学校への道
カラコロと軽快な音を立てて、グーデンベルト家の馬車が駆けていく。
二人の旅立ちを祝福するかのように空は青く晴れ渡り、街道沿いの草原は爽やかに揺れていた。
「わーっ、わーっ、わーっ、わたし、馬車に乗るのって初めてです! すっごく速いですーっ!」
花の香りに満ちた風に前髪を煽られながら、フェリスは馬車の窓から身を乗り出して歓声を上げた。
「フェ、フェリス! あんまり身を乗り出したら危ないわ!」
アリシアは気が気でないといった様子。
心配させては申し訳ないと思い、フェリスは大人しく座席に座る。けれど、視線は外の風景から離れない。
こんなに次々と景色が変わっていくのは初めてで、胸のドキドキが止まらなかった。
護衛の女剣士が豪快に笑う。
「あはは、お嬢ったら、フェリスのお姉さんみたいだねぇ。いつも一番年下だったのに、自分より小っちゃな子が来て責任感が湧いたって感じかい?」
「そ、そんなのじゃないわ! ただ、フェリスはなんだか放っておけないってだけで!」
頬を紅潮させるアリシア。
普段は大人びているのに、意外と幼い表情を垣間見て、フェリスは親近感を抱いてしまう。
アリシアはいそいそとバスケットから包みを取り出した。紙包みを開くと、中からは綺麗に切られたパンで野菜や肉を挟んだものが出てくる。
「ちょっと早いけど、お弁当にしましょ。メイド長が珍しく自分で作ってくれた、特製サンドイッチよ!」
「わー! さんどいっちって、初めてです!」
フェリスは美味しそうなパンを見てお腹をくーっと鳴らす。
そんなフェリスを、アリシアが微笑ましそうに眺める。
「ふふっ。フェリスって、なんでも初めてなのね」
「はいっ! 世界は初めてでいっぱいですっ!」
フェリスはサンドイッチを両手でちんまりと握り、笑顔を弾けさせた。
---------------------------------------------------------------------
グーデンベルト家の馬車で三日の旅を続けた後、トラブルが起こった。
急に右側の車輪が外れ、草原をコロコロと転がっていったのだ。
御者は大慌てで馬を止め、薄い頭から帽子を落としながら車輪を追いかけていったが、追いつけない。
谷底に落ちて砕けた車輪を眺める御者は、この世の終わりのように悲しそうな顔をしていた。
近くの街まで徒歩で移動したフェリスたちだったが、馬車は他にもあちこち故障していたらしく、修理に一週間かかるとのこと。
それでは魔法学校の開始に間に合わないので、フェリスたちは仕方なく乗合馬車を探すことにした。
「おかしいなぁ……出発の前の日に点検したときは、なんの故障もなかったんだが……」
しきりに首を傾げるお抱え御者は街に残り、護衛の女剣士はフェリスとアリシアに同行。
たくさんの人が行き交う街で乗合馬車を見つけたときには、もう夕暮れも近くなっていた。
フェリスはアリシアに手を引いて助けてもらいながら、乗合馬車に乗り込む。
車内には既に数人の先客がいて、フェリスたちのことをじろりと見た。
「おんや、こりゃぁちんまい相客だ。お父さんとお母さんは一緒じゃないのかい……?」
顔中が皺だらけのおばあさんが、しわがれた声で訊いてくる。
「お、お父さんとお母さんは、いないですけど……」
フェリスは怯えた。こんなに年を取った女の人を見るのは初めてで、なんだかお化けのように見えたのだ。
「家出なんて、感心しないねぇ。衛兵サンにしょっぴいてもらおうかい」
「しょ、しょっぴかれたくないですけど……」
誰かに無理やりどこかに連れて行かれるのは、嫌だった。やっと自分の足で好きなところへ行けるようになったのだ。
フェリスの後から、護衛の女剣士が乗り込んでくる。
「大丈夫さ、おばあさん。この子たちは屋敷から寄宿学校に向かってる途中でね。護衛のあたしがちゃーんと監督しとくから、迷惑もかけやしない」
それを聞いて、おばあさんの隣に座っている男が舌打ちする。
「けっ、金持ちが。乗合馬車なんか使ってんじゃねえよ。金臭くて鼻が曲がらぁ」
「わ、わわわわわたし、変なにおいしますかっ!?」
慌てて自分の袖などをクンクンするフェリス。
そんなフェリスの肩に、アリシアが手の平を載せた。
「落ち着いて、フェリス。そういう意味じゃないわ」
「どういう意味ですか……?」
フェリスにはよく分からない。
そして、乗合馬車の相客たちからは、冷たい視線ばかりが向けられているのを感じていた。
なにか悪いことをしてしまったのだろうかと必死に考えるが、理由が思い浮かばない。
フェリスにできるのは、アリシアの隣で小さく縮こまっていることだけだった。
乗合馬車が街から走り出す。
月もない夜空の下、荒涼とした平原を進み続ける。
相客たちはすぐにイビキを掻き始めたが、フェリスはなかなか寝つけなかった。
まず、近くに知らない人がいるというのが落ち着かない。
グーデンベルト家の馬車と違って粗末な造りの乗合馬車は、外から冷たい風が吹き込んでくる。
毛布を体にかけていても、フェリスの小さな体では充分な熱を生むことができず、フェリスは寒くて震えていた。
それに気付いたアリシアが心配そうに見やる。
「フェリス……寒いの?」
「だ、大丈夫です! 冬の鉱山の方がもっと寒いですから! くちゅん!」
やせ我慢するものの、くしゃみまでは止められない。
「もう、全然大丈夫じゃないじゃない。ほら、こっちに来て。くっついてたら、寒くないわ」
アリシアは自分の毛布の中にフェリスを招き、ぴっとりと体を密着させた。
温かくて、心地良い感触。
二人で鼻まで毛布を被って寄り添っていると、フェリスは体がぽかぽかしてくる。
「ほんとに……寒く……ないです……えへへ……」
夢のような安心感。
いくらも経たないうちに、フェリスは穏やかな眠りに誘われていった。
---------------------------------------------------------------------
「お、おい! あれ、なんだよ!?」
「とんでもねぇ数だ! なんでこんなところで!?」
騒々しい叫びに起こされ、フェリスは目を開けた。
しきりに打ち鳴らされる鞭の音。馬車が物凄い勢いで走っている。
女剣士は窓から首を出して外を眺めており、その手は腰の剣に添えられている。
引きつった顔をしているアリシアに、フェリスは尋ねる。
「あ、あの、どうかしたんですか……?」
「ちょっと、ね。魔物が出たの。でもきっと大丈夫だから、フェリスは心配しないで」
そう言いつつも、アリシアの声はこわばっている。
「ま、まもの……」
その単語は、フェリスも聞いたことがある。
魔石鉱山でも、屈強な親方や鉱夫たちが恐怖に青ざめながら「まもの」の噂話をしていたのだ。
それは、人とも獣とも違う、邪悪な存在。家畜を襲ったり、人間を喰い殺したりと、酷いことばかりするらしい。
一般人では抵抗できず、プロの兵士でさえ簡単に殺されてしまう。そのくらい、恐ろしい力を持っているんだとか。
そんな魔物が、たくさん……?
フェリスは怯えながら、窓からそっと外を覗いた。
「ひっ……!?」
いた。
剣を持った骸骨が、何十体もわらわらと走ってきている。
その速度たるや、馬車に負けず劣らず、いや、凄まじい勢いで距離を詰めてきている。
「ダメだ、追いつかれる!」
御者が悲痛に叫び、馬車になにかが激突した。
馬が激しくいななきながら立ち尽くし、馬車が急停止する。
床に投げ出される乗客たち、フェリスを必死に抱きすくめるアリシア。
「お嬢たちは中に隠れてな! あたしがなんとかする!」
女剣士が馬車から飛び降りた。
骸骨たちが剣を振りかざし、一斉に女剣士に飛びかかってくる。
打ち合う刃、闇に散る火花。
目にも止まらぬ速度で、女剣士の剣が踊る。
骸骨の刃が女剣士の肩をえぐり、鮮血がほとばしった。
何十体という骸骨たちが、寄ってたかって女剣士に斬りつける。
なまなましい斬撃音に、フェリスは震え上がって両手で耳を塞ぐ。
だが、戦いの音は容赦なく耳に流れ込んでくる。
「ったく、好き勝手やってくれるねえ……けど、あたしもロバートさんには借りがあるんでね! お嬢たちをやらせるわけにはいかないんだよ!」
女剣士が咆哮し、上から下へ勢いよく剣を振り下ろした。
両断される骸骨。
女剣士はまるで獣になったかのように、次々と骸骨を屠っていく。
あっという間に骸骨の群れは斬り伏せられ、地面に転がって動かぬ骨と化した。
「すごい……」
フェリスは女剣士の強さに目を見張る。
かっこいい、と思った。あんな頼もしい大人に自分がなれるとは思えないけれど、でも、憧れる。
これでもう安心だとも感じた。
だが。
突然、大地に紫色の魔法陣が広がるや、地面が隆起し始めた。
地を割り、大量の土砂を流れ落とさせながら現れたのは……雲を突くような巨大な骸骨。
ぽっかりと空いた眼孔に薄暗い灯りをともし、大顎から紫の霧を吐く。
その手の平には、まるで大木のような棍棒が握られていた。
「やれやれ……マジかい……。笑えないね……」
女剣士は歯ぎしりをしながらも、巨大な骸骨に突進していく。
吠えながら骸骨に斬りかかるが、大きな拳に薙ぎ払われ、宙を吹き飛んだ。
地面に転がり、すぐに動かなくなる。
「そ、そんな……!」
アリシアは大急ぎで荷物から棒きれを引っ張り出した。
馬車から転がり出るや、見事な装飾のされた棒きれを巨大な骸骨に向かって構える。
アリシアの口から、不思議な言葉が流れ出る。
「浄化の炎よ、悪しき者を解き放て――スピリファイ!!」
彼女の握る棒きれから、火の玉が放たれた。
火の玉が骸骨に叩きつける。
しかし、骸骨はなんの損傷も受けることなく、馬車の方へと迫ってくる。
歯を噛み鳴らし、地響きを立て、棍棒を振りながら。
乗客たちは馬車の壁に張り付き、膝を震わせている。
「だめだ……もうだめだ……俺たちは死ぬんだ……」
「いやだ! 魔物のエサになんてなりたくねえ! いやだああ!」
「神様……神様……」
諦めきった者、パニックに陥る者、ひたすらなにかを呟く者。
頼みの綱だった女剣士は、地面に倒れたまま、額から血を流している。
フェリスはガタガタ震えた。
怖くてたまらなかった。
あんなふうに骸骨に殴られて死ぬなんて、絶対に嫌だった。
きっと痛いのだろう、とんでもなく苦しいのだろう。想像しただけで、目がじわっと潤んでくる。
「フェリス……!」
そんなフェリスを、アリシアがぎゅっと抱き締めた。
まるで巨大な骸骨から守ろうとするかのように、地に伏せ、自らの体を盾にする。
アリシアが震えていることに、フェリスは気付いた。
そうだ。アリシアだって怖いのだ。フェリスといくらも変わらない、小さな女の子なのだ。
だけど、こうやってフェリスを助けようとしてくれている。
自分が怖いのを我慢して、必死に頑張ってくれている。
そう思うと、フェリスは体の中に熱いなにかが灯るのを感じた。
アリシアの腕の中から抜け出し、起き上がる。
「フェ、フェリス……?」
戸惑うアリシアを背中にして立ち。
崩れそうになる足をしっかりと踏みしめて。
震える手の平を、巨大な骸骨へ掲げた。
心臓の押し潰されそうなほどの恐怖と闘いながら、アリシアが使ったのと同じ言霊を、唱える。
「じょ、浄化の炎よ……悪しき者を解き放て……すぴりふぁい!」
ありとあらゆる世界の音が、やんだ。
揺れる草さえ動きを止め、空気が凍りつく。
直後、フェリスの手の平から恐るべき勢いで炎が噴き出した。
炎は巨大な業火の塊となり、ごうごうと渦巻いて、夜の世界を光に染める。
火炎が、虚空を引き裂きながら骸骨に叩きつけた。
燃え盛る紅蓮。
断末魔の絶叫を響かせる骸骨。
炎が骨を焼き尽くし、瓦解させ、灰の一欠片にいたるまで蒸発させる。
一瞬の後、そこには熱波以外のなにも残されていなかった。
敵は失せ、身の危険はない。
フェリスはぺたんと地面に座り込む。
アリシアが慌てて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫!?」
「こ、腰が、抜けちゃいました……」
フェリスはアリシアを見上げ、情けなく笑った。
---------------------------------------------------------------------
「いろいろとすまなかった! この通りだ!」
再び走り出した乗合馬車の中で、フェリスは相客たちに頭を下げられた。
「え……? え……?」
戸惑うフェリス。
「俺らが助かったのは、嬢ちゃんのお陰だよ! なんか悪口とか言ってて、申し訳ねえ……本当にありがとうな!」
ずっと感じの悪かった男が、熱心に言ってくる。
「これでまた、孫の顔を見れるってもんだよ。ありがたや、ありがたや……」
しわしわのおばあさんが、フェリスに向かって手を合わせる。
「お前、すげぇ魔術師だったんだな! オレの命の恩人だぜ!」
ガタイのいい青年が、快活に笑う。
「まさか護衛対象に助けてもらっちゃうとはね。驚きだよ」
女剣士はアリシアに包帯を巻いてもらいながら苦笑する。しばらく気を失っていたが、命に関わる負傷はしていないようだ。
どうやら、フェリスはみんなから感謝されているらしい。
けれど、こんないっぺんにいろいろ言われると、どう返事をしたらいいのか分からず慌ててしまう。
「嬢ちゃん、あれだけ凄い魔術を使ったら腹が減っただろう。うちの女房が作ったハムだが……良かったら食ってくれ!」
「このクッキーも、食え食え!」
「旨いマドレーヌもあるぞ! 育ち盛りだからいくらでもいけるよな!」
「うちの孫の土産にあげる予定だった洋服だけど……、孫には今度でいいさ! この洋服も食べておくれ!」
相客たちが次から次へとフェリスに勧めてくる。
「ちょ、ちょっと! フェリスの口になんでもかんでも詰め込むのはやめて! 破裂するわ!」
止めるアリシア。
「むぐぐぐぐぐぐぐぐーっ!?」
フェリスはほっぺたを美味しい物でいっぱいにしながら、目を白黒させた。