35.心慌意乱(しこういらん)
温泉と酒の魔力にはまり、結局二泊する羽目になったエンタクとハイヤーン、そして渋々付き合っているクプルの三人はようやくジョト村を後にした。次に目指すのはすぐ近くにあるアマザ村である。
すぐ近くと言うことは当然アマザ村にも温泉があるのだが、こちらはジョト村と比べると客があまりおらず適度に寂れている様子だ。理由としては村人たちの団結心にあるらしく、積極的に観光を勧めるジョト村とは異なり、静かに暮らしたいものが集まったのがアマザ村と言う差異がある。
元々はジョト村が観光に力を入れることになり。騒がしくなったことを疎ましく思って住民たちが村を別った経緯があるのだ。とは言え喧嘩別れとではなく、今でも観光に賛同する者はアマザ村生まれでもジョト村へ移住するし、その逆も然りである。当然平均年齢はジョト村のほうが若い。
「それにしてもこっちは随分と寂れているんだな。温泉と言っても宿もない。村人が入るための共同風呂があるだけってことか。まあでもケチケチせずに使わせてくれるんだから気前がいいよな」
「よな、じゃねえんだよ。だからってほぼ混浴じゃねえか。いったいこの村の感覚はどうなってやがるんだかなあ。さっき出て行った婆さんなんて、敷居を無視してうろうろしてたじゃねえか」
「なんだ? 欲情したのか? 浴場だけに。なんちゃってな。若い女じゃなくて残念だったな。特にチビ助はよ」
『まったくだ、混浴だなんて言うからウキウキしながらついて来たのに、干し芋よりもしわくちゃの婆さんしか居ねえ』
「だからと言って隙間からこっちを覗くんじゃないぞ? アタイはこれでも隠してるつもりなんだからな? それにしても本当に見えてないんだろうねえ?」
ハイヤーンが疑いを持つのも無理はない。なんと言ってもアマザ村には大浴場が一つあるだけで、真ん中に岩を積んで男女を区分けしている。しかしその高さは腰程度しかないため、実際に裸体を隠すのは入り口付近に積んである麦の穂で作ったすだれなのだ。
このすだれを自分で持ち、他人から見えないよう囲って入るのだが、年寄りの婆なんぞはそんなもの使うことなく堂々と闊歩している。こういうのは爺のほうが幾分恥じらいがあるらしい。
エンタクは当然だと語気を強め、裸なぞ見たくもないし見せたくもないと言った様子で反論する。
「見えてねえし見せたくもねえってんだよ。疑うならそっちから見てみればいいじゃねえか。そりゃ顔をくっつけりゃ見えるかもしれねえが、オレはクプルじゃねえんだからそんなことはしねえってんだよ」
『ふざけんな、オレサマだってそんなことはしないさ。覗くなら堂々と入っていくに決まってるだろ!』なんで威張っているのか意味不明だが、上空を飛べばいつでも覗けるのは確かだ。しかし――
「いつでも飛んで来いよ。撃ち落とす準備は出来てるからな。石つぶてと雷のどっちがいいか選ばせてやるぞ?」
『これだから暴力女は困るぜ。とりあえずオレサマは先に出るぜ。もうアツくて敵わないからな。張り紙したらこんな何にもないとこから早く帰ろうぜ』湯に浸かる習慣のないスピルスは当然のように文句を言って飛び去って行く。
「まったくいちいちうるさい奴だよ。温泉の良さがわからないなんて、同じ精霊族として嘆かわしいねえ。オッサンは人間だからわかるだろ? 湯に浸かるのは気持ちいいよなあ」
「気持ちがいいのは否定しねえが、こうも緊張してると湯中りしそうだぜ。オレはそろそろ出るからな? 酒場もねえから大人しく帰るしかないかもしれねえが、その前に村役場へ行って広告を貼らせてもらえるよう頼んでくるさ」
「ああ、まてよ、アタイも一緒に行くから少し待ってろって。あともう少しだけ温まったら出るからさ。なあ、宿屋には風呂作れないのか? 水だけ引いて来れば沸かすのは自分でできるから作っておくれよ」
「なに!? もしかして魔法で沸かせるのか? なんでそれを早く言わ、ねえ、ん、だ…… ―― まてよ? おい、じゃあなんで野営の時にオレに湯を沸かさせて桶に貯めさせやがったんだ!? 自分で沸かせば良かったじゃねえか!」
「なに言ってんだよ、探索に出てるときに魔力を無駄遣いできるはずがないことくらいわかるだろ? まったくド素人じゃあるまいし。このオッサンはホントに元Aランクなのかねえ?」
「ああそうか、今のは忘れてくれ、考えなしに言っちまった。風呂を作るのは前向きに考えておこう。あれば客を入れることも出来るだろ?」
「そりゃできるだろうけど温泉だなんて嘘つくなら協力しないからな? ただの風呂なんてあってもしょうがないんじゃないかい?」
「ムサイムサ村の連中ならそうでも、ジョト村から来た客は毎日でも入りたいだろうさ。そう言ったきめ細やかな気遣いが上客を産むってわけだ」
「偉そうに良く言う。宿の接待が評判いいのは全部アタイの手柄さね。オッサンはもっとアタイを褒めるべきだと思うよ? こんな美人が快く雇われ女将やってんだからさ」
「もちろん感謝してるぜ? きっとあの時再会したのは運命だったんだよ。まさかオメエさんがオレのこと心配して――」墓参りに来てくれたから都合よく宿屋を任せることができたんだからな、と言おうとしたエンタクは、途中で言葉が出なくなり、これから捌かれる魚のように口をパクパクしている。
もちろんこんな配慮の足りない台詞は言い切れなくて幸いだった。もし全て言い切っていたらハイヤーンの怒りを買ったことだろう。が、結果はどちらでもおなじだったのかもしれない。
「こらっ! バカヤロウ! 見るんじゃない、すぐに目を閉じろってば!」ハイヤーンは慌ててエンタクの頭上から岩を落としたが、これでは危なく溺れるところである。
「ごぼぼぼばぼおうぶぱぁっ! アブねえ、いやそれどころじゃねえ! 後は頼んだぞ! 外で待ってるからな!」エンタクはそう言い残すと、大慌てで飛び出していった。
それも当然だろう。共同浴場へ入ってきたのは、一糸まとわず『すだれ』も持たないすっ裸の少女だったのだから。ハイヤーンは見たか見てないかについて、飛び出していったオッサンを問い詰めないといけないなどと考えていた。
だがそんなことよりもこの少女をどうすべきだろうか。目の焦点が合っておらずどこを見ているのかわからないその表情は、どう見てもまともとは思えなかった。
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しんこう-いらん【心慌意乱】
あわてて心が乱れ、何がなんだか分からなくなってしまう状態。




