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キネマ・エレジー  作者: サニー
祭りの夜
8/9

「藤田さんね、仕事が終わったけん、今日熊本に帰るて、出ていきんしゃったよ」


 大家の奥さんが、出勤しようとしている千枝に、窓越しに声をかけた。あの夜以来、藤田に一度も会えなかったことが心残りで、千枝はどうしても、もう一度藤田に会いたいと思った。


 その日、千枝は仕事が終わると、天神からひとりでバスに乗った。放生会は、命の尊さを教え殺生を戒めるという由来を持つ博多の秋祭りで、七百を越す露店が立ち並び、見物や買い物の人出で賑わう。千枝は昔から祭りが大好きだった。高校生の頃は、地元の夜祭に、友達と浴衣姿で出かけた。働くようになってからも毎年同僚と一緒に、缶ビール片手に千鳥足で夜店を冷やかして歩いた。祭りの場では誰もが楽しそうに笑っている。仕事柄、人間の苦しみや悲しみと向き合う毎日に疲れた心が、幸せそうな人々を眺めることでつかの間なごむのだ。

 

 今夜も祭りの賑わいは変わらなかった。会場の箱崎宮に着く頃にはすっかり日が暮れたが、露店の明かりであたりは煌々と明るかった。金魚すくい、射的、ヨーヨー釣りなどの昔ながらの遊びや、綿菓子、イカ焼き、りんご飴といった食べ物屋まで、ありとあらゆる種類の露店がびっしりと参道を埋め尽くしていた。

 しかし、今日の千枝には、夜店の賑わいも大好きな酒も目に入らなかった。虫が知らせるというのだろうか、千枝は、藤田がこの世の仕事の仕納めと言った絵看板とともに、まだこの場所にいるような予感がした。藤田に会ったところで何ができるかはわからないが、昔彼がどれほど非道なことをせよ、残り少ない余生を平穏に過ごせるようにならないもんかと願っていた。


 好天に恵まれたこともあって、参道はまるで福岡中の人が集まったかのような大変な人出だった。千枝は人の波をかき分けながらやっとの思いで本殿にたどりつき、簡単にお参りをすませると、藤田の絵看板が掲げられているお化け屋敷へと向かった。参道から少し離れた、バイクの曲芸や見世物小屋などが集まった広場の一角にそれはあった。


 白熱灯にてらしだされたお岩の青白い顔。顔の半分は見る影もなく崩れ、気味の悪い腫れ物に覆われている。開いているほうの右目は、白目のところに無数の血管が浮き出していた。けれど、その顔はお岩であってお岩ではない。非業の死を遂げた綾子が、怨みのこもった瞳でこちらをみつめている。人を呪い、世を呪い、死んでも死に切れぬ思いの丈がその瞳にはあふれている。絵看板の名手といわれた男が描いた、それはまさに渾身の幽霊画だった。千枝は思わず体に粟粒が立つのを感じた。


「凄いな」


「テレビで言ってたよ。この看板って、幻の映画看板の絵師の人が三十年ぶりに描いたんだって」

 

背後からそんな声が聞こえた。隣りに並んだ見世物小屋の、戯画化されたろくろ首や蛇女と比べるとその力量の差は際立った。


――藤田さんは本当に熊本に帰ったんだろうか


 








 

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