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隠れ里  第一部  作者: 葦原観月
14/28

救いの里

(五)


「ねぇ、兄ぃ、干し肉って、まだありましたっけ?」

 あぁ?

 いかにも現実的な問いかけに、茂介は目が覚めたような感覚に囚われる。頭が重い。そういえば、腹がぎゅうぎゅうと唸っている。

 以前は、腹が減っている事実に気が付かなかったことなんてない。


 目前の欲望には敏感で、酒があれば絶対に手を伸ばしているし、食い物があれば必ず口に放り込んだ。荒稼ぎ稼業をしていると、命がいつ絶えるかなんて予想もつかないから、とりあえず目前の欲望には反応するのかもしれない。だから先のことは考えもしなかったし、どの船に乗っても荒稼ぎのできる、倭寇の仕事を結構気に入ってもいた。


それが、ここ、硫黄島へと「お宝」を捕りに来るようになって、茂介の生活は変わった。

 実入りが良くなり、荒稼ぎに出る回数が減り、海賊稼業に嫌気がさしてきた。


もう、人を殺すのは嫌だ。できれば、静かに海を眺めて暮らしたい――


 それは、倭寇として暮らし始める前、茂介がまだ、優しい童だった頃の思いと似ている。

 今も深酒をして寝入った翌朝、決まって夢に見る幼い頃の記憶……。


「なんでもやります。どうか、仕事ください」懸命に頼み込んで回ったのに、村人の態度は冷ややかだった。散々に打ちのめされた経験もある。


 ――こいつは〝裏切り者の子〟だ――


 童の茂介に、村の衆の言葉の意味は皆目わからなかった。わけもわからぬまま、理不尽な目に遭う繰り返しに疲れ果て、茂介は一人で海を眺めながら思ったものだ。


 ――この海の底には海神様が住んでいる。そこにある都には、優しい人たちがたくさんいて、おれを温かく迎えてくれる。そこに行けばいいんだ。おれは、そこで幸せになれる――

 幼かった茂介が、なぜにそんなふうに思ったのか、大人になった茂介には、よくはわからない。


 だが、おそらくは小さい頃に聞いたおとぎ話によるものなのだろうと思う。

ついに気が昂じて、童だった茂介は、ざぶざぶと海の都へと向かった。でも、途中で息が苦しくなり、気が遠くなった。

 目覚めた場所は海の底ではなく、げらげらと下品な笑い声が溢れる船の中で、茂介はそこの住人となったのだ。奇しくも茂介が受けた理不尽の原因を、解明してくれたのは、船にいた倭寇の一人である。


「ふぅん。おめえ、清国の海賊を手引きしたやつの子供か。おれたちにも色々と協定があってな。互いに陸に上がるときは、地元の手引きがいるんだ。おめえの親父だか何だか知らないが、そいつはきっと、人質でも取られたんだろうな。大体が、そんなとこよ。

おれたちもそういった手を使うから、ま、間違いねぇだろうな。普通は全員ばっさり殺しちまうが……おめえは生き残ったんだな。へぇ、こいつぁ縁だろうな。おめえ、いい倭寇になるぜ」


 息が詰まる思いがしたものだ。それでも、童の茂介には他に行くあてもなく、結局は倭寇になるより他はなかった、辛く悲しい思いを、海の底にあると信じる都と一緒に、心の奥深くに仕舞い込んで。それが――

 張爺の死に際の与太話と高を括り、ただの気晴らしのつもりで立ち寄った硫黄島で、実際に「お宝」を手に入れるようになってから――

茂介は海賊稼業に嫌気がさし始め、海の底にある都に、恐ろしいほどの羨望を感じるようになった。そんなものはありもしないのだとわかっているくせに。


(楽して稼ぎを得るようになったからか。おれは元々仕事が嫌いなんだ)


 最初は安易に思っていた。倭寇になるやつなんて、ろくなもんじゃない。人様の物を横取りして生活を成り立たせているのだ、仕事とはいっても、実際、まっとうな生業じゃない。だが――

 茂介は手を伸ばし、岩屋の壁に押し付けるように置いてある、頭陀袋を引き寄せ、ちら、と子分に目を向ける。

(こいつのせいだ)茂介は思う。


 薄汚い顔で、へらへらと笑ってる〝役立たず〟のことじゃない、へらへら顔の向こうに見える、白くけぶる硫黄のせいだ。確かに、あれのおかげで、茂介は荒稼ぎに出なくて済むようになった。だが、あれのおかげで、おおいに海の都への、憧れが強くなっている気がする。


(やはりここは〝まっとう〟な場所じゃない)


 茂介自身が〝まっとう〟ではないが、茂介のいう〝まっとう〟とは比べ物にならないほど〝まっとう〟ではない何かが、ここにはある気がする。

(そんなことは、最初からわかりきっているじゃないか。だいたい、はなから〝まっとう〟じゃないお宝なんだ。気が咎めているのか? ふん、らしくもない)

 苛々と、頭陀袋を放り出し、転がり出た木の皮の包みを指差せば、権蔵は嬉しそうに笑う。

(馬鹿は呑気で良い)と茂介は小さく首を振りながら、岩壁に背を預け、大きく深呼吸をした。

頭の中に張った膜が少しずつ溶けていくような気がする。生臭い臭いも薄れていく。らしくもない子供のような憧れも。

「だけんども、兄ぃ、何で「お宝」は勝手に飛び込んで来るんで? わっち、頭は確かにいいほうじゃないけど、いくら考えてもわからん。なんか、絡繰りでもあるんか?」

「知るかよ。おれは張爺の言うとおりにここへ来て、張爺の言うとおりに待ってたら、張爺の言うとおりに、がっぽがっぽだ。文句でもあるのか? だったら別のやつをあたるぜ。楽して金を手に入れたい奴は、山ほどいるんだ、別にお前みたいな役立たずじゃなくたって俺は構わねぇよ」

 苛々と言い返せば、権蔵は黙り込む。


(なんだ? びびってるのか?)

 見れば権蔵はがつがつと干し肉を頬張り、くびぐびと酒で飲み下している。

(いい度胸だ)

 茂介は足を延ばして、権蔵の脛を蹴りあげ、(うううっっっ)と頽れた権蔵から酒を取り上げた。


「神隠しだとよ。けっ、馬鹿馬鹿しい」

 どっかりと岩屋に座り込んだ茂介は、吐き捨てる。そのまま頭陀袋を足の先で手繰り寄せ、手を突っ込んだ。

干物がある。こっちのほうが茂介は好きだ。鷲摑みにした干物を口に放り込み、くちゃくちゃと噛み下しているところに、馬鹿が復活した。馬鹿は体が丈夫らしい、茂介は口の端を緩める。


「カミカクシって……なんです? 大陸の食いもん?」

 言いながら、もそもそと手を伸ばし、茂介から酒を取り上げる度胸は認めてやろう、もっとも……それが度胸であればの話だが。

見ると馬鹿は、屈託もなく、もぐもぐと手に握りしめた干し肉を噛み砕いている。さすがに少し距離を置いているのは、〝どうしようもない馬鹿〟ではない証拠だ。


「てめえは、神さんを知らんかっ。〝神隠し〟とは、神さんが人を連れ去る作業だよ。餓鬼の頃、そんな話を聞いたことくらい、あるだろ」

 権蔵から酒をひったくり、茂介はぐびぐびと呷る。口の中に広がる強い匂いが、生臭い臭いを追い払い、胃の腑がかっ、と熱くなる。

沸き上る熱気が心地いい、「ふぁあ」と欠伸のような心地よさが頭の芯を満たし、くらり、と眩暈がして、茂介は後ろ手に手をついた。


「へっ? わっちら神さん?」

 馬鹿は馬鹿なことをいう。

(賊が神さんになれるかっ!)突っ込むところだが、そうもいえない。

馬鹿は馬鹿なりに当を得ている、権蔵の言うことは、まんざら間違いでもない。


「そうさなぁ……道に迷った子供を拾い、おまんまが食えるようにしてやってるんだから、子供らにとっちゃあ神さんかもな。まぁ、だからよ、報酬は「お布施」ってとこか。なぁ、なかなかいい話だよな、俺たちゃ、いいことをして稼いでるんだぜ」


 いいことなわけがない、実際は人攫いの人売りだが、船での荒稼ぎと比べれば、明らかに善行に近い。なにせ、親どもが騒ぎ出さないのだ、よって、役人も動かないし、いくら連れ帰っても、罪には問われない。売り捌いたお宝にとっては、うろうろと山道を彷徨うより、ねぐらと食うものを与えられるほうがよほどマシだ、と茂介は思う。

「ふぅん。いいことをしてぜぜを稼げるなんて、わっち、知らんかったなぁ。ぜぜは人から取るもんだと聞いとったから。それは何か? 違うぜぜなんか? あれ? でも、普通に使えるよな。これも、稼いだぜぜで買ったもんだからな。味も変んね。うん、美味いよ」

 やはり馬鹿は馬鹿だ。権蔵は握った干し肉を、まじまじと眺め、かぶり、と噛り付いて満足そうに頷いた。


      (六)


 神隠し――


 茂介自身も昔、子供のころには、そんな話をよく耳にした。

「いつまでも一人で遊んどると、神さんに連れていかれちまうよ」

 時に大人たちが子供にそんな声を掛けたのも、

「こんなところで一人でいると、人攫いに連れていかれちまうぞ、さっさと家にお帰り――」と言いたかったのかではなかろうかと、倭寇になってからの茂介は思うようになった。

たまに陸へ上がるとき、倭寇は女や子供を攫ってくる。海の獲物が捕れなければ、陸に上がるしか他はない。できるだけ手っとり早くお宝を得ようと思えば、抵抗されても難のない女や子供が手頃だからだ。


 連れ去られた子供が、どんなにか辛く淋しい思いをしているだろうかと、あれこれ悩んだとて、親たちに子供を取り戻す術はない。

ならば、いっそ「神隠し」としてしまえば、少なくとも子供は、辛い目には遭っているはずはない。だって、神様と一緒なのだから。楽しく幸せに過ごしているに違ない、つまり「神隠し」という言葉は、残された親たちの知恵なのだ。だから――

 神隠しは、どこにでもある。人がいるところなら、どこにでも。女子供が神隠しに遭いやすい理由は、神様(、、)が(、)、それを好むからだ。


(神様は、面倒が嫌いなんだ)

 茂介は、にやり、と悦に入る。

 労働の後だからか、酒が回って、気分がいい。地味で退屈な作業は、結構これで疲れる。おまけに視界が悪く、足場も悪いとくれば、なおさらだ。

 それでも、地味な作業を怠れば、自らも「神隠し」に遭ってしまう。もっとも、悪行三昧の身の上であるから、神様の元に招かれる当てはないが。


 初めて「神隠し」をしたとき、茂介は危うく崖下に転落するところだった、担いでいたお宝を放り出し、咄嗟に掴んだ木の枝に命拾いをしたのだ。

 お宝は真っ逆さまに転落し、ぐきっ、と嫌な音を立てた。それから以降は、なるべく道の真ん中を歩くことにし、道しるべともなる紐を思いついたのだ。

 張爺はよくも落ちなかったものだと感心したが、おそらくは頭が悪い分だけ、勘は鋭いのだろう。危険と背中合わせのくせに、賊は意外と長生きだ。


紐を括る案は、なかなか名案だと、茂介は自らを褒めている。野生の勘が少ない分、茂介には、頭のほうに徳があるのだ。もっとも……

(勘も頭も、どっちも皆無の者もいるようだが。気の毒なこった)

 ちらり、と目を遣った権蔵は、手に干し肉を握ったままで、口の端から涎を垂らして、ぐうぐうと鼾を掻いている。思い出したようにもぐもぐと口を動かし、食い物だけは落とさぬようにしているらしい。

(ま、これも、特技の一つか)茂介は苦笑いを漏らす。

 目を転じて岩屋の外を見れば、白い煙が薄れ始めている。そろそろか。

 死者の行列のような「あれ」を思うと、未だに少し、腰が引ける。だが、金のためだ、我慢しよう。お宝は、死んではいない。いくら闇取引きとはいえ、死人は売れない。

 まぁ、そういった取引もあると聞くが、さすがの茂介も、そこまでは落ちぶれてはいない。生きた子供を、生きたまま売り飛ばす――それが茂介の信条だ。もっとも、奄美辺りで、死人を買う馬鹿はいない。黙っていても、年に何人も死人は出るのだから。


 そろりと立ち上がった茂介は、通り際に権蔵の横っ腹を蹴り、岩屋の入口に立つ。

「へっ? もう朝ですかい? 兄ぃ、朝飯は、何にします?」

 後ろから権蔵の寝ぼけた声が聞こえる。

 馬鹿の頭の中は、食い物で一杯のようだ。権蔵はきっと、胃袋が忙しすぎて、頭も勘も働く暇がないのだ。

「朝であるはずはないだろう? おれたちは、何しに来てるんだ? 神隠しだろ? 朝っぱらから神隠しをする神さんがいるかっ。夕刻だよ、逢魔ヶ刻。昼と夜が混ざる時、あの世とこの世が交わる時だ」


 神様が本当に、逢魔ヶ刻に神隠しをするのかどうかはわからない。が、少なくとも茂介たち、〝倭寇という神様〟は好んで逢魔ヶ刻を狙う。

 夕刻という時間帯には、まだ人が外にいるし、女子供が帰り支度を始める頃だ。大抵、男どもは、日が暮れるぎりぎりまで仕事をする。

薄暗くなった辺りは視界が悪く、人の顔も見えにくい。知り合いのような顔をして、さりげなく近づくには好都合だし、相手も「誰?」と一瞬の隙を見せる。そこで一気に物陰から出てきた〝神様〟に連れ去られ、神隠しは終了と言った次第だ。


「へぇ……逢魔ヶ刻ですか。魔に逢う? わっちらも逢うんですか? 怖いなぁ、食われたら、どうしよう」

 食うとか、食われるとか……お前は他に考えることはないのか。茂介は呆れながら、

「逢うのは、あっちだよ。お宝は、まさか魔が待ち受けてるとも知らず、寄ってくるんだろうからな。飛んで火にいる夏の虫とは、このことだな。へへっ、ほんとに楽な仕事だぜ」

 茂介は、込み上げる笑いを抑えきれない。

 にたにたと気味悪く笑う男と、おどおどした目で辺りを見渡しながら、それでも口だけは、もぐもぐとさせる男――

 誰かが目にしたら、かなり薄気味悪く感じるだろうと、茂介は思う。

 それでもお宝は、一度も茂介たちを見て、声を上げたり逃げ出したりした例はない。硫黄の煙が途切れた岩屋に辿り着くと同時に、ぱたり、と倒れ込んでしまうからだ。そう、まるで、ここが終着点であるかのように。


 本日最後の抵抗のように、赤い夕陽が二人の顔を照らした。


「そろそろだぞ」


 茂介は夕陽に目を眇めて呟く。

 少しずつ、赤が黒に染まっていく。地の底から闇が這い出でてくるようで、茂介の背筋がぞわり、と震える。同時に体が冷えてくる。本当に不思議な刻だと、茂介は思う。


(確かに。何が出てきても不思議じゃないような気になるよな)

 だから――


「もうい~いかい」


 高く澄んだ子供の声が、茂介の黒く翳り始めた耳に問い掛けても、不思議と受け入れることができるのだろう。


「あぁ。もういいよ」小さく呟きながら、茂介は白い煙の向こうに目を据えた。

  


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