2.たとえ変わっても
「最後の、ヴァンパイア……?」
「うむ。妾はヴァンパイアの最後の一人――レミア・レッドパール」
少女はそう言って、おもむろに目を閉じた。
胸に手を当てて一度、深呼吸をして再びボクのことを見つめる。
「先ほど、あのイリアという娘に施したのは『眷属』となる契約だ。あの娘とレオには説明したが、これ以上カイルにも秘密にするわけにはいかないからな……」
「ちょ、ちょっと待って!? 話について行けないんだけど!」
「むぅ。ならば、どこから説明すればいい?」
「そもそも『眷属』って、なに!?」
淡々と説明を始めたレミアに、ボクは待ったをかけた。
すると少女は、どこか気に障ったらしい。膨れ面になって、唇を突き出した。
ボクは頭を手で押さえて、まずは基本的なことを確認することにする。ヴァンパイアについての知識はたしかにありはしたが『眷属』というワードは曖昧だ。
「ふむ。そうだな――では、そこから簡単に説明するとしようか」
こちらの困惑具合を察したらしい。
レミアは一つ息をついてから、そう言うのであった。
「『眷属』とはヴァンパイアと契約を結び、その支配下となった者のことを指す。今回の場合はイリアと血の交換をすることによって、その契約をした」
「支配下、って……そう言えばあの時、なにか呟いてたよね」
「うむ。そうだな……」
ボクは必死に記憶を手繰り寄せ、少女にそう訊ねる。
すると一つうなずいてから彼女は続けた。
「アレは契約の条件だ。本来ならば妾の従者とするところだが、今回は特別だ」
「自由に生きていい、ってこと?」
「そう、だな……」
それを聞いて問い返すと、しかしレミアは難しい顔をする。
ボクは首を傾げながら言葉を待った。やがて少女は、まるで罪を告白するかのように、やや目を伏せてこう口にする。それはある種、残酷な現実だった。
「だがあの時、妾と契約したことで――イリアは人間ではなくなった」
「え…………?」
思わずそんな声が漏れる。
その事実は、頭の中が真っ白になるほどの衝撃だった……。
◆◇◆
「……人間ではなくなった、か」
ボクは酒を喉に流し込みながら、レミアの話したこと。
そして、それによって与えられた試練のことを思い返していた。
本日も盛況な酒場の片隅。そんな場所で、ボクは天井を見上げていた。レミアがヴァンパイアだということ。そして、イリアが人間ではなくなった、ということ。
それらは、呆然自失とするには十二分な内容だった。
「レオは、どう思ったのかな……」
「おう。呼んだか? カイル」
「レオ……」
さて、どうやら無意識のうちに口に出てしまっていたらしい。
少し離れた席に座っていた幼馴染みが、新しい酒を両手にこちらへとやってきた。
いまボクたちは、各々に空いている席に座っている状態。レオは先ほどまでイリアと一緒に食事を摂っていたはずなのだが、どうしたのだろうか。
いいや。その理由は、分かっていた。
彼がボクのことを分かっていないなんて、それはこちらの誤解だ。
「イリアのこと、カイルも聞いたんだろ?」
レオは向かいの席に腰かけると、手に持ったグラスを置いて言った。
「あぁ、うん。聞いたよ……レミアから」
「そっか。……ってことは、あのお嬢ちゃんがヴァンパイアだってことも、もう知ってるってことだよな?」
「……………………」
どうしてだろう。
ボクは幼馴染みの言葉に思わず閉口してしまった。
それを無言の肯定と受け取ったらしい。レオは、グッと酒を飲んでから言った。
「いやぁ、それにしても。ヴァンパイアってのは、新鮮な血肉を望むから生肉が好きなんだな! イリアもそれを美味そうに食ってるから、胸やけがしたぜ?」
――ははは、と。
そう、愉快そうに笑いながら。
彼のその姿はあまりにボクと対照的で、どこか羨ましく思えた。
「……で? カイルは、俺のことを気にしてんだろ?」
「え……っ!」
そう考えていると、突然にレオは真剣な顔に笑みを浮かべて訊いてきた。
ボクは思わず声を詰まらせてしまう。
「いや。その……」
何故なら、それは図星だったからだ。
ボクは考えていた。『眷属』となったイリアのこともそうだけど、レオはそのことをどう受け止めているのか、と。今のボクは、きっと彼に近かったから。
大切な人が、変わってしまった。それについて……。
「バーカ。何年、幼馴染みやってると思ってるんだ。お前が何か隠そうとしてる時、鼻っ面を掻くの、俺は知ってるんだからな?」
「あ…………」
ボクは自覚なしに伸ばしていた右手を引っ込めた。
どうやら今、この時に限ってはこの幼馴染みの方が何枚も上手らしい。
そうとなればもう、隠す必要はないか。ボクは胸に抱いていた疑問を率直に、レオへとぶつけることにした。そう。それというのは――。
「――レオは、どう? 自分も、同じになりたいとは思わないのかな……」
そう。それは、遠くへ行ってしまったイリアと、同じ立場に立ちたくないのか。
そのことについてだった。
「……あん?」
ボクが彼の立場であったら、どうしただろうか。
それは何故か、容易に想像が出来た。きっと、自分とは違う存在になってしまった彼女を受け入れられずに、レミアに懇願するだろう。
自分も『眷属』に、してくれ――と。
しかし、それは叶わない。
何故ならレミアはあの後、こう言っていたからだ。
『眷属に出来るのは、生涯のうちに一人に限られる』、と。
「レオは、寂しくないの? イリアがどこかに行ってしまうんじゃないか、って」
それは、物理的な距離ではなく。
もっと精神的な、心の拠り所としての話だった。
ボクにはどうにも、その辺りが処理できない。きっとどうしても、胸が苦しくて張り裂けそうになる。間違いなく、そうなっていた。
だって、待っているのは悲しい現実じゃないか――と。
「あー……カイル。お前は、そういうところ少し柔軟じゃないんだよな」
「え……?」
悶々と考えていると、レオはどこか呆れたようにそう言う。
そして、間抜けた声を発したボクにこう告げた。
「アイツと、同じだよ」――と。
それを聞いて、ハッとした。
彼が言わんとするのが、誰のことなのかすぐに分かったから。
「クリムだって、きっと同じことを抱えてたはずだ。それでも、アイツは俺を愛することを選んでくれた。俺たちはいま、アイツと同じところにいる」
レオはそう語った。
そして、自身の手を見てこう漏らす。
「今回は、俺のバカのせいで悪いことしちまったけどさ。だからこそ、アイツが残したことを無駄にしたら駄目だと思うんだよ……」
拳を握りしめたレオ。
「最期まで誰かを想うこと。それを……」
彼はそれ以上を語らなかった。
それでも、ボクには彼の思いが痛いほど伝わってきた。
そうだ。重要なのは、そこじゃない。想い続けること、それが――。
「――大切なこと、か」
ボクは自分の手を見た。
そう。答えは単純なところにあった。
レミアがヴァンパイアであろうとも、イリアがその『眷属』になろうとも。ボクたちの想いが変わることはない。繋がりが変わるわけじゃない。
それはきっと、綺麗事だけど、とても大切なことだった……。
「……はぁ、それにしてもさ!」
「うん? どうしたの、レオ」
さて。そんな結論が出た時だった。
レオが唐突にそう切り出し、ボクが首を傾げることになったのは。
彼の顔を見るとそこに浮かんでいたのは、どこか楽しげなことを考える少年のような笑顔だった。そんな純粋な顔をして、彼はボクに問いかける。
「アイツ、いまどこで何してるんだろうな!」
その問いは、空想的で。
それでも、あまりも魅力に満ちていた。
だから、ボクはそれにこう答えるのである。そう、彼女は――。
「――きっと、手を繋いでくれているよ」
自然と、笑みがこぼれた。
それがもう戻らない時の中にある、幻想だったとしても。
ボクたちは思いを馳せた。
どこか違う世界、違う物語の中。
そんな場所で、手を繋いでいてくれるかもしれない、家族へと――。




