重豪の隠れん坊
(十二)
(なんとまぁ、すごい「新種」があったものか)
樺山に促され、渋々ながら重豪に礼を取った斉彬は、それでも不満一つ漏らさずに部屋を辞した。
見送った重豪としては、ちょっと寂しい思いもした。だが、せっかくの昌高の好意には逆らえない。昌高のおかげで、斉彬が気軽に高輪邸に立ち寄れるのであらば、それに越したことはない、隠居した息子とは、これからも蘭学を共有して楽しみたいし、可愛い曾孫を呼ぶのに、いろいろと言い訳を考えなくても済む。
(あれはあれで、我が宝の一つなのだ)
重豪から見れば昌高は、おっとりとした息子に見える。とはいえ、跡取りもしっかりとしているし、知らぬ土地で領主として君臨した男だ。人知れぬ苦労は多くあったことだろう。学問の吸収には目を見張るものがあるし、オランダ人が賞賛する語学に関して、他に越えるものはいない。
いずれ、この国に大きく貢献する男となろう――と、重豪は知っている。
(余はよきものを多く授かった)
後は残る者たちに、できる限りの「宝」を残してやることだ。
あまり気は合わぬが、斉興には調所という才覚のある男をくれてやった。重豪にとっては小うるさい男ではあるが、あの細かさは家臣には必要だ。いずれ薩摩を支える男となろう。今一つ才のない斉興には、ああいった家臣が必要なのだ。
繋ぎの斉興には、斉彬のために、十分な基盤を作ってもらわねばならぬ。斉彬が薩摩を牛耳れば、薩摩は完璧な王国となる。江戸を初め、各地から、蘭学を求めて多くの若者が集まっている薩摩には、子飼いの獅子がたくさんいるのだ。斉彬であれば、獅子を上手く扱うことができるであろう。
(できれば、この目で……)
斉彬の雄姿を見てから逝きたい。が、それは叶いそうもない。いい加減、お迎えが業を煮やしているのだ。そろそろ、従わねばならん。
最後に、あの二人に……
土産を残してやりたいと常々考えていた。だからこそ、オランダ商館長一行の出迎えと、会見を手配したのだ。
最後にいい思い出となり、良き出会いとなってくれればよいと願った、贈り物のつもりであったが――
(余には、まだまだ「運」があるらしい)
ふぁっふぁっふぁっ。
さすがに夜も更けているので、多少は声を抑えて重豪は笑う。一人で大笑いをしていると、待医が飛んでくる。すっかりと信頼をなくした待医に、おかしな診断はされたくはない。
(おそらくは、ドクトルの鳴滝館にいる、塾生あたりであろうな)
重豪が思うのは、膝に載せた数枚の紙に書かれた、日本語の文章を書いたであろう人物のことだ。
なかなか読みやすく、綺麗な書体で書かれている。文章もよく纏まっていて内容を理解しやすい。
(ドクトルは良き門徒をお持ちのようだ)
重豪は、会ってみたいとも思う。
斉彬が帰った後、重豪は一人、剥製の腹を探って、紙片を見つけた。最初は何かの間違いだと思ったのは、隠されているものは、てっきり「薬草」だと思っていたからだ。
急ぎ広げ、目を通して胸が高鳴っている自分に気が付き、(余もまだまだ若いな)と嬉しく思ったものだ。
数枚の紙に書かれた内容は、「琉球王が探し求めている宝」についてであり、琉球国の船乗りの情報によると、既に宝を探しに人が派遣されているという。宝は島津の領内にあると告げ、既に臣下と化した琉球の王に、みすみす手渡していいものかと、柔らかく示唆してあった。さすがに薩摩の王に、はっきりと訴える度胸は、なかったらしい。
宝は古の昔、海に沈んだ皇子の伝説の残る島にあるといい、島と宝は深い関わりがあるらしいと付け加えられていた。宝がどういうものなのか、海に沈んだ皇子と、どんな関わりがあるものかは、今のところ不明らしい。ただし、件の島の名は、はっきりと記されていた。
硫黄島――
島人は大層、信心深く、島神様を大いに崇めていると述べ、ゆえにとても閉鎖的であるとも付け加えられていた。琉球の王もまた、内々に調査を進めているゆえ、大仰に役人を配して捜索することは避けられるべきである、とも付け加えられている。
まずは、「海底に沈む皇子」の伝説から、調べられるが得策でありましょうと、注意書きがあり、「宝」はおそらく、想像もつかぬほどの価値のあるものかと思われる――と述べられていた。
何ともおぼろげな話ではある。が、重豪としては、大いにそそられる話である。
できれば今すぐにでも薩摩へと戻り、直々に人選をして「宝探し」の指揮をとりたい。
重豪は、わくわくすることが大好きなのだ。近頃は「お体に障る」「大殿の「わくわく」には、薩摩の財政がついていけない」という、二つの理由から、すっかり「わくわく」を諦めていた重豪にとって、何とも魅力的な「わくわく」の到来だ。
すぐさま樺山を呼べば、しょぼしょぼと目をしばつかせ、長年の家臣はくだくだと文句を言う。
「ここ数日お疲れなのですから、夜更かしはなりません。早々にお休みください。大殿は、少しもお体を大切になされぬご様子。若君も、これでは御心配が尽きませぬ。大殿あっての薩摩なのですよ。中津の大殿からも、くれぐれも大殿を気遣ってほしいと……」
痛いところを突く。樺山も早々に休みたいのだろう。これも年を取った。
素直に頷き、「あいわかった」と返事をするのは、重豪もこれで結構、樺山を労わっているつもりだからだ。
樺山の愚痴が長引けば、重豪の話の切り出しが遅くなる。話を聞き終えた樺山は、早々、薩摩に人を送る手配せねばならぬし、いろいろと忙しくなるはずだ。今宵は早めに休ませてやったほうがいい。
(せめて、あと数年、余が死ぬまでは倅ではなく、そちに傍にいてもらいたい、無理は禁物じゃ)
樺山に無理をさせている張本人は、大物であるが故に、自身の落ち度には気が付かない。細かなことを気にしないからこそ、八十を越える長寿を達成できたのだ。
「大殿……またまた、そのような。あてになど皆目ならぬ話ではござりませぬか。ドクトルは、異国人ですぞ。何かの聞き間違いではござりませぬか?」
「いやいや。異国人だからこそ、じゃ。常に見慣れておる庭は、主には意外と先入観のあるものよ。掘れば泉が出るやもしれんとは、屋敷の周りを良く知ったる者の言ではないか。
ドクトルは日本国の風土や民話などにも興味をお持ちじゃ。おそらくは門徒辺りから民話などを集めておるうち、琉球の船乗りとの話が繋がったのじゃろうて。
宝は、ある。みすみす琉球王に渡してやる義理はない。領島にある物は、すべて島津の物じゃ。樺山っ、そちに訊ねる。薩摩の王、島津の主は、誰じゃ?」
「ははっ。大殿にてござります」
重豪の目に見慣れた背が映る。ひれ伏した背は、幾分小さくなったが、伝わる気配に変わりはない。
「薩摩王問答」は何十年にも渡る二人の倣いだ。樺山の背に偽りはない。薩摩の王が誰なのかは、何十年も付き添った重臣が、一番良く知っている。
「そうであろう」
うんうんと重豪は頷き、よいしょっと、重い体を持ち上げる。
「人を遣わせ。硫黄島へと送るのじゃ。いいか、内々にであるぞ。忠温にも知らせるな。あれは、又三郎の父であるが、余はどうも、あれを好かん。由羅がいかんの。忠温には、女を見る目がない」
斉興の正室の弥姫は由緒正しい血筋の娘で、徳川、伊達、織田の血を引く、名門の集結のような女子だ。重豪がその子の斉彬に期待を寄せるのも、無理はない。才女であり、賢母。斉彬が重豪を慕う姿に難色を示す以外は、完璧な母親だと、重豪は思っている。
それに引き替え、由羅という女は、斉興が江戸で見初めた庶民の出で、見目は確かに美しいが、品格というものがない。とにかく、自身の地位を上げることにしか興味がなく、浅ましさが見え見えだ。
正妻の弥姫が江戸にいる現状をいいことに、斉興に媚を売り、息子の久光を斉興に売り込んでいると聞く。未だ薩摩の実権を握っている重豪を煙たがる様子で、重豪としては、孫があのような女の手玉に取られないといいがと、不安にも思っている。
「薩摩の王が命ず。硫黄島にあるという、琉球王の宝とやらを探し出し、必ずや、薩摩の王の元に。横取りではないぞ。硫黄島は島津の領地であるからな。領地にあるものは、領主のものじゃ。否、薩摩の王のものじゃ」
ははっ。仰せのままに――と樺山が言うと期待した言葉は聞かれず、しばしの沈黙の後、
「大殿、そのような人材を探すには時が掛かります」とか、「密偵として島に送るには、しかるべき権限を与えねばなりませぬ」とか、「現、国主様に事が発覚すれば、いろいろと面倒が起ります。また、財政立て直しの折、余分な人材を割けば、笑左殿が黙ってはおりますまい」とか……
ともかく、言葉の限りを尽くして、樺山は言い募る。
(こやつ……口煩そうなったな、年を食ったか)
既に「大殿」となった自身の立場も忘れ、重豪は人のことだけは批判する。
が――元々が子供のような大殿の重豪が、年を取ってさらに子供に近くなった今、家臣ごときの話に耳を傾けるはずもない。
「ならば、損にも得にもならぬ者を探せばよい。樺山、そちは薩摩に人脈があろう。その人脈の端も端、根も張っておらねば、芽を出してもおらぬ者を送るがよいぞ。ただし。正直者が良いな。宝を奪って逃げるような輩では、困る。
薩摩の男は、度胸がいい。余は、それこそが薩摩男じゃと思うてはおるが……今回ばかりは、それでは困る。ううん、正直者の小心者、毒にも薬にもならぬ薩摩男を探し出せ。見事に宝を探し当てた暁には、余が自らそれに賜りものをくれてやろう」
胸を張って言い切った。どうじゃ――
にんまりと笑って長年の家臣を見れば、
(大殿、かような人材は、なかなかにおりませぬ、某の苦労も察してくだされ)
とでも言いたげな情けない目が、重豪を捉える。
(ふん……)
家臣の訴えは〝聞かなかった〟ことにするのが一番と、重い腰を持ち上げた重豪は、こんこん、と腰を叩き、
「余は、休むことにする。後は任せた。よきにはからえ」いつも通り、勝手に話を終わらせた。
たんっ。すかさず襖を開けて現れた腰元二人に支えられ、重豪は、さっさと寝間に移動する。ちら、と振り返った部屋に、樺山が頭を抱えている姿が目に映った。
腰元の手を借りて、ゆっくりと布団に横たわった重豪は、目を閉じる。丹毒はひりひりと痛むが、これも今宵で最後だと、じっと我慢する。
既にドクトルから貰った薬の内容は、樺山に申し付けて、手配済みだ。明日には届く手筈になっている。待医のほうは、樺山が上手くいなすだろう。何事につけ、重宝な男だ。
(斉彬、昌高、樺山……年老いて残るものだけが、本物の宝であるな)
重豪は、しんみりと思う。念願のドクトル・シーボルトとの会見も果たせたし、ドクトルはおまけに、重豪の悩みの種である丹毒の痛みを解消し、諦めていた「わくわく」を重豪に与えてくれた。
(こんな幸せがあって、よいものか)
久しぶりに心地よくうとうとと眠りに入る重豪に、遠くから声が聞こえる。
「もうい~いかい」
澄んだ童の声だ。あぁ、これはきっと、待ちくたびれた「お迎えの童」じゃなと、重豪は思う。
これだけ、多くのものを手に入れたのだから、もういいだろう。そろそろ、こっちに来てくれないか――とのお誘いだ。だが……
お宝は、あと一つ。見つかれば最後に、皆にお礼ができる。
ありがとう、皆、余は幸せじゃった――そんな思いを宝に託して。
「まぁ~だだよ」
子供のような声で答えた重豪は、にこやかな笑みを浮かべたまま、すやすやと寝息を立てていた。




