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隠れ里  第一部  作者: 葦原観月
15/28

平佐田の疑問

    (七)


(何か……あったのかな?)


島に足を踏み入れて半月。毎日、慣れないことばかりで、右往左往する平佐田は一向に〝密命〟の〝み〟の字にも触れられないでいる。

暮れゆく夕日に背を押されるようにして宿泊先の庭先へと戻った平佐田は、きょろきょろと辺りを見渡し、静けさに首を傾げた。


 神のいる島――


 硫黄島には「居王様」という島神がいる。ごつごつした岩肌と、白くけぶる硫黄の煙。いつ爆発するか皆目わからない山が時折ぐらっと地面を揺らす。

 小さくても腹の底を揺すぶる地鳴りに、平佐田は初日から、はらはらしどうしだ。


「そげんに気にせんでよか。こは、島の名物じゃっで。居王様は、儂らに恵みを与えてくださる。儂らは居王様のお膝元におるんじゃ。なんも心配することはなか。せんせも男じゃろ。でんと構えんといかん」

 からからと笑う大柄な女子には、とても逆らえそうにない。漁師の嫁を長年やっていると、あれほどまでに逞しくなるのだろうか。襷でたくし上げられた腕は、平佐田の倍はある。色黒の顔はでかく、夕暮れ時に見かけると、亭主と間違えるほどだ。


(智次坊は、誰に似たんだろう。兄の時頼坊は両親にそっくりだが。まさか、余所の家の子じゃないよな。あの母親が、あんなにも可愛がっているんだから)

 先生として島に赴任した平佐田は、田崎の言ったとおり、きちんとした宿泊先が決められていた。それがまさか、船で一緒になった「智次という少年の家」だったとは、予想もしなかったことだ。

 役人に連れられて着いた家の庭先で、ばったりと再会した智次には、役人自身も大いに驚いた。なにせ「先生」が船の上でぶっ倒れた時、道連れにした子供だ。

 役人は瞬時に平佐田に目を向けて、(どげんします?)と顔を顰めてみせた。平佐田自身、偶然にはかなり驚いたものの、どうもこうもない。すっかり気に入った子供の家で、世話になれるのなら、願ったりだ。

「智次坊」平佐田の呼びかけに、

「わっ、兄ちゃん、もう平気なんか? 良かった、良かった」

 屈託もなく、にかっ、と笑う智次は、本当にいい子だ。


 寝食を共にし、平佐田はますます智次が気に入った、兄の時頼は智次よりもずっと口数が少なく、閉鎖的だ。おそらくは、島の子の大半は時頼のような子供なのだろう。

 それでも、素朴で良い子だ。ぶっきらぼうで愛想はないが、実に素直で生真面目だ。

 平佐田は時頼をもまた、かなり気に入っている。言いたいことを上手くいえずに、すぐに拗ねるところが子供らしい。少しずつ笑うようになっていく姿が、平佐田には擽ったいような喜びを与えてくれている。


 常ならば二人の兄弟は庭先で鶏に餌をやり、縁側で干物の仕分けをしている頃だ。

 島には海と山の幸があるが、それだけでは食っていけない。鶏を初め、家畜を飼っているのは、生活を補うためだ。

 智次の家は、漁師としてそれなりに成り立っているようで、家畜は鶏だけ。ただし、その数は結構な多さで、鶏の世話をするのが、子供たちの仕事の一つだ。

 この家には娘はなく、女手は亭主の嫁と、亭主の母親の二人。漁師の手伝いと畑をして働いている。


 漁師の手伝いとは言っても、女は漁には出られない。子供たちと同じように干物を干したり、魚を捌いたりと、裏方の仕事に忙しい。

 姿が見えないときは、大抵の場合、畑にいる。地元の名家である長浜家が多くの土地を所有し、島人に土地を安く貸しているのだという。隣近所の数軒と共同で土地を借り、女たちは畑の作物を収穫し、生活の糧にしているのだ。


(いずこも同じだ)

 平佐田とて、実家にいた頃は、常に何かの仕事を言い付かり、姉や妹と共に働いていた。そうでなければ一日のおまんまにありつけないからだ。

 庭先の小さな畑と、農家の広い畑。いずれも、自分たちが生きていくための糧となる。

子供もある程度まで育てば全員が働き手であり、怠け者は、おまんまにはありつけない。〝搖坊〟もいくじなしではありながらも、そんな常識だけは持っていて、風邪をひいて熱っぽかった時も、ぼぅとした頭のまま畑仕事には出た。それが当たり前だったからだ。それでも――

 今でこそ、天敵とも言える〝沢坊〟とは、夕刻になれば必ずと言っていいほど共に遊んだ。

 童は、遊ぶことも仕事の一つだ。いずこから集まるのか、不思議と夕刻になると、互いを呼び寄せるようにして、わらわらと子供が集まり、日が暮れる直前まで、様々なことをして遊んだものだ。平佐田には当然だった童の頃の思い出だが……

 ここでは、夕刻に子供が集まって遊ぶ姿はない。


 それほどまでに仕事が多いのかといえば、そうでもない。智次も、時頼も遊び半分で鶏の世話をする。時には鶏をほっぽいてどこかへ行ってしまい、垣根を飛び越える鶏を、平佐田が追いかけて行くくらいだ。

 たまにだが、時頼の友人が一緒にいることもある。理由は、「家にいる牛よりも、鶏のほうが面白い」からだそうだ。平佐田としては、そんな気持ちも、わからなくはない。

その時頼の友人も、時頼を遊びに誘うわけでなく、一緒になって庭先で鶏と戯れているだけだ。


 たかが半月のことではあるが、平佐田は、島で夕刻に集って遊ぶ子供の姿を見た例がない。

 そろそろ温かくなり始めた季節でもあり、本土より南の硫黄島は、わりと温暖な土地だ。もしも平佐田が子供であったなら、間違いなく日が暮れるまで遊び呆けているだろう。島には子供の遊び心をそそる場所が、そこかしこにある。

では、子供同士が遊ばないのかといえば、そうではない。ちょっとした仕事の合間、天候のおかげで予定していた仕事ができないときなど、子供たちは一目散に友人のところに走っていく。

 平佐田も智次からたくさんの島の子の話を聞いている。別段、他所の土地の子供たちと変わりはない。しかし、夕刻だけは必ず家にいるのだ、当たり前のように。


「遊びに行かないの?」


 夕刻前に畑仕事が終わり、庭で暇そうに鶏小屋を覗いていた智次に、平佐田は聞いたことがある。その返答は――

「うん」それだけだ。

 智次とは、随分と親しくなった。平佐田自身、年の離れた弟のようにも思い、また同時に(智次坊みたいな子供がいたら、おいも、もっとでっかくなれるかもしれん)とも思っている。

 可愛い子供ために「父親」はでっかくなくてはならん。智次坊が父親を尊敬し、大好きでいるのは、父親が〝おいどん〟であるからだ。

 ゆえに平佐田は、智次坊の父親に、尊敬と憧れをもって接している。漁師はそんな「先生」に辟易しているのか、最近では平佐田の顔を見かけると、そそくさとどこかへ行ってしまうことが多い。平佐田としては、淋しいばかりだ。


 宿泊先として提供された智次の家で、平佐田は一部屋を間借りしているが、大体、子供たちが傍にいる。造りは粗末だが、家は結構な広さだ。

 ほとんどが板間であるが、平佐田のために、間貸しした部屋には畳が敷かれている。子供たちはそれがとても珍しくまた、心地いいのだ。

 かなり古びた畳ではあるが、それもまた、島の有力者の長浜家所有の品らしい。島の有力者は、おおいに島に貢献しているようだ。

 漁師、猟師、豊富な木々を使った工芸品を作る職人……島の経済に貢献している者には、広い土地を提供しているらしい。だから漁師内でも多くの水揚げを上げている、智次の家は、こんなにも広いのだ。


 それでも島人の結束は固く、互いに助け合って生きている。おそらくは結構な収入を得ているだろうと思われる智次の家でも、決して裕福な暮らしはしていない。共に漁に出ている家に、度々は鶏の生んだ卵を届けたり、庭で採れた大根の一つを渡したりしている。

 多くの漁師がそれぞれに持ち寄りをして、賑やかに酒宴を開いたりもする。そこには必ず、長浜家の届け物が加わっている。

 上下関係のない島人の暮らしは、平佐田には実に珍しく映る。平佐田の郷土では、ありえないことだ。


 平佐田の郷土では、常に上下関係が物を言っていた。「郷士」とは存外、面倒なものなのだ。「武士」とはおそらくは呼べない半農であって、それでも地元の士である誇りが捨てきれない。辿り辿れば、きっと、ただの百姓であったり、都から左遷された罪人であったりと、いずれも名乗りを上げるほどの血筋ではない。それでも――

 代々と土地に住み着いた子孫が己を主張し、互いが互いを牽制して、正当性を主張する。城主に認められた者を崇め、のし上がった家が他を凌ぐ。小さな場での下剋上は、おかしな上下関係を押し付け、子供ながらに搖坊は窮屈を感じていたのだ。

 だからこそ、さっさと姉婿に後を押し付け、沢坊を頼って郷を出た。もしもこの島のように皆が協力し合って生きていたら、平佐田もあえて郷を出たりはしなかったろう。平佐田は、生れ育った郷が大好きだ。

 智次坊もまた、きっと同じだろうと思う。船で見たあの智次の興奮は、余程この島が好きな証拠だ、だからこそ……


 仕事を終えた一日の最後、大人であれば、一杯の酒に疲れを癒す、大いなる解放感が満ち溢れるこの時刻に、子供がじっと家にいる事実が信じられないのだ。


 何度となく訊ねても、智次の答は同じ。最近では時頼にも、時頼の友人にも訊ねてみた。智次より少し年長の二人は、

「は? いけんして、そげんこっ聞く?」

 智次よりも、いささか攻撃的だ。それでもいくら〝おい〟でも童に負けてはおれぬと、

「別に。ただ、せっかく仕事が終わったんだから、皆で遊ばないのかなぁ、と思って。おい、いや、先生の子供の頃は、夕暮れは楽しみな時間じゃった。

皆が仕事が終わって集まれる時刻じゃったからな。相撲をしたり、独楽を回したり、鬼ごっこをしたり……あっ、そうそう、隠れん坊なんかも、ようしたな。島には、隠れ場所も多かろう? そげにして遊ばんかいの? 島の子は」

 先生風を吹かして訊ねてみる。まだ道場は始まってはいないが、道場の先生の存在は、島中に知れ渡っている。

 一瞬、二人は顔を見合わせ、なんだか気まずい顔をした。そして、

「せんせ、儂ら、そんなに暇じゃなかよ。すうこたあ、たくさぁあう。島は本土のごと豊かほぃならん」

 素っ気なく言って、平佐田の前からいなくなってしまった。


      (八)


(何か理由があるに違いない)


 普段はあまり、人の事情に深入りしない平佐田だが、〝密命〟があるからには、島の内情は探らなくてはならない。本来であらば、子供が夕刻に外で遊ぼうが遊ぶまいが、子供の勝手ではある。

 だが、子供たちの様子から、なにやらそこに隠されているものがあるような気がして、平佐田は妙に意地になる。


 平佐田の、最初の歓迎会から数えて三回目の歓迎会で、やけになって飲んだ酒の勢いを借りて、智次の父親である家主に聞いてみた。


「いけんして、ですか? 智頼さんも遊ばんかったですか。逢魔ヶ刻は、男心をそそる刻でありましょうに」と――。


 島の男衆は、宴会が好きだ。女たちへの名目を作るため、他所もんはおおいに引き合いに出される。

 ほとんど下戸である平佐田は、この半月の間、引っ張りだこに呼び出される宴会で、舐める程度の酒に、毎日が二日酔い状態となっている。


「せんせ。おはんは、おかしな人じゃの。せんせは、子供が学ぶように指導するもんじゃと聞いとる。遊ぶ心配をしていけんすう、それより、おはん自身のことじゃ、もうちぃと飲めんと……子供らに示しがつかん」


 なにがどうして酒が飲めんことが、子供らに示しがつかんのかよくわからぬが、並々と注がれた酒を勢いよく押し込まれ、質問はそのまま厠に吐き出されて、どこかへ行ってしまった。


そんなこんなで平佐田が島に来て最初の疑問は明かされぬまま。こんな状況で〝密命〟が果たせるのかと、我ながら情けなくなる。

 島人は閉鎖的だ――田崎から聞いてはいたが、のっけから〝二人の島人〟とは仲良くなり、至って親切で友好的だと平佐田は感じていた。

 島に着いてからも然りで、島人は「せんせ」を大いにもてなした。本土では下っ端の見習いである平佐田にとって、極楽のような歓迎ぶりは、平佐田のような小心者には、逃げ帰りたいほどの厚遇だった。

「道場の先生」が狭き門である理由は、大いにわかる。


 ゆえに平佐田は、本日から無駄な質問を諦め、ひたすら薬草の探索に励むことにした。

 家主や家の者に嫌われるのは困る。せっかくだから、自然に生えている薬草を観察したいし、外に出て気分を変えるのもいい。顔見知りの人に声を掛けられれば、何か話が聞けるかもしれない。もしも夕刻に外で遊んでいる子供に出くわせば、なんだか、ほっとする気にもなるだろう。


 そんな平佐田の期待は、見事に裏切られ、本日も、何事もなく一日が終わった。

 相変わらず外で遊ぶ子供は見かけなかったし、村の集会場近くで出会った人たちは、平佐田をちら、と見て、ぺこり、と頭を下げただけである。声を掛ける隙も与えず、さっさと集会場に入って行った。


 年齢層がばらばらの男衆は、いったい何の集まりか。和気藹々とした雰囲気ではなかったから、宴会ではないだろう。

 第一、新顔の平佐田が呼ばれていない。集会場で何があるのか気にはなったが、見知った顔がいなかったために、声を掛ける手立てもない。

 後で家主に訊ねてみようと、平佐田は〝我が家〟へと帰った。


「智次坊、いないの? 時頼坊?」


 鶏舎をぐるりと回ってみる。まさか隠れん坊でもあるまいが、二人はとても悪戯好きだ。平佐田が帰ってくるのを待って、脅かそうとどこかに隠れているのかもしれない。 


「も~い~か~い。まぁ~だだよぉ~」


 平佐田はふざけた口調で言ってみる。二人がどこかに隠れていたら、ぷぷぷ……と笑う声が聞こえるかもしれない。ところが――


 がたん!


 大きな音がして平佐田が振り返ると、智次が青い顔で立ち尽くしていた。

 足元に転がっているのは、古びた桶だ。鶏の餌を入れたり、鶏舎の糞などを集めるために子供たちが使っている。いい加減、使い古しているが、他に外仕事に使える桶がないから、子供たちは結構、大切に扱っている桶だ。

(餌や、肥料となる鶏糞よりも、桶のほうが大事そうだね)

平佐田が思うほどに、二人が重宝している桶が、無残にも土の上に転がっている。腐りかけた底がひしゃげているところを見ると、新しい桶が必要となりそうだ。


「智次坊??」


 不審に思って平佐田は声を掛ける。目を見張った智次は、大事な桶が落ちた事実にも気づかず、わなわなと震えている。

いけんした? ほら、大事な桶が……。平佐田が言う前に、

「兄ちゃん! 下手なこたぁ、いわんと」

 珍しく声を荒げた智次は、しゃがみこみ、ひしゃげた桶の底に気付いて、うぅぅ、と唸った。


 なにがそんなに気に障ったのか。平佐田には皆目わからない。見ず知らずの子供であらば、多少なりとも気分を害して文句の一つも言うところだが、残念なことに、相手は智次だ。

 心底、気に入っていて、可愛いと思う智次の尋常ではない態度に、不安が募る。

 が、それでも男の子だ。いくら親しくなったとはいえ、余所もんに下手な言葉を掛けられれば、余計に意地になるだろう。


「ごめん。驚かせたかな」

 考えた末に、大人である平佐田は、智次の傍に寄り、壊れた桶をそっと手で拾う。幾分か形を残している部分に鶏の餌を拾って載せ、袖を広げて抱え込んだ。

 鶏は大事な、この家の生活を支える宝だ。餌だって、鶏だけを生かすだけのものじゃない。卵も肉も、この家の人たちの生きる糧であることに違いはないのだ。

 平佐田が餌を掻き集める作業をしている間、智次はただ無言でうずくまっていた。小さく震えている姿に、平佐田は不安を覚えた。

 とはいえ、子供を育てた経験のない平佐田に、どうすれば智次の震えがとまるのかは、わかるはずもない。何かを言えば、そのまま走り去ってしまいそうで、なすべき術が思いつかなかった。情けない思いのまま、後ろ髪を引かれる思いで立ち上がる。


(時頼坊でもいればいいのに)


本物の兄ちゃんであれば、きっとこの場を上手く取り成すだろう。智次も傷つくことは一切ないはずだ。


既に餌を感じ取ったか、鶏舎が騒がしい。とりあえずは、智次の代わりに鶏に餌をやらねばならん。後で父親に智次が叱られるのは、可哀想だ。

平佐田が袖に抱えた餌を落とさないよう、そっと一歩を踏み出したところに、


「兄ちゃん……」


 平佐田の腰に軽い重みがしがみついた。勢いで、ぱらぱらと餌がこぼれる。


「ごめん。わし、うっ、うぅぅぅ……」

 じわり。と着物が熱く濡れる。智次は泣いていたのだ。


 明るく元気のいい智次が、泣いている姿は見た覚えがない。とはいっても、たかが半月ほどの間だから、さほどすごいことではないが、それでも、智次が泣くなんて、あまり想像できない。智次は〝ひよわで軟弱な搖坊〟とは違い、溌剌として明るい子供だ。


「智次坊、いったい……」


 戸惑いながら発した平佐田の言葉を、智次が遮った、

「だって……重定は、兄ちゃんの友人なんじゃ。わし、よくからかわれたりもしたが、重定のことは好きじゃ。わし、どうしていいかわからんし、兄ちゃんは重定を止められんかったことで、自分を責めておる。兄ちゃんは悪くない。重定は阿呆じゃ。いかん言われとることなんかするから、神様の罰が……」


 どうやら重定坊の身に、なにかあったらしい。重定坊は時頼坊の友人で、よくこの家の庭にもやってくる。鶏を木の上から放り投げたりする、結構なやんちゃ坊だ。


「重定坊に何かあったの?」

 平佐田が振り返り、智次に訊ねたところで、

「智次!」

叱りつけるような声が庭に面した縁の奥から呼んだ。


 びくっ。平佐田の背で、智次が大きく震えた。平佐田が顔を向けると、青白い顔の時頼坊が走り寄ってくる。


「智次、餌はやったんか? 母ちゃんが呼んどる」

時頼の声が震えている。それもまた、珍しいことだ。


近づいた時頼の顔は、平佐田が初めて見る顔だ。

どんなに取り繕っても、心の内を隠しきれないのだろう。焦燥と疲れが、ありありと見えている。子供は正直だ。


(大人には子供が見えるんだ、なるほど敵いっこない)


〝ただの見習い〟の平佐田に、子供の心の内が見えるのは、きっと、島の子がとても素直だからなのだろう。それでも、少しだけ〝大人〟を経験した平佐田は、時頼に訊ねてみる。


「ねぇ、時頼坊、重定坊に何か……」

 平佐田の言葉を遮るように、時頼は乱暴に弟の手を引いた。


「母ちゃんが呼んどるけん……」




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