3.それは小さな恋の歌
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ニナにとってそれは、神の救いに等しいものであった。
少女はこの街にやってくるまでに、多くの街を旅してきたのだ。自分を支えてくれる、姉代わりのココと共に。時には盗みを働いて、雨に打たれながら眠り、文字通り泥水を啜りながら生き延びてきた。そんな自分たちに手を差し伸べてくれる者はいないと分かっていたし、また事実として存在しなかった。
この街を追い出されるのも、そう時間はかからないだろう。
それが、ニナの正直な心持ちだった。
街外れの路地で震える夜を過ごしながら、ボンヤリと夢を見る。
布切れのようなボロボロの服に袖を通して、ココと身を寄せ合いながら。
「パパ……」
彼女の呟きは、闇の中に溶けていく。
ニナに、父親と過ごした記憶はなかった。生まれて間もなく、ヴァンパイアハンターの襲撃を受けて、彼は死んでしまったのだから。
それでも、ココの話を何度も聞いて、人となりは理解していた。
家族を大切に想い、また想われていたと。
しかし、そんな存在はいま、自分のそばにはいない。
信じられるのはココだけ。それでもこんな生活をしていたら、いつか不器用な自分は切り捨てられるだろう、と。彼女は勝手にだがそう思っていた。
だから日々、毎日、一日一日、心が摩耗していく。
幼いままの彼女の心は、擦り切れていっていた。そんなある日だった。
「…………ん、誰かそこにいるの?」
「え……?」
いつの間にか、長い夜が明けていた。
そして微かな日が差す先から、自分に話しかける人物が。
「誰、だ――!」
ニナを抱きしめ、ココはすかさず警戒心を強くする。
明らかな敵意を向けていた。だがそれでも、その程度は大したことがないと、そう判断したらしい。声をかけてきた若い男性は、二人に近づいて驚いた声を上げた。
「酷いケガだ。それに、服もボロボロじゃないか……!」
そして、なにかを考え込む青年。
彼は少しの間を置いた後に、首を傾げながらその場でしゃがんだ。
すると明らかになるのは、今まで背後からの光に照らされて見えなかった彼の顔立ちだ。それを目にした瞬間に、ニナは小さく息を呑んだ。そして思った。
あぁ、なんて――と。
言葉にはしなかったが、その気持ちはたしかなものだった。
あいにくココの方は、そう思わなかったらしいが。
「二人は、なんて名前なの? ――ボクは、カイル、っていうんだ」
青年――カイルは二人に訊ねた。
ココはさらに警戒を鋭く、しかし反対にニナはどこか間の抜けた声で。
「……ニ、ナです」
「ニナ!?」
そう、掠れた声で口にした。
そのことにココは驚き、少女のことを見る。
反面にカイルは微笑んで、彼女の名前を繰り返した。
「ニナ、か。良い名前だね――それで、キミは?」
「くっ……ココ、だ」
「ココ、か」
そして悪戯っぽい笑みを浮かべて、もう一人の名前を引き出す。
ココはそのことでやや緊張を解いたのか、ニナを抱きしめる腕の強さをほんの少しだけ弱めた。それでも、少女を守ろうとする気持ちは前面に出ていたが。
そんな二人の対照的な姿に、青年はくすりと笑うのだった。
「貴様、いったい何の用だ……!」
「ん、あぁ。そうだったね――」
痺れを切らして、ココはカイルに問う。
すると彼は思い出したように手を打って、それを彼女たちに差し出すのだ。
そして、困惑する二人にこう言った。
「ボクのところにおいでよ。えっと、その……新しい『家族』として!」
◆◇◆
それから、結構な時間が経過した。
だけれどもニナにとっては、毎日が新鮮だった。
「カイルさま、やっぱりかっこいいなぁ……」
そして、窓から外にいるカイル――レミアの前で硬直している様子――を見て、そんなことを漏らすのだ。頬に手を当てて、うっとりとした表情で。
これはもう、濁す必要はないだろう。
ニナは一目見た時から、カイルに恋していた。
そしてそんな彼は自分とココを、絶望の淵から救い出しただけでは飽き足らず、仕事と衣食住を提供してくれたのだ。新しい『家族』だと、そう言って。
「ふふふっ、私の――ニナの、王子様っ!」
小さなダンス。
長い髪がふわふわと宙を舞った。
とっとっと、とつま先でリズムを刻みながら、廊下を進む。
「いつまでも。きっと、いつまでも……!」
少女の小さな恋の歌。
それはきっと、まだまだ始まりに過ぎなかった。




