幸せを売る女(仮)7
カセットコンロにフライパンを乗せた。
そして、点火する。
肉が、野菜が、「じゅー」っと鳴き始める。
私は良く研いだ包丁とフォークを手にした。
奈津子は緊張する私の右手の包丁が、出刃包丁なのに気がついて忍び笑いを噛み殺している。
私は、知らん顔をして肉に挑む。
肉屋が恭しく差し出した高級和牛の赤身の美しさに時めく自分を思い出した。
肉が、美しいと思ったのは、多分、初めてだとおもう。
あの目に鮮やかな赤を見ていたら、
この肉を間違えなく美味しく調理しようと決心したのだ。
だから、家でも一際、切れ味の良い出刃をチョイスした。
その選択に後悔はない。
奈津子が笑おうが、それがどうしたと言うのだ。
今は、私と肉との真剣勝負なのだ。
ご当地クーポンと肉屋のおまけと私のおこずかいは、高級和牛を4センチの高さになった。
面積は…それほどでもないけれど、
4センチの高さは、そのビシュアルだけで興奮ものだ。
適度な焼き色のステーキは、昔テレビでみた海外の聖なる山のような神々しさすら感じる。
深呼吸する。
そして、出刃を持ち直し、フォークを突き刺した。
昔、母さんが仲良しグループで旅行したときに買ってきた、刀剣職人の作った物だと自慢していた出刃包丁が肉に触れる。
すっ…と、包丁は滑るように肉を切る。
スライスされた肉が、ピンク色の中身を私に見せる。
すると私はその美しいピンク色の肉を、野菜を自分と奈津子の皿に取り分け、残りをフライパンから取り除いた。
塩コショウを軽くして、再び点火して、
肉汁が泡立ち始めた頃合いに一度火を止める。
料理人的な良し悪しは分からないけれど、
クリスマスプティングをブランデーでフランベをしする際に、コンロの火をつけたままブランデーを注ぎ、鍋にこぼれたブランデーを伝って、いきなり激しい炎が上がってパニックになったことがある私は、味より安全を優先してしまう。
一度火を止めて、落ち着いてブランデーを注ぎ、再び火をつける。
そして、アルコールが飛びきる前にマッチを擦って火を作ると、ドキドキしながらフライパンの端を火で撫でる。
ふわり…と、フライパンのなかを滑るようにロイアルブルーの炎が踊る。
激しい動悸がした。
そして、それとは別の浮かれたドキドキが胸に膨らんだ。
奈津子は不規則に踊る炎を楽しそうに見つめて、
そして、中学時代と変わらない、いたずらっぽい笑顔を私に見せる。
「凄いな。」
奈津子は言葉少なく呟いた。
「うん。」
私もそれだけ言って、奈津子に笑顔を見せた。
炎はしばらく、穏やかにフライパンの上で美しくも気まぐれな踊りを見せて、
やがて静かに消えていった。
私は、オレンジ色の間接照明を灯し、
フライパンの濃縮された液体に、生クリームを注ぎ込んだ。
それをソースとして皿にかけると、
より抜きの自家製のローズマリーの小枝を肉が際立つように置いた。
その一皿は、洋食屋なら、ゴテゴテと盛りすぎだと言われそうだけれど、
私の家のテーブルの上では、この上なく上品で、上手そうに見えた。
私達は嬉しくなりながら銀のナイフとフォークを持ち、それを楽しんだ。
十年分くらいときめいたけれど………。
正直に告白するならば、
銀のナイフとフォークは重くて扱いづらいし、
多分、グレービーソース…らしき自作のソースは、不味くは無いけれど、少しだけ、そう、醤油の分だけ物足りなく感じてしまう。
ローズマリーは、見た目は良いけれど、
わさびのようには、味を表現できない微妙なよそよそしさを感じた。
それでも…肉は格別で、
気持ちを別世界に連れていってくれる。
「とても丁寧で、優しい味がするね。」
食べ終わった奈津子の感想が、私の気持ちを甘くして、今日のメインを特別な一品にしてくれた。




