敵国
プロクス王国の王都ヴァイスカに、大型の雪車が入っていく。国境近くの街でフェリスたちが借りた、二頭立ての貸切雪車だ。
馬車とは異なり、雪車の底には車輪ではなく金属の板がついている。車を引いているのは、寒さに強い岩ヤギという動物だ。体つきは馬より横に太く、岩のように堅牢な外殻で守られている。
車内には小型の暖気柱――魔術の炎を循環させる暖房器具――が据えられ、雪国の寒さを和らげていた。長旅に疲れた少女たちは、互いの肩にもたれて眠り込んでいる。プロクスの一般人はバステナ王族の顔を知らないはずだが、念のためロゼッタ姫はフードを目深に被っていた。
「……フェリス……フェリス」
「ふあっ!?」
アリシアに優しく肩を揺すられ、フェリスは飛び起きた。口元から愛らしいよだれを垂らしたまま、寝ぼけ眼で辺りを見回す。
「す、すみません! わたし寝坊しちゃいましたか!? 授業始まっちゃいましたか!?」
「授業じゃないわ。王都に着いたのよ」
アリシアが笑った。
「王都、どんなとこなんでしょう……」
フェリスは恐る恐る窓際に寄って、外の景色を眺めた。友人たちも目を覚まし、好奇心に駆られて外界を見る。
数え切れないほどの建物が並ぶ大都市。街路は真っ白な雪に覆われ、木々や家々も氷に包まれている。軒先に樽を置いている店――恐らく酒場――が多いのは、厳しい寒さに耐えるため酒を飲むせいだろう。
バステナの王都と違って、露店は軒を連ねていない。道行く人々の身なりは立派だし、繁栄はしているが、侘しげな空気が漂っている。まだ夕暮れには早いはずだけれど、落ちかけた太陽の光は既に弱い。
大通りの遙か彼方には、尖塔を重ねたような建造物がそびえ立っていた。透き通っていて、まるで氷の城のようにも見える。あれがプロクスの王宮だろう。
ロゼッタ姫が料金の残りを支払い、少女たちは雪車を降りた。荷物をしっかりと背負い直し、異国の真っ只中に立ちすくむ。慣れ親しんだ故郷から遠く離れた実感が、冷気と共に忍び寄ってくる。
「これから……どうしたらいいんでしょうか」
ロゼッタ姫が笑った。
「お風呂に入ったり身だしなみを整えたりしないといけませんし、今日のところは一休みしましょう。ボロボロの状態でプロクスの国王陛下に謁見するわけにはいきませんから」
フェリスは目を輝かせる。
「じゃ、じゃあっ、ごはんですかっ? ごはん食べられるんですかっ?」
「ええ。フェリスはなにを召し上がりたいですか?」
「なんでもいいです! 草とかでもだいじょぶです!」
「草は生えていないようですので、レストランを探しましょう」
ロゼッタ姫はフェリスの手を握って歩き出す。放っておくと道端の草をフェリスがもしゃもしゃ食べてしまいそうで怖かった。
フェリスのもう片方の手は、アリシアが握って捕まえている。その様子をジャネットが恨めしそうに見ているのは、いつもの光景だ。
少女たちがレストランを求めて大通りを進んでいると、前方から重々しい靴音が響いてきた。鎧に身を包んだ部隊が、一糸乱れぬ列で行軍している。腰に帯びた剣はいかめしく、背負った斧の刃は鋭い。
少女たちは脅威を覚えて脇道に隠れた。染み入るような寒さの中、身を寄せ合って息を殺す。屋根から雪の塊が転がり落ちてきて、ジャネットの襟元に入った。
「ひゃっ!? なにか首に入ってきましたわ! 殺されますわ! 死にますわーっ!」
「落ち着いて。雪で人は死なないわ」
アリシアはジャネットの唇に人差し指を押し当てる。
「あう……」
勘違いで騒いでしまったジャネットは羞恥で燃え尽きそうになる。
部隊が過ぎ去り、少女たちは脇道から大通りに出た。レストラン探しを再開するが、歩き回る度に兵士たちに遭遇する。民間人に対して軍人の割合が多く、街全体が物々しい雰囲気に支配されている。
「やけに戦士だらけですわね……」
ジャネットの言葉に、ロゼッタ姫は細い眉を寄せる。
「祭りというのも、間違ってはいないかもしれません。きっとバステナとの戦いに備えようとしているのでしょう」
「バステナの動きに気づかれているということですの?」
「だとしても、不思議ではありません。国境地帯の配備を見れば、バステナがやろうとしていることも想像がつくはずですから」
「プロクスもずっとバステナには警戒していたでしょうしね……」
アリシアは街を練り歩く兵士たちの姿を複雑な思いで眺める。自分から母を奪った人間があの中に混ざっているかもしれないと考えると、心穏やかではいられない。ここは敵国。獣神戦争から何年経とうと、その事実は変わらないのだ。