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許婚は私のことを知らない  作者: 青山忠義
3/11

アンナの許婚

 わたしが空手を習ったのは17歳まで育ったアメリカでだった。 

 両親は日本人で、わたしはアメリカで生まれた。

 わたしは二重国籍で、日本名は石野樹里、アメリカ名はアンナ・ジュリー・タカツ。

 アメリカでは『アンナ・ジュリー・タカツ』だったが、日本では『石野樹里』を使っている。


 去年の秋に日本へ来るまでは、ずっと両親とお兄ちゃんと一緒にアメリカで暮らしていた。

 わたしの住んでいたところは白人至上主義者がいる地域だった。住民の大半の人たちは白人至上主義者ではないが、一部に先鋭化した人たちがいた。


 両親や一族が牧場経営をするためにアメリカへ移住してきたときは、白人至上主義の人たちとの間でいざこざがあって何度も危険な目にあったそうだ。

 一族だけでなく周辺のほかの日本人や中国人、韓国人などの東洋人たちも彼らとの間でたびたび争いが起こったため、結束して協力し合うようになっていた。月に一度は集まり、いろいろな問題について話し合いをしている。


 それだけではなく、おのおの家でも自衛手段は取られていた。パパも許可を取って銃を持っている。アメリカは銃社会だ。身を守る為にはどうしても銃が必要になる。


 大人だけでなく子どもたちも安全ではなかった。わたしがまだヨチヨチ歩きのとき、韓国人の小学生が道を歩いていたときに、東洋人だというだけで殴られて怪我をするという事件が起こった。

 子どもでも自分の身は自分で守らないといけない。いつ襲われるか分からない。


 わたしとお兄ちゃんを心配したパパは、中国でジークンドーを習いアメリカで空手の師範をしていた自分のボディーガードにお兄ちゃんとわたしに空手を教えさせた。

 お兄ちゃんとわたしは毎日学校から帰ってくると、夕食までの2時間みっちりと空手を教えてもらった。


 わたしは日本に来るまで習っていたが、お兄ちゃんは途中でキックボクシングに興味が移り自分でジムを探して習いに行くようになった。

 アンナは暴力は嫌いだが、空手のおかげで難を逃れたことが何度もあった。


 今日もそのおかげで助かった。

 アメリカでは銃やナイフなどのなんらかの武器を持っていることが多い。相手と闘うときは全力で倒す。全力で闘わなければ、自分の命を失う危険がある。

 それに今日のことは完全に正当防衛だ。

 まあ、少しやり過ぎたような気もするが、仕方がない。


 わたしは家に帰り着くと、一人暮らしにしては広すぎる2LDKのマンションのリビングに入ってソファーに座った。

 フーッと息を吐く。他には何の物音もしない。

 一人暮らしをしてみて、誰もいない家の中ってこんなに静かなんだということを初めて知った。


 わたしは日本に一人だけで来た。

 アメリカでは、外では英語を使っていたが、家の中では日本語で話していたので言葉には困らない。だが、両親の祖国ではあるが一度も来たことがなかった日本に一人で来ることになるとは夢にも思っていなかった。


 わたしが日本に来た理由は許婚に会うためだ。

 わたしが許婚が日本にいることを知ったのは、ミドルスクールの最終学年である8年生の時だった。

 ハイスクールには行かず、飛び級をしてユニバシティーに行きたいということを両親に話した。

 ママは賛成してくれたが、なぜかパパは渋い顔をして返事をしない。


「お父様は私がユニバシティーに行くことには反対なんですか?」

 アンナはお嬢様だ。『お父様、お母様』と呼ぶ。

 アメリカにいたときには、石野樹里というギャルのような女子はまだ存在していない。


「反対というわけではないんだが……」

 パパの顔が困ったようになった。

「アンナ。お前は18歳になったら結婚するんだ」

「結婚?」

 パパの思いがけない言葉にアンナは戸惑った。


「そうだ。結婚だ」

 まだ14歳だったアンナはいつかは結婚するだろうなという漠然とした思いはあったが、まさかあと4年でしなければいけないとは思っていなかった。


「お父様、冗談を言っていらしゃるんですか? そんなに早く結婚するなんて考えたこともありません。それに相手がいません」

 アンナには男の友だちはいても、ボーイフレンドはいない。いくらパパが結婚させると言っても相手がいなくては結婚できない。あと4年で見つかるかどうかも分からない。


「相手はいる」

「どこにいるんですか?」

「日本だ」

「日本ですか……」

 両親は日本で生まれ育ったが、アンナは日本へ行ったことは一度もなかった。どうして日本に相手がいるのか分からない。


「そうだ。日本に許婚がいる」

「許婚?」

 アンナは日本語を話せるし、意味も分かる。だが、『許婚』という言葉は聞いたことがない。

「フィアンセのことよ」

 ママが説明してくれた。

「ママもそのことは知っているの?」

「知っているわ」

 ママが優しい目でアンナを見つめながら言った。

「フィアンセが日本に?」

 パパが、なぜ日本にフィアンセがいるのかを説明をしてくれた。パパの話は長かったので、アンナは頭の中で要約した。


 パパは東北の大きな庄屋の分家筋の三男として生まれた。大学を卒業して実家の家業である畜産業を手伝っていたが、本家から後継ぎの男の子どもがいないから一人娘のお嬢さんと結婚して後を継いでくれという話がきた。


 本家はパパの実家よりも広大な田んぼや畑や牛舎などを持っていて屋敷も大きくかなりの財産家だ。パパの両親やパパ自身も依存はなかった。

 しかし、そのお嬢さんは東京で大学を卒業して、そのまま東京で就職し、大学で知り合ったフィアンセがいるからパパとは結婚できないと言ったらしい。


 本家の当主は激怒し、自分の娘を勘当して財産を一切渡さないと言って、パパを養子にした。

 パパは自分の母方の一族であったママと結婚し、養父母が亡くなるとその財産を全部受け継いだ。

 だが、人の財産を独り占めしたようでどうも居心地が悪い。その上、一族の口の悪い人はまるで本家の財産を乗っ取たような言い方をする。


 そこで、パパはもう結婚していた本家のお嬢さんに財産の半分ずつにしようと提案した。

 だが、『自分は勘当された身だからからそんなものは受け取れない』と断られたそうだ。


 そういう話をしているときに、突然、国の施設を村に建設するという話が出てきた。田んぼ、畑、牛舎などはもちろん屋敷も国が収去するということになり立ち退きをしなくてはいけなくなった。


 これからどうしようかと一族で話し合っていると、アメリカで農場経営をしている親族から農場を手放そうとしている人がいるから、こちらへきたらどうかという話しがあったそうだ。

 パパたちはアメリカに移住を決断して、国から貰った補償金で農場を買った。


 幸い農場経営はうまくいき、農場を買い増し、牧場なども買って畜産業へも手を広げていった。

 一緒にアメリカに移住した一族の中には製造加工業や流通業に進出する者も出てきた。

 パパは農場経営と畜産業に特化して事業を行い成功した。アメリカに移住してからしばらくしてお兄ちゃんが生まれ、その3年後にわたしが生まれた。


 パパは子どもが可愛くて仕方なく、子どもたちに不自由を感じさせたくない。少しでもいい暮らしをさせたい。そう思うようになったそうだ。

 親ならみんなそう思うだろうとパパは考えた。そう思い至ると、養父母も思いは同じではなかったのかと思った。一人娘だったら、なおさらその思いは強いはずだ。


 だが、養父母は実の娘を勘当してパパを養子にした。田舎は色々とうるさいことがある。本家の当主としては一族の者の目もある。苦渋の決断だったのではないだろうか。

 養父母は厳しい人だったが、いろいろなことを教えてくれて援助もしてくれた。養父母の立場だったら、同じことができただろうかとパパは思った。


 パパは養父母のおかげでアメリカで成功した。受け継いだ財産をお嬢さんに返しても十分事業を継続することができるし、今の生活水準を落さず生活もできる。

 お嬢さんに財産を返すことが養父母の娘に対する思いが叶うのではないだろうかと思った。

 そして、自分が受け継いだ財産を返すことが、養父母への恩返しになると考えた。


 考えているうちに居ても立ってもいられなくなりお嬢さんに連絡をした。

 国からもらった補償金をお渡しするから受け取っていただけないかと言った。

 だが、お嬢さんは自分には権利がないと言ってやはり頑なに拒否する。

 その頑なな態度にパパはお嬢さんが自分の親を憎んでいるのではないかと思ったそうだ。養父母が相次いで亡くなったときに連絡をしたが、お葬式にも来なかった。

 おそらく、お嬢さんも意地になっているんだろうと思ってパパもあきらめたそうだ。


 しかし、パパが用事があって日本に久しぶりに戻ったとき、一族のお墓のあるお寺を訪れた。和尚さんといろいろな話をしているとお嬢さんの話題が出たそうだ。

「先月、旦那さんと男の赤ちゃんを抱いて来られて、長い間お墓の前で手を合わせておられた。そのあと、拙僧のところに来られて、『これで父母の供養を今後ともよろしくお願いします』とお金を置いていこうとする。『養子の方から永代供養のお布施を十分すぎるほど頂いているのでこれ以上は受け取れない』と言って断っても、『わたしは親不孝ばかりをしてきました。今さら遅いですが、出来の悪い娘のせめてもの親孝行だと思ってお納めください』と涙を流して言われましてな。結局、受け取ってしまいました」

 それを聞いてパパは、お嬢さんの気持ちがよく分かったような気がした。


 決してお嬢さんは意地になっていたわけではない。お嬢さんは今でも自分の両親を慕っている。

 おそらく勘当された自分が姿を見せると養子のパパの立場が悪くなるのではないかと思って、お葬式にも来なかったのではないかと思ったそうだ。

 やはり、なんとしても遺産を受け取ってもらおうと思った。ただ、普通に渡すと言っても受け取らないことも分かっている。

 そこでパパが考えついたのが、自分の娘とお嬢さんの息子の縁談だった。二人を結婚させて、財産分与として娘に自分の財産を分け与えるという名目で言えば断られないだろうと思ったそうだ。

 しつこく連絡しているうちにお嬢さんは折れて、その提案を受け入れたらしい。


 アンナにもやっと『許婚』がいる意味は分かった。

 だが……。

「どうして18歳で結婚しないといけないんですか?」

 パパの話で、すべて納得できたわけではなかったが、一番不思議なのはなぜ18歳で結婚しないといけないかである。話の中に何歳で結婚させるという約束はなかった。もっと、大人になってからゆっくり付き合ってからでもいいのではないか。


「大学に通うようになれば、いろいろと付き合いが広がる。在学中に成人になって女性との付き合いも増えるだろう。手遅れになる前に結婚した方がいい」

 パパの許婚であるお嬢さんが大学で旦那さんと知り合ったということだから、同じ轍を踏みたくないということだろう。


「分かりました。でも、ユニバーシティには行ってもいいですか? 一生懸命に勉強して結婚するまでには卒業します」

 アンナは大学で専門的な勉強したかった。きっとその勉強はパパたちの仕事の役に立つと思える。いつになるかは分からないが、少しでも両親の役に立ちたいと思った。

「いいだろう。もし、許婚のことがイヤならイヤと言ってくれ。もう一度考えてみる」

 パパはじっと考えて、頷いた。

「そうよ。私たちが勝手に決めたことだからハッキリ意見を言っていいのよ」

 ママも心配そうにアンナを見た。

「はい。よく考えてみます」

 アンナはそう応えた。


 アンナはパパの気持ちがよく分かった。養父母のおかげでパパはアメリカで大きな牧場を持ち、会社を経営する社長にもなれた。

 そして、アンナやお兄ちゃんはそのおかげでなに不自由なく暮らしている。友だちの中には親が失業して放課後働きながら学校に来ている人もいる。


 亡くなった養父母の代わりにお嬢さんに受けた恩を返したいという気持ちも痛いほどアンナには分かる。

 アンナは樹里と違って、人の立場を考える素直で優しい性格だ。

 意見は言うが、自分のことを一番考えてくれているのは両親だということはよく知っているし、両親の気持ちもよく分かる。今まで両親の意向にはすべて従ってきた。

 だから、今度も従おうとアンナは思った。


 たとえ、それが自分の意思とは関係なく決められた結婚であったとしても両親が自分のことを思って決めたことに間違いはない。

 そう決心したときは、アンナはまだ14歳で結婚ということがよく分かっていなかった。

 だから、許婚に会うために日本に行こうということまでは考えていなかった。




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