無限少女
「……これが、アリシア嬢を助けたという少女か。またずいぶん小さいな」
グーデンベルト家の応接間。
鎧で身を固めたいかめしい男が、ぎょろりと目を剥いてフェリスを見た。
「ご、ごめんなさい……」
フェリスは縮こまって謝罪する。
自分が小さいことが、申し訳なくて仕方なかった。なぜそれがいけないことなのかは分からないが、とにかく許して欲しい感じがする。
アリシアの父親であるロバート・グーデンベルト――立派なローブを身に着けた口髭の男性が、咳払いする。
「衛兵長殿。あまりその子を怖がらせないでやってくれないかね。その子は娘の恩人……ひいては私の恩人でもあるのだからね」
「別にワシは怖がらせているつもりなぞない」
衛兵長と呼ばれた鎧の男はすねたように言った。
フェリスへの威圧感を減らそうとしているのか、身を縮こまらせるが、その筋肉質な巨体と無骨な顔立ちでは、たいした効果もない。
とりあえず悪い人ではなさそうだとフェリスは思ったが、しかし大きな人は怖い。アリシアの背中に隠れるようにして、おどおどと衛兵長の方を覗き込んだ。
「だ、大丈夫です……そこまで怖くないですから……。そ、それで、わたしに聞きたいことって、なんですか……?」
衛兵長が告げる。
「聞きたいのは、アリシア嬢を襲った二人組の暴漢についてだ。アリシア嬢は連中の顔を確認していないそうだが、お前は見ていないのか?」
「は、はい……フードを深く被ってましたし、布で顔をぐるぐるって巻いてましたし……」
「ふむ……なにか、連中の身元が分かるようなものはなかったか? 紋章とか、独特な呪文とか、なまりとか」
「覚えていません……すみません……」
うなだれるフェリス。
アリシアはフェリスをかばうようにして言う。
「そんなことを確かめている余裕なんてなかったし、そもそも襲撃者なら身元が分かるようなへまはしないでしょう」
「……確かに」
衛兵長はうなずき、フェリスを眺める。
「で、お前はなぜ事件の現場に居合わせた? あの辺りの下町を根城にしている浮浪児か?」
「い、いえ、その……この街に来たのは、初めてで……」
「よその人間なのか。どこから来た?」
「え、えっと……遠いところから……」
フェリスはごにょごにょと口ごもった。
衛兵長はフェリスの方へ身を乗り出し、眉をひそめる。
「どうも怪しいな……お前、なにかを隠しているだろう。人に言えない後ろめたいことがある、そんなにおいがする」
「あ、ありますけど……言えませんけど……」
フェリスは肩を小刻みに震わせた。
「もしかすると、襲撃者たちの仲間ではないのか? だから現場に居合わせ、アリシア嬢を助けたふりをしているのでは……?」
「ちょっと、衛兵長様!? それはないでしょう!?」
「いいや、ワシには分かる。膨大な数の罪人を見てきたワシには、秘密のにおいがすぐ嗅ぎ取れるのだ。言え、なにを隠している?」
衛兵長がゆっくりとフェリスに近づいてくる。
フェリスは目を見張って後じさる。
「フェリス、なにかあるなら言って。大切な恩人のあなたが疑われているなんて嫌よ」
アリシアが懇願する。
「で、でも、元の場所に連れ戻されるかもですし……」
「元の場所……?」
「嫌です! あそこには戻りたくないんです! 嫌なんです!」
訴えるフェリスの手を、アリシアがそっと握る。
「大丈夫。どこか知らないけど、あなたを連れて行かせはしないわ。だから、教えて、ね?」
「は、はい……」
フェリスは息を吐いた。なぜか、アリシアに触れられていると、あらゆることへの恐怖が和らぐ気がする。
フェリスはためらいがちに切り出した。
「私、鉱山奴隷なんです……でも、親方たちに酷いこと言われて、逃げ出してきちゃって……」
「鉱山奴隷? どこのだ?」
衛兵長がモジャモジャの眉を上げて訊いた。
フェリスはその鋭い視線を避けながら話す。
「場所はよく分かりませんけど……、魔石を採ってる鉱山でした。わたしが鉱山の中に潜って魔石を掘って、親方たちが精錬するんです」
「ハッ」
衛兵長が失笑した。
「聞いたか、ロバート。こいつはまったく信用ならん。嘘八百しか申しておらんぞ」
「魔石鉱山、か……」
ロバートが難しい顔をした。
「フェリス……それ、他のレアメタルと勘違いしてるんじゃない? ほら、オリハルコンとか……」
アリシアも困ったような表情をする。
「え……ど、どうしたんですか、皆さん……?」
フェリスは周囲の反応に当惑した。自分はなにか変なことを言ったのだろうかと心配になる。
衛兵長が大げさにため息を吐いた。
「いいか、小娘。魔石とは、高濃度の魔力の結晶だ。ワシの拳くらいの大きさの魔石一個でも、レジスト処理をしなければ人体には猛烈な毒になる。それが原石のままゴロゴロ転がっている鉱山に人が潜ったら、どうなるか分かるか?」
「つらい気持ちになる……ですか?」
「つらい気持ちで済むか! 死ぬわ! 鉱山に近づいただけでブッ倒れるわ! だから魔石鉱山なんぞナンセンス! そんなものは封印されて、誰も近づかない禁域になっておるのだ!」
「で、でも、わたし本当に魔石鉱山にいました! 親方たちは絶対に坑道に近づいてきてませんでしたけど……」
そうか、あれはそういう理由があったのか、とフェリスは腑に落ちる思いがした。ハァハァ言いながらフェリスに迫ってきた鉱夫が倒れたのも、きっと魔石が猛毒だからなのだ。
「ふん、ならばお前はどうして魔石鉱山に潜れたのだ。自分だけが特別だとでも言うのか?」
「そ、そういうわけじゃ、ないですけど……」
「だったら、お前は嘘吐きだ。偽証が罪だということは分かっておるだろうな……?」
衛兵長が鬼の形相でフェリスを見下ろす。その巨大な影がフェリスの小さな体に覆い被さってくる。
「ひっ……!?」
フェリスはガタガタ震えた。悪いことをしたから殴られるのだろうか、それとも死刑なのだろうかと、すくみ上がる。
だが、そこへアリシアが割って入った。
「……待って。きっと、全部事実なのよ」
「……どういうことだね」
ロバートが尋ねる。
「私を暴漢たちから助けてくれたとき、この子……召喚魔法を使ったの」
「召喚魔法!?」
「アリシア嬢まで法螺を吹き始めるか! 付き合っておれんぞ!」
衛兵長は肩を怒らせた。
「法螺じゃないわ。本当よ。私がこの目で見たもの。だから……この子は普通じゃない。魔石への耐性を持っていても……おかしくないわ」
「ふむ……」
ロバートは顎をひねって思案する。
「ロバート、まさかこの子供たちの戯れ言を信じるつもりではなかろうな! 召喚魔法など、神話と伝説の時代の代物……こんな小娘に使えるわけがない!」
そう、召喚魔法は「究極の」魔法だ。異界より強大な存在を呼び寄せ、使役する。それには膨大な魔力が必要とされ、神話時代の魔導師たちですら、代償に命を失うことも多かったという。
今の時代、召喚魔法は文献とお伽話の題材に過ぎず、その使い方さえ定かではない。その魔法が復活したというのなら、大変な事態になるだろう。
「……試してみようじゃないか。我が屋敷には魔術師の能力を測定する魔導具がある。それで調べて見れば、彼女の言葉が真実かどうか、はっきり分かるというものだ」
ロバートは呼び鈴を鳴らし、メイドに測定器を持ってくるよう申しつけた。
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机の上に測定器が載っている。
水晶玉と歯車、パイプを組み合わせた歪な外観だが、精度の信頼性は高い。
主に魔術師候補生の能力を測るため用いられ、被験者がレバーに手を添えるだけで、水晶玉に能力値が表示される。
アリシアもときどきこの計測器を使って自分の能力をチェックしているが、一般的な魔術師の数値は、魔力100、魔法攻撃力100、魔法耐性100が基準とされる。
それより低ければ才能が足りないことになるし、200くらいなら人の二倍の能力。スーパーエリートとして、将来の成功が約束される。
父親のロバートと衛兵長が見守る中、アリシアはフェリスに頼んだ。
「それじゃあ……フェリス。その金色のレバーを握ってくれる?」
「は、はい……」
フェリスはごくりと唾を呑んで、測定器のレバーに手を伸ばした。
アリシアたち三人は、水晶玉を凝視する。
フェリスがレバーを掴むと……水晶玉の中で銀色の細片が踊り始め、数字を形作っていく。
きらきらと舞い踊る、魔石のかけら。
フェリスの力に反応し、それらが指し示した数値は。
魔力 15000
魔法攻撃力 28000
……いずれも、国家を揺るがすレベルの高位魔導師級だった。戦場に投入されれば、単騎で軍勢を壊滅させ、都市を消滅させることができる、神々の領域だ。
だが、一同が唖然として見つめたのは、もう一つの数値である。
魔法耐性 ∞
無限を表す記号。
これが意味するのは……フェリスにはあらゆる魔法が効果を示さないということだった。当然、魔石の猛毒も彼女を侵すことはない。
衛兵長が肩をわななかせる。
「あ、あり得ぬ! 測定器の故障ではないのか! こんな、魔術師候補生でもない浮浪児が、そのような魔術の才を持つわけが……!」
ロバートが首を振る。
「いや……故障ではないはずだ。昨日もアリシアの能力値の計測に使ったが、そのときはちゃんと動いていた」
「だったら、なにか魔術を使ってみろ! よほど凄まじい力を見せてくれるんだろうな!」
衛兵長がフェリスに押し迫る。
「えっ……えっ……魔術って、どうやって、使うんですか……?」
「魔術師たちは言霊を使うのだ。なんだったか……そう、灯りの魔術でいい! 『ブライト』と唱えてみろ!」
「ぶらいと……?」
フェリスが呟いた途端。
彼女の瞳に、奇妙な色が宿った。
まるで死人のような、凍りついた瞳。
そしてフェリスの手の平から、光球が生まれる。
光球は恐るべき速度で膨張していく。
机が白に染まり、崩れ落ちた。
床が光と化して消えて行く。
轟々と渦巻く風。
本棚から本が巻き上げられ、壁に亀裂が走り、すべてが光に侵食されていく。
「えっ、な、なにっ、これ……」
驚き慌てるフェリスが光に包まれ、床から浮き上がる。
その髪も、肌も、燃え盛る太陽のように光り輝いている。
フェリスの光がアリシアの靴先に達し、革を消滅させた。
アリシアは悲鳴を上げて飛び退く。
「……まずい!!」
ロバートが首に提げた鎖からボトルを引きちぎり、フェリスに向かって投げつけた。
ボトルが弾け、内部の赤い液体が飛散すると、フェリスの光が拡大をやめる。その光球は徐々に縮み、豆粒大に小さくなるや、ぷすんと音を立てて消え失せた。
「はあっ……」
アリシアは床にへたり込む。心臓がバクバク鳴っていた。
こんな強大な魔術、見たことがない。ただの照明魔術だったはずなのに、呪文も照明魔術のものだったのに、あの光は屋敷を丸ごと吹き飛ばそうとしているかのようだった。
父親のロバートも、そして衛兵長も、血の気を失った顔をしている。
フェリスは当惑気味に尋ねる。
「あ、あの……わたし、ちゃんと魔術を使えたんでしょうか……?」
「あ、ああ……お前が嘘を吐いていないということは、よく分かった……すまなかった」
衛兵長が頭を下げる。
「い、いえいえ! わたしも魔術なんて使えたのは初めてですし! 自分でもびっくりですし!」
「初めてで、これか……」
泡を食って手を振るフェリスを、衛兵長は化け物を眺めるような目で見る。
ロバートは厳しい面持ちでフェリスに告げた。
「悪いが……、先にアリシアの部屋に戻っていてくれるか。私たちは、少し話し合わねばならないことができた」
「わ、分かりました! 失礼しました!」
フェリスは脱兎のごとく部屋から転がり出た。
その姿は、ほんの小さな女の子にしか見えない。ずてっと転び、慌てて起き上がって走り出す様子を見ると、アリシアはさっきの恐ろしい魔術が夢だったかのように思えた。
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「まさか……あんな神話級の化け物に遭遇するとはな。さっそく王宮に報告せねば……」
衛兵長は額の汗をぬぐった。
ロバートは机の上で手を組み、眉を寄せる。
「いや……ここで見たことは、なかったことにして欲しい」
「なぜだ? このような戦力を報告しなかったことが後で明らかになれば、総司令官閣下から厳しいお咎めを受けるぞ」
「それでも、だ。今、我が国と周辺諸国家は、永きにわたる戦乱を経て、ようやく和平の道に進もうとしているところなのだ。そんなタイミングで、我が国があれほどの戦力を擁したと知られたら、どうなる」
「また……戦いが激しくなる、わね……」
アリシアはかすれた声を絞り出した。
「そう。今度こそ、取り返しがつかないほどの大戦が湧き起こるだろう。拡張論者たちはフェリスを使って領土を広げるため、穏健派を粛正しようとしてくるはずだ。陛下を始めとする方々の身も、危ない」
「それは……なんとしても避けねばならんな」
衛兵長が拳を握り締めた。
「だから……フェリスの桁外れの能力については、一切他言無用だ。フェリス本人にも、な」
「どうして?」
本人には伝えておくべきではないかとアリシアは思う。そうしたらフェリスも、少しは自分に自信を持つことができるだろう。今まで奴隷として、ひたすら虐げられていたのだろうから、彼女には自信が必要だ。
だが、ロバートは語る。
「黒雨の魔女……の伝承は知っているだろう」
「千年前、強大な魔力で世界に災厄を撒き散らした大罪人だな」
「ああ。彼女も若くして、人並み外れた才能を持った魔女だった。しかし、彼女はあまりにも若く、自らの欲望や感情を抑えることができず……身を滅ぼした。最強という名に酔い、溺れ、壊れていったのだ」
「フェリスもそうなるかもしれないって、思うの……?」
「分からない。しかし、フェリスはまだ幼い。自分に勝てる存在がこの世にいないと気付けば……その心がどうなってしまうか、想像もつかない」
父親の言葉はもっともだった。
もし自分が最強の力を手に入れたらどうなるか、それはアリシア自身にも予想できない。
自分は十二歳になって、大人並みの分別を身に着けたつもりではあるが、たとえ大人であろうとも、神になる誘惑に打ち勝つのは難しいことだろう。
「……分かったわ。フェリスにも言わない」
「ワシも、今日のことは胸のうちに隠しておこう」
「頼んだ。フェリスのためにも、この世界のためにも……それが一番だ」
ロバートは深々と吐息をついた。
アリシアの目をじっと見る。
「アリシア。お前はフェリスに年も近い。彼女を守ってやってくれ。あらゆる悪から、そして彼女自身からも」
「……もちろんよ」
アリシアはぎゅっと手を握り締める。
たとえ父親に言われなくとも、恩人が不幸になるようなことは、決して許してはならないと思った。