39.虚虚実実(きょきょじつじつ)
ハイヤーンの強い要望により、宿屋兼自宅へ風呂を設置することになった。それについて村長へ相談し大工を紹介してもらえることにはなったものの、庭に井戸を掘るのは簡単でないらしい。
「もっと簡単にできると思ったが大間違いだったな。まさか木の高さよりも深く掘ってるとは考えたこともなかったぜ」冒険者としてなら様々な経験を積んできている自負があるエンタクも、建築や農業のようなこと、つまり冒険者稼業以外についてはほとんど知らないも同然だった。
「ホントだねえ。そりゃちょっと掘っただけで水が出る簡単な話だなんて思っていなかったけど、まさかあの木よりも深く掘るなんざ人間業じゃないよ」ハイヤーンがそう言って見上げたのは、村長宅の裏手にある村一番の大木である。
「まあなんにせよ井戸を掘れる職人を探さねえと無理ってこった。だがアマザ村へは行き辛えからなあ。なんでこの近くだとあそこにしか居ねえんだよ。魔法でドーンと掘れたりしないのか?」
「魔法は万能じゃないんだから無理言わないでおくれよ。それでも風呂場は作りはじめちまっていいんだろう? ダメと言ってもアタイはやるからね?」
「ああ構わねえよ、チビ助を風呂に入れるにも家にあった方がいいだろう? とは言ってももうこの歳なら寝小便なんてしやしねえか。おっと、ゴロチラムの家はここらしいな。確かに見りゃわかるって言うのは本当だったぜ」
玄関扉の脇にトンカチをかたどった看板がぶら下げてあると村長に言われてやってきたのだが、それは看板どころか扉と同じくらいの大きさだった。これが目に入らないなら、自分の顔に目が付いているかしっかり確認した方がいいだろう。
そのトンカチに小さなトンカチがぶら下がっており、どうやら呼ぶときにはこれを叩けと言うことらしい。エンタクが恐る恐る叩いてみると、そっと叩いたとは思えないくらいの音が響いて中から返事が聞こえた。
現れた老人がゴロチラムで間違いないのだろうが、力仕事を長年続けているのだからと、勝手にバイカルだと思い込んでいた。だが現れたのはエンタクよりも少し背の高い程度のヒュマン《人間》だったのである。
「アンタがゴロチラムかい? 酒場で良く見かけるオッサンじゃねえか。オレと大差ないのに良く大工なんて出来るねえ。いやはや尊敬しちまうぜ」いちおう褒め言葉のつもりである。
「やかましいわい、このドワロクもどきが。オマエはしょっちゅうあのマヌケと言い争ってるだろうが。そのせいでうるさくて敵わんわい」
「あのバカって言うのはボンクラのことだよな? ホントにアイツはうるせえからなあ。オレも迷惑してるんだよ」まるで他人事のように返事をすると、ゴロチラムはイラついたようにエンタクをののしった。
「なに言ってんだい、オマエが来る前は誰も相手しないから静かなモンだったんだからな。それをあんなに構ってやったら喜んで喋り捲るに決まってるわい」
「そんなもん先に教えてくれねえとわからねえだろうが。話しかけられて無視するなんざ出来るわけねえしよお。じゃあこれからは無視すりゃいいのか?」
「はあっ、そんなもんいまさらどうでもいいわい。んなことより用件があるんじゃろうに。ワシのところへ来るやつは大工仕事を頼みに来てるはずだからな」
「どうでもいいのかよ…… まあでも話が早くていいや。実は作ってもらいてえモンがあんのさ。オレが観光案内と宿屋をやってるのはしってんのかい?」
「そりゃこんな狭い村の出来事だからな。全員知ってるにきまっとるわい。んで何を作れと? どうせ若い嫁さんを貰ったから二人用のベッドを作れってんだろ」
「なんでどいつもこいつもそっちへ話を持っていきたがりやがんだよ。コイツは嫁じゃねえ。友人で共同経営者だってんだよ。まさか村中全員でそう思ってんじゃねえだろうな?」
「人のことは知らんが思っているだろうな。こんな美人がオマエみたいなむさ苦しい男と夫婦だなんておかしいと思ったんだ。まあそれはどうでもいい。早く本題に入れ。時間がもったいないわい」
「どうでもいいなら聞くなよ…… 話は簡単だ、家に風呂を作りてえのと、荷車を大き目の箱馬車みてえに改造してもらいてえんだ」
「風呂だと!? 家の中に風呂を作ろうってのか? 薪を焚べたら家ごと燃えて無くなっちまうぞ? それに箱馬車を作れだなんて随分と生意気だな。王族にでもなりたいのか?」
「まったくよお…… いちいち人を罵倒しねえと会話ができねえのか? アンタ偏屈爺さんで通ってるだろ? 風呂の湯はコイツが魔法で沸かすから問題ねえ。箱馬車は観光業で使うんだよ。客を乗せてちょいと危険な所へ行っても安全確保できるようにな」
「話がまったく分からないんだが、魔法が使えるってことはまさか、この娘さん冒険者なのか? それに馬車に客を乗せて危ないところへ行くってことはオマエが猛獣やモンスターを倒すと? 人間のくせに?」
「自分も人間のくせにずいぶん低く見るんだな。人間の冒険者なんて王都じゃ別に珍しかねえぞ? こう見えてもオレぁ、ああそうだ、今はDランクだから説得力がねえな。でもこの辺りに出る相手程度なら余裕だよ」エンタクは見栄を張った。何から何までハイヤーン頼りだとは思われたくなかったのだ。
「おいおい、そりゃオマエ、いや旦那はその箱馬車で観光に連れて行ってくれて戦うところを見せてくれるってことかい?」突如下出になったゴロチラムを不審に感じたものの、ハイヤーンが後ろから突いて来て何か伝えようとしていた。
『なあ、この爺様はそれこそ冒険者に憧れてた口じゃないのかい? うまくすりゃ最初の客になりそうだねえ』ハイヤーンがひそひそと伝えてきたことに合点がいったエンタクは、にやりと笑った。
「そうさ、オレたちは王都でもそれなりに名の知れた冒険者だったんだ。わけあって田舎でのんびりすることにしたんだが、暇過ぎても堕落しちまうからって始めた仕事なのさ」
「ほおお、そりゃすごいな。ぜひワシも案内してくれ。実は若い頃は冒険に行きたくて仕方なかったんだがよ? 残念なことにスキルには恵まれねえ、親は大工で後を継げと言うで、いつの間にかこんな年になってしまったわい」
「そりゃこっちも商売だから料金を払えばもちろん客として扱うさ。それはお互い様だろ? と言ってもまずは箱馬車ができねえことにはなあ。しかも風呂を先にって約束しちまってっからだいぶ先になっちまうだろ?」
「おしわかった、任せとけ。どちらも突貫工事で完成させてやるわい。水を引く当てはどうなってる? 村の井戸から汲んでちゃ時間がかかって仕方ないだろ?
「それが今の悩みの種さ。どうやら井戸掘り職人がオレの苦手なアマザ村にしか居ねえらしいと村長から聞いてガッカリしてたとこなんだよ」ゴロチラムの雰囲気から何か当てがあるのだと察したエンタクは、わざわざ大げさに嘆いてみせた。
「確かにその通りだ。だがワシは別の井戸掘り職人を知っておるでの。まあ任せておけ。風呂を作る間に連絡を付けておこう。だが金は結構掛かるぞ? 井戸を掘るには1000エントくらいはかかると考えておいてくれ」
「そりゃまた恐ろしく高えな……」エンタクが後ろへちらりと目をやると、ハイヤーンは全く問題ないと呟いた。さすがSSSS級である。
なんだかんだ言ってあっという間に話がついてしまい。大喜びで祝杯を上げに行く五人であった。
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きょきょ-じつじつ【虚虚実実】
互いに策略や手段を尽くして戦うこと。また、うそとまことを取り混ぜて、相手の腹を読み合うことにもいう。




