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貴族ではないユーリーンにとっては馴染みのない世界だがヴィヴィもフィアットも時々、憂鬱そうに夜会に出ていた。
「貴族って大変ね」
「平民になりたい」
モーラン公爵家生まれた時からマナーよりも剣の使い方を学び、女ならドレスの下に武器を隠す方法を教えられる。
公爵家という身分でありながら軍人として一生を終えたいと願う者が多く生まれる。
「爵位を返上しても功績でまた爵位を賜ることになるわよ」
「そう。それが問題なのよ。どうして褒美に爵位を渡すのかが理解できない」
過去の公爵家当主たちは子孫が軍人であることだけで生きていけるように何度も爵位返上したが、そのたびに功績を上げて一代爵位を賜ってきた。
その結果、面倒になった王家から爵位返上をモーラン家に関してだけは禁止する条例を作ってしまった。
「最高の誉れと言われている爵位をありがたがらないのも珍しいわね」
フィアットの隠れ家には使用人がいないから準備は自分でしなければいけない。
だが、そこには大きな身分という壁が立ち塞がった。
「こっ公爵家令嬢がお茶を用意するなど恐れ多いことです。ぼっぼくが淹れます」
「いえ、座って」
「そうはいきません」
「フィアット、この侍従は何か勘違いをしているようだけど?」
ガラスのコップを持ったフィアットと給仕を申し出た侍従との攻防が繰り広げられていた。
この隠れ家にお茶などという気の利いた飲み物はない。
それを知っているからガラスのコップに炭酸水を注いで出そうとしているだけのことだった。
「この家にお茶もお菓子もないの。あるのは水だけ」
「へっ?」
「巡回途中での休憩所みたいなものだから最低限しか準備がないのよね」
公爵家の持ち物なのに使用人も食べ物も置いていないことに侍従は眩暈を起こしていた。
残りの二つで何を言われるのか怯えている子爵家子息はソファに座って小さくなっていた。
「簡単なこと二つ言うわ」
「はぃ」
「一つは黙っておくこと。公爵家に喧嘩を売ったなどと間違ってもお父様に報告しないこと」
「どういうことですか?」
子爵家では到底償うことのできない慰謝料を請求されるか、首を刎ねられるかと考えていた子息は虚を突かれた。
「子爵家が公爵家に喧嘩を売ったなどという些末事にいちいち関わりたくないの」
「えっと」
「あなたが黙っていれば誰も困らない。どう?」
「フィアット、言葉が足りない」
「ならユーリーン、貴女が説明して」
良くも悪くもフィアットは公爵家令嬢であり、生まれた時から軍人であることを望まれた生活を送ってきた。
上から命令されれば従うということが身に染みている。
「モーラン公爵家としては今回のことを水に流すと言っているの。フィアットも当主も賠償だの慰謝料だのという手続きをしたくない。そこで黙っているということを命じているけど納得してもらえるかしら」
「それなら別にかまわない」
「坊ちゃま、言葉遣い」
侍従が慌てて指摘をするが、フィアットもユーリーンも気にしていない。
むしろ早々に二人を解放してしまいたかった。
「最後に、アルベンスという男は知っている?」
「あいつか」
「知っているのね?」
「はい、あいつは・・・・・・」
※※※
予定より遅れたが巡回を終えたフィアットとユーリーンは得た情報と共に駐屯所に戻った。
懸念をしていたアルベンスとは接触することはなく終わった。
「後宮破壊?」
「そう。そう呼ばれているんだって」
「そんな二つ名があるのでしたらすぐに調べられそうですが、軍に記録はありませんね」
「アルベンスとかいう男はきっとユーリーンをハーレムに加える気でいるのだと思う」
フィアットは仲間内では幼い感じで話すが、巡回のときは男言葉で、対外的には令嬢言葉と無意識に使い分けていた。
「ユーリーンには気を引き締めて“スペル”にかかっていただかないといけないですね」
「気を引き締めて“スペル”にかかるってどんな状態よ」
「大丈夫。身を任せれば問題ない」
「誤解を招く言い方は止めて」
“魅力”にかかることに不安は持っていなかった。
最終的にはどうにでもなるし、一過性のものに近いから離れておけば効果は切れる。
「それよりも気になることを言っていたのよ」
「気になること?どういったこと?」
「何でも領地に身分のある婦人が別荘を構えているけど、そこには様々な職業の女性が出入りしているそうよ」
「女性?」
お忍びでどこかの領地で旦那以外の人と逢瀬を楽しむ人もいる。
あまり褒められた趣味ではないが離婚することが難しい貴族ではよくあることだった。
「目立つのは冒険者や娼婦という女性も堂々と出入りしているところみたいよ」
「貴族令嬢なら嫌悪する人も多い職業ね」
「そこにアルベンスが出入りしているそうよ」
「ハーレムを築きながら貴族婦人をパトロンにしているということかしら?」
「そこのところも探ってみるけど、表立っていないというのは慎重なのかもしれないわね」
アルベンスの目的を探るための約束は明日に迫っていた。