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隠れ里  第一部  作者: 葦原観月
25/28

神様の悪戯

(十八)


「このたびは誠に……」


入口で深々と頭を下げれば、泣き腫らした顔が、口元を押さえたまま会釈する。

 胸が痛くなるが、それでも昨日よりはいい。中途半端な緊張も、どんな顔をしたらいいかも考えなくていい。

 弔いは、亡くなった人とのお別れの場だ。「いなくなった、二度と会えない人に、悲しい顔をしてはいけない」場とは違う。人には、感情というものがある。


 籠を下ろして履物を脱ぎ、平佐田はそっと、二人の子供の肩に手を乗せる。二人の子供は家人の何とも言えない視線から隠れるようにして、平佐田に身を寄せた。

 基衡は智次より一つ下、清房は時頼の一つ下だと聞いた。つまりは智次たちとやはり、似たり寄ったりの年頃だ。家人としてはその姿を、ついつい目で追ってしまうのも詮無きことであろう。

 あまり面識のない子供としては、家人の思いを汲めば、居たたまれない。もしも二人が子供だけでこの場に来れば、身の置き場に困ってしまうだろう。

 こういった場では、働き手とならなければいけない、お内儀とお婆さんが一緒でも同じだ。二人の優しさを知る平佐田は、一緒に行くと言わずにはいられなかった。居候でも、盾になるくらいはできる。子供ら二人も、不安だったに違いない。

(おい、何だか役に立っちょる)ちょっと嬉しい気もする。


 あ、せんせ。やぁ、平佐田せんせ。本日も来てくだすったか。すまんこってす、せんせ……

 昨日と違い、本日は弔いの場であるから、さすがに人々の声も密やかであり、長話はしない。

とはいえ、すっかりと名前と顔が知れ渡ったようだ。

(ふむ。悪いこつはできんの)思いながら会釈する平佐田に、

「兄ちゃん……有名人じゃなかね。すごか」

感心したように時頼が袖を引いた。


 故人の祭壇に挨拶に並ぶ列に加わり、啜り泣きの声には、やはり胸が痛くなる。女子の泣き声が胸を締め付ける。心の底が重くなる。神様は、どうして子供を……

 隣に座っていた二人の子供が、平佐田の影に隠れるように後ろに下がり、平佐田は祭壇が近くなっている事実に気が付いた。

 祭壇の脇には、昨日のように〝取次様〟の姿はない。家人らしき人たちが泣き腫らした目で、弔問客に応じている。特に知った顔がないので、平佐田は空いた場所に進み出でる。子供たちは、珍しく小さくなって、平佐田の背にくっついてきた。

 本日の不幸にお悔やみを述べ、智頼の代理として訪問した旨を述べる。二人の男衆の不具合を告げ、代理者の不適切を丁寧に詫びた。


「さようですか。智頼さんが……。時盛さんと智頼さんには、ほんに世話になりました。我がこつのように、ようしてくださって。ろくに寝てもおられんでしょう。気の毒をしました。智頼さんは、昨日も立ち寄ってくださって、色々と気を配ってくださいました。お顔の色が、あまりかんばしうなかでしたな。大事にしてください」

 丁寧に頭を下げたのは、お(じじ)さんより少し年長な感じのお爺さんで、皺に埋もれた目が優しい。

 平佐田の謙遜に、「道場のせんせに来ていただけるとは、光栄なこつです」と返した。

「よか、せんせじゃ。あれらも生きてあらぁ、せんせに教えてもらえたのにな」ぼそりと付け加えられた言葉に、平佐田の目の奥が熱くなった。


「では」

平佐田が前を辞そうとして、「坊ら」お爺さんが平佐田の後ろに声を掛ける。

びくっ、と智次が震え、時頼もまた身を強張らせた。だが、さすがに長男だけあって、「はい」と、はっきり答えた。

「教訓にせえ。禁忌は、犯してはいかん。神様を誘うたりするものじゃなか。神様にとっては遊びでも、儂らにとっては、そうはいかんぞ。基衡は今頃、居王様に、こんこんと叱られとろう。島のもんは、島神様の懐から出るものじゃなかとな。わかったか?」お爺さんの言葉に、涙が混じる。

「はい」時頼は大きく頷いて、拳で目をこすった。智次もうなだれながら、こくこくと頷き、袖で目を覆っている。平佐田もまた貰い泣きで、手の甲で目を拭った。

「よか、坊らじゃ。大きくなれ」

皺に埋もれた目が細まり、二人の頭をわしわしと掻き回した。平佐田にはその姿が、居王様そのものに見えた。


 白い布団に横たわった小さな姿には、遠くから手を合わせるだけにした。とても近く寄る気にはなれない。取り縋って泣いている母親の姿も、見てはいられなかった。

気が重いままではありながら、何とか大役を果たした平佐田は、子供たちのためにも、早々に家を辞そうとして、

「兄ちゃん、こっちじゃ」時頼に手を引かれた。

時頼は隣の部屋へと向かっていく。またまた振る舞いか? とも思ったが、賑やかな声は聞こえない代わりに……昨日も聞いた「祝詞」が、耳に届いた。

「居王様にご挨拶じゃ」智次が平佐田の背を押す。

「基衡らは、今、居王様とおる。島の一部として迎えていただくために供え物をし、島中のもんがお願いをすう。居王様の懐から出ようとしたもんじゃ。許しを請わねばならんのじゃ。でもな……」

 智次は、くいくい、と平佐田の袖を引っ張り、口元に手を当てる。平佐田が耳を近づけると

「居王様は別に、怒ってなんぞおられん。これは、建て前じゃ。御子様にだけ供え物をして、島神様に知らん顔はできん。島人は、島神様は居王様じゃと、ちゃんと知っておる。それにな……」

 智次の言葉に重なって、表の方角からざわめきが起こる。智次は顔をそちらに向け、「お館様じゃ」と呟いた。

「お館様?」

平佐田が聞けば、「そうじゃ」智次が答える。

「何かなぁ……兄ちゃん、縁があるぞ」

 くくく、と口を塞いだ。


(何じゃ?)平佐田が思う間に、「祝詞」の声が大きくなっていく。

 気がつけば、時頼に引かれたままに、平佐田は祭壇のすぐ前に来ていた。時頼に倣って、神官の後ろに座る。

 祝詞が続く中、白装束の巫女が静かに近寄ってくる。

「願われるか?」巫女は問い、「はい。願い申す」隙もなく時頼が答える。

「家主の名を申せ。各々の名はご自身で。そなたが代表か? 家主は?」

「儂が、家主に代わって代表を務め申す。家主の名は、智頼。儂は長男の時頼じゃ」

 毅然とした時頼は、なかなかに立派だ。おそらくは、ここでは余計なことしないほうがいいと、平佐田は居住まいを正した。


「居王様に申し上げる。此度の行いに島人は嘆き、大いに悔いを感じておる。再び繰り返さぬよう、互いに認め合い、島を愛しみ、島神様と共にあるこつを……」

祝詞に負けじと朗々とした時頼の声が室内に響き、智次が後ろで「はぁ……」と、感嘆の息を漏らす。

(なかなかのもんじゃ)

平佐田も賞賛を心の底で呟いた。

「次は?」巫女は言い、平佐田と智次を見比べる。

 時頼は大役を終えて、すっかり疲れ切ったようだ。項垂れている。智次が平佐田を目で促し、平佐田は首を振った。

 智頼の家から来ているのだ。息子二人が代理であって、本来、平佐田はおまけに過ぎない。平佐田の促しに応じ、智次が口を開く。

「次男、智次、願い申す」

 ところどころ詰まりながらも、智次もまた、大役を果たした。残るは平佐田だ。

巫女は三度「願われるか?」と尋ねる。

「はい。縁あって島に身を寄せた、平佐田玄海。島の大切な子供を預かる「師範」として、智頼殿の屋敷に厄介となる身でござる。余所者ではあり申すが、いずれの地においても、子は宝。島神様とてご存じであられよう。願わくば末永く、不運にも親元を離れた子に祝福を。すべての島人の親たる島神様の元で、心安らかにあれば、いずれ親を助く力となりましょう。どうか。余所者の願い、島神様にお伝えください。許し、受け入れてやってください、お願い申し上げる」

 がば、とひれ伏した平佐田に倣って、二人の子供も床に額をつける。一瞬、祝詞が止まったような気がした。平佐田は妙な興奮を覚えている。


「よかろう」

 平佐田の背に緊張が走る。低く重い声が、島神様の言葉のように感じられた。

 あまりの緊張に顔を上げられない平佐田を、隣の智次が、つんつん、と突く。

「えっ?」と見れば、智次は顎を小さく上げ、「顔を上げろ」と言っているようだ。仕方なく、恐る恐る顔を上げれば、巫女が穏やかな笑みを浮かべて、会釈した。

「あいがとう、ござおいもした」

時頼が言って、さっさと席を立つ。ぽかん、としたままの平佐田は、智次に追われるようにして部屋を出た。

         

      (十九)


「すごかね、兄ちゃん。儂、感心した」

 何をかと平佐田は時頼に顔を向ける。

 人の不幸など関係なく、庭に面した縁は、青く晴れた空に、数羽の鳥が飛ぶ長閑な光景を広げている。

 部屋を辞した平佐田は、そのまま表口に戻ろうとして、子供ら二人に引き止められた。

「履物を待つんじゃ。女子が持ってきてくれう。「居王様への願い」を、ここに留めておかねばならん。願った本人が持ち帰っては、元も子もないからの。また、死は不浄じゃ。弔いに来たもんが不浄を持ち帰ってはならん。こっそりと帰るんじゃよ。表口から帰ってはならん」

 智次は言いながら、口をもぐもぐさせる。手は既に、油でぎらぎらと光っている。「唐菓子」だ。

さすがに亡くなったのが子供であるから、振る舞いは菓子がいいのだろう。時頼の口の端にも、欠片がくっついている。


 どこかの内儀だろう女子が、白湯を盆に載せて配っている。ほんのりと香る香りは、何かの花のようだ。

「宗爺に聞いたんか。昨日、話しておったろう? まさか兄ちゃんが「弔いの纏め」をすうとは思わんかった。普通は締めじゃから、主がすうんじゃ。代理じゃから、儂は挨拶だけでいい。そう思うとったのに……」

 どうやら知らぬうちに、平佐田は締めをしたらしい。


「何がじゃ? おいは何ぞ、いうたか?」

 緊張のせいで覚えていない。ただ、亡くなった子供を受け入れてやって欲しいとだけ思っていた。子供は神様を裏切ったりはしない、とも。

「兄ちゃんはやっぱり、せんせなんじゃな。儂、大きうなったら、兄ちゃんみたいになりたい。居王様はきっと、兄ちゃんが島にふさわしい人じゃと信じて引き寄せたんじゃ。そうじゃな……兄ちゃんが滋子さんを好いておるんなら、夫婦になるんもいいかもしれん。あの家は男手がおらん。徳子さんも喜ぶじゃろう」

 時頼の賞賛に、ちょっと照れくさくなる。二人の気遣いだとはわかってはいるが、褒められることに慣れていない平佐田にとっては、嬉しい限りだ。だが……


 滋子を引き合いに出されると、何とも困る。何故か二人は、やたら滋子と平佐田の恋の行方を気に懸けているようだが、「この恋は間違いなく片想い」と、当の平佐田は、確信している。

 かつて、ろくに女子と話した覚えもない平佐田に、島一番の別嬪の気を引く要素は、どこを探しても見当たらない。田崎のように自身の見てくれなど気にもせず、ぐいぐいと〝押しの一手〟を繰り出す勇気もない。

 女々しい話だが、ただじっと思いを胸に仕舞い、いつか滋子が、平佐田の手の届かないところへ行ってしまうまで、遠くから見つめているしかないのだ。

(情けなか)我ながら思う。


「そうじゃろう? だから、儂も言うんじゃ。兄ちゃんと滋子さんは、絶対にうまくいく。きっと居王様はそう望んでおられう。最後の守女は島に……」

 智次の口から、またまた守女の話が出て、平佐田は耳を峙てる。

今のところまだ、〝滋子のお相手〟の噂は耳にしていないわけであるから、平佐田にだって「恋心」を抱く権利くらいは、ある。

気の強い女子である事実は、平佐田自身身をもって確認しているが、どんな女子なのかは気になるところだ。

 ところが、いきなり廊下の向こうが騒がしくなり、智次は口を噤んだ。時頼が居住まいを正す。平佐田のみが縁に足を投げ出したまま、声のする方角に顔を向けた。


「お館様、本日はお越し頂き誠に……」

先ほどの家人のようだ、深くよく響く声が廊下を渡ってくる。


(え? お館様?)

 不意に昨日の不思議が平佐田の頭に蘇り、平佐田自身も居住まいを正そうとした。

その刹那、何かが、たんっ、と平佐田の脇を抜けて縁を下りた。

(何だ?)

あまりの素早さに、それが何なのか、平佐田には確認できない。

 だが、島の有力者であるお館様が、こちらに向かってくる。周りいる人たちも、きちんと座っているからには、平佐田もそれに倣わねばならないと、足を引く。しかし、何故か足が言うことを利かない。

(むむ)と見れば、女子が一人、いつの間にか平佐田の足をむんず、と掴み、下を向いている。


「あの……すみません、お館様が……」

お越しであるから足を離してください――と、平佐田が言いかけて、女子がぱっ、と顔を上げた。

平佐田は目の前の顔を見て「いっ」と小さく叫んだ。智次が驚いて覗き込む。

「姉ちゃん、なにしとるん?」「しぃぃぃっ」

 智次の言葉に、滋子が白い指を口に当てて顔を顰めた。智次がすぐに、にたっ、と笑う。何故か二人は、それで通じたらしい。


(どうしよう)


 いくら余所者でも、島の有力者に足を投げ出して背を向けたままという態度は、失礼ではなかろうか。特に世話になったつもりはないが、畳はお館様所有のものであると聞く。

(床は固いよ。腰に響く)

などと、せこい心配をする。

 家人の話し声が近づいてくる。滋子はますます平佐田の足を強く掴み、身を伏せている。よって平佐田の脛辺りに滋子の息が掛かり、平佐田は妙にどきどきする。

 どうしようもない状況に、どきどきとはらはらを押さえつけ、振り返ろうかどうしようかと迷っていると、昨日の感覚が蘇った。


白い目が見ている――


 背を向けているのであるから、お館様が平佐田を見ているかどうかなど、わかるはずもない。

 だが、確かに平佐田は、視線を感じた。昨日と同じ、頭の中を見渡すような視線だ。また、話しかけられるのだろうか、と平佐田が身構え、不意に、背に重みを感じた。


「兄ちゃん、とれた?」

 さりげない声は智次だ、とれた? 何が?

「いかがなされた」

 後ろから掛かる声は、お館様のものじゃない。もう少し年長な感じの、落ち着いた声だ。

「あ、畠山様、儂んとこの兄ちゃん……道場のせんせなんじゃが、でかい棘が刺さってしもうて。取るに難儀しとります。お館様、ちぃと、このままで失礼します。わぁ、こりゃあ痛そうじゃ」


 もはや脛に額をつけるようにして、滋子が足に縋りつく。平佐田としては何とも居心地が悪い。

 すっ、と視線が外れる感覚に、平佐田の腹の底から息が漏れた。


「お大事に」気の毒そうな声は、智次が「畠山様」と呼んだ男の声だ。

中年のその男は、お館様にお仕えし、館のあれこれを取り仕切る家臣のような存在らしい。〝黄色い蝶の御方〟とゆかりのある人物だと言う。


「お館様、こちらへ」

声が遠ざかり、周りの人たちがまた、足を崩し始めて、平佐田の足が解き放たれた。

滋子が「はぁ……」と、気の抜けた声をだし、へたり、と庭に座り込んだ。平佐田には、わけがわからない。

「姉ちゃん、まだ断っとらんのか」

智次がいい、

「うちは、最初から、そない気は、へん。やて、おかあはんがええ話やさかいて、乗り気なんや。うちは女ばっかりの所帯やし、頼る親戚もへん。話がまとまれば男手も借りられるし、色々と助かるしと、そう言うんや。そやけど男手がなくても、うちがなんやてしはる。心配へーれんってまや、説得中や。親さかいにね、おかあはんが断ってくれやらんと、往生する……」

 はぁぁぁ……再び息を吐いた滋子は、ようやく平佐田の足を離した。平佐田は恥ずかしさにかぁっ。となりつつ足を引っ込める。


「せんせ、おおきに」

 滋子に言われれば、平佐田としては「はぁ」としか言いようがない。時頼が心配げに平佐田を見上げ、滋子を見比べるように視線を移す。

「しげ姉、嫁ら嫁すか……」

「あほ、行くはずへん」吐き捨てるように言って滋子は、

「せんせ。履もん、持ってきまんねん」

さっさと立ち上がった。

 走り去る背を見ながら、平佐田の胸はもやもやと騒ぎ出す。何が何やらではあるが、何かよからぬ事実を知ったような……

断るとか、断っとらんとか、嫁ら嫁すとか……。不吉な言葉が平佐田の頭の中を木霊する。

 島一番の別嬪と、権力も財政力も十分に持ち合わせ、しかも、女子に負けぬほどの美貌を持った島の有力者が二人並べば、お雛様のように似合っている。  

不意に揃った映像に、平佐田は目一杯、頭を振った。


(できすぎてるよ。いくらなんでも、そんな……)

 だが現状は、〝二人を結びつける方向〟に向かっているかに見える。


 滋子がどこにいたかは知らないが、お館様の登場に突然、平佐田の足元に隠れた。息を潜め、身を小さくした滋子に、智次が助け舟を出した。

 滋子は何故か「嫁に行く」ことを嫌っている、若い娘にはありがちなことだ。決められた婚姻はしたくない……

 おそらく〝よく知った間柄〟ではない島の権力者には、一種の反抗があるのだろう。権力とは、下々の者には一通りの反感を与えるものだ。

 が、死にかけのよたよたの爺さんであればともかく、お館様は若く美しい。多少の不具合はあるとしても、お付の者が不備は整えてくれるであろうし、品もあって、頭も良さそうに見える。落ち着いた物腰は、非の打ちどころはないし、普通の女子であれば――間違いなく玉の輿だ――


 衝撃的な初恋は、衝撃的に脆く崩れ去る。

(おいは、何しとるんじゃろ……)早くも〝負け〟に打ち拉がれた平佐田が、がくり、と肩を落とし、何だか、とっても疲れ果てて――

「恋敵じゃ」

意味深に智次が耳元で囁く。

(わかってるよ。もう、ほっといてくれ)

さすがの平佐田も多少苛々としながら顔を上げて、

「じゃが、滋子さんは、お館様の嫁にはならん」きっぱりと言った。あまりにも自信満々なので、平佐田は気が抜ける。


「守女は島の女子じゃ。つまりは、居王様のもの。いつまでも御子様の守りではおかん。居王様は兄ちゃんを押しちょる。心配すうな。きっと上手くいく」

 この自信は、どこから来るのか。まるで自信のない平佐田には、わからない。


「お待たせしたんでっせぇ。履きもん。ほんで……昨日は堪忍え。うちのせいで怪我をどしたのどすね。木立蘆薈、持ってきたんや、お詫びに、うちが塗る」

「あ」も「す」もなく平佐田の裾を捲り、どろり、とした蘆薈の汁を塗りたくる。確かに切り傷には蘆薈が付きものではあるが――


(ちょっと塗りすぎじゃないの? しかも、ごしごしと)

 昨夜は塩水で洗うだけで済ませた。あちこちが痛み、蘆薈を探す元気がなかったからだ。

 蘆薈はどこにでもあるが、智次の家の庭にはなかった気がする。擦り傷ばかりであるから、たぶん大丈夫だと、そのまま寝た。今朝になって乾いていた傷が……

 ごしごしと塗りたくられる蘆薈の汁に、再び血が滲んでいく――

 なんだか余計な世話だとは思うが、滋子の好意であれば断れない自分がまたまた情けない。


いや、もう、ほんとうに結構ですから。気にしないでください。もう、おいに構わないでください。どうか末永く、お館様とお幸せに……


いささか、やけ気味に思いながら滋子を見ていると、じわり、と胸の奥が痛くなる。

(あぁ、駄目じゃ。おいは……)

あまりにも悲しくなって、「もうよかです」平佐田は滋子の手を止めた。

さっさと家に帰ろうと身を屈めた平佐田と、同時に「痛おすか?」と、滋子が顔を上げた。

 くっつきそうなほどに顔が近寄って、平佐田は顔に体中の熱が集まったような気がした。


「わぁ。姉ちゃん、顔赤い」

 智次が平佐田の後ろで囃子立てる。言われれば滋子の顔が見るみる熟れた柿のように赤く染まり、ぱっ、と顔を逸らせた。

平佐田が〝いやぁな予感〟を感じ、ばしっ、脛に痛みが走る。

「かなんわ。なんで今日は、こないなに暑おすんやろう」

 言いながら滋子は、ばしんばしんと平佐田の脛を叩き、せっかく塞がった傷が、たらたらと血を流し始めた。

        


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