15.八方美人(はっぽうびじん)
深酒をした翌日と言うのは何かを始めることに向いていないと言うのが一般論だと誰もが考えるのだが、こと冒険者たちの間では必ずしもそうではない。無事に目を覚ましたのだから元気で健康な我が身を喜び、今日もまた冒険へとおもむくものだからである。
ようは毎日呑んで呑んで呑んだくれているのだから、深酒を言い訳にしていたらいつまでたってベッドから出ることができない。そのような情けない冒険者になってはいけないと言う戒めが、いつしか酒と結び付けられて呑んだくれの言い訳に使われるようになった。
「なあハイヤーン、一つ聞いていいか? ダンジョンへ行こうって言うのはまあわからなくもねえよ? これでも冒険者なんだしな。だがよ? なんでオレがオマエさんを乗せた人力車を引いて行かねえとならねえんだ?」
「なに言ってんだよ。昨晩のおイタをこれでカンベンしてやろうって言うんだからアタイったら優しいだろう? チビ助には別口でたっぷりと働いてもらうから覚悟しとけよな」
「オレは何の得もなかったってのにヒデエ扱いだぜ。こんな事ならオレも揉ませてもらえば良かっ―― っと、アブねえアブねえ、油断も隙もありゃしねえ」エンタクは後方から飛んできた鳥の骨を避けながら人力車を引き続ける。
『ハイヤーンはオッサンにホレるくらい大人しい淑女かと思ったけど、全然そんなことなかったな』
「ちょっと! アタイがわからないと思って、悪口を好き勝手言ってるんじゃないだろうね? そもそもオッサンの分際で男の精霊と契約してるなんて、一体どんな変質者なんだろうねえ」
「事情は話したじゃねえか。あんときゃ仕方なかったんだよ。契約を切っちまったら言葉がわからなくなっちまうだろ? それに商売もこいつがいてこそさ、なあ相棒?」
『そうだな、次こそは二人で姉ちゃんはべらせる店に行こうや。飲み屋がある街ってのは遠いのか? また馬車に乗るとロクな目に合わないかもしれないし気が進まないぜ』
「そうだなあ、馬車を使わねえで歩くとなると四日くらいかかるかもなあ。馬がありゃ一日で着いちまうが、村で馬を借りるのは無理だろう」
「む、今のは何の話をしてるのかアタイでもわかっちゃったぞ? どうせ女宿へ行こうって相談だろ。全くアンタらってやつは……」図星だと白状するように、二人は背筋を伸ばして黙り込んだ。
そんなバカ話をしているうちに目的地が近くなり、グレイフォーリアの大滝が近いことを示す轟音が鳴り響いて来た。この滝は、大量の水を貯え流れている巨大河川が、これまた巨大な地割れ跡へ吸いこまれていくと言う、それはそれは凄まじい大きさなのだ。
「ひゃあ、これは絶景だなあ。確かに観光案内で金を払っても惜しくないよ。普通の人たちじゃ歩いてくるのも大変だし、こうして乗せて来てもらうのも、特別扱いされてるみたいで気分がいいもんさね」
「もう夕方になっちまったし、今日はここで野営にしようぜ。朝はもっとすげえんだから見ていかねえと損ってモンだ」そう言いながら人力車から荷物を降ろし焚火と寝床の用意を始めた。
エンタクが釜戸を作るとクプルが火を灯し、空の鍋を置いたところへ水を張る。あとは用意してきた具材を放り込んでおけばそのうち喰えるようになる、なんてのが冒険者の定番料理である。
ごくまれに冒険者の中にも調理にこだわる者がいるが、エンタクもハイヤーンもそんなことは無い。腹が膨れて体が動けばそれで充分、旨いものは帰ってから金を払って喰えばいいだけの話だと考えている。
それでも個人差はあるもので、エンタクの場合は農家で調合してもらった辛めの味になるスパイスを持ち歩いていた。その香りが周辺に漂ってくると腹の虫が騒ぎ出すほどだ。
「ああ、この香り懐かしいねえ。それほど経ってはいないけどさ。アタイはこの辛い味がすっかり好きになっちゃったんだよなあ。それなのにどこで買えるのか教えてくれないんだからけち臭いオッサンさね」
『どう考えても思わせぶりなんだが、オッサンはこの台詞とこの体を前にしてよく我慢しきれるもんだな』耳元でクプルがささやいた。
「ふむ、ふふん、まあ確かに旨そうだからなあ。よだれも出るってもんさ。まあなんでもいいってわけじゃねえ。そこはしっかり見極めねえとよ?」
「旨そうだっていうけどエンタクが作ってるんだぞ? それに見極めって言ったって調合は自分で考えているのかい? こういうのはお任せだとばかり」
『クックック、ウマイこと誤魔化してるじゃないか。会話が成り立ってて笑っちゃうぜ』
「まああまり考えすぎねえこった。適当に見えて適当じゃねえ。試行錯誤が大切なのはなんでも一緒だろうぜ」
「なるほどねえ、でも試行錯誤なんてしなくたってこうして作って貰えばいいんだからさ。考えるより喰わせてもらうだけでアタイは十分さ」
狙ってるのか無意識なのかわからないハイヤーンの思わせぶりな軽口と、じっくり考えながら同時に別のことへ返答するエンタクのおかしな会話と共に夜は更けていった。
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はっぽうびじん【八方美人】
どこから見ても欠点のないすばらしい美人の意から、転じて、だれからもよく見られたいと愛想よくふるまうこと。また、そのようにふるまう人。




