【第11回】 香川芙美歌、動く!
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「さて、困ったわ……」と呟いたのは倉見であった。その顔には困惑の表情が浮かんでいる。
俺と彼女は「死直界の管理人」と称した、チクノクサの申し出を受け入れ、いわゆる「死語の世界」へ行くのを承諾した。
一方、そこには一つの問題が存在したのも事実だ。
「君達が、この世界と死直界とを往復するのに二十時間程の時間が掛かる」との事であった。
「一時的とはいえ、二人は、この世界から〈消える〉のだ。『音信不通』となっても、問題がない状況を作っておく様に」とも言われる。
俺としては、「友達の家で勉強会をするから、泊まり掛けで行く」と言えば、両親は納得する筈であった。我が家は放任主義とは言えないものの、一泊なら、その許可は簡単に出るだろう。
しかし、倉見の家は違う。彼女は女子。しかも、「外泊する」と言い出せば、両親ばかりではなく、俺が、(凄げぇ、お爺さんだな!)と、驚嘆した彼女の祖父をも説得しなければ、ならない。
「私の両親も、それを許さないだろうけど、お爺さんは、もっと許さない筈……」
ここで倉見が動いた。香川芙美歌を例の神社裏に呼び出したのだ。俺は、そこへの同席を求められた為、承諾する。
そして倉見は、「信じては貰えないだろうけど……」と、前置きした上で、死語の世界とチクノクサの話を香川にした。
香川は倉見に向かい、「本当は入谷君と『エッチな旅行』をする気じゃないの?」と、好奇心丸出しの表情をしながら、そう告げたが、倉見は、「エッチが目的なら、二十時間も必要ないわよ!」と言い放つ。
「それも、そうね……」と、香川は呟いてから、続きを話した。
「私の知り合い……、中学校時代の友達なんだけど、そこの家、学習塾を経営しているの。夏休みに『体験学習会』みたいなイベントを一泊二日で開催するんだ。ここに参加するという形なら、どうにか出来るかも知れない……」
「その話、乗ったわ!」と、倉見が声を上げてから、言葉を続けた。
「何だかの形で、お礼はするから、私が二十時間……、余裕を入れて二十四時間ぐらい、『この世から消えて』も、バレない様にして! お願い!」と、香川に懇願する。
香川は俺の方を向き、真顔で、「本当に『エッチが目的の旅行』じゃ、ないんでしょうね?」と、問い質した。
「俺にも男としてのプライドがある。もし、そうならば、俺自身で対応しよう……、いや、それが当然だ。だが、今回の件は『次元』が違う。完璧に遂行したい。だから、俺からもお願いする」
そう言って、俺は香川に対して頭を下げた。それを見た彼女は、「頭を上げて」と告げてから、話し始める。
「だけど、常識的な内容の話題じゃ、ないわよね……、これって……。正直に言って今も、『この二人、何を言っているの!』と、思っている程なんだから……。でも、不思議な事に、『訳が判らない変な話をしないで!』と言える心境でもないんだ。何だろう……、智香が関与しているから、そう思えるのかも知れないけど、私自身、『何か面白そう……』って気さえ、しているのよねぇ……。まぁ、智香のお願いだから、学習塾の友達に相談してみる」
「ありがとう!」と、倉見は満面の笑みを湛え、香川の手を握った。
その後、香川は完璧なまでの「倉見消失計画」を立てる。
中学校時代の友人には、「幼馴染みなんだけど、〈男〉が絡んじゃって……、でも、絶対に迷惑は掛けないから……」と、その理由を話し、学習塾で実際に配布していた「一日体験学習会」のパンフレットも利用しながら、その友人を上手く巻き込む。
香川は倉見の両親に対して、「その体験学習会、私と二人で参加します」と告げ、その了承を得た。その際、香川は〈襤褸〉が出ない様、細心の注意を払ったと、後に聞かされている。それでも倉見の両親を説得するのに、かなりの時間を要したらしい。
結局、一日体験学習会が八月の八日、九日に開催される為、必然的に俺達が死直界へ行くのも、この日となる。
香川は、「ちゃんと、生きて返って来てね」と言ったが、その顔には不安感は全くなく、むしろ、「楽しんで来てね!」という雰囲気さえ放っていた。
(もしかしたら、『死語の世界』へ行くのを理解した振りをしながら、『あの二人、絶対にエッチな旅行だわ』と解釈しているんじゃ、ないのか?)と、俺には思えて仕方ない。だが、どの様に捉えられても、俺と倉見が「死語の世界」へ行く段取りが出来たのだけは事実であった。