16.水天一碧(すいてんいっぺき)
朝には酒が抜けてスッキリと目覚めるのが野営のいいところである。しかもこの日は大滝のすぐ近くのためと言うこともあり、轟音による目覚めで寝ぼけている暇もない。
それにしても朝靄の中に浮かび上がる大滝の荘厳さと言ったら、まさにこの世のものとは思えないほどだ。
自然を超えた超自然とも言えばいいのか、大きさや水量から来る迫力よりもまず神聖な雰囲気を感じさせる。高さはそれほどないのだがとにかく幅が広く、まるで見る人を全てを包み込むような絶景と誰もが感じるだろう。
ほどなくして完全に夜が明けてくると、朝日に照らされて光景が一変する。空の青と水の蒼が一体となり溶け合うように眼前へと映し出されるのだ。それはこの僅かな時間のみに現れる最高の瞬間だった。
「はあぁ、美しいもんだねえ。アタイはこんな風景初めて見たよ。心が洗われるってのはこう言うことを言うんだろう。これで案内してくれたのがこんなムサイオッサンでなけりゃ最高なんだけどな」
「まったく口の減らねえスピルマンだよ。オレだからここまで調べ上げてるってもんじゃねえか。ムサイムサ村の連中はこの光景どころか大滝にもあまり近寄ろうとしてねえんだからもったいねえぜ」
「へえ、地元なんだから信仰の対称になってもおかしくないのにな。近くにあり過ぎて有難味が無いのかねえ」
「いやそうじゃねえ。あの村はこのグレイフォーリア川の水害から逃れ逃れてあの地まで追いやられた部族の末裔が作った村なんだとよ。だからどちらかと言うと嫌ってるってわけさ。もちろん信仰の対象としている部族もいて、川の向こう側の高台には鹿角人の集落があるって話だ」
「ふむふむ、なかなか観光案内が様になってるじゃないか。これならいつ客が来ても大丈夫だろうな。ここいらには他にも見物に適した場所があるんだろう? こっから戻ったら他も案内してくれよ?」
『ふざけんな! それじゃいつまでたっても遊びに行かれないじゃないかよ! この女、わかってて妨害してるんじゃないのか?』
「ふむ、なるほど、それもある、アリだな。ただ冬だから花や草木の見ごろじゃねえんだよ。春になりゃミスタラ森林の中の花畑は壮観だし、秋なら金色の丘ってとこの野生麦がよ、そりゃまあすげえ光景なんだぜ?」
「なんでわざわざ今見られない場所を自慢げに話すわけ? アタイにその季節までいて欲しいって遠まわしに言ってるみたいじゃないか。口説き文句ならもっと若い男に言って欲しいさね」
「けっ、まったくバカなこと言いやがって。んなわけあるかっての。オレはただこういう景色がまだ他にもあるって言っただけじゃねえかよ」
「ふふふ、なあに照れちゃって。エンタクも可愛らしいとこあるじゃないか。そんなにいて欲しいんならしばらく村で暮らしてやってもいいぞ? 実を言うと王都にいるよりものんびり過ごせて気に入ってんだよ」
「まったくその過剰な自信はどっからくんのかねえ。おっと、ほらまた景色が変わっていくぞ。天と地がわかれてくみたいで壮観だよなあ」エンタクがそう言っている側から、空と水の間の境目がはっきりと分かれて行く。空の青は透き通るような白みを帯びて行き、水の蒼は光を反射して煌めくのだ。
野営の片づけをしながら干し肉をかじりつつ再び出発した一行は、大滝からほど近い洞穴の前で人力車を止めた。王国中に多数あるダンジョンの中でも変わり種な、地上階のある洞窟がこのグノルスス洞穴だ。
「へえ、入り口から上に向かって洞穴が伸びて行ってるなんざ変わってるなあ。でも中へ入れば普通のダンジョンなんだろ? それとも何か気を付けることがあるのかい?」
「そうだなあ、気を付けると言うなら驚くほどになにもいないから拍子抜けしないことくらいだろうな。中にいるモンスターは、ヒクイコウモリと大多足虫、最深部に腹広蛇がいるだけで歯ごたえはねえぜ?」
「幅広蛇がいるなら最低限の素材は獲れるってとこか。アタイは大多足虫が苦手だから相手を頼むよ? その代りコウモリは撃ち落としていくからさ」
「承知した、と言ってもこの程度のダンジョンならクプルが戦ってくれるからオレの出番はねえだろうがな。討伐実績が大分溜まって来たし、依頼があればランクも上げられるけどなあ」
ギルドには相変わらず定常的な薬草買取の依頼しかなく、季節がひと回りしたというのに他の依頼はたった一つ、しかも牧畜農家から出された迷子の山羊捜索依頼だけだった。
そんなことを言っていても始まらない。村の近辺も平和だから討伐依頼もないわけで、それ自体は歓迎すべきことだ。エンタクが死んだときの捕り物は、村に関係した騒動としては十数年ぶりだったらしい。
平和な村に駆け出し向けのダンジョンはちょうどいい組合せとも言える。上級冒険者が多く訪れるような村は金も人も集まっていき、やがて町となる。すると治安が悪くなっていきがちなのである。
だがここはそんなこととは無縁ののんびりした冒険ごっごの場だ。ハイヤーンはあくびをしながら指先から稲妻を飛ばしコウモリを撃ち落とし、エンタクはそのコウモリが顎の下に蓄えている真っ赤なひげ状の体毛を切り落としていく。
たまに出てくる大ムカデはクプルが空気の矢を飛ばして始末するので、ハイヤーンは視線をそらしながら走って通り過ぎる。これはなかなかいい連携と言えなくもない。
当然ではあるが、分不相応に易しいダンジョンを突き進み、洞穴を登って行くと言う不思議な感覚を楽しみながら、機嫌を良くするハイヤーンだった。
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すいてん-いっぺき【水天一碧】
水と空とが一続きになって、一様に青々としていること。




