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パレット  作者: 雨咲はな
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 翌日の日曜日、いつもの場所に来栖さんの姿はなかった。

 これまでにも、彼のほうで、突発の用事が入って来られなかった、ということはある。急にバイトに欠員が出てシフトの交替を頼まれたとか、そんな時だ。そういう場合、私の携帯番号を知らない来栖さんは、非常に原始的な方法でそれを知らせてくれていた。

 普段私が陣取る場所に、「今日は行けません」と書かれたメモが置いてあるのだ。

 だから今日もそうなのかと思って、私は地面の上をざっと見回してみた。

 だけど、ただ草の生い茂るそこには、何もない。

 ……遅れて来るのかな。

 そう思ってから、変な気分になった。遅れてもなにも、私と来栖さんは、別に約束をしているわけじゃない。ここに来なければならない義務も義理もない。むしろ、毎回そんな手段を取ってまで、馬鹿丁寧に「来ないこと」を伝えてこようとする来栖さんが大いに変わっているのだ。

 以前もらった、そのメモのことを思い出す。

 ノートを破ったような白い紙きれには、行けない、という言葉の脇に、来栖さんの自筆と思われるイラストが添えられていた。こう言っては悪いけど、どう見てもゾンビみたいなその絵が、哀れっぽい泣き顔を描いているのだと判るのに、数分を要した。異様にヘタクソ、と本人は言っていたけど、あれはあながち謙遜ではなかったらしい。

 折り畳まれた紙の上には、ペットボトルの紅茶。

 風に吹かれて飛んで行かないように、ということなのだろう。重りにするのだったら、この場所にはいくらだって手頃な石が転がっているのに。

 携帯の番号を交換すれば、いちばん手っ取り早いではないか。そこまでの関わりは持ちたくない、ということだったら、わざわざここまで来てメモを置くなんて労をかけなくてもいい。

 私のことを、いつでも切り捨てられる存在だと思っているのなら、来栖さんはどうして、こんなことをするのだろう。

 ……わからない。




 私は草の中に座って、スケッチブックを広げた。

 鉛筆を手に持ち、紙面に当てる。

 いつもなら、何かを思うよりも前に、勝手にするすると鉛筆が滑り出して線を描き出す。白い画面に線が一本入っただけで、その瞬間から、私は絵の世界へすんなりと入っていける。

 ……はずだった。

 なのに今日は、ちっとも手が動かない。

 手を止めたまま、人形になったようにその場でじっとする。聞こえてくるのは、風が草をさやさやと揺らす音と、土手の上の道路を通る車のエンジン音と、どこかで囀る鳥の声くらいだ。

 ぺらりと本のページをめくる音は聞こえない。顔を横に向けてみても、そこには広がる一面の雑草ばかり。

 ここにいるのが自分一人であることを、改めて認識する。

「…………」

 今、私の頭の中にあるものが、光を反射して輝く水面でも、澄み渡る美しい青空でも、その向こうに連なる建物の群れでもないことを、イヤでも自覚せざるを得なかった。


 ──今日こそ、言わないと。


 真っ白いスケッチブックに目を落とし、心の中で呟く。

 もう少ししたら、場所を移すと。昨日言えなかったことを、今日こそちゃんと言うために、私はここに来たんだから。

 それで、もう一度、聞いてみよう。

 来栖さんは、どうしてここに来るのか、と。

 以前同じ問いを投げかけた時、彼は、「あなたに会いたかったから」と言った。あの時は冗談か悪ふざけのようにしか思えなかったけれど、もしも。

 もしも、今度また同じ言葉が返ってきたら。

 そうしたら、私は──

 そんなことを考えていた時だった。


「こんにちはー」


 と、突然後ろから声をかけられて、私はびくりと身じろぎした。その拍子に、持っていた鉛筆も指からこぼれて落下する。

 首を廻して振り向くと、土手の上に、女の人が笑みをたたえて立っていた。

 ──昨日の三人組のうちの一人だ、と気づくのに、時間はかからなかった。

 彼女の目は、明らかに私のほうを向いている。だとすると、今の挨拶の言葉も私に対してかけられたものなのだろう。戸惑いながらもスケッチブックを手にしたまま立ち上がり、そろそろと頭を下げて、小さな声で「……こんにちは」と返した。

 その声が耳に届いたかどうかは判らないのだけれど、女の人は大して気にした様子もなく、さっさと足を動かして土手を下りてきた。生い茂る草が邪魔なのか、それとも洒落たブラウスが汚れるのが嫌なのか、きゅっと眉を中央に寄せて手でかき分けている。

「来栖、待ってんの?」

 彼女は、私のすぐ近くまで寄ってくると、また口許に微笑を浮かべながら私の顔を覗き込んだ。

 こうして至近距離で見ると、その人の顔も昨日よりはっきり見えた。きっちりとメイクを施した、綺麗な人だ。栗色に染められた髪の毛は緩くウエーブがかけられ、艶やかに輝いている。ふんわりと漂う甘い匂いは、香水だろうか。高校生だってお化粧をする子はたくさんいるけれど、やっぱりそれとはぜんぜん違う。

「いえ……」

「来栖ね、今日は来ないって」

 曖昧に首を振りかけた私に、女の人はばっさりと切り捨てるように早口で言葉を継いだ。彼女にとって、私の返事はあまり意味を持たないみたいだった。

「今日は大学の友達と遊びに行くんで、こんなところで潰す時間はないんだって。そう伝えるように、あたし来栖から頼まれたのよね」

「…………。そうですか」

 貼り付けた笑顔をぴくりとも崩さずに、一気に言いきるその人の様子を訝しむまでもなく、判った。


 嘘だ。


 来栖さんが来ない、というのは本当なのかもしれない。大学のお友達と遊びに行く、というのも。

 けれど、きっと、来栖さんはその伝言をこの人に頼むようなことはしない。たとえば誰かに伝言を頼むにしても、手紙か何かを託すという方法をとるはず。そして頼む相手として、この人は選ばない。

 なんとなくだけど、でも、確信めいて、そう思った。

「わかりました」

 そう返事をしてから、ぺこりともう一度頭を下げた。

 それから彼女に背を向け、元の場所に戻って腰を下ろし、スケッチブックを構えた。

「──ねえ、ちょっと!」

 彼女にとって、私のその行動は予想外のものであったらしい。咎めるように、一オクターブくらい声を高くした。

「ちゃんと聞こえた? 来栖は来ないって言ってんの。今日だけじゃなく、もうずっと来ないかもよ。高校生の相手をするのもそろそろ飽きたって言ってたもん」

「…………」

 本当に飽きたなら、黙って来なくなればいいだけのことだ。私と来栖さんは、お互いの連絡先すら知らない。ただこの場所に来て、顔を合わせて、少しお喋りするだけ。それっぽっちの薄くて脆い繋がりだということを、この人は知らないのだろう。

 黙ったままの私に苛ついたのか、女の人は乱暴に草を押しのけるようにして廻り込み、座る私の前に立ちはだかった。

「来栖は来ないんだから、あんたも帰ったら?」

「…………」

 私は彼女を見上げた。

 眉を吊り上げ、険を湛えていてさえ、やっぱり綺麗な人だと思わずにはいられない。きっと大学ではこういう綺麗な女の人がいっぱいいて、そういう人たちはお喋りも上手で、私のようにすぐに下を向くんじゃなく自信たっぷりに前だけを見ているのだろう。

 たくさんの友達。そして、この人のように、彼に恋をする女性。

 来栖さんは毎日、そんな人たちに囲まれて、明るく陽気な学生生活を送っているのかもしれない。



 ──昨日、私が逃げ出した理由が、判った。

 ハキハキと話し、笑いさざめく女の人たちに気後れして、と自分では思っていたけれど、そのせいばかりじゃない。

 咄嗟に、来栖さんのそんな「普段の姿」というものが垣間見えて、動揺してしまったためだ。

 何を考えているのかよく判らない来栖さん。しょっちゅうおかしなことを口にして私を困惑させる来栖さん。言葉遣いも一般的な大学生のものとはちょっと違うであろう来栖さん。

 私はたぶん、ひそかに思っていた。

 この人も、周囲からは浮いているんじゃないかと。

 自分一人で、勝手にそう思って──いや、心のどこかで、そうであることを期待していた。

 普通じゃない、他の人とは違う、なんだかおかしい。

 来栖さんも、そういう人なんじゃないかと。もしかして、私と同じなんじゃないかと。

 そんなこと、あるはずないのに。来栖さんは頭が廻って、優しくて、他人をどうすれば楽しませられるか、喜ばせられるかを、ちゃんと知ってる。

 相手がどんな言葉を欲しているのかを、きちんと読み取って、口にすることも出来る。

 私と同じであるわけがない。

 女の人が来るまで考えていたことが、とんでもない思い上がりであったことを知らされるような気分になって、私は目を伏せた。

 ……来栖さんのような人が、私のように浅ましく卑屈な子供に、本気で「会いたかったから」なんて思うはずがない。

 でも、じゃあ、どうして。



「……あの、私はここに、絵を描きに来ているだけ、です」

 彼女がどう思っているにしろ、私と来栖さんの間に特別な何かがあるわけではない。そう言おうとしたのに、こんな時でさえ私の口は、不器用な説明を紡ぐことしか出来なくて、そしてその言葉は、目の前にいる女性の心情をさらに逆撫でしてしまったようだった。

「へえー。で、来栖はただ、あんたに会うためにここに来ているだけ、ってわけ?」

「…………」

 来栖さんがどうしてここに来るのか、その理由を知りたいのは私のほうだ。

「──ねえ、なんか変な思い違いをしていると可哀想だから、教えてあげるけど」

 女の人は、少し身を屈めて顔を寄せると、ここにいるのは私たちだけであるというのに、声をひそめた。

「来栖は別に、あんたのことを気にかけてるわけじゃないんだからね?」

「…………」

「あんたはね、ただの身代わり人形みたいなもんなの。知らないんでしょ?」

 さらに顔が近づいてくる。

 そして、囁くようにして、言った。

「来栖が、妹を亡くしてること」

 私が目を瞠ったことに満足したのか、女の人は口角を上げた。


 ──ワタシねえ、わりと大概のことはそつなく出来るほうなんですけど、どういうわけか昔から、絵を描くのだけは異様にヘタクソで。きっとそちらの遺伝子は、生まれる時に母親のお腹の中に全部置いてきて、それを妹が回収して出てきたんじゃないかと思うんですよ。


 来栖さんの口から、「妹」という言葉が出たのは、あの時の一度きり。

「中学生の時に、事故だったんだって。なんでもその妹って、絵を描くのが上手で、小さい頃から何度もコンクールで賞を獲るような子だったそうよ。ヒマさえあれば、いつもスケッチブックに何かを描いてたって」

「…………」

 好きで、好きで、どうしてもやめられない。

 ──ああ、そうか。

 この時になって、私はようやく芯から納得した。すとんと、腑に落ちた。

 だから来栖さんは、「そういう気持ち」について理解があったのか。

 すぐ身近に、そういう子がいたから。ずっとそれを見続けていたから。

 ……好きなものが見つかっても最後までやり遂げられなかった人、とは、彼の妹のことであったのだ。



 だから、優しい。

 だから、絵を描いている時以外の「私」には、関心を持たない。



「わかった? 来栖はあんたのことを、死んだ妹を見ているようにしか見てない、ってこと。自分に気がある、なんて誤解して、あとでガッカリすることになったら気の毒だから、今のうちに言っておいてあげてんのよ? いくら妹のことを可愛がってたからって、こんなのはやっぱりひどいじゃない? 本人にとっても、よくないと思うのよね。妹が死んでからもう数年経つんだし、来栖もそろそろきっぱりと、踏ん切りをつけてもいい頃よ」

 女の人は、深いため息をついて、しみじみと同情するような口調でそう言った。

 けれど、私が口を噤んだまま、じっと見返していることに気づいたのか、「な、なに」と身を引くように、屈ませていた上体を起こした。

「言っておくけど、嘘なんかじゃないからね」

「……はい」

 今度のその言葉は、嘘だとは思わない。

 ──でも。


「でも、それとこれとは、別なんじゃないでしょうか」

「は?」


 おそらく、この時まで、女の人は私のことをはっきりと侮っていたのだろう。見るからにおどおどと気弱そうで、言いたいことも言えず、絵を描くしか能のない女子高生だと。

 その顔には、反論が返ってくるとは思わなかった、という明らかな驚きがあった。

「別って」

「来栖さんが私を妹さんの代わりとして見るのと、あなたが来栖さんを好きということは、別じゃないんですか」

「な……」

 女の人は絶句した。頬を赤らめたのは、照れよりも、怒りのほうが大きかったかもしれない。

 でも、なんとも思わなかった。

 今までずっと、他人の反応のひとつひとつにビクビクし、相手が不快そうな空気を発するたびに縮こまっていた私の心が、この時は不思議と、揺れることも波立つこともなかった。

「好きなら好きって、ちゃんと本人に言えばいいと思います」

 亡くなった妹さんのことが、こんな形で、こんな思惑で、無責任な誰かの口の端にのぼる。

 来栖さんはきっと、それを喜ばない。

 怒るか、悲しむ。

 彼にとって、その人の存在は、とても大事な、かけがえのないものだろうから。

 私は、そう思う。


「こんなやり方は、卑怯です」

 真っ向から彼女の顔を見返して、きっぱりと言った。




          ***



 地面に散らばった紙の破片を拾い集め終わった頃、来栖さんがやって来た。

「お……遅くなって」

 汗で前髪を額に貼り付け、はあはあと呼吸を乱している。どうやら、どこかから走ってきたらしい。

「なんか、予告もなく、うちに大学の連中が押し寄せてきましてね。急用でもあるのかと思えば、いや用事はないとかぬかしやがるし、まったくわけが判らないんですよ。そのまま拉致されるようにファミレスに強引に連れて行かれて、なにがなんだか……」

 さっぱり意味が判らない、というように来栖さんは首を捻っているけど、私には判った。

 その人たちは、あの女の人に、時間稼ぎを頼まれたんだな、と。

 仲間同士のサプライズのような、軽いノリの楽しい計画だったのかもしれない。そりゃあ、あんな綺麗な女の人なのだから、大学でも人気があるだろうし、頼まれたら断れないに違いない。というか、むしろ喜んで協力すると名乗り出る人のほうが多そうだ。

 彼女の筋書きでは、今頃どうなっている予定だったのかな。私を立ち去らせた後、この場所で来栖さんが来るのを待って、告白するつもりだったとか。

 ぜんぶ、私が台無しにしちゃったなあ。

「隙を見て逃げ出したんですけど……って、なに、これ」

 ぶつぶつと不満をこぼしていた来栖さんの口調が、途中から一転して、鋭い声になった。

 彼の視線は、私の手の中のたくさんの紙片に釘付けになっている。

「なにこれ」

 さらに声を跳ねあげて同じ言葉を繰り返し、私の腕を掴む。目が大きく見開かれていた。

「ナオさん、これ、どうしたの」

 詰問するように来栖さんは言って、腕を掴んでいるのとは別の手で、紙片の一つを取り上げた。


「ナオさんが描いた風景画でしょ?」


 ──正確に言うと、もと風景画であったもの、だ。

 今、私の手の中にあるのは、ビリビリに破かれて、原形を留めていないただの紙クズと化した何か、でしかない。来栖さんが持っている絵の一部分も、それだけではもう、何が描かれているのかさっぱり判らない。その透き通るような青色は、空なのか川なのか海なのかさえ。

「どうして、こんなことに」

「……失敗して、気に入らなくて、破っちゃいました」

「ウソだね」

 私の言葉をぴしゃりと撥ねつけるように、来栖さんは厳しい顔で、すぐさま否定した。

「ナオさんがそんなことするわけない。たとえ間違って一面に赤い絵の具をぶちまけたとしたって、ナオさんはその絵を捨てたりせずに、大事にしまっておく人だ。ましてやこんな風に破るなんて、あり得ない」

「…………」

 私は黙って彼を見つめた。

 どうしてだろう。

 この時、はじめて、私の胸の中に、小さな怒りの炎が灯った。

 自分の前で自分の描いた絵が破られ、無残な姿に成り果てていく時でさえ、悲しくて苦しくはあったけど、怒りは湧かなかったというのに。


 ──そんなことするわけない、あり得ない、って?

 来栖さんは、どうしてそこまで断定的に言いきってしまえるの?

 私のことをそんなに知っているわけでもないのに。

 私だって、ものすごく腹の立つこと、悲しいこと、傷つくことがあったら……年下の高校生に卑怯だなんて言われてしまったら、スケッチブックを取り上げて絵を破り捨てることくらいはするかもしれない。今まで一枚だって絵を破ったことはないけど、もしかしたらそういうこともあるかもしれない。判らない。自分だって判らないことを、どうして来栖さんは判るっていうの?

 ……ねえ、それは、結局。


 結局、「妹さんがそういう人だったから」ということ、なんでしょう?


「……来栖さん」

 静かな声で呼びかけると、眉を吊り上げたままの来栖さんが、紙片から私のほうへと目を向けた。

「今、スマホ、持ってますか」

 怒っていた来栖さんの顔に、戸惑いが過ぎる。いきなり何を、と思っているのだろう。

「見せてもらっても、いいでしょうか」

「ナオさん、今はそんなことより……」

待ち受け画面を(・・・・・・・)

 その言葉に、来栖さんはくっきりと狼狽を顔に出した。表情が強張り、動きが止まる。

 掴んでいた腕から、ぎくしゃくと手が離れていった。

「……誰に聞いた?」

 押し殺したような低い声で問われたけれど、私はそれについては無言を通した。

 来栖さんは、しばらく固い顔つきで口を引き結んでいた。

 けれど、やがてもぞりと手を動かして、ジーンズの後ろポケットへと伸ばした。

 そこから取り出した薄い機械を、電源を入れてから私に差し出してくる。



 ──画面の中にいたのは、まだ幼さの残る、制服姿の可愛い女の子だった。

 賞状をこちらに見せるように広げて持って、誇らしげに、でもイタズラっぽく笑っている。

 金賞、とその賞状には書かれてあった。彼女の描いた絵が受賞した時のものなのだろうか。

 その笑顔を見れば、構えたスマホを妹に向けながら、目を細めて笑う来栖さんの姿までが想像できた。



「目許のあたりが、そっくりですね」

 私は微笑んで、スマホを返した。

 ぎこちない動きでそれを受け取り、来栖さんが懸命に何かを訴えるような目で私を見る。

「ナオさん──」

「私は」

 それを遮るようにして、口を開いた。

「……私は、妹さんじゃありません」

 絵が好きなのは似ていても。いいや違う、似ているのはきっと、そこしかない。こんな風に堂々と賞を獲り、明るく笑える女の子とは、まるで違う。

 私は、自分のことが好きじゃない。好きになんて、なれるはずがない。いつも自己嫌悪でうじうじと悩んでいるだけの自分。人が苦手で、自信がなくて、誰かを笑わせることも出来なくて、母親に正面切って絵が好きなんだとも言えず、どうしてもっと上手にやれないのかと、そんなことばかり考えて。


 でも、私は私にしか、なれない。

 誰かの代わりには、なれない。


「帰ります」

 集めた紙片のすべてと、スケッチブックと、道具を持って、私は土手を上がった。

 ──新しい写生ポイントを見つけよう、と決意しながら。





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