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未商業化短編(異世界恋愛)

結婚式当日「お前を愛することはない」と言われて本当に愛されなかった妻の話

作者: 杓子ねこ

「お前を愛することはない」

 

 結婚式が終わり、最後の招待客たちを見送るやいなや、まだ純白のウェディングドレスも着たままのアデリナを振り向くと、ブライトはそう言い放った。

 

「……はあ」

 

 アデリナの反応は鈍かった。ベールをかぶった銀髪を揺らし、首をかしげる。

 困惑の中に覗く失笑の表情に、ブライトの眉が寄った。

 

「なんだ、その顔は」

「愛してほしいとも申しておりませんのにそのようなことをおっしゃるとは、よほどわたくしが怖いのかと思いまして」

 

 今度は明らかに笑みを浮かべて答えるアデリナに、ブライトの頬がカッと染まった。

 

「なんだ、その態度は!! 公爵家のくせに財産を使い果たし、わがカーソン伯爵家に泣きついてきた分際で!!」

「申し訳ありません」

「お前はただのお飾りの妻だ。俺を怒らせることのないようにしろ!!」

 

 頭をさげるアデリナに背を向け、ブライトはどすどすと足を踏み鳴らして部屋をあとにした。

 離れに住まわせている愛人のところへ行くのだろう。

 

 カーソン伯爵家の当主ブライトと、エルシェ公爵家の二女アデリナの結婚は、王命による政略結婚である。

 事業に失敗したエルシェ公爵家を救うべく、事業が順調なカーソン伯爵家へ、国王直々に結婚を打診したものだ。

 

 公爵令嬢という王家に連なる血筋を迎え入れ、さらに恩が売れるとあって、ブライトはすぐに了承した。

 絶対的な優位を確信したのだろう、ブライトは公爵家との顔合わせの席で、

 

『離れに愛人を囲い、一日の大半をそちらで暮らすが、口を出さないこと』

『二年後には〝白い結婚〟を表明し、離縁すること』

 

 その二点を要求した。

 羊皮紙に宣誓を書かせ、両家の印章も押した。

 

「カーソン伯爵家と提携し、二年も事業を続ければ、エルシェ公爵家も立て直せるでしょう。俺は二年間我慢してさしあげるのですよ」

 

 横暴な口調にさすがにエルシェ公爵夫妻も怒りを顔色に表したが、アデリナは「承知しました」と静かに頷いただけだった。

 

 最悪の第一印象だったのだから、愛されることなどはなから期待していなかったし、望んでもいない。

 

「……さて、どうしましょうかね、ウィル?」

 

 ため息をついたアデリナが振り向いた先には、一人の執事がいた。アデリナがエルシェ公爵家から連れてきた者だ。

 長くのばした金髪を肩のあたりで一つにまとめ、優雅に腰を折る彼は、若くしてすでに不摂生が体に出ているブライトよりもずっと整った容姿をしている。

 

 ウィルと名を呼ばれ、執事は顔をあげる。

 

「とりあえず、あいつの首根っこを引き抜きましょうか」

「それはいけないわ。結婚は王命ですもの。そうね、まずはこの場にふさわしく、侍女に着替えを申しつけ、カーソン家の使用人たちに挨拶をし、わが家の使用人と引き合わせて、明日からは女主人として働きましょう」

「かしこまりました、お嬢様」

「お嬢様ではなく奥様よ」

「その呼び方は口が裂けても遠慮させていただきます。では」

 

 もう一度慇懃に腰を折ると、ウィルは部屋を出て行った。今度は侍女たちがアデリナをとり囲み、意味のないウェディングドレスを脱がせてくれる。

 

 アデリナは公爵家から、専属執事のウィルと、三名の侍女、料理人や御者、メイドなど、総勢十五名ほどの使用人を連れてきていた。

 屋敷の出費が増えることにブライトは渋面を作ったが、

 

「わたくしとともに雇っていただきませんと、彼らも路頭に迷うことになってしまいます」

 

 とアデリナが目に涙を浮かべて頼み込んだので不承不承許してくれたのだった。

 

(あの人も、貴族の鷹揚さは持ち合わせているのよね。それだけに自分本位でもあるのだけれど)

 

 ふたたびため息をつき、アデリナは侍女たちに身を任せたのだった。

 

 

 

 翌日、アデリナはシンプルなドレスを着て、ウィルとともに書斎にいた。

 

 書斎に入ってもいいかという問いに、ブライトは小馬鹿にした笑みを浮かべ、

 

「女のお前に理解できるものなら帳簿でも読んでみろ。せいぜい参考にするんだな。公爵家を救うヒントがあるかもしれないぞ」

 

 と言った。

 

(家政を見せてくれるなんてやはり間抜け……いえいえ、目下の者に対する思いやりに満ちあふれていらっしゃるわ)

 

 思い出してくすりと笑い、アデリナは帳簿のページをめくっていく。

 すぐにその目は楽しげに細められた。

 

「あら、あらあらあらあら」

「どうされたのですか」

「ご覧なさい」

 

 アデリナに言われ、帳簿を覗き込んだウィルはなんとも言えない顔になった。

 そこに書かれているのは、カーソン伯爵領における事業が順調に成長し、新事業を生み出し、さらにまた発展していく過程だった。

 

 年を追うごとに利益の数字は大きくなっていく。ブライトがあれだけ居丈高に出るはずだ。

 

「これは見事な帳簿ね」

「そう存じます」

「参考にしてよいと、旦那様はおっしゃっていたわね」

「旦那様などとお呼びするのは虫唾が走りますが、そうでした」

 

 頷くウィルに頷きを返し、ぱたんと帳簿を閉じたアデリナは静かに言った。

 

「さて、ほかの仕事もしなくてはね」

 

 

***

 

 

 ブライトの胸にもたれかかりながら、キャリーはぶつぶつと文句を言っていた。

 

「今日も、メイドが一人、主屋に戻りたいと言い出しましたの」

 

 キャリーはカーソン伯爵領の、ナートレー商会長の娘だ。情熱的にカールする赤毛の髪に、同じくカールしてぴんと上を向いた睫毛。大きなアーモンド色の瞳。

 領地ではそれと知られた美貌の彼女をブライトの愛人とすることで、商会長は揺るぎない権力を手に入れた。

 

 愛人の立場を、キャリーは気に入っていた。

 主屋に正妻がやってきたようだが、ブライトの気持ちはキャリーのものだ。ブライトの中では自分が公爵令嬢よりも上なのだと思えば心が躍る。

 面倒くさそうな社交界なんて出たくない。こうしてブライトと二人、離れで自堕落にすごしているのが一番楽しかった。

 

 けれどもその生活は、ほかならぬ正妻によって乱されつつあった。

 

「あの女、用事を言いつけるたびに使用人たちに小遣いなどやって、歓心を買っているのですって」

 

 それに、アデリナの世話はアデリナが公爵家から連れてきた使用人たちがする。主屋の使用人たちはこれまでどおり、屋敷の維持に努めればよかった。

 ときおりアデリナから用事を言いつけられると、「ありがとう」の言葉とともに紙に包んだお菓子や、銅貨が手渡される。

 

 一方の離れでは、キャリーがあれこれと彼女の世話をさせ、アデリナを避けてこれまで以上にブライトが入り浸っている。

 

「主屋のほうが仕事が楽だ」という話はカーソン家の使用人たち全員に伝わり、皆が主屋の担当を望むようになってしまった。

 

「わかった、使用人たちを叱っておくよ。本当の女主人は君なのに、そんなことも理解できないなんて」

 

 ブライトの目には、顔をしかめる表情すらかわいらしく映るようだ。

 デレデレとした表情でキャリーの髪を撫でてやりながら、ブライトはそう約束した。

 

 

 

 そうして、数か月ぶりに主屋へ戻ったブライトは、屋敷の変わりようにぽかんと口を開けてしまった。

 

 床や家具は隅々まで磨き込まれ、天井の彩色も心なしか鮮やかになったような気がする。庭の草花も見事な大輪を咲かせていた。

 

 白いテーブルクロスに、日差しを跳ね返して輝く銀食器。

 テーブルに並べられた料理は、これまでブライトが食べていたものと違い、美しく飾りつけられて品数も多かった。

 

 そして、給仕や掃除をするメイドたちは、初めて見る屈託のない笑顔を浮かべている。

 

「なんだ、これは」

 

 カーソン家の執事パリスは、ブライトの隣で、おびえたように肩をすくめた。

 

「はい、その、奥様やそのお連れの皆様が、新しい磨き粉や布の選び方から、レシピや刺繍の図案など……様々に教えてくださいまして」

 

 見たこともないメイドがいると思ったが、彼女らはアデリナが連れてきた者たちらしい。

 おかげで、使用人たちは大いにやる気を刺激され、これまで以上に楽しんで働いているということだった。

 

「だが、小遣いをバラまいているというじゃないか。やめさせろ」

「ですが奥様はご自身のドレスや宝飾品などはお買いになっていらっしゃいません」

「……そうなのか?」

「は、はあ。奥様は、月々のお手当てをわたくしどもにくださっているので」

 

 つまり、アデリナ自身はまったく金を使わず、それどころかカーソン家の使用人たちに還元しているのだ。

 公爵家の使用人たちを雇ってやっている罪滅ぼしのつもりなのだろうか。

 それで屋敷が美しく輝くようになったのだから、ブライトとしても怒り狂ってアデリナを呼びつけるわけにはいかない。

 

「ふん、身の程をわきまえているようじゃないか」

 

 言ったあとで、ふと思い浮かんだ自分の考えに、ブライトはにんまりと口元を歪めた。

  

 

 

 荒廃した、と形容するのが正しそうな離れの有様に、アデリナは目を丸くした。

 

「ブライトとキャリーはこんなところに住んでいたの? どうしたらここまでのことになるのかしら」

 

 自分が住まわされるよりも、そちらのほうが気になるくらいだ。

 

 

 ブライトから離れへの移動を命じられたのは、つい先ほどのこと。

 理由は、アデリナが使用人たちに媚びを売り、キャリーをないがしろにしたから、だそうだ。

 

「この家ではお前よりもキャリーのほうが上だ。そのことをしかと胸に刻んでおけ」

 

 ブライトは使用人たちを全員集めると、

 

「今後はキャリーを主屋に住まわせ、アデリナを離れに住まわせる」

 

 と宣言した。

 ブライトの腕の中で、キャリーは顔がとけてしまうのではないかと思うくらいの恍惚とした笑みを浮かべ、「承知いたしました」と頭をさげるアデリナを見下していた。

 

 そうして、アデリナは美しく磨きあげられた主屋から離れへと移ったのだが、離れは足の踏み場もないほど汚れていた。

 

 ブライトとキャリーはそこらじゅうでフルーツだの菓子だのを食べてはゴミを散らかし、酒を飲んで酔っ払っては乱痴気騒ぎを繰り返していたのだろう。

 主屋との格差に使用人たちはやる気をなくし、掃除もおざなりに……というよりは、放置されていたようだ。

 

 さすがのアデリナも呆気にとられたあと、少し気分が悪くなった。

 アデリナの隣で、ウィルをはじめとした公爵家の使用人たちは怒りに震えている。

 

「やはり――やはり、私はこの結婚を承服しかねます。お嬢様に、こんなことを……」

 

 こめかみに青すじを浮かべて言うウィルに、アデリナは困ったように笑った。

 

「お嬢様、とわたくしを呼ぶのなら、指示に従ってちょうだい。さもなくばアデリナと呼んで、わたくしを叱ればいいでしょう」

 

 静かに諭され、ウィルはぐっとこぶしを握りしめた。

 アデリナはウィルの後ろに並ぶ使用人たちに視線を向ける。皆、アデリナの幸せを願っている。だから、酷い扱いを覚悟してカーソン家についてきた。

 

「ごめんなさいね、みんな。この家をわたくしが気持ちよく住めるようにしてくれるかしら」

 

 笑うアデリナに向かって、使用人たちは口をそろえ、「かしこまりました」と腰を折った。

 

 

***

 

 

 さらに数か月がたった。

 

「お嬢様、本日の紅茶はデリアス産茶葉にバニラフレーバーを利かせたもの、お茶菓子はキイチゴのタルトでございます」

「ありがとう、ウィル。あなたもいっしょに食べましょう」

 

 ウィルがうやうやしく運び込むティーセットに表情をほころばせ、書き込んでいた書類をわきへよせると、アデリナはそう声をかけた。

 キッチンでも使用人たちがタルトに舌鼓を打っているだろう。

 

「一時はどうなることかと思ったけれど、うまく落ち着いたわね」

 

 ウィルの淹れた紅茶を飲み、アデリナはほっと息をつく。

 それから、アデリナから少し離れ、下位の席に腰をおろすウィルを見つめた。

 

「カーソン領の産業だけれど。まずどれに力を入れるべきかしら」

「利益は少なくとも、安定したものがいいと存じます。綿花や、小麦など」

「そうね、わたくしもそう思うわ」

 

 アデリナの暮らす離れには、アデリナの連れてきた使用人たちしかいない。公爵家出身の者は皆、離れに押し込められたということなのだが、裏を返せばそこは小さなエルシェ家なのだ。

 

 荒廃していたのが嘘のように屋敷内は綺麗に磨きあげられ、光り輝いている。

 ウィルもほかの使用人たちも、ここでは周囲の目を気にせずアデリナを「お嬢様」と呼べる。

 

 

 ちょうどお茶が終わったころ、離れを一人の男が訪ねてきた。

 おどおどとした物腰の、カーソン家の執事、パリスだ。

 

 週に一度、彼は書類を抱えて離れを訪れる。そして、アデリナから別の書類を受けとる。

 

「主屋のほうはどう?」

「奥様の教えを守り、屋敷の維持に努めております」

 

 奥様、と呼ぶパリスに、ウィルがむっとした顔になる。パリスはそれに気づかず、長い長いため息をついた。

 

「しかし、あのキャリーという方はなんとも……離れのメイドたちから話は聞いておりましたが、いやはや……」

 

 どうやら主屋のほうは、以前のような活気とはいかないようだ。

 

「奥様のお戻りになる日を、お待ち申しあげております」

 

 アデリナから受けとった書類をわきに挟んだパリスは、深々と頭をさげ、肩を落として主屋へと戻っていった。

 

 

***

 

 

「おい!!」

 

 夕食も終わり、アデリナが穏やかな心持ちで本を読んでいたころ。

 突然、離れの玄関から怒鳴り声が聞こえた。

 声の主を考えなくとも、この家でこんな傍若無人な態度をとるのは一人しかいない。

 

 ウィルが嫌な顔をしているうちに、取り次ぎもなくバタバタと足音が近づいてきて、部屋のドアが開いた。

 

「アデリナ!! お前、カーソン領の経営に口を出しているらしいじゃないか!!」

 

 顔を真っ赤にしたブライトがアデリナを睨みつける。いまにも手をあげそうな勢いに、ウィルがアデリナの背後から身構えた。

 

「カーソン伯爵家と、エルシェ公爵家の提携をお許しになったでしょう。ですから少し、お願いをしているだけです」

「商人たちが迷惑をしているとキャリーが言ったぞ!! 伯爵家のことはナートレー商会に任せてあるんだ。彼らを煩わせないようにしろ!!」

「わかりました」

 

 アデリナは頭をさげた。

 

「今後は、旦那様のお耳にご面倒が入らないようにいたします」

 

 

***

***

 

 

 

 結婚式の日のように、アデリナとブライトは向かいあっていた。

 ただしあの日よりもアデリナはしとやかな気品にあふれ、反対にブライトの肉体はだらしなくゆるんでいる。

 ブライトの腕に腕を絡め、もたれかかるようにしてキャリーが立っている。

 

「さあ、契約の日だ。ついにお前を追い払うことができるな。せいせいするぞ」

 

 今日で、アデリナがカーソン伯爵家に嫁いでから二年。

 白い結婚を申し立て、ブライトがアデリナを離縁すると明言していた日である。

 

「あんたが出て行けば、次の妻はあたし。ブライト様、そう約束してくださいましたわよね」

「ああ、金があれば男爵位が買えると、友人が教えてくれた。君のために爵位を買ってやろう、キャリー」

 

 満面の笑みを浮かべるふたりとは裏腹に、カーソン家の使用人たちは沈痛な面持ちを浮かべている。

 彼らにはこのあとどうなるかがわかっているのだ。

 

「ええ、契約どおりですもの。わたくしは使用人たちを連れて公爵家へ戻ります」

 

 逆らうことなく、アデリナは頷いた。

 顔をあげると、ブライトににこりとほほえみかける。

 

「最後くらい、見送ってくださいませんか」

「ふっ、ははっ。最後に俺のやさしさを望むか。いいだろう、玄関までは見送ってやるよ」

「ありがとうございます」

 

 深々と頭をさげる使用人たちに、ブライトからは見えないようにしてアデリナは手を振った。

 

(あなたたちはよくやったわ)

 

 結局、アデリナは結婚生活のほとんどを離れで暮らした。

 けれども屋敷は美しさを保っている。アデリナの監督がなくとも、使用人たちは立派に仕事をやり遂げたのだ。

 

 正面玄関へ歩むと、ちょうど馬車が横づけにされたところだった。

 馬車に輝く金の紋章を見て、ブライトが眉を寄せる。

 

「王家の……紋章……?」

 

 アデリナを迎えにくるのなら公爵家の馬車のはずだ。だがブライトの目に映るのは、国の貴族なら誰でも知っている獅子と龍の紋章。

 

 はっと姿勢を正し、ブライトは自分の腕をつかむキャリーの手を振り払った。

 

「きゃっ!?」

「バカ、王家の前だ! 平民が出てくるんじゃない!」

「平民って、わたしはもうすぐ爵位をもらえるんでしょう!?」

 

「――それはどうかな」

 

 落ち着いた声が、キャリーの怒声を遮った。

 馬車から降りてきた人物を見て、ブライトが目を丸くする。

 

「お、王太子殿下!?」

 

 流れるような黄金の髪に、感情を読ませない緑の瞳。金の飾緒(しょくしょ)のついたジャケットを着こなすのは、第一王子マリオンだ。

 慌てて最敬礼をとるブライトの背後で、アデリナも美しい礼をした。キャリーだけが、どうしていいかわからず、おろおろと周りを見ている。

 

「なぜ殿下がわが家に……」

 

 おそるおそる顔をあげたブライトは、引きつった声で尋ねた。

 アデリナを離縁するだけでも王家が快く思わないのはわかっている。それでもこれは契約どおり。公爵家も同意したことなのだから、見逃してくれるだろうと考えていた。

 

 そんなブライトに、マリオンはふっと笑いを漏らす。だが、その目は笑っていない。

 

「なぜって、アデリナが離縁されるというから、迎えにきたのだよ。アデリナが自由になるのならもう一度求婚したいからね」

「その件についてはお断りいたしますと申しあげたはずですわ」

 

 マリオンはアデリナの手を取るものの、アデリナは手を引っ込めてしまう。

 肩をすくめ、マリオンはぽかんと口を開けているブライトとキャリーを見た。

 

「それからまあ、君たちもだ」

「え……」

「君たちの場合、迎えというか、捕縛だけどね」

 

 マリオンの背後には、物々しい近衛騎士たちが並んでいる。

 

「抵抗はやめておきなさい。命が惜しければね」

「な、なぜ!! 俺がなにをしたというのですか!! 離縁は、契約どおりで……! 俺はなにもしていません!!」

「そうだよ。君は、なにもしなかった」

 

 恐怖に顔を引きつらせるブライトに、マリオンは唇を歪める。

 前に進み出た騎士の一人が、罪状を掲げた。

 

「ナートレー商会長……そこの女の、父親だね。彼は領主が政治に無関心であるのをいいことに、領地を支配し、領民たちに私的な賦役を課していた。カーソン伯爵領はぼろぼろになり、いまにも滅んでしまいそうなほどだったんだよ」

「……な……!? し、しかし、領地の事業は順調で……!!」

「それらはすべてナートレーの嘘だ。アデリナが帳簿を確認してくれた。笑ってしまうくらいに嘘まみれの帳簿だったと。なぜあれを見て事業がうまく行っていると思えるのか不思議だと言っていたよ」

 

 ブライトの顔は血の気を失って青ざめていく。

 

「君に当主を降りろと言ったところで、ナートレーに取り込まれ、ごまかそうとするのは目に見えている。後釜に座る者が有能だとも限らない。だから王命でアデリナと結婚させ、アデリナとウィルに内部から改革を施してもらった。いまのカーソン領は、安定した財政状況だ」

「内部から……改革……?」

「それもわからないんだね」

 

 マリオンはアデリナを見た。最大の手柄は譲るとでも言うように。

 視線を向けられ、アデリナは小首をかしげて見せる。

 

「あなたに代わり、ウィルとふたりで、領地からの報告書を読み、領地への指示を送っていたのよ。めちゃくちゃになっていた指示系統を作りなおして、産業に力を入れ、訴訟を裁き、他領との折衝もして……」

「あ……!」

「あなたが、カーソン領の経営を参考にしていいと言いましたから。これまでどおり、カーソン領で起きたことはあなたには伝えませんでした」

 

 ブライトは思い出した。

 一度、キャリーから「アデリナが領地経営に口を出してきて父が困っている」と言われたことがあり、ブライトはアデリナを怒鳴りつけた。

 あれは、ナートレーの最後の悪あがきだったのだ。

 その後その話題は出なくなって、すっかり忘れていた。

 

 ナートレーはブライトからすべてを隠した。領地と王都の屋敷はすでに断絶しており、そのせいでブライトに助けを求めることもうまくできなかった。

 

 アデリナは、怒鳴られて領地への介入を止めたわけではない。むしろ――、

 

「ナートレーはすでに国外追放とした」

「お、お父様が……!?」

 

 マリオンの言葉に、「ひいいいいいっ」と悲鳴をあげてキャリーが気を失う。しかしあれほどキャリーをかわいがっていたブライトにも、駆けよって抱き起してやるだけの力はもうなかった。

 

「心配しなくていい。君も、そこの女も、同じ道をたどる。運がよければみんなで再会できるさ」

「そ……そんな……」

 

 ブライトもまた、白目を剥き、崩れ落ちる。

 

 マリオンがひらりと片手を振った。それを合図に、騎士たちは倒れた男女を引きずっていった。

 駆けよって引き留めてくれる使用人もいない。文字どおり、すべてを失った者たちの姿だった。

 

 

「さて、君には苦労をかけたね、アデリナ」

「それほど悪くない二年間でしたわ。ウィルがいてくれましたし、ほかの皆もよくやってくれました」

 

 振り向いたマリオンは、アデリナにほほえんだ。アデリナもにっこりとほほえみ返す。

 

「エルシェ公爵家の使用人たちは、カーソン伯爵家の使用人たちの警戒を解き、わたくしに話をするように勧めてくれました。領地から届く家族の手紙からは、困窮の悲鳴が聞こえてくると。でも、当主のブライトは離れに愛人を囲い、贅沢三昧をして暮らしている。彼らはどちらが本当かわからずに、混乱していたのです」

 

 カーソン家の使用人たちがアデリナの元で働きたがったのは、アデリナなら皆を救ってくれるということがわかったからだ。

 それから、領地から届いた報告書はすべてアデリナのもとへ運ばれた。

 離れから出られないアデリナに代わって、帰省に見せかけて領地へ指示を出しに行ってくれた者もいる。

 

 アデリナが二年という月日をかけ、ブライトの妻という不名誉な立場になってまでカーソン領を復興させたのには、理由がある。

 

「これで、ウィルとわたくしがいれば、問題なく領地を維持できることが証明されましたわね」

「本当にぼくと結婚しなくていいのかな」

「ええ、王妃の座に興味はございません」

「で、ウィルも、本当にいいの?」

 

 マリオンに水を向けられ、ウィルは一歩足を踏みだした。

 執事としての礼を失わないよう、アデリナより前に出ることはないが、しっかりとマリオンを見る表情は堂々としたもの。

 

「今回の功績で、王家の籍へ戻ることも可能だけれど、カーソン伯爵位をもらうだけで本当にいいの?」

「はい。私も、王家の籍に興味はありません」

 

 はっきりと言い、ウィルはアデリナの手を取った。

 

「私の望みは、お嬢様とともにあること。庶子だからと私を捨てた王宮には戻りたくありませんから」

「――伯爵位をいただいたら」

 

 ウィルの手を握り返し、アデリナは幸せそうに笑う。

 公爵家でウィルを引きとったとき、ウィルは自分を王家の一員だとは認めなかった。ただの平民なのだからと、執事としてアデリナに仕えた。

 でも、アデリナがずっと望んでいたのは。

 

「そのお嬢様というのはやめて、アデリナと呼んでちょうだいね、ウィル」

お読みいただきありがとうございました!

淡々と望みをかなえる女主人公が書きたかったお話でした。


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