私が異世界体験し損ねた話
某有名作家さんが、SFをS(少し)F(不思議)と書かれていたのを読んで、成程と感銘を受けたのはちょっと前の話です。
そのとき思ったのが、少し不思議体験のSFなら意外と誰でも経験しているのでは、ということです。
“少し”で曖昧な体験だからこそ、日々の日常の記憶に埋もれて忘れ去られているけれども、きっかけを与えられてよくよく考え直してみると、それが不思議なことだと気付く、というような感じでしょうか。
そもそも古い記憶というものは曖昧で、どこからが本当にあったことで、どこからが夢や自分の妄想なのかが非常に判別し難いというのもあります。
“少し不思議”だからこそ、余計にそうなのでしょう。
これから書くのは、私が実際に体験した、少し不思議な、夢と現実の境が非常に曖昧なお話です。
私がその土地に引っ越したのは、幼稚園の年中さんのときで、まだまだ田舎の閉鎖的な空気が色濃く残るそこで、私達家族は異色の存在でした。
まあ有体に言えば、余所者、だったわけです。
まだ子供で、そんな大人の事情など分からない私にも、自分たちが浮いている、歓迎されていない、ということは感じていました。
それもあってか、どうかはわかりませんが、幼稚園でも遠巻きに近寄りがたい存在のように扱われていた私に、当然友達はいませんでした。
幼稚園の先生にも、まるで腫物に触るかのような扱いを受けていたわけですから、当然と言えば当然でしょう。
今思えば、当時私が通っていた幼稚園の先生は、現在であれば訴えられてもおかしくないような態度をとっていました。
大人がそんな態度であれば、自然と子供はそれに倣うわけで、当時私は常に浮いた存在として、必然一人で過ごすことが多かったのです。
そんな私が小学校に上がったくらいの頃、その日も私は一人で遊んでいました。
田舎のことで、周りは田圃ばかりです。私は、家の裏手にある田圃で遊んでいました。
春、水の入っていない田圃はその時期蓮華畑です。
一面濃いピンクの花が咲き誇る景色は、なんとも美しいものです。
学校から帰り、宿題を終えた私は、わくわくしながら裏の蓮華畑で遊んでいました。
絵本に出てきた花輪を作りたくて、試行錯誤してそれらしきものを作ろうとするのですが、誰に教えてもらったわけでもなく、作り方を知らない私にできるはずもありません。
どうやっても輪にならず、飽きて諦めようとしたそのときです、一人の女の子が私に声を掛けてきたのです。
同い年ぐらいのその子は、肩に届く髪を耳の下で二つに括り、赤いスカートを履いた女の子でした。
作る前に、茎を扱いて柔らかくしないから折れちゃうんだよ、みたいなことを教えてくれたように覚えてます。
ただその子も、輪にする方法はわからず、二人で蓮華で作った花の綱みたいなものを作って遊んでいました。
茎に蓮華を巻き付けていく、ただそれだけの作業でしたが、一人でやるのとは違い二人だと何故か楽しいものです。
訳もなく笑いながらいくつも蓮華の綱を作るうちに、あっという間に夕方になっていました。
そして、いつの間にか私は一人でした。
ここの記憶が曖昧なのですが、その子が途中で飽きて帰ったのか、それともまたね、と言って別れたのか、よく覚えていないのです。
とにかく、私は一人であることを、疑問にも思いませんでした。
ただ強く印象に残っているのが、茜色に染まった空と、薄闇にぼんやりと浮かぶ一面の蓮華畑が、何とも美しかった、ということです。
家に帰ってからの記憶ははっきりしています。
その日作った蓮華の綱は、母には不評で、------アブラムシだらけでしたので------、勝手口に一本無造作に吊るされた以外は全て捨てられてしまったことを、よく覚えています。
その日以降、私はその女の子と、時々遊ぶようになったのです。
ただ、互いに名前も知らず、住んでる場所も、もちろんクラスもわかりません。
そして何故か、その子と遊んだことは非常に曖昧な記憶なのです。
遊んだ、ということと、遊んだ内容は覚えているのですが、その子のことだけが、曖昧なのです。
気付けばいつの間にか一緒に居る、そんな感じでしょうか。
それでも子供のこと、そんなことは一切気にせず、普段構ってくれる友達もいないこともあって、私はその子と遊ぶのが楽しみでした。
そんなある日、いつものように田圃で遊んでいた私達に、珍しく男の子が声を掛けてきました。
やはり同い年くらいのその男の子は、野球帽をかぶり、短パンに白っぽい黄色のTシャツ、スニーカーを履いていたのを覚えています。
見たことはないのに、どこかで会ったような、私が忘れているだけで、学校で会ったことがあるような、そんな子でした。
絶対知らない子なのに、何故か私は、同じクラスの男の子だと思いました。
自然に、普通にそう思ったのです。
その子は、もっと面白いことをしよう、と提案してきました。
面白い場所を知っている、と。
そろそろ田圃で遊ぶことに飽きてきていた私たちは、その提案に喜びました。
しかし、場所を聞いて、私は戸惑いました。
そこは、常々母に、行ってはいけないと言われていた場所だったからです。
私の母は、所謂“視える”人で、そういう意味で良くない場所などを、凄く気にする人でした。
母には、「お前は魅入られやすい子だから、気をつけなさい」と言われて、暗い色の服は着せてもらえず、子供の頃は怖いテレビや本といったものは、一切見せてもらえませんでした。
とはいっても、禁止されると見たくなるもので、こっそり親戚のお姉さんと一緒に怖い本を見たりしていたのですが。
その母が、行ってはいけない、と言っていたのが、その男の子が誘った場所だったのです。
もともとその場所は、お化けが出ると評判の場所で、確かにうら寂しく、何だか落ち着かない場所で、私も好んで行きたいような場所ではありませんでした。
それでも、友達同士で誘われると行きたくなるものです。
折しも明るく天気のいい日で、友達も一緒なのです、ちょっとくらいいいだろう、と思うのは仕方がないことでしょう。
更には、渋っていた私に、お前怖いのか? みたいなことを言われたことが決定打になりました。
そんなことを言われて、行かない子供はまずいません。
少なくとも、私はそういう子供でした。
何となく、歩いて行ったのは覚えています。
田圃の畦道を通り、ザリガニをよく捕っていた小さい水路を越えて、私は少し後ろめたい気持ちはあるものの、意気揚々とその場所に向かいました。
そして、着いて、アッと驚きました。
池一面に、蓮の花が咲いていたからです。
からりと晴れ渡った青空の下、池にはスッと生い茂る緑の蓮の葉と桃色の花が爽やかな風にそよいでいるのです。
その光景はなんとも清々しく、気持ちの良いものでした。
普段噂で聞いていたような、お化けが出るおどろおどろしい雰囲気は一切ありません。
サアッと吹き下ろす風を体に受けて、私はその美しい光景に目を奪われました。
池の真ん中には、池を分断するかのように一本の道があり、その先には赤い鳥居がありました。
鳥居の奥には青々とした新緑の山に続く階段が見えています。
まるで、夢のように美しい景色でした。
そして、あの先には何があるんだろう、行ってみたいと、強く思わせる景色でした。
当然、その男の子と、いつも一緒に遊んでいた女の子は鳥居に向かって走り出しました。
行こうぜ、行ってみよう、と、笑いながら走り出した彼らに、しかし何故か私は戸惑いました。
行ってみたい、あの向こうには何があるんだろう、凄く楽しそう、何て気持ちいいんだろう、そう感じるのに、何かが私を躊躇わせるのです。
怖いとかではありません。
とにかく、行ってはいけない、という感覚です。
それでも、すでに鳥居の手前で呼ぶ彼らにつられて、私はゆっくりと池の道を進み始めました。
3分の1程進んだときです。突然に、ふと、今はいいや、という気になりました。
また今度にしよう、と。
何故そう思ったのかはわかりません。
私は鳥居の手前に居る男の子に、「やっぱ止める」と大きな声で言いました。
「また今度にする」と。
すると男の子は、何ともつまらなさそうな顔になって、「じゃあいいよ。帰ればいい」と言って一人で鳥居を抜けて山へと続く階段を昇って行ってしまいました。
女の子は、そんな男の子と私とを、困ったように見比べていたように思います。
私はくるっと背を向けてもと来た道を戻りました。
最後に、振り返ったような、振り返らなかったような。
後は覚えていません。
ただ、夢の中で感じるような、居所のない、空間が歪むような世界が揺れるような感覚だけ覚えています。
数日後、どうしてもあの景色を忘れられなかった私は、父にその場所まで連れて行ってもらいました。
母には、その場所に行った事を酷く怒られたため、父と一緒に行ったのです。
父には、この時期に蓮の花は咲いてないよ、夢じゃないか、と散々言われたのですが、夢ではないという確信があった私は、父に信じて欲しくて頼み込んだのです。
それに、このくらいの頃の子供は、親に嘘吐きだと思われることほど、嫌なことはありませんから。
車に乗って、すぐ、着いて私は呆然としました。
景色が全く違ったからです。
確かに場所はそこに間違いないのに、花はもちろん咲いてはおらず、葉すらまばらです。
ところどころには、立ち枯れたような蓮の葉が見えます。
何より、鳥居の位置が違います。
池の真ん中の道は途切れており、鳥居は池の左隅の砂利道を行った先にあります。
もちろん、山に続く階段もありません。
「やっぱり夢だったんだよ」と言う父に、私はそんなことはない、見たんだと言い張りましたが、信じてはもらえず、私は悔しくてたまりませんでした。
それからも、時々そこには行きましたが、かつて見た景色を見ることは二度とありませんでした。
いつ行っても、うっそりと陰鬱な雰囲気のそこは、蓮の花の時期でさえも、一面に咲くようなことはありません。噂の通りの、いかにもお化けが出そうな池、というか沼です。
最近まですっかりそんな記憶は忘れ去っていたのですが、昨今の異世界ブームで、そういえば、と思い出したのがこの話です。
異世界、なにやら非常に魅力的に思える世界ですが、決して相容れない、立ち入ってはいけない領域だということを、私は知っています。
理屈ではありません。
本能が、止めるのです。
文字通り肌が粟立ち、冷や汗が伝い、脚が震えるのです。
駄目だ、と。
-------まあ、それはまた、別のお話ですが。
先人たちはそのことを良く知っていました。
大半の人は余り怖くないと言いますが、私は、『マヨヒガ』の話は怖くてしょうがありません。
じっとりねっとり、絡みつく視線を受けて、ひたすらに注意が逸れるのを、息を殺して気付かない振りをして待つ時間は、何とも嫌なものです。
理性が、そんなのは気のせいだと、何の根拠もないことだと言っているのですが、如何せん体は正直です。
お陰でこれまで、”少し”不思議な体験だけです。
しかし、それでいいと思っています。
大して面白くもない、もしかしたら気のせいかもしれない、“少し”、だからこそ、私は今ここに居られるのですから。
それでも、巷にあふれている異世界、ファンタジーな世界に憧れる気持ちはもちろんあります。
ただ、あの鳥居の先に待っているのは、そんな楽しい夢あふれる世界ではない、ということは確かです。
気分転換に書いてみました。
書きながら、ちょっとした物音にビクビクしてました(笑)
怖がりなんです!