絵本の世界
「きゃあっ!?」「ひゃう!」「んっ!」
ジャネットとフェリスとアリシアは地面に墜落し、声を漏らした。
ものすごく高いところから落ちてきたような気がしたので、フェリスはよほど痛い思いをするのかと身構えていたのだが、たいして痛くない。地面はベッドのマットよりもやわらかく、ふかふかだった。見た目は普通の原っぱのような感じなのに、どうも違う。
フェリスがよくよく周りを見回してみれば、花はなんだか落書きみたいなデザインだし、可愛い顔が描いてあったりもするのだ。
「ここ、どこでしょう……? さっきまで屋根裏部屋にいましたよね……?」
起き上がり、振り返ったフェリスの姿に、ジャネットは一瞬で心臓が止まりそうになった。それも、良い方向に。
「か、かかかかかかか……」
フェリスを見つめ、わなわなと手を震わせるジャネット。
その視線の先には、頭にウサギの耳を生やし、小さなお尻にウサギの尻尾を生やし、ふわふわのウサギみたいな衣装を身に着けたフェリスがいたのだ。
「かわいいいいいですわーーーーーーーーっ!」
「ふひゃあああああああっ!?」
ジャネットに全力で抱きすくめられ、フェリスは悲鳴を上げた。ジャネットはフェリスのウサ耳にものすごい勢いでほっぺたを擦りつけ、抱き上げたフェリスの体をぶんぶん振り回す。フェリスは目が回ってしまうし息はできないし恥ずかしいしで、もうどうしたらいいか分からない。
アリシアが注意する。
「ちょっと、ジャネット。あんまり振り回すと、フェリスがちぎれてしまうわ」
「あ、そ、そうですわね……。ごめんなさい」
ジャネットは我に返ってフェリスを地面に下ろした。
「だ、だいじょうぶですううううう……」
フェリスはふらふらになってアリシアの腕にしがみつく。
ジャネットはアリシアを見やり、小さく吹き出した。
「その格好、お遊戯会ですの? 十二歳でそれはないと思いますわ!」
「わー!? アリシアさん、すっごく綺麗ですーっ!」
そう、フェリスだけでなくアリシアまでもが、さっきまでとは違う姿になっていた。アリシアの背中には輝く虹色の羽が生え、その身には優美な緑の薄衣をまとっていたのだ。まさにフェアリー、森の妖精。アリシアの可憐な顔立ちと相まって、夢のような美しさをもたらしている。
「そういうジャネットも、可愛い猫になってるわよ」
アリシアに指摘され、ジャネットはぎょっと自分の体を見下ろした。
胸元が大きく開き、裾がぎりぎりまで切り詰められた黒のワンピース。大人っぽい網タイツに、黒のローファー、黒の手袋。お尻からは尻尾がぴんと張り詰め、頭には猫の耳が生えている。露出度が高い大胆なデザインだが、スタイル抜群のジャネットにはよく似合っている。
「な、なななななななんですのー!? どうしてわたくしばっかりこんな格好に――――――!?」
ジャネットは涙目で自分の体を抱き締めて縮こまった。羞恥心のあまり、顔は真っ赤になっている。いくら強気なお嬢様とはいえ、そこは十二歳。大人の階段を上るには、少々早いのである。
だが、フェリスは胸元で手を握り締めて熱心に言う。
「ジャネットさん素敵です! 大人の女の人みたいですっ! 憧れちゃいますっ!」
「そ、そうですかしら!? そうですわよね! わたくしにこそふさわしい、わたくしのための衣装ですわよね!」
ジャネットは単純だった。瞬時に羞恥心を振り払い、凛々しく背を張り伸ばす。
そんなジャネットをアリシアがじーっと眺める。
「どうしてじろじろ見るんですの!? なにか言いたそうですわね!」
「ふふ、気のせいよ」
「いいえ、気のせいじゃありませんわ!」
「ところで、ジャネットはその耳、外せる? 私は羽を外せなかったのだけど……」
「……え? アクセサリーなんだから外せると思いますわよ?」
ジャネットは自分の猫耳を無造作に引っ張った。途端、凄まじい激痛が頭部に走ってしゃがみ込む。
「いったあ……ええ!? どうして!?」
「わたしもやってみます……えい! えい!」
フェリスは自分の頭に生えたウサギの耳を引っ張るが、やはり外れない。痛くて涙が出てしまう。それでも引っ張り続けるフェリスをアリシアが急いで止める。
「これ……アクセサリーじゃないし、感覚もあるわよね……? 本当に私たちの体から生えてるんじゃ……」
「そ、そんなの、シャレになっていませんわよ! ラインツリッヒ一族の娘が、ね、猫になってしまうだなんて! お父様に叱られますわ!」
「叱られるとかそういう問題でもないと思うのだけど……」
三人が困惑していると。
遠くから生き物の大群が、土煙を上げて突進してきた。
三人は思わず、近くの茂みに飛び込んで身を隠す。
その生き物は、いずれもアレフベートの形をしていた。胴体が文字の形そのままなのである。そこに小さな手足と目や口がついており、しきりに話を交わしながら走っている。
「やばい! やばいぞ! このままじゃ間に合わない!」「急げー! 次のページに急げー!」「お前、これ順番おかしくね!?」「細かいこと言ってる暇あるか! ピリオドが最後にいればいいんだよ!」
わーわー騒ぎながら文字の大軍が押し寄せ、大洪水のようにして駆け去っていく。
踏みにじられた草原に、フェリスたち三人は茂みから恐る恐る這い出した。
「あ、あんな魔物……見たことありまして?」
「私が読んだ資料書には、一度も出てきたことないわ……」
呆然とするジャネットとアリシア。
空を見上げていたフェリスは、ぽんと小さく手を打った。
「あ! ここって、もしかして、絵本の中じゃないでしょうか!」
「絵本の中……? なんの冗談ですの?」
「冗談じゃないですよう! ほら、あの空! さっき屋根裏部屋で見た絵本の表紙に描いてあったのと、おんなじ形の雲が浮かんでるんです! この原っぱも絵本の表紙とそっくりですし……」
「そういえば……」
アリシアはゆっくりと辺りを見回す。
ジャネットも視線を巡らす。
そして、見つけた。見つけてしまった。
地面に、でかでかと絵本の著者名が刻み込まれているのを。
ジャネットの顔が、さーっと青ざめる。
「じゃ、じゃ、じゃあ、わたくしたち、本当に……?」
「なんらかのマジックアイテムだったのかもしれないわね……さっきの絵本。開いた人を呑み込む魔術でもかかっていたんじゃないかしら……」
「ど、どうするんですの!? ここから出られるんですの!?」
アリシアが両手を合わせる。
「そうそう、以前聞いたことがあるわ。神隠しにあった人は、早くその異空間から脱出しないと、そこの住人になってしまうこともあるらしいって。今ちょっと思い出しただけだから、気にしないで」
「どうしてそんな怖いことを今思い出すんですのー!?」
「脅かさないでくださいよう!」
ジャネットとフェリスは震え上がった。
空にはコッペパンみたいな雲が浮かび、草原には笑顔の花が咲いている。とてもメルヘンチックな風景で、あまり恐ろしい場所ではないが、このようなところで一生暮らすのは勘弁願いたいジャネットである。
ウサ耳のフェリスと一緒ならいてもいいかも……と少し思ったりするが、いやいやフェリスとはもっといろんなところに行きたいのだと雑念を払いのける。
フェリスは両手を掲げて声を上げる。
「『魔素さん! ここからわたしたちを外に出してください!』」
しかし、なにも起こらない。
「フェリスの魔術が発動しない……?」
唖然とするジャネット。
「異空間だから、普通の世界とは法則が違うのかもしれないわね……」
「それじゃどうしようもありませんわよ!?」
「えとえとっ……どうしたら……どうしたらっ……?」
フェリスはうんうんと頭を振り絞り。
「そうです! クマさんに会いに行きましょう!」
と思いついた。
「クマさん?」
首を傾げるジャネット。
「はい! この絵本の題名って、『幸せなクマさん』でしたよね!? だったら、クマさんが主人公だと思うんです! きっと、この世界のこと、誰よりも知ってるはずです!」
「なるほど……絵本からの抜け出し方も、教えてくれるかもしれないってことね?」
「そうです! ダメ、でしょうか……? や、やっぱり、ダメですよね……」
フェリスは心配そうにジャネットとアリシアの顔を見上げる。自分のアイディアに自信がないらしい。
ジャネットとアリシアは顔を見合わせた。
「そんなことありませんわ! グッドアイディアですわ! さすがフェリスですわ!」
「ええ。他に方法も思いつかないし、とりあえず行ってみましょう。まずは行動あるのみよね」
「ありがとうございますっ!」
少女たち三人は手を取り合い、絵本の世界を歩き始めた。




