魔物ガズーラ
森の奥深く、木々を押し分けるようにして突き出した丘があった。
ごつごつとした岩肌を、フェリスたち三人はゆっくりと登っていく。
ちょっと足を踏み外したら何十メートルも転げ落ちそうな斜面や、見上げるほどの絶壁もあり、気を抜けなかった。
辺りにはうっすらと霧が漂っており、湿度の高い空間で三人は汗ばんでいく。丘とはいえ、それはもはや山に近く、女の子の体力ではなかなか厳しい道のりだ。
アリシアは気遣わしげにフェリスを見やる。
「大丈夫? ずいぶんつらそうだけど……」
「だ、大丈夫です! そんなにつらくはないですから!」
なんて反射的に首を振りつつも、フェリスは肩で息をしていた。
「わ、わたくしがおんぶしてさしあげますわ! さあ、フェリス、お乗りになって!」
ジャネットがいそいそとフェリスの前でしゃがみ込み、おんぶにいざなおうとする。
「ジャネットさんって、昔とずいぶん印象変わったわよね……こんな、誰かのお世話をしたがる人だとは思ってなかったし……」
アリシアはジャネットを眺めてつぶやいた。
ジャネットは赤面する。
「よ、よろしいじゃありませんの! フェリスを見ていたら、むしょうに放っておけなくなるのですわ! なにか悪くって!?」
アリシアは微笑む。
「悪いとは思わないわ。私も同じだし」
「あ、あああなたとわたくしは違いますわ!」
ぷいっとそっぽを向くジャネット。
そんな二人の厚意に包まれ、フェリスはにこにこする。
子供扱いされるのはちょっと恥ずかしいけれど、でも、大好きな二人に愛されているのはとっても嬉しかった。
三人は丘の頂上に登り切り、警戒しながら周囲を見回す。
「ガズーラ、まだ出てきませんわね……」
「うーん、確かにこの丘に生息しているってしおりに書いてあったのだけど……」
「おひるね中でしょうか? 先にごはんを済ませちゃいましょー!」
フェリスがピクニック気分で荷袋から携帯食料を取り出した、そのときである。
周囲に激震が走り、丘の頂上、その地面が破裂した。
土砂が飛び散り、地下から大きな筒のような生き物が噴き出してくる。
それはまさに……。
「ミ、ミミズですううううううううううっ!!!!」
フェリスは心からの悲鳴をほとばしらせた。
全長何メートルあるとも知れぬ、巨大なミミズ。
ぬめぬめした紫色の体躯を蠢かし、口から汚らしい粘液を滴らせている。
そして、特筆すべきは、その臭いである。
残飯と死体を混ぜ合わせて最凶最悪の菌を繁殖させたような、胸の悪くなるような腐臭が放たれているのだ。
「こ、これは……強烈な魔物もいるものですわね……」
ジャネットは身をこわばらせた。
アリシアは拳を固める。
「これがガズーラよ。倒せば1000ポイントになるわ。頑張りましょ!」
「が、頑張りたいですけど……」
カタカタと震えるフェリス。
「フェリス? どうしたんですの? すごい冷や汗ですわ」
「わ、わたし、ミミズはダメなんです……。鉱山で魔石を掘っていたとき、ミミズだらけの洞穴に落ちちゃったことがあって……脱出できるまで三日三晩にゅるにゅるで、ぬめぬめでぇぇぇぇ……」
その目はもはや焦点が合っていない。
よほど恐ろしい思いをしたのだろうということが、見ているジャネットやアリシアにも容易に察せられた。
こんなときこそフェリスに良いところを見せるときだと、ジャネットは拳を握り締める。
「大丈夫ですわ、フェリス。このわたくしがついていますから!」
「あっ」
「ひゃっ」
ジャネットとアリシアの目の前で、フェリスがぱくっと巨大ミミズに丸飲みにされた。
「フェ、フェリスーーーーーーーーーーっ!?」
ジャネットとアリシアの悲鳴が響き渡る。
ガズーラはその巨体からは想像もできない機動力で胴体を振り回し、二人を吹き飛ばした。
二人は杖を抱き締めるようにして地面を転がり、すぐさま跳ね起きる。
ガズーラの腹の中からは、フェリスの声が何一つ聞こえない。
ジャネットとアリシアは、さーっと青ざめた。
「フェリスが! フェリスがガズーラに食べられちゃいましたわ! わたくしのフェリスがああああああ!」
「ま、待って、落ち着いて! すぐに助け出せば大丈夫よ! というかフェリスなら、簡単に自力でガズーラを倒して脱出できるはず……」
アリシアは言うが、しかし、ガズーラは内部から張り裂けるなんてことはなく、平然と暴れまくっている。
「脱出できますの!?」
「気絶でもしているのかしら!?」
「このままじゃ消化されちゃいますわよ! どうしますの!?」
「わ、分からないわよ! どうしたら!? どうしたら!?」
パニックに陥るジャネットとアリシア。
胸を押さえ、すーはーと深呼吸する。
アリシアは表情を引き締めた。
「ここは、二人で力を合わせてフェリスを救出するしかないわ」
「そ、そうですわね。ライバルと協力するなんて不本意ですけれど、フェリスのためなら仕方ありませんわ!」
共闘の印に、二人は手を握り合う。
(あれ……なんですの、この感じ……)
ジャネットはなんだか胸の中がくすぐったくなって、すぐに手を引っ込めた。
熱い血潮が体の奥で燃え立ち、勇気が湧いてくる。自らのライバルに負けぬよう、恥じることのなきよう、戦わねばならぬと思わされる。
「じゃあ、行きましょ!」
「え、ええ! まいりますわ!」
二人は杖を握り締め、ガズーラに向かって走り出した。
「天翔る風よ、静かなる透明の刃よ、我が力となりて、蠢く敵を切り裂け――スライスエッジ!!」
唱えるジャネットの杖から、カマイタチが放たれる。
「炎の滴よ、燃える力よ……我が意に従いて、敵を討て――バレットフレイム!」
唱うアリシアの杖から、火炎が噴き出す。
カマイタチと炎はガズーラを直撃するが、敵は怯む素振りすらない。
甲高い咆哮を上げ、さらに勢いを増して、胴体を暴れさせる。
地面が割れ、土砂が噴き上げ、轟風が吹き荒れる。
「きゃあああああああああ!?」
二人は抗う術もなく吹き飛ばされ、制御もできず宙を舞う。
ジャネットは自らの体が飛ばされていく先に断崖絶壁を見て、心臓を凍りつかせた。
なんとか急いで着地しようと思うが、体勢を整えることさえできない。
崖からその身がこぼれ落ち、今まさに墜落していかんとする。
と、ジャネットの腕が掴まれ、体に衝撃が走った。
見れば、絶壁の端に右手で掴まったアリシアが、左手で必死にジャネットの腕を握り締めている。
「グ、グーデンベルトさん!?」
「すぐ……引っ張り上げるから……あんまり、動かないで……」
崖を掴んだアリシアの右手が、ずり落ちていく。
とても二人分の体重を引っ張り上げられるような余裕はない。
岩肌に突き立てた爪からは血が滲み、細い指へと滑り落ちていた。
ジャネットは叫ぶ。
「も、もういいですわ! わたくしのことなんて放っておいて!」
「そうはいかないわよ! あなた、死んじゃうじゃない!」
さらにアリシアの手がずり落ちていく。
「これはわたくしのミスですわ! ライバルのあなたに助けてもらう筋合いはありません! わたくしなんかより、フェリスを助けなさい!」
「駄目よ!」
「どうしてですの!?」
ジャネットはぎりっと奥歯を噛んだ。
これでは、二人とも無駄死にだ。自分が死んでも、そのライバルまでも死んでしまうなんてことは、絶対に嫌だった。
自分を負かした栄えある存在として、ライバルにはちゃんと生き残っていてほしい。そうでなければ、負けたのが馬鹿らしくてしょうがないのだ。
そこまで考え、ジャネットは自分にとってアリシア・グーデンベルトがいかに重要な存在であるかを悟った。
フェリスがいなければ甘い気持ちになれず、世界に輝きはない。
けれど、アリシアがいなければジャネットの心は燃えることなく、やはり輝きのない人生になってしまうのだ。
そんなジャネットの気持ちに呼応するかのように、ライバルがささやく。
額に汗を滲ませ、腕を震わせながら。
「もちろん、私はフェリスを助けたいわ。だってフェリスが大好きだから。でも……ジャネットさん。ずっと競い合っていたあなたにも、いなくなって欲しくないの。これからもずっと……私の好敵手でいて欲しいのよ」
「アリシア……さん」
ジャネットは、喉の奥がきゅううっと締めつけられるような感覚を抱いた。
どうしてだろう、視界が曇っている。
わけの分からない感情に翻弄され、ジャネットは戸惑っていた。
しかし……今は。
惑っているときではない。弱っているときではない。
フェリスを助けるため、自らを助けなければならないのだ。
「……お願いしますわ、アリシアさん。わたくしを、崖の外壁に掴まらせてくださいまし」
「分かったわ!」
ジャネットとアリシアは手を貸し合いながら、崖を登っていく。
足下には恐るべき虚空が待ち構えているというのに、ジャネットは今ほど心強い思いをしたことがなかった。
二人は同時に崖を登り切り、並んで地面に手を突く。
同じように息を荒げ、同時に顔を見合わせる。
「行きましょ、ジャネット!」
「ええ、アリシア!!」
二人は跳び起き、杖を構え、ガズーラに疾駆した。
互いの杖を重ね、魔力を合わせ、言霊を揃える。
溢れる魔力に、二人のスカートがバサバサとはためく。
「「風よ、炎よ、二つの力よ! 我が剣となりて、かの者を滅ぼせ! フレイムストーム!!!!」」
杖から魔術の砲弾が放たれ、ガズーラに激突して爆発した。
華々しい業火の竜巻が生まれ、ガズーラの巨体を猛回転させる。
ガズーラは目を回し、口からフェリスの体を吐き出す。
地面にぽてっと落ちたフェリスが意識を取り戻し、目をぱちくりとさせた。
「ふえっ……? わたし、いったい、今までなにをして……」
その視線が、こっちへ突進してくるガズーラにぶつかる。
途端、フェリスはぴょこんと跳ね起きた。
両手を掲げ、声を限りに叫ぶ。
「ミミズはだいきらいですううううううう! こっち来ないでくださああああい!!!!」
フェリスから巨大な魔力の塊が放たれ、空気を白熱させながら飛翔した。
回転し、地面を掻き裂き、ガズーラの巨体を貫く。
地を揺るがすような爆風。
ジャネットとアリシアは、反射的に抱き合ってお互いを支える。
ガズーラの体が真っ二つに弾け、たわみながら地面に叩きつけた。魔物はすぐに動きを止め、モノ言わぬ骸と化す。
「ふうー」
なんだかやたらスッキリした顔で、フェリスは額をぬぐった。全身がガズーラの体液でべとべとだが、それに気付いてもいない様子だ。
ジャネットは恐る恐る尋ねる。
「フェ、フェリス……? 大丈夫ですの……?」
「はいっ! ミミズって、実はそこまで怖くないんですね! なんだか一つ乗り越えられた気がします!」
「ショック療法!?」
アリシアは目を見張った。
フェリスはジャネットとアリシアを眺め……、指をくわえて、小首を傾げる。
「あれ……? アリシアさんとジャネットさんって、いつの間にそんなに仲良しさんになったんですか?」
言われて初めて、ジャネットは自分がアリシアと抱き合っていることに気付いた。
一気に血液が沸騰し、即座にアリシアから飛び退く。
「こ、こ、これはっ、なんでもありませんわ! なななな仲良くなってなんて、いませんわあああっ!」
照れ隠しに叫びつつも。
ジャネットは、くすくす笑うアリシアにつられて、自分まで笑顔になってしまうのを止められなかった。




