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自由の味は

 夜。完全に日が沈み、親方たちが山を下りていってから、フェリスは行動を開始した。


 親方たちはフェリスに利用価値があると言っていた。ということは、鉱山の仕事を辞めたいと頼んで素直に辞めさせてくれるとは思えない。


 そもそも、鉱山の周りには高い柵が張り巡らされているし、終業時には鉱夫がしっかりと門の鍵を閉めていく。


 これは明らかに、フェリスの脱走を防ぐものと考えても良さそうだった。つまり、フェリスは密かにここを立ち去らなければならないのだ。


 荷物は、寝床に使っているムシロと、かちこちのパン。パンは夕飯時にあえて食べず、残しておいたものだった。


 次にいつ食糧が手に入る場所に着くか分からないし、食糧をもらえるかも分からない。そして、他の鉱山にたどり着く前には野宿もしなければならないだろう。だから、万全の準備をしなければならないとフェリスは思ったのだ。


 万全といっても、たいした荷物ではないのだけれど。


 フェリスは耳を澄まし、辺りに誰もいないことを確かめると、そっと鉱山の中から這い出した。


 抜き足、差し足、忍び足で、柵の方へと歩いて行く。


 柵の上は有刺鉄線が張られており、登ると肌に刺さって痛そうだ。

 扉を開けようとしてみたが、びくともしない。

 鍵穴を覗いてみても、なにがなんだか分からない。


 仕方なく、フェリスは柵の下の地面を掘ることにした。


 毎日ひたすら採掘に励んでいた体は伊達ではない。たちまち女の子一人が潜れるくらいの隙間を作ることに成功し、柵の下を通り抜ける。


 フェリスは走った。


 意地悪な親方たちに見つかるのが怖くて、早くこの場所から離れたくて、いっしょうけんめい走った。


「ひゃ!?」


 いきなり体の前面に衝撃を喰らい、悲鳴を上げる。


 誰かに見つかって攻撃されたのかと思いきや、周りには誰もいない。


 もう一度走ってみるが、また体の前面に衝撃。


 どうやら、見えない壁が張られているようだった。


 それは奴隷の脱走を防ぐための魔法結界だったのだが、フェリスは知るよしもない。ただ、この見えない壁をなんとかしないといけないということだけは分かった。


「えーい!」


 フェリスは見えない壁に拳を叩きつける。


 すると、空中に張られた壁が一瞬、眩く光り、たちまち欠片となって崩れ落ちた。


「なんだったんでしょう……?」


 フェリスは首を傾げながら、再び走り出す。


 そう、彼女は気付いていなかった。


 どんな高位魔術師でも破れないほどの強固な結界を、自分がパンチだけで壊してしまったということに。



---------------------------------------------------------------------



 太陽が三度昇り、そして三度沈むくらいのあいだ、フェリスは歩き続けた。


 なるべく街道は避け、森に身を隠しながらの旅である。いつ追っ手が来るか分からないので、フェリスはびくびくしていた。夜は木の上や洞の中に隠れて睡眠を取った。


 少しずつかじったパンはとっくになくなり、道端の葉っぱを食べて空腹を癒す。鉱山の仕事で鍛えられていたフェリスは丈夫だったが、それでも体力は限界に達そうとしていた。


 ようやく街が見えてきたときには、思わず安堵して駆け出し、目まいで転んでしまうほどだった。


 フェリスはふらつきながら門を通り抜け、表通りに足を踏み入れる。

 門番はうさんくさそうな目でフェリスを見やったが、特に邪魔しようとはしなかった。


「うわぁ……人がたくさんいます……」


 フェリスは周囲をきょろきょろ見回しながら、石畳の道を歩いた。


 こんなに建物がひしめき合っているのなんて、見たことがなかった。


 こんなに大勢の人が行き交っているのなんて、見たことがなかった。


 鉄のにおい、甘い匂い、辛い匂い、爽やかな匂い、鋭い匂い、どんよりした匂い。様々な匂いが入り乱れ、鼻を刺激してくる。


 建物の軒先には、いろんな品物が置かれている。どれも美味しそうで、キラキラしていて、魔石の粉にまみれていない。


 人間だって、小さな子供から、若い女の人、老人、赤ん坊まで、いろんなサイズが存在した。

 普段むさくるしい鉱夫しか見ていなかったフェリスには、頭が混乱してきそうなくらいバラエティ豊かだった。


 フェリスはくらくらしながら、建物の前に並んだ品物へと近づいていく。


 すると、品物のそばに立っていたおばさんが顔をしかめた。


「なんだ、このガキは。寄るんじゃないよ! しっ、しっ!」


「ご、ごめんなさい!」


 フェリスは建物から飛び退くようにして離れた。


 心臓がバクバク鳴っていた。こんなに人に近づいたのは久しぶりだし、攻撃されそうになったのも久しぶりだったのだ。


 なにか、自分がいけないことをしてしまったのは分かった。でも、なにがいけないのかも分からず、頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 フェリスを追い払ったおばさんが、他の大人たちと大声で話す。


「汚いガキだねぇ。なんだいあれは。親はなにをしているのかねえ」


「まったくだよ。最近は、ああいう汚いガキがうろうろするようになっちまって、安心して店を留守にもできやしない」


 汚いガキ。


 それがフェリスを指して言われているのは明らかだった。


 フェリスは水たまりに映った自分の姿を眺める。

 

 ボサボサの髪。

 真っ黒になった顔。

 皮膚に厚く被さった垢。


「これ……汚いんでしょうか……?」


 分からなかった。

 ずっと、ずっと、水浴びさえしたことがなかったから。

 フェリスにとっては、これが普通だった。


 そのとき、風に乗って涼やかな香りが漂ってきた。


「いいにおい……」


 フェリスはうっとりしながら、香りの源をたどる。


 すると、自分より一回り年上くらいの女の子が、通りを歩いているのが目に入った。


 白いドレス。

 真っ白な肌。

 きらめく金髪。

 青く澄んだ瞳。


 まるで、別世界の存在のように綺麗だった。


 そして、水たまりの自分の姿を再び見下ろす。


 ……汚い。


 あの美しい生き物に比べたら、自分はとてつもなく汚い。


 突然、フェリスはそこに立っていることが、いや、生きていることすら、恥ずかしくて仕方なくなった。


 知ってしまったのだ。自分が汚いということを。

 知らなければどうということはなくても、知れば羞恥が生じる。


 フェリスは通行人たちから蔑みの視線を向けられている理由が分かり、身を縮めた。


 いたたまれなくなり、路地裏に駆け込もうとする。


 そのときである。


 路地裏から飛び出してきた二人の男が、あの綺麗な金髪の少女に襲いかかったのは。


 一瞬のうちに、少女は路地裏に引きずり込まれた。


 後頭部を棍棒で殴られ、口を両手で塞がれ、悲鳴を上げる暇もない。あまりにも素早い行動に、通行人たちは誰一人として異変に気付いていない。


 が、フェリスは見ていた。


 そして、見たからには放っておくことなどできなかった。


 あれこれ考える余裕もなく、反射的に路地裏へと走り、少女の姿を捜す。


 ローブで顔も体も覆った男たちが、少女を地面に組み伏せていた。

 少女は顔を真っ赤にしてもがいているが、男たちの腕力に敵うはずもない。口を押さえられ、両腕を地面に押しつけられている。


 足を縛り上げようとする男を、少女が蹴り飛ばした。男はすぐさま少女の腹に靴底を叩き込み、少女の喉からくぐもった音が漏れる。


「大人しくしてろよ、お嬢……。さもないと、二度と見られない顔にしてやるぜ……」


 男は目をぎらぎらと光らせ、ナイフの刃先を少女の顔に突きつけた。少女の両目から涙が溢れる。


 もう一人の男が笑った。


「もったいないことすんじゃねえよ。それより、客にこいつを引き渡す前に頂いちまおうぜ。こんな上物、めったにお目にかかれるもんじゃないからなぁ」


「そりゃいいや。俺もさっきから興奮しっぱなしなんだ」


「先に杖を奪っとけ。魔術師どもは、それがなきゃなにもできねえからな」


 男たちは少女の握り締めている棒きれを奪い取った。

 少女の両脚を広げさせ、服を剥ぎ取ろうとする。


 少女は必死に首を振るが、男たちは手を止めようとしない。


(だめ! やめさせないと!)


 フェリスは獣のような叫びを上げながら、男に体当たりした。


「なんだぁ、このクソガキ! 邪魔すんじゃねえ!」


「きゃん!」


 すぐに叩き飛ばされ、地面にうずくまる。


 それでも一瞬で跳ね起き、男に突進していく。


 殴られる。体当たりする。

 殴られる。体当たりする。

 蹴られても踏みにじられても、フェリスは邪魔をやめなかった。


「舐めんじゃねえぞこら! 殺されてえのか!」


「こんな汚いガキ、さくっとやっちまえ!」


 男がフェリスの喉を掴み、地面に叩きつける。


 フェリスは朽ちた石畳を転がり、少女のそばに倒れ込んだ。


 少女は金髪を震わせ、青い瞳から涙をこぼしながら、フェリスにささやく。


「わ、私のことは放っておいて逃げなさい……あなたまで酷い目に遭うことはないわ……」


「だめ……です……あなたは……綺麗だから……汚しちゃ……だめ……」


 フェリスは喘ぎ喘ぎ、言葉を絞り出した。


 なんとか起き上がろうとし、くずおれる。


 全身に激痛が走り、肉体が悲鳴を上げていた。


 それでも必死に立ち上がろうとするフェリスを、少女がぎゅっと抱き締める。泣きながら男たちを睨み上げる。


「あなたたちは外道よ! 最低のクズよ! 自分より体の小さな女の子を、寄ってたかって襲って! 生きている価値もない人でなしだわ!」


「ああ!? 偉そうな口聞きやがって……腕の一本でももぎ取ってやらないと大人しくならねえってか!?」


「くはははは! やれやれ! 顔だけには傷つけんじゃねえぞ!」


 男が剣を振り上げ、少女に振り下ろそうとする。


 残酷な風切り音。


 引きつる少女の顔。


 刃が柔肌を切り裂こうとし。


「だ、誰か! 助けてええええええええ!」


 フェリスは叫ぶ。


 瞬間、時空が凍りついた。


 フェリスの体の前に、闇色の球体が突如として出現し、男を弾き飛ばす。


 闇はじわじわと広がり、門を形作り、その門を押し破るようにして……炎の塊が噴き出した。


 巨大な炎の塊は、翼の生えた人の形をしていた。


 だが、それはあまりにも大きく、そしてあまりにも禍々しい。


 ぎらついた漆黒の瞳、真っ黒に裂けた口。


 中に並んだ牙までもが、炎に燃え盛っている。


 炎の塊は、にやりと笑いながらフェリスの前に屈み込むや、丁寧にお辞儀をした。


「よくぞお呼びくださいました、女王様。我が名はレヴィヤタン、女王様の忠実なしもべでございます」


「え……え……? じょ、女王様……? わたし、女王様じゃないですけど……奴隷ですけど」


 フェリスは戸惑い、怯えた。


「いいえ、あなた様は女王様でございます。そして、女王様の呼び声に応え、わたくしはようやく現世に顕現できたのでございます」


 レヴィヤタンと名乗った炎の塊は、にやにやと笑っている。


 金髪の少女が、かぼそい声を漏らした。


「召喚魔法……? そんな……あの魔法は……もう太古の昔に失われたはずなのに……」


「くくく、そうですか、あなた方にとっては、もはや太古の昔の記憶と化しましたか。浮き世とは実にうつろいやすいものでございますなぁ……」


 レヴィヤタンの肩が、おかしそうに揺れている。


 ローブの男が怒鳴る。


「な、なんだ、てめえは! 召喚魔法なんてあるわきゃねえ! 幻惑魔法で召喚獣の幻を見せてやがるんだろ! ふざけたことをしやがって!」


「幻かどうかは、わたくしを切り裂いてみればお分かりになるのではないのかな?」


 レヴィヤタンが肩をすくめる。


「言われなくても殺してやるよ! そこの汚い術者を、クソガキをな!」


 二人の男が、鬼の形相でフェリスに飛びかかってくる。


 レヴィヤタンが、燃える瞳でフェリスを見やった。


「さあ……女王様。ご命令を」


「め、命令、ですか……?」


「そうです、召喚獣は、主人の命令なくしては動けません。この男たちを倒すか、それとも見逃して女王様とそちらの少女が乱暴されるままにすべきなのか……ご命令くださいませ……?」


 妖しい、ささやき。


 危険な音色。


 だが、フェリスには選択肢などない。


 綺麗なものが汚されるところなど、見たくない。


「た、倒してくださいっ!」


「……御意」


 レヴィヤタンは愉悦の色を滲ませた声で答えると、口から業火を吐き出した。


 空気が白熱し、男たちが燃え上がる。


 壮絶な絶叫、骨すらも溶解する高熱、フェリスと少女に吹きつける熱波。


 一瞬のうちに、男たちは灰と化し、轟風に運ばれて消え去った。


「……それでは、女王様。またご用の際には、いつでもお呼びくださいませ……くくく……ははははははははは!」


 レヴィヤタンは高笑いを響かせながら、闇の門へと吸い込まれる。


 闇の門が縮小し、消滅し、そこには熱と焼けた石畳だけが残った。


 フェリスは全身から力が抜けるのを感じる。


 それは、安堵ゆえか。それとも極度の疲労か。


 立っていることができず、フェリスは地面に頭を叩きつけ、意識を手放した。




「こ、この子は……いったい……?」


 金髪の少女――魔術師候補生アリシアは、畏怖を込めてささやいた。


 なにがなんだか分からないけれど、自分がとてつもなく恐ろしいものに遭遇したことは分かる。


 それは、きっと……さっきの暴漢たちなど比べ物にならないほどの、人知を超えた存在に。

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