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隠れ里  第一部  作者: 葦原観月
17/28

島の神隠し

(十一)


(何じゃ……)

 ずきずきと痛む額を抑えつつ、平佐田は、潰れた布団に潜り込んだ。ちょっと温かい。

 どうやら、布団の小山を作っていたのは、智次らしい。

 何がどうして智次が、平佐田の布団に潜り込んでいたかは不明だが、母ちゃんは、いなくなった智次を探して、部屋を訪れたのだ。


(石頭じゃな)

 まだ痛い額をさすって、大きく息を吐き、鼻に広がった匂いに、(あぁ、そうか)と、合点がいった。


(あや、子供ん匂いじゃ)


 子供は独特の匂いがする。

 土の匂い、魚の臭い、木の匂い、鶏の臭い。

 食い物の匂い、しょんべんの臭い、日向の匂い、汗の臭い。

 匂いと臭いが自然に混ざり合っているのが、子供だ。

 そしてそれを、父親と母親、祖父と祖母の匂いが、包んでいる。

 どの子供も皆が持っている匂いは、それぞれに違う。そして子供は、互いにもみくちゃに混ざり合っているから、匂いに気がつかない。

 成長するにつれ、次第に子供の匂いは薄れていく。大人になって人は初めて、子供の匂いに気付くのだ。


 懐かしいような、くすぐったいような子供の匂いに、平佐田が気付いたのは、島に来て、日々、智次と時頼と過ごすようになってからだ。

 そして、平佐田の鼻の穴の違和感は、濃厚な子供の匂いを伴っていた。

(智次坊の足じゃな)

 子供は寝相が悪い。智次が平佐田の顔を蹴るかした拍子に、たまたま、智次の足の指が、平佐田の鼻の穴にはまったのだろう。口でなくて良かったと、平佐田は呑気に思う。


 それにしても。夜中に何かの気配を感じて目覚めるなど、初めてのことである。

 狭い郷の家では、常に家族とともにいた平佐田には、人の気配があるのは当たり前だった。

 薬園に勤めるようになって、間借りした部屋は、料理屋の離れ。古くなって利用しなくなったとはいえ、本館とは廊下繋ぎで、常に人の行き来があった。

人の気配のない、島の夜の静けさは、平佐田には、初めての経験である。当初はあまりの静けさに、風の音に怯え、庭木の揺れる音に飛び起き、鶏の羽ばたきに身構え、まともに眠れない日々を過ごした。

それが毎日、歓迎会に引っ張り出されるようになって、静寂に怯えるどころではなくなり、近頃は、野歩きのおかげで、夢すらもみないほどの熟睡となった。故に智次坊が、布団に潜り込んできたことすら、知らずに眠りこけていたのだ。


(これじゃあ、夜這いにあってん、気付かんな)


 平佐田のようなへなちょこの元に、おなごが夜這ってくるなどあり得ないと、平佐田自身は思っているが、事実、すでに島に上がっている先生の中には、島女の〝夜這いの禊ぎ〟を受けた者が結構いるときく。

「なに、そう構ゆっことはなか。島女は奔放や。本土ん男が珍しかど。せんせも気にせず、付き合うてやってくれ」

 歓迎会の度に、顔を赤くした島の男衆に背を叩かれ、(つまりは珍獣扱いか)と、肩を落としつつも、密かな期待も持っていたのである。へなちょこでも、平佐田も男である。


(けど。おいにはやっぱい、夜這いは無縁じゃな)


 子供が潜り込んできたことにも気付かぬほど、眠りこける珍獣には、さすがの島女も興味をなくすだろう。珍獣となっても、女にもてない己を情けなく思う。

 だが。お内儀の誤解は解いておかねばならん。

(おいは本当に、知らんかったんじゃ)

 女子を敵に回して良いことはない。お内儀は、平佐田が子供らを勝手に連れて行ったと、誤解しているようだ。こんな時だから、余計なことはするなとは……。

(重定坊と、関係があるんじゃろうか。それとも他に何か原因が……)


 そこで平佐田は、はた、と思い至った。

 夕餉に、家主の姿はなかった。爺さんの姿もまた。

 気分屋だという爺さんは、時々夕餉の場に顔を見せない時もあるが、お内儀が盆に載せて、夕餉を運ぶ姿も見ていない。つまりは男衆が不在だということだ。加えて、平佐田が、呼ばれていない様を思えば、宴会ではないはずだ。

つまり。男衆が宴会以外で、集まらねばならない理由がある。村祭りの話は聞いていない。


あれが始まると、わくわくとするんじゃ――

 

(ほんに、あんお人は、間がいいような、悪いような……)

すっかりと忘れ去っていた、遠い昔の記憶を夢に見た理由――。

平佐田は、がば、と起き上がった。

微かに耳に届く音を確かめようと、急いで部屋を出ようとした。

 すると――


「おしっこじゃ」


 ぼそりと耳元で聞こえた声に「うおぉぉぉぉっ」を、押し殺す。

 闇に慣れた目に映る姿は、ごしごしと目をこすり、ゆらゆらと頼りなく立っている。時頼だ。

 お内儀は「うちの子ら」と言った。お内儀の大事な子は、もうひとり。

平佐田は、時頼の小さな手を握って、部屋を出る。借りている部屋で寝しょんべんをされても困るし、今一度の、お内儀の夜這いは遠慮したい。

 庭の厠で時頼坊のしょんべんの終りを待ち、「戻れるかい? 自分の寝床だよ」と聞けば、「うんうん」と時頼は、寝呆け眼ながら、しっかりと頷いた。

 廊下に上がる姿を見送れば、ふらふらと家人の寝起きする方角へと向かっていく。心配はないだろう。


 ぽつねんと一人、庭に立った平佐田は、少し霞んだ、まぁるい月を目に映しながら、

ちんちん、かんかん……。

沢坊が祭りと呼んだあれ(、、)、「かやせもどせ」という、神隠しに対抗する、人の儀式に、耳を傾けていた。

 

      (十二)


 重定坊は、神隠しに遭ったんだ……


 ついに眠れぬままに夜を明かし、真っ赤な目をした平佐田は、机の上に広げた紙に、自身で書いた文字に向かって呟いている。


 神のいる島――


 書いてある文字は、それだけ。船酔いに悩まされながらも、海の上から見た島は、確かに、文字通りの思いを平佐田に抱かせた。

 白くけぶっていたのは、靄ではなく、硫黄の煙だと後に聞いた。そんな事実がわかると余計……島自体が神様のようにも思えてくる。外から来る者から、自在に姿を現したり、隠したりができる奇跡は、神にしかできそうもない。

(ここならば本当に、神隠しがあるのかもしれないね)

 そんな気にもなる。だが――


(一人の子供が行方不明なんだ、神様だろうが、何だろうが、子供には、たくさんの未来がある。たくさんの出会いもある。たくさんの楽しみだって、きっと。それを奪う権利は、神様にだってないはずだ。だったら、さっさと返してやるべきだ。あるべき場所に)


 平佐田が少しむきになる理由は、重定という少年を、多少なりとも知っているからだ。

 やんちゃで元気のいい、溌剌とした少年だった。少々手に余るほどの悪戯好きだったが、根はとても優しい少年だ。

いかにも田舎の男の子らしく素朴で、生意気が目覚めた年頃の男の子らしく、妙に意地を張る。乱暴な行動は、自分の思うことを、上手く表現できないからだ。

 平佐田は、そんな重定を眩しく見ていた。搖坊にはなかった奔放さを持っていたからだ。


何とか、無事に帰って欲しい――。

平佐田としては、ただ祈るばかりだ。

せめて「かやせもどせ」に参加したいとも思うが、誰もが、神隠しを余所者に伏せている。やはり、島は閉鎖的なのだろう。余所者に、余計な首を突っ込まれたくはないのだ。


(人を思う気持ちは、同じなのにね。それとも、島神様が余所者を嫌うのかな)


 いずれにしろ、どちらなのか確かめる方法もない。ただ一人で悶々と、重定坊の無事を祈るのみだ。でも……

 平佐田には、どうにも気にかかる事柄がある。それが昨日の智次と、おかみの言葉だ。

 突然、怒り出した智次が、次には泣き出していった言葉――


「重定は、阿呆じゃ。いかんいうことをするから……」


 兄の時頼は、友人を止められなかった自分を責めているという。

「こげな時じゃけん、儂も気が立っとる」

 神隠しが起きたから? 時頼坊の友人が攫われたから? 気持ちはわかるが、重定坊は、おかみの子供じゃない。

「智次も、時頼も、儂の大事なこどんじゃ、誰にもくれてやうつもいはん」

 神隠しが起きたからとはいえ、少し過敏過ぎやしないか。

 神隠しが起こる理由なんて、ない。突然に、忽然と人が消えるから「神隠し」なのだ。

 前触れや理由があるのであれば、それは「神隠し」ではありえない。家出や欠落、人攫いに人買い……いずれも忽然と人は消えるが、原因はきちんとわかっている。すべて、人間の仕業だ。


 重定も、もしかすれば、人為的に連れ去られた可能性もある。だが、誘拐の痕跡がないがために、或いは、そう考えたくないために、「神隠し」は存在する。幼い子供がひどい目に遭っているとは、誰も考えたくはない。だから残された者のために、人は「神隠し」を謳い、心の慰めとするのだ。


 子供は今頃、神様と一緒に遊んでいる。辛い思いなどしていない――


 それが、ただの慰めであると、本当は誰もが知っているにも拘らず。

「かやせもどせ」をする以上、島人は重定の行方不明を、神隠しとして認識している。それにしては、平佐田は、智次や、お内儀の言動に、不自然さを感じる。

 その発端は多分、鶏の餌やりの準備していた智次を、平佐田が怒らせたところにあるのだろうが、平佐田には、その原因が皆目わからない。智次の気持ちを逆撫でするような言動に、まるで心当たりがないのだ。


 腕を組んで、平佐田は「ふ~む」と、昨日の夕刻を振り返る。

 まずは、家に戻る前に見かけた男衆の集まりが、「かやせ、もどせ」の、打ち合わせだったと思い知る。平佐田を見かけて、そそくさと集会場に入ってしまった理由が、今更になって納得できる。

(おいも一応……男衆なんじゃが)

 なんだか、童の一人に数えられているようで、情けない気持ちになる。


(ええっと。それから……)

 庭に回って、平佐田は人の姿を探した。妙にしんとしている感じが、気味が悪くて、智次と時頼の名を呼んだ気がする。その後で――


 急に、がたん! と音がして、智次坊が声を荒げたのだ。


(やっぱり。何も思い当たらんな。おいは特別なことは、何もしちょらん)

 そこで平佐田の腹が、ぐぅ、と鳴った。

結局、ついに眠れぬままに、ずっと考えごとをしていたため、果たして今が何時になるのかも、皆目見当がつかん。

 曇っているのか、ちっとも朝日が差してこない。それとも、まだ夜明け前か。

 お内儀を怒らせてしまったから、ひょっとしたら朝飯抜きか。

 いやいや、一応は「客人扱い」だから、いくらなんでも、それはないだろう。大体、おばばさんがいる。お内儀が怒っていたって、おばばさんはきっと、平佐田に朝飯くらいは作ってくれる――


 この家の姑、おばばさんは、嫁に一切の家の仕切りを受け渡した、名目上は隠居婆だが、まだまだ若くて元気だ。

 おかみよりも細くて小さな姿は、威圧感が薄く、平佐田には、ほっとする存在だ。

 年は六十ほどだというが、漁師の女房は力持ちだ。平佐田ですら気合いを入れて持ち上げる肥料を、幾分か、顔の皺を増やすだけで持ち上げる姿は、何とも頼もしく、また、嬉しくも感じさせる。

ひ弱でへなちょこの平佐田は、昔から年寄りたちに可愛がられた。難も癖もない年寄りが、遥坊の安心できる居場所でもあった。

爺婆の目がある場所で、子供たちは弱い者虐めはしないし、口煩い親たちもまた、年寄りの前で、子供への説教はしない。下手をすれば、自身が爺婆に説教を受ける羽目になるからだ、

「おまんも小さい頃は、こんなじゃったじゃろう」と。

 ゆえに搖坊は、年寄りたちといることが多く、年寄りたちの人気者だった。思えば沢坊以外に、友人と呼べる人の名は、いずれも下に「爺」「婆」がついていた気がする。


 島に来て初めて出会った年寄りは、この家の老夫婦であるが、平佐田から見て、とても年寄りとは思えないほどに、元気で若々しい。

 そんな二人にも、やはり……平佐田は大いに気に入られた。たった半月ほどの滞在で、気分屋の爺の機嫌を直す役目は、平佐田に仰せつけられている。

 そんな平佐田を、おばばさんは「大きな孫じゃ」と可愛がってくれる。

 年齢的には、孫よりも息子に近いと思うが、おばばさんには平佐田が、智次や時頼と、さほど変わらんようにみえる、ということだ。そこに気付けば、また……悲しくなる。


(おぉ、いかんいかん。おいのことは、いいんじゃ。今は神隠しのこと。なんか……引っかかるものがあるような)

「ぐうぅぅぅぅっ」

再び盛大に腹が鳴る。まさか外にまでは聞こえないであろうが、さすがに、きまりが悪い。とにもかくにも、とりあえず……

 表の様子を確かめてみようと、障子に手を掛けた拍子に、何者かが平佐田の腰に飛びついた。

 不意を喰らった平佐田は、情けなく布団の上に仰向けに倒れた。



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