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隠れ里  第一部  作者: 葦原観月
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琉球王の宝

シーボルトは若者を集め、日本の様々を蒐集します。日本の各地から医学を求めて集まる若者たちは、興味深い話を、たくさん持ってきます。

 (二)


「先生、そろそろ、よろしいでしょうか」

 多少は聞き取りにくいオランダ語が、シーボルトを緑豊かな庭へと、引き戻す。子犬は、じゃれるのに飽きたようだ、色の黒い少年は、地面に座り込み、シダの葉を興味深げに眺めている。あぁ……

「日本国の人は、勤勉だ。君らはいつ、休みをとるのかね。私は君らが「休んでいる」姿を見た覚えがないのだが……信じられないよ。お滝も、いつだって……」

 弟子の「オランダ語」よりもおそらくは癖の強い、へたくそな「オランダ語」で返したシーボルトは、後悔する。

オランダ語が下手だ、という理由ではない。シーボルトの祖国はドイツだ。オランダ語が達者でなくて、当然だ。それよりも日本国の人が、妻の話をしないという事実を思い出したからだ。それでも……


「日本国の女子は、良く働きます。それは、男がこの国を支えていると知っているからです。大和の男は、どの国の男にも負けません、それを支えるのが大和の女の仕事だと、女子たちは知っているから。わが国の女子は素晴らしい。私は、そう思っていますよ」

 流暢なオランダ語で返す青年に、シーボルトはちょっと驚き、当の本人は、恥ずかしそうに下を向いた。


 目の前の若き青年と少年……シーボルトは二人をとても信頼している。それは日本国の諺、「棚から牡丹餅」だろうと推測している。

 二十歳ばかりの青年は、商館の通詞より、よほど流暢なオランダ語を話す、優秀な弟子、二宮敬作である。伊予の国からシーボルトを頼って来た若者だ。

 実に勤勉で頭も良く、気取ったところのない青年は、お滝の頼みも断らず、出島への遣いもよく果たす。成績が優秀であることを鼻にかける様子もなく、塾生からも、なにかと頼られる存在でもある。


 その横で、くりくりとした黒い目を動かし、興味深げに辺りを見渡している少年は、年のころは七つ程の子供だ。シーボルトはその少年の本名は知らない。敬作がいつも、「石坊」と呼ぶ少年は、琉球の船乗りの子だ。

 出島から少し離れた鳴滝塾は、出島に出入りする者にとって、気軽に出向く程度の距離ではないが、「石坊」は敬作を頼ってここへ来る。

 二人はとても仲がいい。

 敬作が使いで、出島を訪れた折、帰港船の荷待ちをしていた石坊と出会ったらしい。

 この国の中央政権は異国の出入りを禁止しているが、島津の王が治める琉球国には許可が出ているようで、出島には琉球国の船が出入りしている。島津の王が〝将軍に送る貢物〟を運んでくるようだ。

 琉球国の民は、島津の王の民であるため、さほど問題なく、出島と本土を行き来する。よって時間さえあれば、琉球の民は長崎の町を歩き回れる次第だ。

 まして、小さな子供であれば、特に役人の目を引くこともなく、おそらくはふらふらと寄り道をしながら、ここまで来るのだろうと、シーボルトは思っている。


「で? 石坊、お宝は持ってきた?」

 敬作はシーボルトに代わってオランダ語で訊ねる。

「うん。持ってきたよ。飛びっきいの話。聞いたら驚く。わしも、ほんに魂消た」

 色黒の少年「石坊」は、シーボルトにも馴染みのある言葉で、敬作に返す。西国の言葉だ。

 石坊は、言語には特別な能力を持っているようだ。琉球語は勿論、シーボルトが聞き慣れた西国語をも、そつなくこなす。

「大坂弁も話すんです。こいつ、なかなかのもんだと、わしは思います」

 大坂弁たるものを知らないシーボルトだが、なかなか見上げた子供だとは思う。

「話してもいい?」

 石坊はシーボルトに目を向ける。くりくりとした黒い目が印象的な子供だ。

(どこの国でも、子供は一緒だ)

 シーボルトは石坊に親しげに微笑みかけた。

     

      (三)


 そもそも、シーボルトが《鳴滝塾》を開設した理由は、多くの日本人との接触を求めたからだ。

 長崎の町に出て、一般の民たちとの交流もまた確かに大切な情報収集ではあったが、なにせ、病人が相手だから、さほど話はできない。

また、従いて回る通詞は、長崎奉行所の管轄下の者だから、日本語を知らないシーボルトに相手の話がどこまで正確に伝えられているかは、知る由もない。それではまるで意味がないのだ。そこで「身近な通詞」が必要となった。

蘭学の教授は「身近な通詞」を育てるための餌に過ぎない。餌を食うためには、それを咀嚼するための歯が必要だ。「蘭学」を噛み砕くには、蘭語が不可欠である。


 将軍が思うほど、オランダは日本国に対し、友好的ではないし、ましてや、祖国の有する優れた知識を、日本国の若者に対して無償で提供する義理もない。オランダには、オランダの利というものがある。


《鳴滝塾》を訪れる若者たちは、こぞってオランダ語を学び、師であるシーボルトを慕って、たくさんの話をする。

 おぼつかないオランダ語の解釈は、なかなかに骨が折れる作業ではあるが、シーボルト自身もまた、お滝という妻のおかげで、少しずつ日本国の言葉にも馴染み、良く使われる言葉の意味くらいは、おぼろげではあっても理解できるようになった。

その二つが助け合って、シーボルトは日本国の情報を、僅かずつながら、得られるようになった。


 そんな塾生の中でも特に、敬作はオランダ語が上手で、穏やかな人柄から、シーボルトは好んで敬作と話をした。その敬作が持ち込んできたのが、「海に沈んだ皇子様」の話だ。

「皇子様」という響きが神秘的で、シーボルトはすぐに興味を持った。敬作の話した「物語」は、遠い昔の日本国の「将軍」の話で、「将軍の座」を奪い合う、二つの勢力の戦いの話だった。時々、身振り手振りを加えながら敬作が語った、『平家物語』という日本国の物語は、「琵琶法師」という盲目の僧が語った物語なのだという。


 今では滅多に聞くことのできない琵琶語りを、敬作はたまたま手伝いに行った寺で聞く機会を得、物悲しい語り口や、美しい琵琶の音色に心奪われたという。

その中の幾つかが敬作の心に残り、忘れないようにと書き留めておいたものを、シーボルトに聞かせてくれたわけだ。


「でもね、全て正しくではありません。うろ覚えの箇所も多いし、なにせ、古い言い回しも多いので、わし自身も、ようわからん箇所もあるんです。まぁ、でも、先生はこういった話がお好きでしょう? それでお話したという次第です」


 塾生たちは、異国人、シーボルトに対し、敬意を払うと同時に、友好的だった。

 何かの折に、ちょっとシーボルトが興味を示した「昔話」に、塾生たちの反応は早かった。各々の郷の昔話をシーボルトは飽きるほど聞く羽目になる。

 が、それこそがシーボルトの任務に適うものなのだと、シーボルトは知っている。民話というものは、実に「民を語る話」なのだ。

古くから伝えられる話の中には、地元に住む人々の思考や生活が息づいていて、語り継がれるものには、必ず何かの意味がある。それを研究することにより、様々なものが見えてくる。

 出島にいたのでは決して聞くことができない話を、シーボルトは多く手に入れた。また塾生のほうも、己が郷の昔話をオランダ語に変え、異国人に語るという勉強の場を与えられたことになる。


 いずれも似通った話が多い昔話は、日本国という島国をよく現していると感心する。シーボルトの観念では、とても理解しがたい話がまた、シーボルトを大いに刺激した。


「主上とは?」

「ええ……昔の日本国王ですかね。大きな声ではいえませんが、元々この国の「神」だった、という話です」

「神? 神が滅ぼされたのか? だったら、相手は悪魔かね? 敬作の話によると、清盛はとんでもない暴君のように聞こえるが? 神が何故、そのような暴君と共にある? しかも八歳の子供である王が、自らの命を海底に沈めるなど……とても信じられんよ、誰か救う者はいなかったのかね。あまりにも哀れすぎる」


 話の全貌がつかめたわけではない。だが、やはり罪もない子供が戦いの中、自らの命を断ったという場面には、異国人であるシーボルトの胸をも突いた。何の抵抗もせず、悟りきった顔で静かに海に沈む幼子の姿は、想像するのも痛々しい。

「その舞台が、この辺りなのです。まぁ、長崎ではありませんが。長州辺りの話のようです。そこで……」

 敬作の語った『平家物語』はどうやら前置き話だったようで、それにまつわる様々な話が今も、この辺りにはあるという。


 ずっとずっと昔の話、日本国の人でも郷愁を覚えるような「昔話」が、今も尚、生きていると聞けば、シーボルトでなくとも興味を覚えるのは当然の運びだろう。

 シーボルトは時に塾生に訊ね、時に診療所を訪れる人たちに声を掛け、「平家落人」の伝説を集めるようになった。

 別に深い意味はない。ただこういった後日譚たるものは、不思議と気になるものなのだ。

 憐れな幼子がもし、本当は海の藻屑とはならず、いずこかの地で安らかなる日々を送ったのだと思えれば、なんとなく嬉しいような気にもなる。本社に伝える話の中で、「こんな秘話もあります」と付け加えるのにも、いい材料ではないかとシーボルトは思っていた。

     

       (四)


「は? 宝って何?」

「知らんよ、わしは。おはんが「宝」を探してこよかったんだろ? 浜のタンメーが、そう言うたんじゃ。王が宝を探しとるとな」

「そいが、どこかの島にあうちゅうんか。石坊、そら、大変なことじゃ、けどな、そいが何か、わからんのでは……」

 庭の隅にぺたりと座り込み、子犬たちは、シーボルトを置き去りにして「琉球語の混ざった西国言葉」で話し合っている。

 

「大きくなったら、医者になりたい」と、敬作に語った石坊を、シーボルトに引き合わせたのは敬作だが、塾で学ばせるには、石坊は幼すぎる。

 加えて、琉球国の船乗りである石坊は、決まった時間に通ってくることが難しい上に、学問のため、一定の時間を取るのも難しい。

 鳴滝塾は、広く門戸を開き、誰にでも学問を学ぶ機会を与える目的で開いたが、さすがに仕事を持った、幼子には無理なのではと、やんわりと敬作に断りを入れたシーボルトに、



 そんなつもりは、毛頭ありません。


 敬作はにっこりと笑った。日本語はとても難しい。

 

 語学力に優れた石坊にはまず、オランダ語に親しませ、読み書きを学ばせる。オランダ語を習得すれば、書物をもとに、敬作が講義してやることも可能だ。

「講義の邪魔にならない程度に、石坊が基礎を身につけたら、私の隣で講義を受けられるよう、石坊は親方にお願いすると言ってます」

 きらきらと目を輝かせて、敬作の隣で頷く石坊に、

 君が私の授業に現れる日を、楽しみに待っているよ。

 シーボルトがかけた言葉は、決して嘘ではない。以来、屋敷内に敬作の姿がないと、ふらりと庭に出て、耳を澄ませる習慣がついたシーボルトだ。

流暢なオランダ語に、たどたどしく返す子供の声、意味不明の琉球言葉と、長崎より柔らかな西国言葉のやりとりは、シーボルトの耳に心地良い、新たな鳥の囀りとなった。

だが本日、夢中で言い合う囀りは、琉球語と西国言葉ばかりだ。


(学問は、どうした?)


 ちょっと呆れながらシーボルトは二人を見比べ、視線に気付いた敬作が頭を下げた。石坊が小さく肩を窄める。


「何の話だ?」シーボルトがオランダ語で訊ねると、口調を真似た石坊がにこっ、と笑って首を傾げた。なかなか、いい発音だ。

 窺うようにシーボルトを見た敬作が、かつん、と石坊の頭を叩く。口を尖らせ、石坊はそっぽを向いた。

「構わんよ。石坊は勉強中だ。気にすることはない」

 シーボルトの言葉に敬作は頭を掻き、

「すみません。こいつ、すぐ調子に乗って……」

 石坊を睨みつけ、敬作が口を開くのを制し、

「何を話しているのか、私にも教えてくれないかね」

 仲間外れになったような気分で、シーボルトは二人を見つめた。

「王」と「宝」が気に懸かる。きっとシーボルトでなくとも、誰もが気になる言葉だろう。後の言葉の意味が、まるでわからないでは、余計に興味をそそるではないか。


「はぁ。それが……」

 敬作の話では、今回、石坊は、とっておきの話を持ってきたようだった。

 しかし、その内容が今一つ、はっきりとはせず、敬作自身もよくわからないという。


「琉球王と宝が絡んでいるのか?」


 シーボルトの問いに敬作はあんぐりと口を開け、「先生も人が悪か」と小さく呟いた。

何か悪いことを言ったかなと、シーボルトは首を傾げる。

「琉球の王が、どこかにあるという、「お宝」を探していると、石坊は漁師の爺さんから聞いたそうです。爺さんの孫が、王宮に届け物に行って、そんな話を聞いてきたとか……ですが、そんな話、あてにはなりません。使用人ってもんは、噂話が好きですから、わしは、そんな話は信じられん」

 ふ~む。確かに。

 石坊の情報源が、漁師の爺さんであり、もたらされた情報がまた、別の人物からだという事実は、引っかかる。

 しかも、その人物が仕入れた情報源が、「王」とは遠い位置にある「使用人の噂」の中にあれば、尚のことだ。

 琉球王は誇り高き人物だ。まさか使用人相手に、「実はね、お宝を探しているんだ」と軽々には言わないだろう。


「それにですね、その「お宝」が、何なのかわからんというんです。石坊が聞いた話では、琉球国に近い島に、その「お宝」が隠されているという話だけで……それでは、どこで何を探せばいいのかも、皆目わかりません。だから、ただの噂だと……わしは、そう思うております」                      

「違うよ。ウチナンチュは、嘘は言わねー。絶対にあるんじゃ。王様はお宝を探してーおられう。わしは、飛びきりの話を持って来たんじゃ。敬作は馬鹿じゃ……」

 ぐっと唇を噛み、睨みつけてくる子供には、説得力がある。

 言葉には関係なく、伝わってくる意思は、植物学、生物学に長けているシーボルトには、よくわかる。

「本当なのかね?」

 オランダ語でゆっくりと訊ねれば、石丸はこくり、と頷いた。

 間で戸惑う敬作を置き去りに、シーボルトは石坊にオランダ語で使命を与える。


「お宝がどこにあるか。調べてもらえるか? それが何であるかがわかれば、もっといいが。とりあえずは、場所だけわかれば、なんとかなる。いいかね、「行き着く先」がわからなくては、航海には出られないんだ。当てのない航海は、危険だからね。そこに何があるかは、行ってからの楽しみとしても構わんが。君には、それがわかるね? どうだい?」

 くりくりとした目を見据え、ゆっくりと語ったシーボルトは、石坊の小さな手を両手で包む。

 少し空に目を彷徨わせた石坊は、不意に下を向いて動きを止めた。

 後ろで気遣わしげに様子を窺う敬作を背で感じながら、(師は、弟子を信じるべきだよ)と、シーボルトは心で呟く。

「頑張って(Strijd)みます」なかなかのオランダ語で返した石坊の背をそっと叩き、シーボルトは患者の待つ診療所へと足を向けた。



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