弔い
「夕刻の隠れん坊」か……。
宗爺の話によれば、「夕刻の隠れん坊」が事の発端だという。重定坊も同じことをして、神隠しに遭った。宗爺と時盛は難を逃れて帰還し、宗爺は甲高い子供の声を聞いている。
「もうい~かい」と――。
「夕刻の隠れん坊」が昔から島の禁忌の遊びとは、今までに何度も神隠しがあったということだろう。
「夕刻の隠れん坊」は、神隠しの誘い……だから、それをして、いなくなった子供は、事故でも人攫いでもなく、間違いなく神隠しだと、島の人は知っている。
(何となくわかってきたぞ。智次坊は、おいがふざけて言った「も~い~かい」に腹を立てたんだ。時頼坊が〝とめられなかった〟こととは、重定坊が計画した夕刻の隠れん坊だ。もしかしたら、時頼坊や、智次坊も誘われていたんだろうか)
そう思うと、ぞっとする。二人が参加していたら今頃、この家にもたくさんの供え物が届けられていた可能性がある。二人が親の言いつけを良く守る子供でよかったと、平佐田は胸を撫で下ろした。
だが何故、隠れん坊なのか。夕刻、逢魔ヶ刻の怪異は何となく納得はできる。(けど、隠れん坊はただの遊びじゃ)
平佐田には、遊びと神隠しが結びつかない。
「重惟は帰ってはこなんだ。儂らは重惟が、連れ去られる場面を見たっちゅうこつだ。あの白の向こうに〝隠れ里〟がある。連れ去られた子供は〝隠れ里〟の一員となって、ずっとそこで暮らす。それが島に伝わる神隠しの真実じゃ」
「では……他の子供たちは? 連れ去られたのは、一人だけ? 後は全員が、無事に戻ったのですか?」平佐田が聞けば、
「いや。戻ったんは、儂ら二人。時定、清重、隆平、後の三人は……」
宗爺はそこで言葉を切り、「儂には、わからん」困ったように鬢を掻いた。
「三人が連れ去られる現場は見ておらん。だが、おそらく、一旦は、招かれたものと思う。儂は三日ほど頭痛がひどく、ひどく咳き込んで、寝たり起きたりの繰り返しじゃった。時盛も似たような状態だったそうじゃ。だから後の三人が見つかった時の状況は知らされておらん。「かやせ、戻せ」の途中、空から降ってきたとも、見たこつもない白い大きな獣が背負って運んできたとも言う。まぁ、それも後から聞いた話じゃ。本当かどうかは、わからん」
見つかった? さっき「戻ったのは二人だけ」と言わなかったか。どういうことだ。
「隠れ里に行くもんは、その身のままに連れ去られる。つまり、綺麗さっぱりと消える、いうこつだ。見つかるもんは……隠れ里に行けなんだもん。島の言い伝えでは、居王様が邪魔をした、ちゅうことになっとる。島神である居王様は、島人が島を去るこつを嫌う。島人は島神様のもんじゃ。横取りされるんが気に食わなくて、島人の魂だけを取り出し、放り出すっちゅう話じゃ。だが儂は、それは違うと思うとる。居王様は荒神様じゃが、島人を愛しんでおられる。無下に命を奪ったりはせん、と」
島神様は遊び相手なんぞ欲しがらん――
「見つかったもんは、荼毘に付される。島の一つとなるために、だ。いずれ土に返り、島の一部となる。島の恵みの一部となるのじゃ」
島人は島神様に感謝し、こっちは僧侶が来て、葬儀が執り行われる。同時に島神様に供え物をし、末永く島神様と在るように願う。
「そうではないもの、重定坊や重惟のように〝隠れ里〟へと招かれた者だけが「取次様」の手によって、文字通り、「取次」をしていただく、というこつじゃな。〝隠れ里〟への取次はお館様にしかできん」
誰に? 誰に取り次ぐというんだ。平佐田の胸が、どくん、と躍り上がる。
お友達が欲しいのは、御子様じゃ――
甲高い童の声じゃ。あの日に集った連中のものじゃない――
「お館家は、長い時に渡り、尊い血を守り続けてこられた。今のお館様が目と口を封じられておられるは、余計なものを見ず、要らぬ口を語らぬようにと言われておる。じゃが、儂は医者じゃ。濃すぎる血の交わりによって、体に支障を来す例は、結構ある。今のお館様は、その影響を受けたものだと儂は思う。先代も、体が弱かった」
血を守る? 尊き血とは……
「せんせは、お館様の着物の背を、ご覧になられたかの?」
(背? いや……)
祭壇に背を向けて座した取次様の、正面にいた平佐田に、その背が見えるはずはない。智次に引きずられるようにして祭壇の後ろを回った時は、何とも不思議な気持ちでいたから、気にも留めなかった。
平佐田が首を振ると、
「そうか。背に、大きな家紋を縫い込んでおられる。黄色い蝶の御紋じゃ」
「そ、それって……」
「わざわざ京の都まで、仕立てに出すのじゃというこつだ。すべての着物の背に縫い込んでおられる。代々当家の仕立てを請け負っておる老舗だそうじゃ。お偉い方々のすうこつは、儂らには、ようわからん。儂は……お館様が、でっかい重石を背負わされておるような気がして、気の毒に思う」
平佐田の言葉を遮るように、宗爺は付け加えた。
「黄色い蝶の御方は、擁護した御子様のため、〝黒木御所〟をお造りになり、代々の当主が一族の血を守り、御子様にお仕えされておる。お館様、島の有力者、お館家の元じゃ。御子様が召されたご友人を取り次ぐのは、お館様の仕事。島のもんは御子様を〝黒御子様〟と呼ぶ。黒木御所の御子様というこつじゃ」
それで、刀があったわけか。かの御子様と言えば、「宝剣」をお持ちであったと聞く。
「では。神隠しをなさるのは、その、黒御子様なのですね? ですが、何故、黒御子様は神隠しを? しかも、隠れん坊とは……」
平佐田としては、そこが気に懸かるところだ。元々が日の皇子であられる御子様だ。わざわざ隠れん坊なぞしなくても、ちょちょいと神隠しくらい……
「そこじゃ。そこには、深いわけがある。島人が絡んでおるのじゃ。黒御子様は、〝たった一人の遊び相手〟を探しておられう」
(たった一人? たった一人を探すために、多くの子供を連れ去っている?)
これまでにどれほどの子供が連れ去られたかは知らぬ。だが、今なお続いている現状を見れば、まだ、その〝たった一人〟は見つかっていないわけだ。随分と気の長い話だし、やはり、神様のすることは、ちぃともわからん。
それでも宗爺のおかげで、抱えていた謎が随分と解けた。
(これも、神様のおかげじゃな)
かつて信心なぞした覚えのない平佐田が、すっかり神様を崇拝している。
が、少しも違和感を感じない所以は、ここが神のいる島だからなのだろう。
人にも、物にも、木々にも、もっと言えば今まさに手にしている焼き芋にも……全部に神様の存在を感じるこの島には、神様の存在は絶対だ。
(不思議な島だなぁ)と、平佐田はしみじみと思う。
今にして思えば、ただの見習いである平佐田に〝密命〟が下り、乗った舟で平佐田の窮地を救ってくれた智次は、初めて本土へと渡った帰り。それが縁で父親とも親しくなり、島での滞在先がその親子の家になるとは――。
偶然とはとても思えない。さらに、そこに晴天の霹靂のごとく、平佐田の知らぬうちに初恋を感じた女子のおかげで、〝密命〟に近づけたと思えば……
神様のお導きとしか考えられんではないか――
平佐田は、大いに神様に感謝した。
「その〝たった一人の遊び相手〟じゃが……」
宗爺の言葉に思わず身を乗り出した平佐田に、当の爺は手にした芋を振って見せる。
「せんせ。覚悟は、あるんか? 島の秘密じゃ。知ったからには、知らん顔はできんぞ」
思わせぶりに声を潜める爺に、平佐田はごくり。と唾を呑む。毒を食らえば皿までじゃ。と、覚悟を決めて頷いた。
「いい度胸じゃ。〝たった一人の遊び相手〟には、〝守女〟が関わっておる。滋子が、その〝守女〟なんじゃ」
(えっ。ここで滋子さんが出てくる? もりめとは、智次が言っていた……)
「へぇ、うちがその〝守女〟どす。ほぅら。うちは、せんせと縁がありますのんや……」
高く甘い声が耳元で囁いて、
「わあぁぁぁっ!」飛び退いたおかげで、平佐田はまた、腰をしたたかに打った。
うぅぅぅっ、と、呻いて平佐田は蹲る。
「わっ、兄ちゃん、大丈夫かっ!」聞き慣れた声が飛びついた。
「馬鹿、智次、いい加減にせい」時頼の叱責が被さった。
そして、
「宗爺! 経子婆が、喉に餅を詰まらせよった!」
時頼の切羽詰まった大声が、捲し立てる。
御館様も待っている。はよう頼むと、急き立てた。
「経子も、相変わらず食い意地が張っとるの」
宗爺は、のんびりと息を吐く。
「せんせ、残念じゃが、本日はここまで。医者とは、難儀なものよな」と、腰を上げた。
「そうじゃ。せんせに草薬を集めてもらおうかの。続きはまた、薬草と引き替えに――」
かかかと笑った好々爺は、魔物だったようだ。
平佐田は智次と肩を並べ、逢魔ヶ刻に消える魔物の背を見送った。
(十七)
子供が二人、亡くなった――
その訃報が島全体を駆け抜けたのは、夜明け近くだった。
昨日の〝しきたり〟で、夜更けまで戻らなかった智時さんは、訃報を聞いて早々に準備にかかったが、さすがに疲れが出たのか、くたり、と倒れてしまった。
お爺さんは、腰痛は引いたものの、ふらつく足元が頼りなく、内儀とお婆さんは二人で懸命に支度を整え、また、男二人の看病にも忙しく、気の毒なほどに頑張った。時頼は長男としてよく働き、智次も兄を助けて眠い目をこすりながら、ようやく準備が整った。
平佐田はその様子を、痛む腰に押さえつけられながら、夢うつつの状態で見ていた。
起きて、今すぐにでも手伝いたい――。
平佐田の願い虚しく、重い体は動かない。
慌ただしい気配を全身で感じ、懸命に這い上がろうとして、不意に睡魔の波に呑まれる。
真っ暗な闇の中で、平佐田自身が、宗爺の夕刻の隠れん坊¬を体験し、再び、家内の喧噪に焦燥を感じる繰り返しは、まるで何者かが、余所者平佐田を排除し、これ以上、島の事情に首を突っ込むなと、警告しているかに思えた。
「兄ちゃん、兄ちゃん、朝餉じゃよ」
智次の声に揺り起こされ、ちょっと腫れぼったい智次の顔にほっとしたのは、宗爺の夕刻の隠れん坊と智次が、ごっちゃになっていたからだ。
「智次坊、誰が亡うなった?」
平佐田の言葉に智次が大きく目を見開いた。
「聞こえたんか。惟清兄は、声がでかすぎるんじゃ。儂も、あの声で目が覚めた。すまん、騒がしかったろ」
智次は、すまなそうに頭を掻いた。
「基衡と清房……兄ちゃんは、知らんじゃろ。二人とも山のほうに住んどる。儂らもあまり遊んだこつはない。顔は知っちょるが。重定兄とは、たまに一緒におった」
重定坊の名が出て、平佐田は、はっとする。昨日の宗爺の話、見つかったという三人……
「智次坊、その二人って……」うん。
「重定兄と隠れん坊をしたらしい。二人とも大人しいやつじゃったから、断りきらんかったんじゃろう」
馬鹿じゃ、二人とも……
智次は悔しそうに口を噛んだ。
「見つかってしもうた。残念なことじゃ。いっそ、全員、見つからなんだほうが良かった、儂……」
ぐっ、と拳を握った智次を、平佐田は黙って抱き寄せた。
「坊は、せんね? 絶対」平佐田が訊ねると、
「うん。せん。絶対。爺ちゃんの言いつけじゃ。爺ちゃんのように恐ろしい目に遭うのも嫌じゃし、皆に悲しい思いをさせるのも好かん。儂は生きたまま、居王様といたい」智次の言葉に、ほっとする。じゃあ……
「おいが手伝う。一緒に行くよ、弔いじゃろう?」「でも……」
「智頼さん、具合が悪かろ? お爺さんも心配だ。内儀もお婆さんも、忙しかろ。手が空いとるんは〝居候〟だけ」
平佐田がおどけて言えば、智次は一瞬、眉を寄せたが、すぐに、にかっ、と笑って、背を向けた。
「役に立つ居候じゃな」
既に用意されていた膳に着くと、忘れていた腰痛が目を覚ます。
(いかん、いかん。島がおいを受け入れようとしてくれとるんじゃ。ここが正念場じゃ)
気合いを入れて膳に手を伸ばすが、どうにも食は進まない。
「もうい~かい」が、頭の中を駆け回る。
「もうよかですか。せんせ、具合でも悪か?」
へっぴり腰で、こわごわ碗を膳に戻した平佐田に、お婆さんが心配そうに訊ねてくる。平佐田はまだ膳に残った朝餉に申し訳なく手を合わせ、そっと腰を浮かせた。いえ……
「ちぃと疲れたんですかね。あははは……年はとりたくない」
「せんせ。せんせは、まだ儂の半分も生きちょりません。しっかりなされ」
きっとした目で睨まれて、平佐田は肩を窄める。
慣れぬことばかりで、事実、平佐田はくたくただ。不思議な白に閉じ込められた挙げ句、いきなりの大騒動では、平佐田でなくても疲れるはずだ。神様は容赦がない。
「すまんね、せんせ。ほんに大丈夫か?」
庭から上がってきた内儀が言う。いえいえ。
「世話になっちょります、役に立つときに立っとかんと、面目ありません」
ぎくり、と痛む腰を密かに庇い、庭先に降りれば、時頼と智次が籠に荷を載せている。昨日ほどではないが、やはり二人の表情は暗い。
籠の中身は野菜や花、干した魚類もあるが、昨日と比べれば地味だ。いかにも「弔い」といった感じが、平佐田の胸に一種の寂寥感を覚えさせる。
(基衡と清房……二人とは面識はなかが、道場が始まれば、いずれ顔を合わせる縁じゃったのにな。残念じゃ)
荷を詰めた籠は二つ。平佐田が大きいほうを背負い、小さいほうを二人の子供が持つ予定であった。
だが、「いかん。兄ちゃんは、腰を痛めとう」智次の計らいで、小さな荷車が引き出されてきた。子供たち用に、智頼さんが作ったものだ。
重いものは載せられぬが、荷車自体も軽くていい。本日の荷であれば、これで十分だ。大人の平佐田が引けば、ちょっと情けなく見られそうだが、腰は大事だから、我慢することにする。それでも大きな籠を背負ったお年寄りの視線がちょっと辛くなりかけた頃、
「兄ちゃん、儂、代わろうか?」
時頼が言い出した。
何を言い出すやら。ちらちらと周りの目が平佐田を窺っている様子が、手に取るようにわかる。「平気だよ」と平佐田が言う前に、
「怪我、しとるんじゃろ?」時頼にしては、声高に言う。
「そうじゃ。腰も打ったよな。痛くないか? 儂も手伝う」
智次が甲高く叫ぶ。周りの目が好奇から同情に変わり、平佐田は二人のよくできた子供に感謝した。




