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世界で一番近くて遠い恋  作者: 松風いずは
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第二章

   

   鏡の前に立った星は溜め息をついた。制服のリボンが曲がってないことを確かめた星は改めて制服姿をの自分を見る。星の顔が少し曇った。まだ衣替えの季節ではないので、制服と言っても半袖の白のブラウスでの登校となる。そのブラウスから伸びた痩せ細った腕が星には気に食わなかった。出来ることなら、カーディガンを羽織って隠したい所だったが、そんなことをすればまた好奇の目に晒されることは確実だ。

 だから、スカートはほぼ膝見え隠れするくらいの長さにしていた。星にとって膝上にスカートを捲り上げるなんて考えられない所業だった。たまにお尻が見えそうなくらいまでスカートを上げている女子高生を見るが、果たして自分は彼女達と同じ女子高生なのか疑いたくなる。

 最後に髪を櫛で溶かし、支度を済ませた星は親に挨拶をして家を出た。

 今日は自転車で駅まで向かう。道順はこの前歩いた通りだ。途中で源じいとその妻みどりに軽く挨拶をした。二人とも大いに喜んでくれた。

 星の通う聖泉学園は泉谷駅と言う所にあり、電車で20分ほどかかる。そこから歩いて五分程で着く。駅の近くには泉谷公園と言う大きな自然公園があり、公園内には全国的に珍しい蛍の生養地があった。星の学校はその泉谷公園を抜けた先にある。

 学校の校門の目の前まで来たところで星は一旦足を止めた。久々の学校と言うのに加え、他の生徒よりも約二週間遅い始まりである。緊張しないはずがなかった。一度、深呼吸をして足を踏み出した。

 校門をくぐり玄関に向かう途中で追い越しざまに何人かがわざわざ振り向き星の顔を見る人がいた。皆、同じような顔で見てくる。こう言った視線には馴れてるとは言え良い気分ではない事は確かだ。

 下駄箱に着くと、その傾向は強くなり中にはあからさまに星のことについてひそひそと話してる連中も目にした。星はうんざりとした気分になり、中学時代の嫌な思い出を思い出してしまった。

 星が教室に入るとクラスメイトの視線が一斉に星に向けられた。星は少し俯き加減に自分の机に向かった。誰かにおはようと挨拶をしたかったが、その勇気が出なかった。クラスメイトと仲が悪いわけではないが陽香のように特別仲の良いクラスメイトも居なかった。

 元々、消極的であまり他人と会話するのが得意ではないが、それとは別にクラスメイトと仲良くなるのに抵抗してしまう理由があった。それは中学時代に軽いいじめにあっていからだった。

 中学一年生の時に同じクラスメイトだった女の子から特別扱いされてると言う言い掛かりをつけられ、その子を含んだ取り巻き連中から嫌がらせを受け始めた。もちろん、星は特別扱いを受けたくて受けてる訳でもなく、心臓病と言うそうせざるを得ない理由がある。しかし、その女子は難癖をつけては星を目の敵にした。中学二年生になるとクラスが別れ、以前ほど会わなくなったとはいえ、それでも卒業する日まで執拗に嫌がらせを受けた。直接的な暴力は無くても心無い言葉を浴びせられた。それがトラウマとなり、余計に積極的な態度が取れないでいるのだった。

 「松宮さん。おはよう」

 不意に、隣の席の篠田香緒里が声を掛けてきた。髪はショートボブで黒髪眼鏡を掛けている。

 「あ、篠田さん。おはよう」

 「退院おめでとう」

 「あ、ありがとう」

 「病気はもう治ったの?」

 「ううん。完治はしてないけど、退院して大丈夫だってお医者さんが」

 「そっか。良かったね」

 「うん。ありがとう」

 香緒里はそれ以上何も言わずに引き下がった。

 同じクラスメイトなのにどこかぎこちない会話が辛い。

 そう言えば、来週は体育祭があったはずだ。

 もし、私が普通の体ならば今頃体育祭の話題で盛り上がってた事だろう。何の競技に出るのか、応援歌を覚えて皆で一緒に歌ったり、放課後はファミレス等で自分の好きな男子が何の競技に出て、それを応援しなよしないよのやり取り等をしたはずだ。

 中学学校から体育祭には一度も出たことがない。皆の盛り上がる空気に疎外感を感じて当日はいつも休んでいた。だから、今年も休むつもりだ。

 周りを見渡すと早くもクラスTシャツを着てる子もいる。先週星の家にもクラスTシャツが届けられたが、一度も着てみることなくタンスにしまった。

 クラスメイトが悪い人達じゃないことは分かっているのに、仲良く出来ない。クラスメイトも同じように自分とどう関わって良いのか模索してるのではないかと思うと、申し訳無さで胸が一杯になる。実は陽香のように接してくれる人は稀である。皆どこか星に対して遠慮と気遣いをしてしまう。星もそうしてしまう。だから、打ち解けられずに終わってしまうのだった。しかし、今の星はそれでも良いと思っていた。独り善がりだが、今は陽香が居て、そして優也が側に居てくれればそれで良かった。良い考えとは言えないが、今の星にはそれが全てだった。

 教室に人が増え賑わい見せ始めた頃、朝練を終えた陽香が教室に入ってきた。

 「星。おはよう」

 陽香は元気な声と弾けた笑顔で星の元へやって来た。顔は朝日に焼けたのか少し日焼けしている。陽香は陸上部の幅跳びの選手だった。

 「おはよう」

 星も微笑んだ。親友に会えたことでどこかホッとした。

 「朝から跳びまくってもうヘトヘト」

 陽香は倒れ込むように自分の席に座った。都合の良いことに星の左隣の席である。

 「お疲れさま。大会も終わったのに大変だね」

 「顧問がバカみたいに熱血だからね。今日の午後練サボろうかな」

 陽香は愚痴を言う。こんな愚痴を言う割には何だかんだでちゃんと練習に出るのを星は知ってる。

 「ダメだよ。陽香は陸上部の期待の星何だからちゃんと出なきゃ」

 「期待の星なんて止めてよ。たまたま偶然良い成績が出たのを必要以上に持ち上げてるだけなんだから」

 陽香の大会の成績は良い。今年のインターハイも関東大会まで出場するほどの成績を残している。本人はたまたまとかアドレナリンが上手い具合に出てくれただけだと謙遜するが、偶然だけで関東大会に出場出来るはずが無いと星は分かっていた。

 「ダメ。もう寝る。授業になったら起こして」

 そう言って陽香は机に突っ伏してしまった。恐らく、これ以上今のような話しをされたくなかったのだろう。

 「来年は全国に行ってね」

 星がそう言っても、陽香はうーんと唸るだけで特に返事はしなかった。

 

 久々の授業は星にとって易しいものではなかった。何しろ、療養中もプリントなり渡されて自主学習に励んでいたとは言え、実際に受けると自分がどれだけ理解して無いか思い知らされた。とは言え、真面目に授業を受けきちんと勉強してる星はものの数日で簡単に遅れを取り戻した。陽香は授業中も寝てばっかりいた。体育以外は得意な教科は無く、試験前になるといつも星に泣きついて勉強を教えてもらっている。

 陽香はほとんど一夜漬けにも関わらず、どの教科も一定の点数を取れるので、きちんと授業を受けて人並みに勉強すれば学年でもトップクラスの成績を収められるのにと星は思っていた。

 学校も一週間も過ぎると特に気にすることも無くなった。陽香以外のクラスメイトと馴染めないのは変わらずだが、それをとやかく言う者は居ないし、馴染めないと言っても軽い世間話しをするくらいには仲が良い。

 星は優也からの連絡を今か今かと待っていた。優也が忙しいのは知っている。それでも、優也なら必ずこの一週間以内には連絡をくれると信じていた。

 そして、金曜日の夜、星にとって待ちに待った連絡がついに届いた。

 夕食を食べ終えた星は後少しで読み終わる本を読むために自分の部屋に戻った。星は読書家であり暇さえあれば本を読んでいて、タイトルがや粗筋が良ければジャンルを問わず読んでいた。今は恋愛小説を読んでいる。内容は高校生の甘酸っぱい恋愛模様を描いた作品だった。設定自体はありきたりではあったが、意外な展開と憧れの男子にまともに口に聞けないヒロインに感情移入して、気付いたらラスト近くまで読み進めていた。正直、ラストがどうなるか分かっていた。しかし、読み始めた本は最後まで読まないと作者に対する無礼に値すると思っているので、最後まで読みきるようにしていた。

 机の上に置いておいた本を取ろうとしたとき、スマホの右隅に緑色の光を点滅させていた。星は急いでスマホを取り、画面を開いた。すると、優也からLINEが来ていた。

 「今晩は!久しぶりの学校はどうだった?それと体調はだいそう?」

 星は文面を見てニヤけてしまった。優也からの連絡も嬉しいし、こんな風に気に掛けてくれるのが堪らなく嬉しかった。星はすぐさま返信した。

 「今晩は!久々の学校は楽しかったよ!陽香とずっとお喋りして過ごしてたけど(笑)体調はとても良いみたい」

 星はベッドに本とスマホを持っていき、枕に背を預けて本を読み始めたが、優也からの返信がいつ来るのか気になって全く本に集中できなかった。

 優也からの返信は10分ほどしてから来たが、星にとっては30分くらいに感じていた。

 「そう!良かった!陽香からも様子は何となく聞いてたけど、本人の口から聞くとより安心出来るね」

 「ありがとう。でも、勉強の遅れを取り戻さなきゃいけないからそれだけ大変」

 また10分後くらいかなと思っていたが、今度はすぐに返ってきた。

 「星ならすぐに取り戻せるよ。賢いし何より努力家だって知ってる」

 このLINEに思わず赤面した。まさかこんな風に評価してくれてるなんて思いもしなかった。

 「全然そんなことないよ。勉強以外にやることがないだけだから。優也くんこそ勉強も部活も両立して凄いなって思ってる」

 優也くんと打つときに微妙に手が震えた。下の名前で呼ぶのはまだ慣れない。

 「ただ要領が良いだけだよ。さて、前置きはここまでにして、来週の日曜日は遊べるかな?」

 星はドキッとして、慌ててカレンダーを確認する。午前中に定期検診の予定が入っていたが、午後は何も無かった。

 「午前中は定期検診があるけど、午後からなら遊べるよ!」

 「定期検診の後に遊んで大丈夫なの?」

 「検診で問題が無ければ遊べるから大丈夫だよ」

 「そっか。なら良かった。でも、無理はしないで」

 「うん。ありがとう。何時にそっちに行けばいいの?」

 「それがちょっと問題があって、出来れば日が落ちてから行きたいんだ。もちろん、あまり遅くならないようにするつもりだけど、その辺は大丈夫かな?」

 星は少し考えた。星自身は問題なくても、親に正直に話したらとても許してくれるとは思えない。父がまた許可してくれるかもしれないと考えたが、いくら相手が優也とは言え男の子と二人きりで夜遅くまで遊ぶ可能性があると知ったら、さすがの正博も許可はしてくれないだろう。考えた末、陽香に事情を説明して協力を頼むことにした。

 「大丈夫。パパとママもちゃんと話せば分かってくれるはずだから」

 「そうか。なら良いんだけど」

 「本当にどこに行くの?」

 星はもっともな疑問を投げ掛けた。

 「こればっかりは当日までの内緒」

 「その場所は陽香も知ってるの?」

 「知ってるはずだけど、覚えてるかは分からない。自分もつい最近思い出したんだ。星から借りた銀河鉄道の夜を読んで思い出せた場所なんだ」

 星はますます頭を捻った。あの本を読んで思い出す場所?あの本の世界観を表す場所が優也の地元にあるってことなのだろうか。そんなことを考えていると、優也が続けてメッセージを送ってきた。  

 「おっと。ちょっと喋りすぎた(笑)これ以上は何も言えない。当日までのお楽しみにしてて」 

 ここまで言うって事はかなり期待して良いのだろう。星はこれ以上聞かないことにした。優也の言う通りその日を楽しみにしてよう。

 「分かった。楽しみにしてるね」

 「俺も楽しみにしてる。もちろん、星と二人で遊べることもね」

 星はLINEで良かったと思った。真っ赤に染まってる顔を見られずにすんだからだ。

 「うん。私も」

 「じゃぁ、来週の日曜日に。お休み」

 「お休みなさい」

 LINEを終えた星は一つ大きく深呼吸をした。こんな緊張したLINEのやり取りは人生で初めてだった。胸に手を当てる。少し鼓動が早くなっているのが伝わってくる。この心臓の鼓動の跳ね方が星には嬉しかった。ただ、喜びの反面、不安もあった。その不安はもちろん来週の日曜日までにこの心臓が悪くならないかだ。もう一度胸に手を当てた。心臓の鼓動は落ち着いてた。星はもう一度深呼吸をした。今度は気持ちを落ち着かせるために。

 気持ちも落ち着いた所で、リモコンで部屋の電気を消した。明日、陽香に二人で遊ぶ事を話したらどんな反応をするだろうと考えた。喜んでくれるだろうか。

 陽香に優也への想いを打ち明けた日からとずっと二人で遊びに行きなよと発破をかけてくれた。自分から遊びに誘うなんてとても出来なかったが、こうして優也と二人で遊びに行けるのは陽香のお陰だと改めて思った。陽香と出会わなければ優也とも出会うことは無かったし、いつも背中を押してくれる陽香の存在があるからこそ優也と二人で遊びに行くのも簡単に決断できた。

 その後も優也の言う行きたい場所についてあれこれ想像を張り巡らせていたものの、いつしかまどろみ夢の世界へと引きずり込まれていった。


 星は陽香に話したいことがあると言って、昼休みに体育館裏にある小さな裏庭にポツンと置いてある二人かけのベンチで優也とのやり取りを話していた。

 「やったじゃん」

 話しを聞き終えた陽香は開口一番に喜びを表した。

 「ありがとう。何もかも陽香のおかげだよ」

 また少し恥ずかしさが残っているので、声が小さくなってしまった。

 「何言ってるのよ。そこまで仲良くなれたのは星自身の魅力に決まってんじゃん」

 「そんな。私の魅力なんてたかが知れてるし。陽香が上手く繋いでくれたから、優也くんとも少しずつ話せるようになれたものだよ」

 「そうゆう謙虚な所が星の一番の魅力なんだよ。可愛いなのにそれを全く鼻に掛けないし、相手をきちんと立てたられるし、勉強も出来るし、私からしたら魅力に溢れすぎて嫉妬しちゃう」

 「それは言い過ぎよ。私なんて全然だし。そうゆう陽香こそ明るくて人望も厚いし、運動も得意で綺麗だし、勉強もやらないだけでやれば出来るじゃない」

 「全く。人生で私のことをそこまで褒めてくれるのは星だけよ」

 陽香は半ば呆れつつも、嬉しそうな顔をした。

 「だって、本当のことだから」

 「ともかく、優也とどこに遊びに行くのよ」

 「陽香と優也くんの地元」

 「つまり、夜交野で遊ぶってこと?」

 陽香は驚いた顔をした。

 「そうだよ」

 「だって、夜河野なんて何もないよ。田園と小さい山しか無いし」

 「それは私の地元も似たようなものだけど」

 「そうだとしても、もっと都会に行った方が良いのに。一時間も立たずに飽きるわよ」

 「私はあんまり都会好きじゃないし。それに、優也くんが一緒に行きたい所があるんだって」

 「一緒に行きたい場所?どこそれ?」

 「それが優也くん教えてくれなくて。陽香なら知ってるかなって」

 「私が知ってるわけないじゃない」

 「優也くんが陽香も知ってるはずだって。ただ、覚えてないだけで。二人が小さい頃に遊んだ場所で印象に残ってる場所ってある?」

 「そりゃあるけど、ノーヒントじゃ分からないわよ」

 「もしかしたら、銀河鉄道の夜が関係してるかも」

 「銀河鉄道の夜?」

 陽香は眉間にシワを寄せた。

 「優也くんがそれを読んで思い出した場所だって言ってたから」

 「私、銀河鉄道の夜ちゃんと読んだこと無いからな。でも、汽車なんて走ってないし、星は綺麗に見えるけど、それなら星の地元でも良いもんね」

 「そう言えば、二人が住んでる夜河野の名前って銀河鉄道の夜っぽいね」

 「言われてみれば‥‥‥あっ、もしかしたらあそこかも」 

 陽香がハッとした顔をした。

 「思い出したの?」

 「うん。多分だけど、優也の言う連れて行きたい場所は私たちの地元の名前の由来になった場所だと思う」

 「どこなの?」

 「うーん。優也が内緒にしてるのに私がばらすのは気が引けるな。でも、優也の言う通り星は必ず気に入ると思う。星の好きな銀河鉄道の夜を彷彿とさせる場所かもね」

 「そんなに良いところなの?」

 「そうね。ロマンチックな場所だと思う。ただちょっと、辿り着くのが大変かも」

 「そうなんだ。早く知りたい」

 「焦らなくても日曜日になれば分かるから」

 陽香は優しく諭した。

 「そうだね。早く日曜日になってほしいなぁ」

 「その前に検査を無事に終えると良いね」

 「うん」

 星の顔に少し不安が過った。

 「大丈夫よ。日曜日まであと少しだし、特に何も問題は起こらないって」

 陽香は星の不安を取り除くように明るく言った。

 「そうだよね。ありがとう」

 「日曜日は優也と思いっきり楽しんでおいで」

 「あ、その事で陽香に一つお願いがあるんだけど」

 「何?」

 「親に夜出掛けるのを説得するために、陽香と遊ぶって説明してもいい?多分、優也くんと二人きりじゃダメだって言われるだろうし」

 「ああ。そんなことなら、いくらでも説明していいよ」

 「本当にありがとう」

 星は真っ直ぐ陽香の眼を見てお礼を言った。

 陽香はそのあまりにも真っ直ぐな瞳に見つめられ、一瞬言葉を失った。

 「も、もうそんな固くならいでよ。親友でしょ。何てことないわよ」

 陽香はそれだけ言うのが精一杯だった。

 「あー日曜日が楽しみだな」

 星は楽しげな表情で空を見上げた。

 陽香はその横顔を少し切ない表情で見つめている。

 「好きな人との初デートだもんね」

 「陽香には好きな人いないの?」

 「い、居ないわよ。今は恋愛したいって感じじゃないし」

 陸上部での注目に加え、容姿も良い上に気さくで男勝りな性格をしている陽香は実のところかなりモテていた。何度も告白を受けたことも知ってる。しかし、陽香はその全てを断っていた。

 「もし、陽香に好きな人が出来たら、私に出来ることがあったら言ってね」

 「出来たらね」

 陽香の返事は素っ気ない。自分の恋愛にはとことん興味がないみたいだ。

 「それより、そろそろ薬飲まないといけないんじゃない?」

 「あっ。そうだった」

 星はポケットを探った。しかし、薬は無かった。 

 「教室に忘れてきたみたい。戻らないと」

 星はベンチから立ち上がった。しかし、陽香は座ったままだ。

 「陽香は戻らないの?」

 「あ、うん。もう少しゆっくりしてく」

 「分かった。また後でね」

 星は手を振った。陽香も振り返し、そのまま背中を見送った。

 星の姿が見えなくなると陽香は溜め息をついた。いつもの

溌剌とした表情は影を潜め、下を向いた顔には悲しみが漂っていた。

 ある悩みが陽香を苦しめていた。しかし、その事を星にも優也にも決して話せない。今も星から離れる口実が欲しかったから、ここに残っただけだった。答えの出ない悩みに陽香は少し泣きそうになってしまう。

 昼休みが終わるチャイムが鳴った。陽香はすぐには立てなかった。このまま授業をサボろうかと考えた。しかし、星に余計な心配をかけたくないと立ち上がり、重い足取りで教室へと戻った。


 一週間はあっという間に過ぎ去り、優也との待ちに待ったデートがついに明日に迫っていた。星は落ち着かない一日を過ごしていた。気晴らしに本を読んでも明日の事が気になり、全く集中できなかった。

 机の上に置いてある花に目をやる。退院の日に優也から貰った花を何よりも大切に育てていた。貰ったその日から花の世話を欠かした事は一日たりとも無かった。

 優也から貰った花が少しずつ萎れていくのを見るのは辛かった。いつかは枯れてしまうと分かっていても、優也がくれた花だと考えるとずっと咲いていて欲しかった。

 それに、少しずつ萎れていく姿を自分と重ね合わせてしまうこともあった。

 今も病魔は自分の体を蝕もうとしている。いつ悪化するか分からない爆弾を抱えて生きるのは並大抵の事では無かった。ましてや、優也と過ごす時間が増えれば増えるほど、病気が全てを台無しにしてしまったらと言う恐怖に苛まされた。ただ、そんな恐怖もこの花を大切に世話をしていると自分も大丈夫だと落ち着くことが出来た。

 幸いにも体調の異変は感じなかったので、明日の検査は大丈夫だろうと安心していた。

 親に検査の後に遊ぶと話した時は渋い顔をされたが、陽香と一緒にいるのと、高科先生が許可を出してくれたらと言う条件付きで了承してくれた。

 時計を見たらまだ13時だった。お昼ご飯を食べてから一時間も経過してない事に驚いた。

 どうやって暇潰しをしようか考えた時にある人物を思い出した。退院のお祝いで行ったカフェの店主である水原だった。今の今まで全く思い出さなかったが、思い出すとなると不思議と会いたくなった。 

 星はすぐに支度を済ませ、自転車を漕ぎ駅へと向かった。駅前の駐輪場に適当に自転車を置いてから商店街へと向かう。土曜だと言うのに活気は全く見られなかった。人は疎らでシャッターが降りてる店の方が多い。商店街と言うにはおこがましいくらいに通りは寂れている。星は真っ直ぐ歩き目的の店を見つけた。やっていなかったらとは考えなかった。その考えは間違ってなくオープンの看板が通りに出ていた。星は階段を上がり店の入り口まで来た。一瞬躊躇いを見せたが、扉を開けて中に入った。

 店の中は閑散としていた。星は店内をグルッと見回したが、客もいなければ肝心の水原も居なかった。

 「すいませーん」

 星は控えめな声で店主を呼んだ。すると奥から「すぐ行きまーす」と能天気な声が返ってきた。奥にあるドアが開いてお目当ての相手が出てきた。

 「いらっしゃいませって‥‥‥あれ?」

 水原が星を見ると目を丸くした。

 「お久し振りです」

 星は頭を下げて挨拶をした。

 「まさか本当にまた来てくれるなんて思ってなかったよ」

 「え。来ちゃダメでした?」

 「いやいや違うよ。来てくれて嬉しいよ。花のJKにはもう一度来たくなる店だとは思ってなかったから」

 「そんな。凄い美味しかったですし、陽香達ともまた来ようねって話しをしたくらいです」

 「それはありがたいね。それで今日は連れは居ないのかな?」

 「あ、はい。今日は私一人で来ました」

 「そうか。もちろん一人でも大歓迎だよ。さあ、好きな所に座って」

 水原は少し大袈裟に手を奥へと指し示した。

 星はカウンターに座った。

 「カウンターよりテーブルの方が座り心地良いけど」

 「カウンターの方が落ち着きますから」

 一人なのに四人席に座るのは嫌だったし、水原と話すためにはカウンターの方が都合が良かった。星は五席あるカウンターの一番右端に座った。

 「そう言えば、名前をまだ聞いてなかったね」

 「あ、松宮星って言います」

 「星ちゃんね。あ、気軽に下の名前で呼んじゃったけど、大丈夫?」

 「全然。年上の方は皆そう呼びますので」

 「良かった。ありがとう。今日は何を飲む?」

 水原が注文を聞いてきた。

 「じゃぁ、アイスのレモンティーを下さい」

 「かしこまりました」

 水原は丁寧に頭を下げた。その仕草が合ってなくて何となく可笑しかった。星は改めて店内を観察した。相変わらず手入れが行き届いている。カウンターの上には埃一つ落ちてない。水原の後ろにある棚は綺麗に整頓されていた。ただそれが余程の綺麗好きだからなのか、それとも暇がゆえに掃除以外やることが無いのか判断が付かなかった。

 「お待たせ」

 水原は出来上がったレモンティーと一緒にマカロンを出してくれた。

 「とても美味しそうなマカロンですね。まさかこれも手作りなんですか?」

 「そうだよ。暇だからお菓子作りに没頭しちゃってね」

 水原は気軽な口調で話す。

 星はマカロンを一口食べた。まろやかで優しい味がした。

 「とても美味しいです。パティシエでも目指してたんですか?」

 星はお世辞ではなく本気で言った。

 「いやいや、それは褒めすぎだよ」 

 水原は照れたように手を振った。

 「でも、こんなに美味しく作れるなんて」

 「練習する時間とレシピを見れば誰だってこれくらいは作れるさ。星ちゃんだって作れるよ」

 「私は不器用ですし、料理なんてほとんどしたこと無いですから」

 「好きな人の為にお弁当を作った経験とか無いの?」

 予想外の質問に星は動揺した。

 「あ、ありません。それに好きな人も好きになってくれる人もいなかったです」

 「いなかったってことは、今はいるんだね」

 星は今度こそむせてしまった。

 「その反応は当たりかな」 

 水原は星の反応を楽しんでいる。

 「早とちりしないで下さい」

 「じゃぁ、いないのかな?」

 星は黙った。否定も肯定も出来なかった。

 それにしても、人のプライペードをこんなにも暴いてくるとは思わなかった。しかし、嫌な気分はしなかった。

 「まぁ、あまりしつこく聞くのはセクハラになっちゃうし、答えたくないなら全然答えなくて良いから。ただの雑談だからね」

 「‥‥‥気になってる人はいます」

 星は小さな声で答えた。水原に聞こえたかは分からない。

 「へぇ」

 水原は興味を示した顔で頷いた。どうやら、しっかり聞こえていたようだ。

 「その気になる相手はこの前一緒に来た彼だね」

 星はまた何秒か黙ったが、やがて小さく頷いた。

 「あの時少しだけ話したけど、彼はとても良い青年なのはすぐに分かった」

 「どんな話しをしたんですか?」

 あの後、優也にも聞いたが教えてくれなかった。

 「さぁ?二週間も前だから忘れちゃったな」

 「私の話しをしてたんですか?」

 優也の反応を見てそうではないかと薄々感じていた。

 「したかもしれないね。もう一人の友達の話しもしたかもしれない」

 水原は飄々とかわす。星は上手い言い方だなと思った。思いっきり否定されたら問い詰められたけど、これではどうしようもない。

 星は諦めて違う質問をすることにした。

 「水原さんは以前はどこで何をしてたんですか?」

 これは三人が気になった事だった。ただの喫茶店のマスターには思えなかった。

 「都内でサラリーマンしてたよ」

 「どんなお仕事だったんですか?」

 「どんな?うーん、説明しづらいなぁ」

 水原が悩ませていると、店の扉が開く音がした。水原はそちらに顔を向けた。星もつられて後ろを振り向いた。そして、入ってきた客を見て目を丸くした。

 「陽香‥‥‥」

 「星‥‥‥」

 お互いビックリしすぎて言葉が出てこない。

 「あれ?君は確か星ちゃんと一緒に来てくれた子だよね?」

 水原も少し驚いてる様子だ。

 「あ、はい」

 陽香は戸惑いを隠せず、その場で立ち尽くしたままだった。

 「君も来てくれたんだね。さぁ、入って入って。星ちゃんの隣に座りな」

 水原がそう促すと、陽香はゆっくりカウンターに向かい星の隣に座った。

 「それにしても星がいるなんて驚いたな」

 座るやいなや陽香は言った。

 「それはこっちも同じだよ。ても、どうしてここに?」

 「部活中に何故かここのことを思い出したから、部活終わりに寄ったの」

 「そうだったんだ」

 「星は?」

 「私も似たような理由。ふと思い出して、特にやることもないから久しぶりに来てみようかなって」

 二人は少しの間目を合わせた。そして、笑い合った。

 「こんなこともあるんだね。二人とも同じ日に思い出して、来るなんて」

 陽香が感心したように言う。

 「ほんとだね。凄い奇跡をみたよ」

 水原がしみじみ言った。

 「そう言えば、君の名前を聞いてなかったね」

 「あ。竹下陽香って言います」

 「陽香ちゃんね。改めてよろしく」

 「こちらこそお願いしまーす」

 「さて、陽香ちゃんは何を飲む?」

 「星は何を飲んでるの?」

 「私はアイスレモンティー」

 「じゃぁ、私もそれで」

 「かしこまりました」

 「それにしても、星が一人でカフェに来るなんて珍しいね。どうゆう風の吹き回し?」

 「うん。何となく家にいても落ち着かなくて」

 「そっか。そうだよね」

 「はいレモンティーお待たせしました」

 「ありがとうございます」

 陽香はストローでゴクゴク飲んだ。

 「美味しい。やっぱりここのドリンクは最高だわ」

 「ありがとう」

 水原が笑う。

 「そうだ。陽香もこのマカロン食べなよ」

 「えっ。これは?」

 「水原さんお手製のマカロン」

 「マジか。何でも作れるんだね」

 陽香はマカロンを一つつまみ口に入れた。

 「これも激ウマなんだだけど」

 「まだあるから、無くなったら言ってね」

 「ありがとうございます」

 星はお礼を言った。

 「そう言えば、いよいよ明日だね」

 陽香が言った。

 「うん」

 星の表情はあまり冴えない。

 「どうしたの?浮かない顔して」

 「ちょっと心配で」

 星は自分の胸に手を当てた。

 「ああ。そうよね」

 陽香は頷いた。

 「何が心配なんだい?」

 水原が質問をした。

 「えーと」

 星は言い淀んでしまった。正直に話すか迷った。

 「星。明日、デートなんですよ」

 陽香が助け船を出した。

 「ちょっと、陽香」

 「良いじゃん。別にこれは隠すことでもないでしょ」

 星は陽香の意図を察した。デートの事を話す代わりに病気のことは隠すつもりだと。

 「へぇ。デートか。星ちゃんも隅に置けないね」

 水原はニヤリと笑う。

 「初デートだから、緊張してるんですよ」

 「それはそれは。相手は誰だい?」

 星と陽香は目を合わせた。ここまで来たら相手を隠す必要は無いと判断した。

 「この前一緒に来た男の子です」

 星は少し恥ずかしそうに言った。

 水原は大きく頷いた。

 「どこにデートしに行くのかな?」

 「それが優也の地元なんですって。あ、優也って言うのはその男の子の名前です」

 陽香はさも意外な場所のように言った。

 「良いじゃないか。地元の方が土地勘もあるし、慣れた場所だから落ち着いていられるし」

 「そうかもですけど。せっかくの初デートなんだからもっと華やかな所に行きたいじゃないですか」

 「陽香ちゃんはそうかもしれないけど、星ちゃんはどう思ってるの?不満?」

 「私は不満なんて。どこに行くかより誰と行くかの方が大事ですから」

 「そうか」

 水原は優しく微笑んだ。

 「どうせ私は贅沢ですよ」

 陽香は少し拗ねた。

 「陽香ちゃんがダメなんて思ってないよ。女の子はそれくらいの贅沢を考えておいてたって良いって思ってるよ。その方が男子としても頑張りしがいがある」

 水原は陽香をフォローした。

 陽香はその言葉で機嫌を取り戻したようだ。

 「水原さんは独身ですか?」

 陽香が聞いた。

 「ご覧の通り」

 「えー絶対モテるのに」

 「縁に恵まれなくてね」

 水原は肩をすくめた。

 「モテてたことは否定しないんですね」

 陽香は意地悪そうに笑った。

 水原は何も答えずニヤリと笑った。

 星は二人のやり取りを聞きながら、何となく水原の後ろの棚に目を配らせた。すると左下に写真立てがあった。少し色落ちしていて見にくかったが、若い女性が写っているのが分かった。その女性の姿をよく見てドキッとした。その女性が着ているのは紛れもなく入院着だったからだ。

 「水原さん」

 「なんだい?」

 「その写真の女性は誰ですか?」

 星は写真立てを指差した。

 水原は後ろを向いて、しまったと言う顔をした。

 「あ、ああ。これね。何でもないよ」

 水原は写真立てを伏せた。

 「妹さんですか?」

 星が質問する前に陽香が食い付いた。

 「うん。まぁそんなところかな」

 水原の口調は明らかに暗くなっていた。そして先程までの溌剌な表情は影を潜めていた。

 暗い雰囲気を察した星と陽香はそれ以上聞くことは出来なかった。

 「そうだ。僕はやることがあったんだ。一旦失礼するよ。何かあったら呼んで」

 そう言い残して水原は事務所へと消えた。星が再び棚を見たときはさっきの写真は無くなっていた。水原が裏に持っていたのだろう。 

 「あの写真は誰だったんだろうね」

 陽香が呟くように言った。

 「さぁ?ただ、病室で撮った写真だと思う」

 「病室で?」

 「うん。着ていた服が入院着みたいだったから」

 「もしかして、亡くなった恋人とか?」

 「うん‥‥‥」

 星もその可能性は思い付いた。しかし、水原本人は触れてはほしくないのだろうと思った。本人とってはとても辛い思い出のはずだからだ。

 「陽香。さっきの写真は見なかったことにしようよ。多分、水原さんもさっきの写真は見られたくなかったと思うし」

 星の言葉に陽香は強く頷いた。陽香も同じことを思っていた。

 「気にしても仕方ないし、気を取り直して星と優也のデートの話しをしよっか」

 陽香は明るい声で言った。

 「ええー。恥ずかしいよ」

 星は顔を赤らめながらも満更でもない顔をした。

 

 気付けば時間は17時を過ぎていた。

 「もうこんな時間になるんだね」

 陽香がスマホを見ながら言った。

 「そろそろ帰らないとね」

 二人は帰る準備を始めた。準備が整い奥にいる水原を呼んだ。

 「お帰り?」

 奥から水原が出てきた。

 「はい」

 そう言って水原はレジの前に立った。

 「いくらですか?」

 「二人で640円」

 二人は小銭を出した。陽香の方が多く出していたので返ってきたお釣りは陽香が受け取った。

 「じゃあね二人とも。またおいで」

 水原はいつもの笑顔で見送った。

 「ありがとうございます。ご馳走様でした」

 二人は頭を下げた。

 「星ちゃん。その時を目一杯楽しんでおいで」

 星は少し驚いた。高科先生と似たような事を言ったからだ。

 その瞬間、水原が自分を見つめる眼が高科先生のそれと重なった。

 「どうかした?」

 水原が首を傾げた。

 「あ、いえ。ありがとうございます」

 星は笑顔で頷いた。

 星は陽香を駅まで見送ることにした。

 「今日はびっくりしたね」

 自転車を押しながらと星が言った。

 「ほんと。まさか星もいるなんて思わなかった。こんなこともあるんだね」

 陽香は笑って答える。

 「ねぇ、陽香」

 「うん?」

 「明日は大丈夫かな」

 星は素直な気持ちを吐露した。楽しみである一方で不安がまとわりついて消えない。

 陽香は何も答えなかった。

 「星。ちょっと止まって」

 「どうしたの?」

 星は押していた自転車を止めた。陽香は星の目の前に立った。

 「自転車貸して」

 「えっ?」

 星が何かを言う前に陽香は星からハンドルを奪うように取った。そして、自転車に股がり「乗って」と言った。

 「陽香どうしたの?」

 「良いから乗って」

 陽香の声にはいつもの調子は無かった。星は黙って後ろに乗った。星が乗った事を確認すると、陽香は急発進させた。星は危うく落ちそうになったが、かろうじで陽香に捕まった。

 陽香はただ黙って漕ぎ続けた。星にはどこへ向かっているのか見当もつかなかった。

 「星。今度は目を瞑って」

 「今度は何?」

 「良いから。言う通りにして」

 星は訳が分からなかったが、言われた通りに目を瞑った。

 五分ほど走らせただろうか、陽香は自転車を止めた。

 「良かった。間に合った。目を開けて良いよ。そして、後ろを見て」

 陽香が言った。

 星はそっと目を開けて後ろを振り向いた。

 「綺麗・・・・・・」

 目に飛び込んで来たのは、山の向こうへと身を沈めかけている夕陽だった。

 その残り陽が世界を優しく照らしていた。

 星は自然と立ち上がっていた。

 「ここはさ川の上だけど、丁度良い具合に遮る物が無いから、こんな風に夕陽が見えるの」

 陽香が言った。

 「私、全然知らなかった」

 「私も知ったのは最近よ。優也に教えてもらったの」

 「優也君に?」

 星は驚いて後ろで自転車に腰掛けている陽香を見た。

 「そう。優也はカメラが趣味だから、色んな所を見て歩いてるみたい。そしたら、偶然ここを見つけたんだって」

 「そうなんだ。優也君が見つけたんだ」

 星は改めて夕陽を眺めた。本当に美しい黄昏だった。優也が見つけた夕陽。星は優也の側にいるかのような温かい気持ちに包まれた。

 「明日も良い天気になりそうね」

 星はいつの間にか横に立っていた。星が陽香を見ると、陽香は笑顔で星のことを見つめていた。星は陽香の言いたいことが分かった。

 「ありがとう陽香」

 陽香と友達になれて本当に良かったと心から思った。少し涙が溢れそうになった。

 それから二人は沈みゆく夕陽を黙って見つめ続けた。


 タン。小気味良い音を立てて矢は的に突き刺さった。しかし、狙ったはずの中央からは10㎝も右にずれていた。優也は首を捻った。今日はいつもより狙いが定まらなかった。その原因は分かっていた。しかし、それを認めるのが嫌だった。

 「どうした?いつもより力が入ってるように見えるけど」

 隣で同じ練習をしていた森下和人が言ってきた。

 森下和人は入学して一番最初に友人になった男だった。成績は平均順位だが、明るく穏やかな性格で一緒にいて過ごしやすい男だった。他の生徒にありがちな人を見下したような態度は一切見られない所も優也は気に入っていた。

 「そうかな。いつも通りだけど」

 優也は誤魔化した。

 「ふーん。そうか」

 和人はニヤニヤしながら優也を見ている。

 「何だよ」

 「俺には他の事で頭が一杯で集中できてないように見えるけど」

 「そんなことないよ」

 優也はぶっきらぼうに言った。

 「今日なんだろ?例のあの子とのデートは」

 「森下には関係ないだろ」

 優也はドリンクを飲むためにベンチの傍らに弓を置いて、和人と並んで座った。

 「デートは何時からなんだ?」

 「あまり大きな声で言うなよ」

 「大丈夫だって。俺とお前以外居ないんだから」

 今日は日曜日で部活は休みだった。しかし、優也はじっとしていられなかったので朝練をやりにわざわざ学校にまでやって来た。すると、後から和人がやって来たのだった。

 「この場所で話すことじゃないだろ」

 「別に何時から遊ぶくらい聞いたって良いじゃないか」

 「18時」

 優也は渋々と言った感じで答えた。

 「18時?随分と遅いんだな」

 森下は意外な顔をした。

 「長い時間を連れ回すことは出来ないからね」

 「まぁ、それはそうだろうけど」

 一見軽そうに見えるが、義理堅く口も固いので和人にだけは星の病気のことを話していた。

 「それに夜の方が都合が良いんだ」

 「お前まさか‥‥‥」

 和人が引いた目で優也を見た。

 「バカ。何を考えてんだ。そうゆうつもりで言ってないよ」

 「ああ。びっくりした。令羽高校始まって以来の秀才がとんでもない事をしでかすんじゃないかと一瞬心配したぜ」

 「全く」

 優也は呆れた。

 「でも、どこへ出掛けるんだ?」

 「悪いがそれは秘密だ」

 優也は立ち上がり弓を持った。

 「さぞかしロマンチックな場所なんだろうな」

 和人が茶化した。

 優也は和人を無視して、矢を放つ準備に入た。呼吸を整えて矢を引いた。

 「勢いで告白しちまえばいいのに」

 森下の言葉に優也は激しく動揺し、放たれた矢は大きく的を外した。優也は振り返って森下のことを睨んだ。

 「おうおう。そう怖い顔をしなさんな」

 和人はまるで時代劇のような口調で面白がるように言った。

 「バカにしてるのか?」

 「まさか」

 和人は手を広げておどけて見せた。

 優也は弓を置いて、的に刺さった矢を抜きにいった。もうこれ以上話すのがめんどくさくなった。矢を抜き終えてベンチに戻ると「もう帰るのか?」と和人が聞いてきた。

 「誰かさんのせいで練習にならないからね」

 「なるほど。それだけ惚れてるってことか」

 優也は呆れて何も言わずに道具を片付け始めた。

 「じゃぁ、お先に」

 優也は和人の顔も見ずにさっさと歩き出した。

 「優也」

 和人が後ろから呼び止めた。

 「何だ?」

 優也は振り返らず返事をした。

 「明日の報告楽しみにしてるぜ。それと、遅すぎて後悔することだけはするなよ。時間はそれほどある訳じゃないんだろ?」

 「‥‥‥ああ。分かってる」

 優也は和人の言わんとすることを察した。

 「じゃあな」

 「じゃあな」

 優也はその場を後にした。

 

 「うん。経過は良好のようだね。特に問題があるところはないよ」

 誠一郎がそう言った瞬間に星は大きく息を吐いた。

 「先生。ありがとうございます」

 一緒に結果を聞いていた里美が頭を下げた。大学教授である正博は学会の出席のため今日は一緒には来ていなかった。

 「いやぁ。今回は何もしてませんよ。星ちゃん良かったね」

 誠一郎は星に笑顔を向けた。

 「はい。ありがとうございます」

 里美には問題が無かったことを言われたと思っただろうが、星には全く別の意味に聞こえた。

 今日は遂に優也とのデート当日だった。もし、検査で何かしらの異常が見られれば当然延期となったはずた。星は早く優也に結果を教えたかった。

 「では、いつものように薬は出しておきますから。もし、異常があればすぐに言うように。例え、どんなに大事な用があっても無理はしちゃダメだからね」

 誠一郎は星に言い聞かすように言った。まるで、デートを無理してでも行くであろうことを見越してるかのように。

 「はーい」

 星は少し気のない返事をした。散々、言われてるのでもはや耳にタコだった。

 「それじゃ、お疲れ様。もう帰って良いですよ」

 「先生。ありがとうございました」

 星は頭を下げてから診察室を出た。

 診察室を出た二人は待合室のベンチに座り、会計が呼ばれるのを待っていた。日曜日と言うこともあり待合室は混雑していた。呼ばれるまでゆうに30分は要するに違いないと星は思った。

 「お母さん。私、少し散歩してくるね」

 「良いけど。お医者さんのお仕事の邪魔をしないようにね」

 「分かってる。もし、会計が終わっても戻ってこなかったら連絡して」

 星はそう言い残して待合室から離れた。

 待合室から離れた星は早速スマホを取りだした。散歩は口実で母の近くで優也に連絡を取りたくなかった。

 優也に連絡を送ろうとしたら、その優也から既に連絡が来ていた。

 「検査はどうだった?」

 「無事に終わったよ!」

 胸踊る思いで返信する。

 「良かった!なら、今日は大丈夫?」

 「うん!親も説得したから遊べるよ。18時で良いの?」

 「18時で!でも、本当に良かった。遊べる遊べないの前に単純に心配してたから」

 「ありがとう。私もドキドキしてた」

 「星が一番心配になるよね。ただ、無理だけはしないで。自分の体調を最優先にしていいから」

 「優也くん。先生みたいなこと言うね」

 「誰だってそう言うよ。じゃぁ、また後でね!」

 「うん!」

 優也とのやり取り終えた星は適当に病院内をふらついた。見て面白いものがあるわけではなく、辛そうな顔で診察を待っている患者の群れに少し気が滅入るだけだった。結局、10分ほどで里美のいる場所へ戻った。

 会計を終えて病院を出て家に戻ると、時計は14時を示していた。四時間後には優也と会っていると思うと、期待よりも緊張感勝って落ち着かなかった。

 少し遅めのお昼ごはんも喉が通らず、ほとんど残してしまった。誰かが時計に細工をしてるのかと錯覚するほどに時間はあっという間に過ぎ去った。

 前日に散々悩んで決めた服に着替えて髪を少し整えた。相変わらず鏡を見ると気が萎えそうになったが、陽香から貰った口紅を塗って、いつもは血の気無い唇に可愛い赤い色になってるのを見たら少し元気が出た。

 「お母さん。行ってくるね」

 玄関で靴を履きながら里美に言った。エプロン姿の里美が玄関まで見送りにきた。

 「気を付けていきなさいよ。陽香ちゃんに迷惑を掛けないようにね。それと、あまり遅くなりすぎちゃダメよ。まだ子供なんだから」

 里美には陽香と遊ぶと言ってある。当然、こんな時間からと聞かれたが、星空を見るためと答えて何とか説得した。

 「分かってるって。そんなに遅くならいようにするから安心して。じゃ、行ってきます」

 里美の小言を軽く受け流し、靴を履いて玄関を出た。

 「あしゅまる。行ってくるよー」

 例によって尻尾をはち切れんばかりに振っているあしゅまると少しじゃれてから、門を開いて駅に向かって歩き出した。  

 外はまだ暖かく、まだ少し夕陽が空に残っていた。優也のいる待ち合わせ場所に着く頃には陽は完全に落ちているだろう。どこかから子供の笑い声が聞こえた。恐らく、公園かどこかで遊んでいるのだろう。一歩一歩進む事に自分の心臓の音が大きくなっているような感じがした。

 駅に着いても心臓の高鳴りが止む気配はなく。優也と会ったらどうなるのかと意味もなく不安になった。

 電車からの車窓風景を眺めていると、あっという間に月橋駅に着いた。多くの人が想像する田舎の駅を体現したような寂れっぷりだった。出口も一つしかないので、都会のように迷うことも無い。以前、新宿に行ったときは、ここから出れるのかと不安になったくらい広くて迷ったし、その中を迷うことなくスイスイ歩いてる人達を見て尊敬の念すら覚えた。

 外に出ると、目的の人物はすぐに見つかった。

 「優也くん」

 先程までの高鳴りは不思議と収まっていた。

 「星」

 星が優也の側まで来ると、優也はニッコリ笑った。

 星はその笑顔を直視することが出来ずに、少し目線を下に向けてしまった。

 「何か新鮮だな」

 「何が?」

 「星の私服姿が。ほらその、いつもは高校の制服とかだから」

 優也は少し言葉を濁した。

 「ああ。うん。そうだよね」

 星は優也の言わんとする事が分かった。

 「その服よく似合ってるよ」

 「そ、そうかな?時間がなかったから、あまりちゃんと選べなかったんだけど」

 星は照れて着ている服を無意識に掴んだりしていた。もちろん、適当ではなく選ぶのに約二時間ほどかかっていた。

 「体の方は大丈夫?」

 「うん。大丈夫。無理してないから安心して」

 「良かった」

 「これからどこ行くの?」

 ずっと思っていた疑問だった。優也の事を信頼しているが、やはり気になっていた。

 「まだ秘密。ここからそう遠くないよ。行こう」

 優也は歩き出した。星もそれに続いた。

 星は周囲の景色がどんどん自然に囲まれていくのに気付いた。街灯は心ばかりしか照らしてくれず、人一人っ子すれ違うこともなかった。二人の無言を破るのは虫の鳴き声だけだった。

 「そう言えば、例の事は考えてくれた?」

 不意に、優也が切り出した。

 「例の事?」

 星は何のことか一瞬分からなかった。

 「ほら、前に病室で話した時に何をしたいかって聞いたでしょ。覚えてる?」

 「あ、うん。覚えてるよ」

 「何か浮かんだ?」

 「‥‥‥うん」

 あのあと、少し考えてみたらあっさりとやってみたいことが思い付いていた。 

 「それは楽しみだな。後でゆっくり聞かせてもらうよ」

 「それは良いけど、ほんとにどこに向かってるの?」

 星はいよいよ不安になってきた。街灯も無くなり、周囲は月明かりでやっと照らしてくれる程度だった。

 「もう入り口につくよ」

 「入り口?」

 「ここだ」

 優也が足を止めたのは、大きな雑木林の入り口だった。目の前には、一本道が暗闇へと続いている。

 「ここに入って行くの?」

 隠しきれない不安が声に乗った。

 「そうだよ。この林の奥に行きたい場所があるんだ。不安は承知だけど、どうしても一緒に来てほしいんだ」

 星は返答に困った。いくら優也の事を信頼しているとはいえ、こんな人気の無い林の奥にむざむざと入るのは躊躇われた。

 「星」

 優也に声を掛けられ我に返った。優也を真っ直ぐ見つめた。

 「僕を信じてほしい」

 優也の真剣な瞳を真っ直ぐに見つめ返した。そして、覚悟を決めた。

 「分かった。優也くんを信じる」

 「ありがとう。じゃぁ、僕の後ろを離れないように付いてきて。いや、袖を掴んで」

 星は言われた通りに優也の後ろにぴったりとくっつき、袖を掴んだ。

 「入るよ」

 「うん」

 星の声が微かに震えた。優也の袖をギュッと強く掴んだ。

 優也がスマホの灯りを付けて、それを頼りにゆっくり歩き始めた。星も袖を掴んだまま従っていく。森林の中ということもあり、空気が冷たく感じた。草木が物音を立てる度に袖を強く握った。歩いている地面が緩やかな上り坂になっていることに気付いた。

 「この奥に更に入っていくよ」

 優也が指を指したのはもはや獣道だった。

 星はもう何も言わなかった。ここまで来た時点で引き返そうなんて思わなかった。

 「大丈夫。昨日、道を作って歩きやすくしておいたから」

 優也は優しく微笑み目で合図した。星は再び優也の袖を掴んだ。

 踏みしめる度に落ち葉や枯れ枝の折れる音が暗闇に響く。どこまでもこの暗闇が続くのではないかと思っていた矢先に急に視界が開けた。

 「嘘‥‥‥」

 目の前に現れた景色に星は信じられない面持ちで目の前に広がっている景色を見た。辺り一面に草原がなっていて、見上げると果てしない満天の星空が広がっていた。星は左右をゆっくり見た。草原はミステリーサークルのようにポッカリ穴が開いたのか如く綺麗な半円状になっていた。星は妙な既視感に捕らわれた。何故かここに来たことがあるような気がした。

 「こっちへ来てごらん」

 優也が手招きしていた。優也の元へ行くと、星は更に驚いた。眼前には優也の住む町の光景が見えた。星はこんな綺麗な夜景を見たのは初めてだった。感動で言葉を失っていた。

 「ここは白銀の丘って言うんだ。町を見下ろせる唯一の丘のんだ」

 「凄い綺麗‥‥‥」

 「不安にさせるとは分かってたけど、どうしてもここに連れて来てあげたかったんだ」

 星は再び空を見上げた。信じられない数の星が瞬いてる。

 「ここを思い出したのは星に借りた本のお陰なんだ」

 「私が貸した本?」

 「銀河鉄道の夜だよ。ここはジョバンニが寝てた丘のイメージにピッタリだと思ったんだ」

 星は先程の既視感の正体はこれかと思った。恐らく、無意識の内に銀河鉄道の夜の丘をイメージしていたのだろう。そう結論付けたものの違和感が完全には拭えなかった。もっと最近見たような気がしてならなかった。

 「気に入ってくれたかな?」

 優也が恐る恐ると言った口調で聞いた。

 「うん。信じられない気分。こんな素敵な場所があるなんて。ありがとう優也くん」

 星は心を込めて言った。

 「いや、そんな。都会で遊んだ方が良かったのかななんて思ってたりもしたけど」

 「ううん。体調とか関係なく都会はあんまり好きじゃないし、こうして静かな場所で過ごす方が性に合ってる」

 「立ちっぱなしなのもなんだから座ろうか」

 そう言うと優也はリュックからレジャーシートを取り出して地面に敷いた。その大きさは二人が足を伸ばしても余るくらいの大きさだった。

 「用意が良いね」

 星はクスッと笑った。靴を脱いでレジャーシートに体育座りした。星は空を見上げた。星はあの星空の中から銀河鉄道の汽車が現れたりしないだろうかと一瞬思った。その汽車に乗って優也くんと一緒にどこまでも行けたら良いのに。

 同じように空を見上げている優也の横顔を盗み見た。優也の顔には満ち足りた表情が浮かんでいる。そんな顔を見てたら今すぐ好きと言いたくなる衝動に駆られた。決して明かせない想いを今この場所で明かしたい。でも、と躊躇いが生まれる。いつ死ぬかも分からない女に告白されても迷惑なだけだと、いつものように言い訳をしてしまう。

 でも、本当は分かっていた。病気を理由に告白をしないのではなく、ただ単に振られるのが怖いだけだと言うことも。勇気が無いことを病気のせいにする卑怯な自分に嫌気が差してしまった。

 「優也くん‥‥‥」

 思わず口に出していた。

 「ん?」

 空を見上げていた優也が星の方に顔を向けた。

 「えっと、その優也くんはどうやってこの場所を知ったの?」

 「ああ。小さい頃に陽香と遊んでたら、偶然見つけたんだ。見つけた当初は凄い興奮したな。毎日のように来てたよ」

 優也は懐かしむような表情で語る。

 「どうりで陽香も知ってる訳か」

 「そう言えば、陽香に尋ねたんだって?」

 「あ、それは、ちょっと気になったって言うか」

 星はばつ悪そうな顔をした。

 「別に責めてないよ。気になって当然だよね。黙っててくれた陽香には感謝したけど」

 「最近は来てなかったの?」

 「うん。来てない所か思い出しもしなかった。何でこんな素敵な場所を今まで忘れてたのか自分を殴りたくなるよ」

 優也は笑いながら言った。

 星はスマホを見た。時間はまだ19:00だったことに驚いた。もっと夜更けかと錯覚するくらいにこの場所は静寂を保っていた。少し冷たい風が吹いた。残暑の秋とは言え、日が落ちれば寒さが勝る。ましてや、周囲は森なので余計に寒さを感じる。星は肩を抱えた。

 「寒い?」

 星の態度に目ざとく気付いた優也は着ていたカーディガンを脱いだ。

 「これ羽織って良いよ」

 「いいよ。優也くんが寒くなっちゃうじゃない。私は平気だから」

 「強がらなくていいよ。風邪なんて引かれた申し訳ないから」

 優也はカーディガンを星の肩に掛けた。カーディガンはほんのり温かった。

 「ありがとう」

 星は照れて優也の顔向けできなかった。

 それから、二人はしばらくとりとめない話しをして過ごした。

 「そうだ。例の話しを聞いても良いかな」

 「さっきの話し?」

 「ほら、何をやりたいかって話し」

 「ああ。うん。いいよ。でも、聞いても本当に笑わない?」

 「笑わないよ。人の夢を笑うなんて最低じゃないか」

 星は一呼吸置いて話し始めた。

 「天文学者になりたい」

 あのあと病室で優也からの宿題を考えた。何故、この答えに辿り着いたのか自分でもあまり分かってない。もしかしたら、自分の名前から連想したのかもしれない。それでも、天文学者と考えた時は不思議なくらい心が受け入れた。否定的な考えも浮かんだが、なってみたいと言う気持ちの方が勝った。

 「天文学者が無理でも、星に関わる仕事をしたい」

 「天文学者か。星にピッタリな夢だね」

 優也はさもありなんと言う顔で答えた。

 「驚かないの?」

 「驚かないよ。何となくそんな答えが返ってくるんじゃないかって思ってたから」

 「何か恥ずかしいな」

 「天文学者になって何をしたいんだい?」

 それは星にはまだ答えられなかった。天文学者はあくまで理想の職業だった。なれたら良いなくらいにしか考えてなかった。

 「そこまでは考えてないよ。だって、こんな体じゃなれないから」

 「なれるよ。どんな体でも。少なくとも僕はなれると信じてる」

 「優也くんは健康体だからそう言えるんだよ」

 「それはそうだね。健康体である限り星の気持ちを理解できるわけがない。それは分かってる。それでも僕は君のその夢を応援したい」

 星は何も言い返す事が出来なかった。真っ直ぐで純粋な優也の言葉を信じれば出来そうな気もしてきた。それでも、自分の心臓への不安が消えることはない。天文学者になるための努力が嫌な訳ではないその努力が一瞬で無になるのが怖かった。

 「星」

 星はハッとなって優也を見た。そこにはいつもとは違う真剣な優也の顔があった。何か強い決意を秘めたそんな顔だった。

 「ど、どうしたの?」

 「君にこんなことを言うのは迷惑かもしれない。けど、伝えたい。僕は君の事が好きだ」

 「えっ?」

 星の頭は一瞬真っ白になった。

 「一目見た時からずっと好きだった。星の天文学者になりたいって夢を側で応援したい」

 「そんな。だって、まさか‥‥‥」

 言葉にならない言葉しか出てこなかった。告白されるなんて微塵も思ってもなく動揺が隠しきれなかった。こんなに早く打つのかと言うくらい心臓の動悸が乱れていた。

 「僕は本気だ」

 優也の目は星の目を捉えて離さない。星は逸らしたかったが、金縛りにあったのか如く逸らせなかった。

 「優也くんは優しいからこんな私に同情的になってるだけだよ。もっと素敵な女の子は沢山いるよ」

 「同情なんかじゃない!」

 優也が声を張り上げた。いつもの穏やかな声からは想像できない鋭さだった。優也は星の肩を掴んだ。

 「決して同情なんかじゃない。病気であろうがなかろうが関係ない。僕は松宮星に惚れたんだ」

 星の瞳を真っ直ぐに見据えて言った。一切の虚偽を感じれない純粋で真っ直ぐな瞳だった。

 そのストレートな言葉が星の心の中の何かを砕いた。星は気が付けば涙を流していた。

 「本当に本当に私なの?」

 「そうだよ」

 「いつ死ぬか分からない身だよ?」

 「君は死なない。生き続ける」

 星は優也の胸に飛び込んだ。優也はしっかりと抱き止めた。

 星は泣いた。子供のように。優也はただ優しく抱き締めた。病が蝕むのは体だけではない。同時に心も蝕む。いつしか諦めていた生きる希望を取り戻した瞬間だった。

 「ごめんね。優也くん」

 「何も謝ることはないよ。ずっと泣いて無かったんだね」

 いつから泣いて無かったのか。父の正博が泣いてる姿を見た時は部屋で泣いたのは覚えている。正博の初めて泣いた姿を見て、自分はその内死ぬんだと幼いながら悟った。

 「実を言うとね、私も優也くんの事がずっと好きだった」

 「星‥‥‥」

 「でも、怖くて言えなかった。言えば優也くんが離れてしまうんじゃないかって。それに何より、死に行く身なのに誰かと一緒になるなんて無理だって諦めてた」

 「でも、今は違う。私生きたい。天文学者にもなる。そして、この世界のどこかにある自分だけの星を見つけたい。優也くんが私を見つけてくれたように」

 優也は星を再び抱き締めた。先程の優しく抱き締めたのと違って、強く抱き締めた。星を絶対に手放さないように強く強く。

 「優也くん少し苦しいよ」

 「ご、ごめん」

 優也は慌てて離れた。二人の視線が重なった。そして、自然な流れで二人の唇が重なった。

 丁度その時、二人の遥か頭上を一筋の流れ星が夜空を駆け抜けた。まるで、二人の願いを乗せたかのように。



 「心臓移植を受ける?」

 高科は驚いてカルテを書き込んでいた手を止めた。

 「はい」

 星は力強く頷いた。

 高科は嬉しさ半分戸惑い半分と言った表情で星を見つめた。

 「もう遅いですか?」

 星が不安ぎみに聞いてくる。

 「いや、そんなことはないが、それにしても急にどうしたんだい?」

 素直に疑問をぶつけてみた。

 「生きたいからです」

 「君は生きてるよ」

 「そうじゃありません。もっと強く生きたいんです」

 「もっと強く?」

 「はい。きちんと治して夢を追いかけたいんです」

 「夢。どんな夢?」

 高科は改めて星と向き合った。

 「天文学者になりたい」

 「ほぉ」

 高科はまた驚いた。想像もしてない答えだった。

 「その為に、この病気を治したい。だから、もし受けられるなら心臓移植を受けます」

 優也と夢のような時間を過ごした星はある決意を固めていた。それが心臓移植を受けることだった。元々、この心臓が抱える病を唯一治す方法が移植することだけと言うのも高科から説明を受けていた。周囲の人のほとんどが受けるように促してくれたが、星は頑なに拒んでいた。怖いと言うのあったが、自分の心臓を治したいを願うことは誰かの死を願うことと同義であり、そんな願いをしてしまうかもしれない自分が許せなかった。

 実は今まで二回ほど心臓移植を受けるチャンスがあった。提供者は一人は20代の男性でもう一人は自分と同じくらいの女の子だった。

 仮にどちらかの心臓移植を受けたとしても、その重さに耐えられるかも分からなかった。誰かの心臓をもらい受けると言うことはその人の分までの人生を背負うこととなる。私のものでもあり、ここには居ない誰かのものでもある。そこには目には見えない重たい鎖で縛られるようなものだと思っていた。そんな一生外すことの出来ない重たい鎖を身に付けてまで生きる価値が自分にはあるのかと疑問に感じていた。だからこそ断った。ただ、断った後の罪悪感も酷かった。せっかくの犠牲を無下にしてる自分自身がほとほと嫌になった。その提供者の方の心臓が今は誰かの心臓になったと聞いたときは救われたような気分になった。

 しかし今は違う。はっきりと治したいと願っていた。誰かの死を願ってる訳ではない。人様の死を犠牲にしてまでも生きたいと思っていた。

 「少し現実的な話しをするよ」

 高科は静かに言った。

 高科は周囲の人で心臓移植を進めて来なかった人間だった。医者の立場として完治する方法を提示してくれたが、どう決断するかは星に全てを一任していた。だから、星は高科のことを信頼していた。もし、必要以上に受けろ受けろと言われてたら、今ここの病院には居なかったはずだ。

 「はい」

 「心臓移植をしたとしても100%治る訳じゃない。確かに、病は消えるかもしれないが、他人の心臓を受け入れるにはそれ相応の覚悟がいるのは分かってるね?」

 「はい」

 「大きな拒絶反応を起こしてしまう可能性もある。その場合には再び移植が必要だし、場合によってはその拒絶反応と延々と闘い続けなければならない。それでも受けるんだね?」

 星は高科の言葉の意味を考えた。医者なので直接的な言い方は避けてはいるが、最悪の場合は死んでしまうこともあることを暗に伝えているのだらう。それでも、星の意志は揺らがなかった。

 「受けます」

 星は高科を真っ直ぐ見据えた。

 「分かった。君の想いは確かに受け止めたよ。必ず治そう。夢を叶えるために」

 高科はそう言うと右手を差し伸べた。顔には優しい笑みを浮かべていた。

 「ありがとうございます。お願いします」

 星も右手を伸ばしてしっかり握手をした。何故か涙が溢れそうになった。

 「この事は、ご両親には伝えてるのかい?」

 「はい。許可ももらいました」

 昨日の段階で親には話していた。二人とも、不安げな顔をしたが、反対することなく静かに肯定してくれた。親から授かった心臓を取り除くのは心が痛いが、今は治したい気持ちで一杯だった。

 「うん。なら、問題はないな。何か心配なことはあるかい?」

 「ドナーはすぐに見つかるでしょうか」

 「どうかな。こればっかりは運としか言いようがない。かといって、早く見つかる事を祈るのも憚られる。人の命が掛かっているからね。星ちゃんを治したい気持ちは誰にも負けないけど、ドナーが見つからないと言うことはそれだけ世界が平和と言う証でもある。僕としても複雑な気持ちだ」  

 それはそうだろうと星は思った。真っ当な医者であるならば、人の命を救うのが本望なはずだ。しかし、医者とて全知全能ではない。時には命を犠牲に命を助けなければなら無い時がある。

 「おっと、主治医なのに変なことを言ってごめんね。必ず治そう」

 「はい。お願いします」

 星はもう一度深く頭を下げた。

 診察を終え病院を後にする。外へ出ると肌寒い風が星を襲った。星は思わず着ていたパーカーのジッパーを上げた。気付けば10月を迎えその景色には秋の深まりを端々に覗かせていた。秋雨前線の影響で連日空は灰色の雲に覆われている。少し霧がかった山並みからは所々紅葉が見え始めていた。更に秋が深まれば鮮やかな赤とオレンジに染まると想像すると、何となく気分が晴れやかになった。

 星はこれからどうしようかと迷った。まだお昼を少し過ぎたばかりで真っ直ぐ家に帰るには早すぎると思った。優也に会おうかと思ったが、今日は部活の練習試合で少し遠くに出掛けてることを思い出した。迷った末に、シュピエレンでのんびりすることにした。

 何度か通う内に水原には自分の病気の事を打ち明けた。水原は驚くどころか最初に会った時から気付いてたと言うので、むしろこっちが驚いた。水原は観察力が鋭く優也と付き合い始めたことにも気付いてたらしい。

 「こんにちは」

 「やぁ。星ちゃん。いらっしゃい」

 いつも通り満面の笑顔で迎えてくれる。そして、店内はいつものようにガラガラだった。星はいつものカウンターの端に座った。

 「今日はお一人様?」

 水原の口調はすっかり砕けている。

 「はい。今、病院に行ってきました」

 「定期検診かい?」

 「それと先生に話しがあって」

 「どんな話し?」

 「心臓移植を受けるって話しです」

 水原の顔が一瞬強張ったのを星は見逃さなかった。

 「そうか。それは大事な話しだね。今日は何を飲む?」

 「ホットのロイヤルミルクティーください」

 「はーい」

 水原は作業に取り掛かった。星は黙って待った。

 「はい。どうぞ」

 湯気がユラユラとカップが立ち上っている。それだけでも美味しさが漂ってくるような気がした。一口すする。ほどよい甘味と微かなフルーティーな香りが広がった。相変わらず絶品だと思った。

 「美味しいです」

 「ありがとうございます」

 「水原さん」

 「うん?」

 「私は心臓移植を受けて良かったのでしょうか?」

 「ダメな理由なんてないでしょ。皆、星ちゃんには元気になってほしいんだし」

 「そうですけど。やっぱり、人一人の命を貰うってとてつもなく重いことだと思います。高科先生もドナーが見つかるのは複雑だと仰ってました。それは私も同感です。いや、先生以上に複雑かもしれません。治したいと思えば思うほど誰かの死を心のどこかで願ってるみたいで嫌なんです」

 移植を受けると決めてからも、同じ悩みを繰り返してた。そして、その悩みは今も消えていない。治したいと思っているものの、いつでも罪悪感が襲い星を苦しめた。そして、初めてその苦悩を誰かに打ち明けた。

 水原は星をジッと見つめた。今まで見たことのない表情だった。

 「ちょっと待ってて」

 そう言うと、水原は裏に戻った。そして、すぐに戻ってくると一枚の写真立てを星の前に置いた。

 「以前、これを見たことがあるよね?」

 「はい」

 星は改めて見た。やはり予想した通りそこは病室だった。若かりし頃の水原がベッドに座り入院着の女性の肩に手を回してニッコリ笑っていた。 

 「その写真に写ってる女性は実は僕の妹じゃない。僕の婚約者だった人だ」

 「えっ」

 「名前は秋元瑠花。僕と婚約して1ヶ月程経ったら、彼女は重い腎臓の病を患った。治す方法はただひとつ。移植しかなかった。そして、運よくドナーが見つかった。けど、彼女は断った。そして、この写真を撮った一週間後にあっけなく旅立ってしまったよ」

 「治してずっと一緒に居たかった。今も本当なら隣に居るはずだった」

 水原の目から涙が溢れる。

 「彼女も星ちゃんと似たような事を言っていた。人様の命をもらって生きるくらいなら、いっそのことこのまま運命に身を任せたいって。僕は何度も説得した。けど、彼女は頑として首を縦に振らなかった」

 「だから、彼女を恨んだ。あんなに愛させおいて僕を一人にして勝手に旅立った女なんてって。そして、誰よりも目一杯幸せになってやるって思っていた。でも、誰も愛せなかった。彼女を忘れることなんて出来はしなかった‥‥‥」

 水原は近くにあった清潔なタオルで涙を拭った。

 「ごめんね急にこんな話し。だからこそ、星ちゃんには治してほしい。これは僕の勝手な持論なんだけど、ドナーは苦しんだ人にしか与えられない。星ちゃんはもう生きる苦しみを十分に知っている。命の大切さを誰よりも知っている星ちゃんはだからこそ、与えられるんだ。人の命を犠牲にする?それは違うよ。星ちゃんの中で生きるんだ。ずっとずっと生きる。星ちゃんは誰かの死を救うんだよ」

 水原は一旦言葉を切った。その目からは涙は溢れてなかったが、強い光は帯びたままだった。

 「そして何より、大切な誰かが星ちゃんが治るのを信じてる。それに応えないと。星ちゃんにはもう居るでしょ?例え、百万人の命よりも大切な人が」

 水原は優しく微笑んだ。誰よりも優しい瞳をしている。星は不意に思い出した。同じ瞳をしていた人を。それも二人も。一人は星の主治医である高科だった。そして、もう一人は他ならぬ優也だった。

 

 バルコニーに出ると秋の虫によるハーモニーが耳に心地よく響いた。深夜ということもあり風の冷たさは昼間より増していたが、優也から借りたままのカーディガンが冷たい風から守ってくれていた。霧が晴れた空には美しい星が瞬いていた。

 水原の衝撃的な過去を聞いた星はショックでしばらく言葉が出てこなかった。恋人を病で亡くす痛みが自分には分かるはずがなく、何て言葉をかければいいのか分からなかった。

 そして、水原の言葉が胸に突き刺さっていた。自分が誰かの死を救うだなんて考えてもみなかった。

 "星ちゃんの中で生きるんだ。ずっとずっと生きるんだ"その言葉を何度も咀嚼した。自分の中にある罪悪感が薄れていく。優也からは生きる意味を教えてもらい、水原には生きる価値を教えてもらったような気がした。

 昼間の悩みが嘘のように消え去り、重荷が取れた心は今までで一番軽やかだった。

 優也に電話を掛けようとスマホを取り出したが、思い直して止めた。もう遅いし、練習試合で疲れているだろうから休ませてあげようと思った。

 いつの間にか虫の鳴き声は影を潜めていた。明日に向けて美声を温存しているのかもしれない。それとも、私の思考の邪魔しないように空気を読んでくれたとか。星はそんなことを考えた自分が可笑しくて、つい一人で笑ってしまった。

 星は両手を大きく広げて大きく息を吸った。冷たい空気が肺に取り込まれる感覚が妙に気持ち良かった。大きく息を吐き出し、手すりに手を掛けて夜空を見上げた。

 もう何も迷わない。病気を治したい一心で進もう。水原さんはああ言ってくれたけど、誰かの命を救うだなんて大それた事は考えなくていい。大切な人が治るのを望んでる。それだけで十分なんだ。

 だから、優也くん。いつまでもずっと側にいて側にいようね。星は美しい秋の星空にそう願いを放った。

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