本筋の解説
666とセツナ達が初めて会う場面
何故、666は魔神なのに降魔をせずにアルーマに降りたてたのか?いかにも666は降魔済みでアルーマに隠れておりセツナ達の前に姿を表したかの様な登場をしたのは、666が精霊だとバレたく無かったんです。誰も知らない秘密、666が精霊から生まれた魔人だからです。精霊は依代となる母体に宿る生命体です。本来は、感情を持たない自然由来の本能のみで活動するのが精霊ですが、666は精霊から魔人へと覚醒をしましたが、精霊としての性質は持っています。初対面の場面でセツナ達は焚き火をしています。この焚き火が大切なポイントになります。焚き火に使った薪は、実は666の息がかかった商店から買っており、巻き上がった火の粉から、彼はその弱々しい火を元にしてアルーマへとやってきたのです。なので、666は焚き火からも降魔出来てしまうわけですが、そこは魔人、威圧感を与える登場をしたかったのですね。空からの登場には666の演出が絡んでます。
砂漠でのネオの暴走
魔人は負の感情には敏感です。この時のネオは復讐心が心を支配していました。この復讐心は、魔人にはご馳走です。魔気が溢れてくるのを感じた666は、あえて食べる選択をしませんでした。それは彼が魔人の中でも最強の魔神だからです。ちっぽけな魔気には興味なんてありません。グレンから貰った武器を長年使い込んできたネオには神気を纏う境地に至っていました。しかし、彼には復讐心がありこれが、彼の成長を邪魔していたのです。神気を持ちながら魔気の種を心に持つ獣人は彼からしたら玩具だったのです。だから666は、食事より遊ぶ選択をします。楽しい遊びの時間はみなさん好きですよね?食事を忘れる位楽しい事ってありませんか?その時の気持ちを666は抱いたのです。666はネオの闇を開花させます。九割獣魔で残り一割獣神の完成です。最高のおもちゃですよね?魔気が暴れて制御の効かない暴走状態のネオを666は簡単に支配出来ます。何故かというなら、彼は魔神です。魔気の支配力はトップクラスです。簡単に制御出来てしまうんですね。そして別れの時です、彼は選択肢をセツナに与えます。666の魔気の支配を解いた死にかけのネオを助けるのか?それとも弱った私を殺すのか?究極の二択です。666は確信があって、この天秤を持ち掛けています。セツナは、必ずネオを助けると確信をもっていたのです。ちなみに何故ハキムの門が、形が変わってしまっていたのか、それは彼が贄として使った邪人達が99%ハキムの邪人で残り1%に666の邪人を紛れこませる事で、彼の降魔した体にマーキングをしていたのです。666は精霊であり魔人です。ハキムは焦って降魔の儀式を行う必要があり、生贄には注意をしていましたが、完璧に選別を行う暇がありませんでした、そこに666は付け入ったのです。マーキングを済ました666は彼が弱るのを待ちます。彼の魔力制御が弱った瞬間に術に干渉します。そして、出来上がったのが666とアルーマを繋ぐ直通のゲートです。既に前回の再会から焚火を依代を解除して魔界へと帰っている666はそのままゲートを使い魔界にある魔火を依代にして、アルーマへとやってきたのです。あくまで、本体は魔界に残したままの降魔です。666は、自分の魔力が付随した火があればいつでも依代として本体を魔界に残してアルーマへ来れるし、魔人である以上正式な手続きをふんで本体をアルーマへと降魔可能な存在なのです。この日の出来事が後にセツナが666の正体を掴むヒントになるわけです。依代のメリットは魔人の核を魔界に残したまま精神だけアルーマに来れる所にあります。勿論デメリットはあります。依代の母体となる魔力によって発揮出来る力に制限がかかります。簡単な話、限界があるのです。
セツナが何故666を精霊だと推察出来たのか
最初の出会いは密かに降魔ずみで潜んでいた脅威との思い込みをしたままの対面でしたが、2回目の再会で疑問へと変わります。既に降魔済みであるなら、ゲートから降魔する事が出来ないからです。既にアルーマに本体がいるわけですから魔界から繋がるゲートから666は登場出来ないわけです。けれど、666はゲートからやってきた。これは、セツナにとって非常に大きなヒントとなったわけです。真理の目があるセツナは目の前に起きる現象に対して幻術は一切効きません。確かにゲートからやってきたのは666だったのです。最初の出会いから666が去る時に紫の柱になっていないため、魔界には帰れません。しかも再びやってくるには必ず大量の贄が必要です。この矛盾を一つずつ潰して行く事で一つの事実に辿り着くのです。紫の柱にならないで魔界へと帰り再びこのアルーマへとやってきた666は普通の魔人ではないと、全ての場面で火の姿をしていた事から精霊なのだと気がつけた訳です。