらにはわからなかったのに良く分かったな。ただの使えねえオッサンじゃないってことらしい』口の悪い妖精は自分を仕えさせるための魔方陣と呪文の組み合わせがわかった理由が知りたいようだ。
「まあそれは落ち着いてから教えてやろう。それよりも今は緊急事態だからな。ポチセコへ魔力を与えてくれないか。報酬は今のと同じ砂糖粒を二個だ」
『いいだろう、契約成立だ。終わったら絶対にくれよ? それにさっき言ってたことも守ってくれなきゃ契約破棄するからな。忘れるなよ、もっと上等なのだぞ?』
「もちろんだ、オレも甘いものには目が無えんでな。無事に逃げ切って村で祝杯と行こうじゃねえか。お前さんは酒飲めるのか?」
『もちろんさ、できればキレイどこのネエちゃんがいるとこがいい。でも村って言ってるから期待できないだろうな。それくらいはわきまえてるから安心しろよ。おっと、魔力補充が完了したぞ』
「おお、ありがとよ、これで一安心、って行けばいいけどなあ。よお御者のアンちゃん、ポチセコが動くようになったはずだから早く騎士団を呼んでくれ。大急ぎだぞ」エンタクは御者台へ頭を突き出して指示を出す。呼ぶことができさえすればパンが焼けるよりも早く来てくれるだろう。
「さてと、あとは時間稼ぎだが―― ふむ、おお、なるほど、こいつも、よし、うんうん、さてと。ええっとお前さん、この鉄球へ魔力を込めて衝撃で爆発する魔法をかけられるか?」
『おいおい、オレサマを見くびって貰っちゃ困るぜ。そんなの簡単簡単。それとオレサマの名はリンリクプルだ。舌をかみそうならクプルでカンベンしてやるよ』
「そうかそれはありがたいな。リンリクプル、いやクプルよ、ほいじゃ頼むぜ」エンタクはそう言って鉄球をクプルへと差し出した。妖精の小さな手が鉄球に触れてしばらくすると鉄球が熱を帯びたように鈍く光りを放つ。
「ではコイツをそおっと―― ほいっと」エンタクは馬車の後ろへと鉄球を放り投げる。誰かへぶつけるのではなくただ落っことしたように軽くだ。地面へと残された鉄球が着地すると――
『ボッカーン!』と大きな音と共に、地面へ大きな穴を作りだす。後ろから追いかけてきている野盗は大穴を避けて左右へ移動し、うまくかわながら追い続けてくる。
しかしオッサンと妖精のおかしなコンビは次々と鉄球を落としていった。当然のように地面には同じように大穴が空き、野盗たちも負けじと避けながら追いかけてくるのだが、当然その速度は遅くなっていく。
それこそエンタクの狙いである。彼は野盗を倒すつもりなどハナからない。時間が稼げれば十分なのだ。そうすれば騎士団が到着するだろう。そんな狙いがあると野盗たちが気が付いているのかどうかはわからない。
とは言えエンタクは決して楽観的には考えない性格である。野盗たちもバカではないのだから、もう時間がないと考えていてもおかしくは無いだろうと次の策をすでに準備していた。
「それじゃ次はコイツをっと、あーあー、もったいねえが仕方ねえな。生き残るため、仕事のためってやつだ。ほらほらほれほれ」エンタクはなにやら砂のようなものをばらまいていた。すると――
『ヒヒヒヒーン! ブルッブルルッ!』
馬が次々に首を振りながら暴れ出した。心なしか野盗も何かを嫌がっているような仕草だ。どうやらエンタクがばらまいたものはスパイスだったらしい。興味を持って近寄ったクプルがくしゃみをして鼻をこすっている。
『なんでこんなもん撒いたんだよ。鼻がむず痒いし目も痛い。あー甘いもんがほしくなっちゃったぜ』物凄くわかりやすい文句である。
「まったく仕方ねえな。ほらよ、今はこれでガマンしとけ。村についたら追加しないと手持ちがもう尽きちまいそうだ」オッサンから放り投げられた砂糖粒を受け取ったクプルはご機嫌でかじりはじめた。
そうこうしているうちにどうやら予定通りにカタが付きそうだ。野盗たちの後ろからものすごい速度で迫ってくる戦馬車が見えてきた。
エンタクは御者へそのことを伝え、腰を落ちつけながら大きく深呼吸した。もちろんスパイスを撒くのはとっくに終えている。
それでも馬車の後方では、チャリオットの馬が首を何度かもがくように振るのが見えた。
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きし-かいせい【起死回生】
死にかかった人を生き返らす意。医術のすぐれて高いことの形容。転じて、崩壊や敗北などの危機に直面した状態を、一気によい方向に立て直すこと。