倭寇の宝
第三章 神のいる島
(一)
「お前にゃあ、世話になったなぁ」
張さんというこの爺と、特別な付き合いがあったわけではない。ただ、たまたま仕事で一緒になって、二度か三度、酒を飲んだ程度だ。
それも、博打で金を擦って、素寒貧だったところに、おごってやると誘われ、付き合っただけだ。ここでは、誰かが誰かにおごるなんてことは珍しい。
倭寇――海を渡る船を襲い、金品を巻き上げ、女がいれば犯し、子供がいれば売り飛ばす。男どもは全員を皆殺しにし、時には陸に上がって略奪することもいとわない、この「商売」を、茂介は結構、気に入っている。「張爺」はその先輩も先輩、今まさに死を迎えようとするほどの大先輩だ。
ただし、茂介も、端から倭寇になるために生まれてきたわけじゃない。食っていく道が、他になかっただけだ。
だから「世話になった」などと、しみじみと言われても返答に困る。とはいえ、相手はもう半分方、あっちに行っている。くどくどと事情を説明したところで、埒も明かないから、海焼けした黒い顔で精一杯の悲しそうな顔を作って、茂介は干からびた手を取ってやる。
「いいや。大したことなんぞ、してねぇよ。張さんよ、あんたは大先輩だからな。皆、あんたを心配してるぜ」
もっともらしいことを言ってみる。だが、言ったところで、それは嘘だと、すぐにわかるだろう。騙し騙されは日常茶飯事。賊の世界なんぞ、そんなもんだ。
「そうか……皆、結構いいやつなんだなぁ」
これも本音かどうか、わかりゃしない。それでも、死ぬ間際ってやつは、きっと素直になれるのだろう。どうせ、それが真実かどうか確かめるような時間はない。爺さんはもう、死ぬのだ。
薄汚れた板間に煮しめたような筵が一つ。他には、これといった物はない。強いて言えば、狭い板間の隅に、いつのものかわからない欠けた徳利が転がっている。
おそらくは本人も、忘れてしまっているだろう。後で、誰かが持っていくに違いない。
茂介自身も(どうしようか)とも思ったが、別に大したものでもないし、死に際を見送った爺の徳利なんか、欲しくもない。
「茂介、お前がこんなにいいやつだったなんて、わしゃ、知らなかった。知ってたら、もっと、仲良くしたのになぁ」
そこで、げほげほと爺が咳き込む。茂介は仕方なく干からびた手をさすってやった。
胸の内で(早く逝けよな)と、呟いて顔を顰める。
「今わの際ってやつかな。わしは、もう死ぬんだな」
わかってるじゃないか。だったら、さっさと逝ってくれ。おれだって暇じゃないんだ。まぁ……忙しくもないが。
「世話になったお礼に、茂介、お前に「いい話」を聞かせてやる。これはなぁ、わしが若いころ……」
始まった。爺は「昔話」が好きだ。茂介がまだ、倭寇になりたてだった頃は、退屈しのぎに爺の話は、良く聞いた。
獲物を探しながら漂う海は、酒を飲む以外に、することはない。武勇伝もなく、喧嘩も当時はあまり好まなかった茂介は、手練れた兄貴たちの博打に加わる勇気もなく、ぼんやりと一人、船縁に凭れて空を見ていた。だから酔った爺の独り言に付き合うことが多かったのだ。
が、段々に倭寇が板につき、暇な時間を有意義に過ごす術を見つけ、爺の話なんぞに耳を貸す時間は、一切なくなった。今もまた、そわそわと腰が落ち着かない。できれば、さっさと博打場へと出向き、酒を呷って大いに盛り上がりたいところだ。
(ちぇっ、貧乏籤だぜ)
茂介が思うのは、本来、この役目は、同期の太一が担った役目だったからだ。
茂介が役目を引き受けることになったいきさつは、賭けだ。常と同じ、素寒貧でうだうだと過ごしていたところに太一が現れ、茂介に賭けを持ちかけた。暇なのと、金がないのとで茂介は賭けを受け入れ、見事に……負けたというわけだ。
太一は今頃、近頃引き上げられたという難破船にいた、異国の女を抱いているだろう、羨ましい限りだ。同期でありながらも太一は、お頭が茂介とは違うようで、倭寇の母港とも言われるこの島の主「四代目王直」に仕えている。
入り組んだ湾と断崖絶壁、山深い地形が人の踏み入れを拒絶し、人里から身を隠したい者にとって、ここは絶好の場所だ。初代の王直が根城を築いてから、倭寇にとっては母港のような存在となっている。
四代目王直と名乗る現島主は、力自慢の腕自慢だ。あちこちに伝を持ち、密貿易を仕切っているために、王直を名乗っているだけだとの噂もある。おそらくは、それが正しいだろう。所詮は賊の名乗りだ。あてにはならない。
それでも、金は権力の象徴。四代目は島を仕切り、倭寇に目を光らせ、一束に束ねている。対馬という島が、どこの誰の領地なのかは、ただの倭寇である茂介には知らぬことだが、四代目はきちんと、その辺にも配慮しているようで、島は四代目の規律に従って成り立っている。役人どもには、黙殺に見合う礼が支払われているのだろう。
四代目の下には組織化された役組があり、島内において、様々な権限を与えられている。各々の権限を生かし、役組は横暴を繰り返すが、文句を言いながらも誰もがそれに従う
理由は、やはり……食っていくためには仕事が必要だからだ。
入り組んだ湾は、外部からの侵入にはいい目眩ましだが、内から外へ出るためには船が要る。いずれ額に汗して働く気のない輩ばかりだから、田畑を耕そうという者もいなければ、狩りに出ようという者もいない。食うに困れば船に乗るよりはない。船を出すのは四代目であるから、それに逆らえば飢え死ぬより他はない。
四代目のお触れが乗組員を募る。希望者が船に乗り、略奪を繰り返す。持ち帰ったお宝は、検められ、それに見合った金額が支払われる。
が、一癖も二癖もある倭寇という人種は、飲み込める物は飲み込み、体に埋め込める物は埋め込んで、島に持ち帰る。
島にやってきた商人が、個別に商売を行っているわけは、それを見込んでいるからで、四代目は闇取引には寛大だ。おそらくは、そこでもしっかりと裏金が回っていると茂介は思っている。
たかが賊に、物の価値などわかりはしない。自身が満足する金額で売り捌く品が、おそらくは本土で売られる頃には何十倍もの額で取引されるのだろう。その一部は当然……四代目の懐に入る絡繰りだ。
推測として、同期の太一に語った事柄を上手く利用したのが太一の賢さで、太一は今、四代目の下で様々な取り締まりに右往左往している。太一の今は、茂介の推測から成り立った〝出世〟だとはわかってはいても、別に腹が立つことはない。
茂介自身、四代目に仕えるつもりは毛頭ないし、〝出世〟にも興味は一切ない。ただ、ぐだぐだと日々を過ごせれば、それでいい。
その太一が上役から請け負ったのが、「余分者の始末」で、茂介はそのためにここにいる。
懐にしまった竹筒の中には、島医者の伊李から受け取った猛毒を溶かした水が入っている。茂介としてはさっと飲ませてしまいたいところだ。懐に入っているだけで、茂介自身もあの世に近くなっているような気がして、どうにも落ち着かない。
早々に飲ませ、さっさとねぐらへと帰りたいのだが、今わの際の爺は妙に話好きで、水を飲ませる機会を計りかねている。
(いっそ、押さえつけて飲ましちまおうか。そのほうが手っ取り早い)
短気な茂介は先ほどから、真剣に思い始めている。
(二)
四代目の規律に従い、それなりに成り立っている島には、多くの倭寇がいる。他にも倭寇が隠れ住む島はあるが、ここが一番の大規模所帯だ。
四代目がいる場所には金が集まる。よって、やはり賑わいがあるのだ。船の数も多く、交代交代に船が出るから、仕事の数も多い。荒稼ぎをしたい輩が多く集まり、四代目は宿舎すらも提供している。
とりあえず寝る場所があるこの島に、荒くれ者が多く集まるのは、道理ともいえる。大体は広い板間に雑魚寝ではあるが、小さいながらも板戸で仕切られた小部屋もある。そこに住むことが許されるのは……
やはり、金を持っている者だけだ。役組に金を払って権利を得るのだが、そこはそれ、まとな役人ではないから、相場はかなり跳ね上がっているらしい。
四代目に支払われる額の何倍もの金を払えば、小部屋の権利は獲得できる。その代り役組は、宿主が暴力などによって追い払われないように、との配慮だけは、一応してくれる。金と暴力だけが、ここでは生きているのだ。それでも――
血気盛んで、荒金を稼いでいる男たちは、小部屋を得ることを望んでいる。小部屋があれば、女を連れ込むのも自由だし、同僚たちに対しても箔がつく。
数少ない小部屋は今、すべて塞がっていて、役組も一応、契約が成り立っている以上、宿主を追い出すわけにはいかない。それでも小部屋が欲しいと大枚を積まれれば、役組も考える。
若く、これからまだ稼ぎをしてくれそうな者には、さすがに手は出さない。稼ぎ手がいなくては、島としては困るからだ。
茂介が今、見舞っている張孫という爺は、果たしていくつなのかは、知る由もない。ここでは年も、生い立ちも、生まれも何もないからだ。
流罪となった罪人もいれば、異国に売られる船に乗っていた者もいる。博打場で声を掛けられて一員となった者もいるし、異国から逃げてきた者もいる。爺の名乗りからして、大陸の出ではないかと茂介は思ってはいるが、かといって、別にそんなことは、どうでもいい。ここでは、珍しくもないからだ。
役組の下っ端である太一が、死にかけの爺の小部屋を狙う輩のために、さっさと死んでもらうための薬を、上役から渡された日に、たまたま博打場で不貞腐れていた茂介と会った。素寒貧となった茂介は、荒れていた。酒でも飲みたい気分だった、だから――
「もしも、お前が勝ったら、好きなだけ酒を飲ましてやる」
という太一の言葉に乗ったのだ。やけくそで臨んだ勝負に負け、茂介は目下の、あまり気分の良くない仕事を引き受ける羽目となった。酒と人殺しでは、あまりにも……釣り合いが悪すぎやしないか。
今になって、後悔している。これが済んだら、太一を捕まえ、酒と飯をおごらせようとも思う。
「いろいろとあったが……それなりに楽しかったなぁ。毎日、食うのにかつかつだったが、仕事は結構、面白かった。わしは海が好きだ、海の上で生きているのが嬉しかったんじゃよ。そうじゃな。だから、海賊になったのかもしれん」
そろそろ、話も終わりらしい。ここまで付き合ったんだ、もういいだろう。
「あのな、張さんよ。ちょっと休んだら、どうだ? 無理をしちゃ、いけねぇよ。おれ、水を持ってきてやった。さすがに酒じゃあ、良くねぇだろ?」
慣れない愛想笑いを浮かべ、茂介は懐に手を入れる。
(終わりだぜ、爺さん、あばよ)
「おう、ありがたい。本当にお前は、いいやつだな。わしはもうこんなだから、ろくに礼もできんが……お前にいい金儲けの話をしてやる。わしが見つけた「お宝」の話だ。
わしも体の自由が利かなくなって、とんと「宝さがし」には行っとらんが、まだまだ「お宝」は残っとるはずじゃ。良くしてくれたお前に、それを譲ってやる。お前も小部屋に住めるようになるぞ。「お宝」を手に入れれば、荒稼ぎなんぞ、ばかばかしくて、やってはおれん」
茂介の懐に入れた手が止まる。
(やはり……爺は何か秘密を持ってたんだな)
そもそも、いい加減、年寄った張孫という爺の、羽振りが良くなったのは、ここ数年前からだ。
仕事には出ていたようだが、たいした稼ぎもなく、小部屋どころか、大勢のいる板間の隅っこで小さくなっているのが常だった。それが、次第に人に奢るようになって、皆が爺の存在に気づいたのだ。
大体、ここでは誰もが互いに関心を持たない。しばしば仕事で同じ船に乗らない限り、親しくなることはない。張爺が人に奢るようになったのは、年寄って淋しくなったからだろうと、誰もが思っていた。奢ってくれるなら理由など何でも良い、ここの輩は皆そう思っている。茂介もその一人だ。
しかし、中にはいきなり気前の良くなった爺に、しつこく食い下がる輩もいた。そんな輩には、爺は二度と奢らなくなった。以来誰も、爺の振舞いについて、訊ねる者はいなくなった。ただ酒を手放すのが惜しいからだ。
派手な大儲けでも絡んでいれば話は別だが、相手はいい加減くたびれた爺だ、問い詰めたところで大した話はでてこないと、誰もが軽く見ていた。
「何の話だ?」さりげなさを装って茂介は尋ねる。爺は皺の寄った口で、にやり、と笑い、
「水だ……まずは水をくれ。喉が渇いたんだ、ちいと話が長くなる」
(こいつ……)
散々につき合せて、ようやく、片を付けられると思ったら、これだ。「お宝」なんぞ本当にあるのかどうか怪しいものだし、いい加減、嫌気も差してきた。茂介は、素直に引導を渡してやろうかと考える。
が、あと少し付き合ってみてもいいとも思う。別に他にすることはないし、先ほど板戸の裏に見つけた、多少の隠し金も、懐にしまってある。しばらくは食うのに困らなそうだ。(やむを得ん)
「ちょっと待っててくれ。表に置いてきちまった。新入りの筵を頼まれて、一緒に持ってきたんだ。荷車に載せてあるから、とってくる」
力なく頷く爺に、ほんの少し笑って見せ、茂介は素早く部屋を出る。
確かこの先の辻に、湧水の出る場所があったはずだ。下の大部屋で誰かの竹筒を拝借して、汲んでこよう。懐にある水は、まだ飲ませないほうがいい。
急いで湧水を汲んだ茂介が小部屋に戻ると、張孫は、待ってましたとばかりに、ぐびぐびと水を飲み、ほーと息をついた。
「ありがとう」
笑った顔が、なぜか妙に茂介の心に染み入った。なけなしの良心がちくりと痛む。
だが、事、ここに至っては、後には引けない。放っておいてもそのうち死ぬだろうが、お迎えがいつ来るかなんて、誰にもわかりやしない。
下手をして元気にでもなられたら、茂介自身も痛い目に遭う。四代目の島は、誰かに情けなど、掛けていられるような場所ではないのだ。
(ろくに動けんまま、死を待つよりか、マシだよな)
思い直して、茂介は良心の欠片を握り潰した。




