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終わらせるための物語  作者: 三谷一葉
吸血鬼の章
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001 悪夢


 ────魔王の従者を、倒して来てくれないかい?

 胸中で、主の言葉を繰り返す。それだけで身の内に広がった幸福感に、彼女は震えを堪えきれなかった。

 ああ、あの方がわたくしを頼りにしてくださっている────

 主の期待に応えるためにも、失敗は決して許されない。

 緩んだ頬を引き締め、目の前の標的を睨みつける。

 値段が安いことだけが取り柄の小さな宿。

 部屋に設置されているのは粗末な寝台と毛布だけで、その近くにこの部屋に泊まっている客の荷物が無造作に転がっていた。

 赤銅色の鞘に収まった剣が、壁に立て掛けられている。

 ────ただ殺すだけではつまらないからね、内側から壊してやりたいんだ。そういうの、得意だろう?

 寝台の上では、女が眠っている。

 赤みの強い紫色の髪と白い肌を持つ、白い寝巻きを着た小柄な女だ。彼女が部屋に侵入したことにも気付かずに、無防備な寝顔を晒している。

 窓の外を見上げる。今夜は満月だった。彼女の唇の端が、ゆっくりと引き上げられる。

 魔物の力は、夜になれば強くなる。満月の夜には、更に強くなる。

「さあ、とっておきの悪夢を見せてあげるわ」


 次の瞬間、彼女と女は白い世界にいた。

 上も下も、右も左も全て乳白色に包まれた世界の中で、彼女は女と向き合っていた。

 女は十字架に手足を縛り付けられ、決して逃げられないようになっている。

 自分の勝利を確信して、彼女は微笑んだ。

 右手を肩の高さまで上げる。少し念じただけで、その場に長剣が現れた。

 ここは彼女の世界だ。全てが彼女の望み通りになる。

 剣の柄を握って、呑気に眠っている女の腹に突き刺した。

 低い呻き声をあげて、女が目を覚ました。

「お目覚めかしら?」

 女は彼女をぼんやりと眺めた後、視線を左右に滑らせた。

 今、どのような状況なのかを理解したらしい。彼女を睨みつけ、ぼそりと呟く。

「…………悪趣味だな」

 安い挑発だ。それに気づかないほど、彼女は愚かではない。

 だが、たかが人間如きに馬鹿にされて、黙っている理由はなかった。

 女の腹から長剣を引き抜き、投げ捨てる。今度は短剣を出現させた。

 それを女の胸の中央に、刃が完全に埋まるほど深く突き立てる。

「自分の立場をよく考えることね」

 悲鳴を上げようとしたのか、上半身を真っ赤に染めた女が、ぱくぱくと口を動かしている。その唇からは、言葉ではなく赤黒い血が溢れ出していた。

 短剣から手を離して、女の喉をつかむ。ぎりぎりで呼吸ができるように手加減はしたが、女の顔は苦痛のために醜く歪んでいた。

「ここは夢の中。わたくしの世界。夢の中でなら全てがわたくしの思い通りになる」

 空いている方の手に、再び短剣を出現させた。女の顔に、その切っ先を突きつける。

「腹を裂かれて、心臓を貫かれたまま気絶も出来ずに苦痛を味わう気分はどう? わたくしの許しがなければ、お前は死ぬことも気絶することもできないのよ」

 女の頬の輪郭をなぞるように、短剣の刃を滑らせた。女の白い顔に、赤い線が浮かび上がる。

「いつまで生意気な顔をしていられるか、楽しみね。こうやって少しずつ切り刻んであげましょうか。それとも、身体の内側から焼かれる方が良い? 時間ならいくらでもあるわ。お前が狂うまで、いつまでも続けてあげる」

「…………なん、だ…………その、程度…………」

「なあに?」

 あえて優しい声で言って、彼女は小首を傾げてみせた。

 女と目が合う。苦痛に掠れる声で、それでも妙にはっきりと、

「その程度なら、慣れてるんだ」

 上半身を赤く染め、口から血を吐いたはずの女がにやりと不敵に笑うのが見えた。

 その次の瞬間。

 乳白色の世界は、黒く暗転した。


☆☆☆


(何? どういうこと? 何が起きているの!?)

 突然のことに、彼女は激しく混乱していた。

 おかしい。こんなことが起きるはずがない。

 夢は彼女の世界だ。彼女の意思に反することなど、起きるはずがないのに。

 元の乳白色の世界に戻るように命じる────何も変わらなかった。

 辺りは暗く、周りがどうなっているのか把握できない。

 呻き声をあげて身をよじった時に、彼女は自分が縛られていることに気付いた。

 木製の粗末な十字架に、磔にされている。

 足元に、ぼんやりと赤い光が灯った。

 熱い。何かが焦げる匂いがする。一拍遅れて、激しい痛みが彼女を襲った。

(焼かれている!)

 苦痛に耐えきれず、彼女は悲鳴をあげようとした。だが、身体が言う事を聞かない。

 彼女の意思に反して、彼女の口は唇を噛み締めるだけで決して開こうとはしなかった。

「異端者に裁きを! 異端の神に滅びを!」

 どこからか、歌うように叫ぶ声が聞こえた。

 男の声、女の声、老人やまだ舌足らずな幼子の声。

 いつの間にか、彼女の周りにはいくつもの人影が集まっていた。

「裁きを!」「滅びを!」「裁きを!」「滅びを!」「裁きを!」「滅びを!」「裁きを!」「滅びを!」

 磔にされたままでは、耳障りな叫びから逃れることができない。ただ苦痛に耐えるしかない。

 何度も悲鳴をあげようともがいたが、結局彼女は呻き声すらあげられなかった。



 …………身体を焼かれただけでは終わらなかった。

 腕の骨を砕かれ、足の先から少しずつ切り刻まれる。

 空気を求めて喘ぐと、首に縄を掛けられて締め上げられた。

(何、何、何が、どうして、わたくしが…………っ)

 痛い。苦しい。息ができない。傷口が燃えるように熱いのに、身体の震えが止まらない。

 彼女を取り囲んだ人影たちは、熱病に浮かされたように何度も同じ言葉を繰り返した。

 異端者に裁きを、異端の神に滅びを、と。

 人影のうちのひとつが、斧を振り上げるのが見えた。刃にどす黒い血が絡みついている。

 彼女は悲鳴をあげようとしたが、やはり身体が言う事を聞いてくれない。目を閉じることさえできず、斧が自分の首めがけて振り下ろされるのを、ただ見つめることしかできない。

「異端者に裁きを!」

 絶叫と共に、斧が振り下ろされる。

 彼女の意識は、そこでようやく途切れた。

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