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隠れ里  第一部  作者: 葦原観月
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芸は身を助く

宝探しの大元のお話です。

 第二章 宝探しの始まり

     (一)

 芸は身を助く――


 この国の諺は、こういうことを言うのか。自らの身を振り返ってフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは思う。


(我が身の学は、この国の「芸」とは異なるのではないか?)とは思いつつ、それでも、人々を喜ばせ、大いなる賞賛を受けたのであるから、「芸」のうちに入るのかもしれない。


 目の前に広がる木々の緑を確かめるつもりで、シーボルトは大きく息を吸った。

 初夏のこの時季、青々とした草いきれが体中に広がって、自身もまた草花の一つになったような気持ちにさせるこの匂いが、シーボルトはたまらなく好きだった。植え込んだ木々は皆いずれも満足げに葉を揺らせ、いつ花をつけようかと、互いに相談しているようにも見える。


 根元には既に、色とりどりの花が上を見上げ、(まだなの?)と頭上で行われる興行を待つ子供のように、そわそわと揺れる。思えば――

 ただの異国人にして、規制の厳しい、この日本国で、たった一年程で出島の外に邸宅を許されたのは、奇跡と言っていい。日本の国の美人を称える「小町」という称号を得た美しい娘を手にすることができたのも、医学という芸のおかげだと、感謝する。

 やはり、「芸は身を助く」は、私のような者のことをいうのだと、一人合点したシーボルトは、緑の中を向ってくる人影に目を細めた。


「ハロー、ドクテール、ヘッズウェンゴーセェーション」


 細身の青年が、シーボルトを見つけて声を張り上げる。

確かに。いい季節になった、愛する「小町」の名をつけた「オタクサ」が、色とりどりの花を庭のあちこちで咲かせている。今朝もその一輪を、部屋の中で眺めた。

 愛する男が、花に「お滝」の名をつけたという事実が、「小町」にはとても満足らしい。しとやかでありながら、あでやかさを持ち、くるくると表情を変える様は、若いお滝に良く似ている。


「おはようございます」

 今度は日本国の言葉で挨拶をし、細身の青年と、後ろにいる少年が、丁寧に腰を折る。

 日本国の人たちは、とても慇懃だ。あまりにも深く頭を下げるので、初めのうちは随分と戸惑った。真似をして腰を折り、いつ頭を上げたらいいのかと、横を見て、通詞に笑われた経験は、今でも苦い思い出だ。「礼儀」はとても難しい。


「おはようございます」

 お滝に繰り返し教えられた挨拶を口にして、色の黒い少年のほうが、首を振る。


「先生、みーうぃーぬもんや、「ございます」や、なくて、ゆたさん」


 随分とこの国の言葉にも馴染んだつもりだが……この少年の言うことは、ちっともわからん。

 シーボルトの戸惑いが表情に出たのか、細身の青年が、にやり、と笑って、少年の首を抱え、

「先生、目上のもんは「ございます」は、なくていいんです」と通訳した。

 けらけらと笑う少年に、青年がふざけて軽く拳を向ける。子犬がじゃれ合ってるような情景に、シーボルトの頬が緩む。

(いい友人だ)とシーボルトは思っている。


 邸宅に隣接した《鳴滝塾》に通ってくる生徒たちは、志に燃えた日本国の未来を背負って立つ有望な若者たちだ。シーボルトを師として仰ぎ、勉学に勤しむ彼らは、シーボルトの教えを、砂が水を吸うように覚えていく。遠い地から遠路はるばるやって来る若者も多く、門下生は日々増え続けている。

 鳴滝塾の隣には診療所を置き、シーボルトはそこで患者の診察もする。身分に関係なく、全ての人を受け入れる体制が、日本国の人たちには新鮮に映ったようだった。


(そうだな。やはり「芸」に導かれたようなものか)

 本来、出島にある「オランダ人」は、出島から出ることは許されない。商館長ですら許されない行為を、「ただの商館医」であるシーボルトが許されたのは……

 中央政権である江戸幕府が、遠く離れた西国の地に、「大いなる威光」を知らしめるためだと、シーボルトは思っている。


 海禁政策の下に、中央政権である幕府は異国の文化の導入を封じ、他国の侵略を阻止したかに見えるが実は……

 地方の権力者の特権を奪っただけだ、とシーボルトは見ている。

「将軍」というこの国の王が許す長崎の貿易は、今は唯一の異国文化の窓口として認められ、その権利は全て「将軍」に握られているかに見える。

 が、実際は西の国を古くから仕切っている島津という王が、隣接する大陸を通して、大きな利益を上げている事実を、シーボルトは知っている。島津は琉球という、大国に認められた王国を支配しているのだ。島津の王は幕府に屈せず、今も尚、異国文化と、多くの富を得ていると聞く。

 幕府の傘下にある、異国人シーボルトの評判を高めることは、中央から遠ざかった西国の民に幕府の威光を知らしめるには、いい機会だ。

 ――将軍は異国の最先端の知識を、既に手に入れている、異国人もまた、将軍の手の内だ――。

それで十分だ。


 長崎の町を歩き、身分の隔てなく病人を診て回るシーボルトに、民たちは大いに喜び、また、将軍の代理として、シーボルトに許可を出した長崎奉行所は、おおいに株を上げた。

 つまりは幕府自体が、西国の民の気を引いたことになる。また、既に領地内で医学館を設立している島津の王にも、十分な実力誇示となっただろう。

 シーボルト自身は、といえば、監獄のような出島から抜け出す機会を得た結果、運命の人と結ばれる幸せに恵まれ、更にかねてからの希望であった学問の教授、研究を進められる機関を開設することができた。順風満帆とは、まさにこの状況だ。


 そんな順風満帆のきっかけが、長崎奉行所の役人や家族の診療を引き受けたことであり、オランダの優れた医療の評判が町中にいる、出島に出入りできない人の診療へと話が進んだ。次から次へと評判を聞いた人たちの診療を重ねるうち、出島から釈放となったわけだ。


(やはり「芸」に助けられたのだな)


 シーボルトは思う。あのまま出島に閉じ込められていたら、日本国の情報は十分には得られない。常に役人の目が光っている中、与えられる情報に、果たしてどれだけの信憑性があるものか。


(私は異国人だよ。通りすがりの異国の王のために、自らの身をすり減らして協力する人物が、どこにいるんだ。日本国の「将軍」は、少しばかりお頭が弱いね。人がいいというか、間が抜けているというか。そのくせ、権力だけは押し付ける。それではいつか、足元を掬われるよ。まぁ、そのおかげで、私はこうして監獄から抜け出すことができたのだけれど)


 ただの商館医にしては、シーボルトは博学で、医学はもちろんのこと、植物学、生物学、地理学などにも詳しい。本社は、それを踏まえてシーボルトを「日本国」という島国に送り込んだのだ。

 シーボルトに課せられた任務は、「日本国の調査」。生物や植物の生態もさることながら、日本国に住む人々の民族性、生活、思考なども調査の中に含まれていた。


 出島に関する知識は、既に任期を終えて戻ってるカピタンより伝えられてはいたが、出島に着いたばかりの当初は、便宜の悪さに辟易とした。何をするにも長崎奉行所の許可が要り、日用品ですらも、自ら手に入れることはできない。「国立の牢獄」と呼ばれる意味を実感したものだ。


物事のはじまりはこんなもんです。ですが、関わる人々にはそれぞれの思惑があります。

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