二人の秘密
魔法学校の図書館から寄宿舎へ帰る途中、フェリスはちょっと近道をしてみようと思った。
そろそろ魔法学校の地理にも慣れてきた頃だし、いつもと違うルートを通っても大丈夫ではないのかと思ったのだ。
表通りから外れ、建物のあいだの狭苦しい路地に入る。
高い建築物にさえぎられて限られた視界。道端にはちらほらと名も無き花が咲いている。
「わー、綺麗なお花ですー」
フェリスは何度も座り込んでは、小さな星形の花を眺めた。
でも、摘んで帰るのは申し訳ないので、見るだけにして路地を歩いて行く。
そんなとき、路地の角から誰かが飛び出してきて、フェリスに激突した。
「きゃっ!?」「ひゃっ!?」
びっくりしてお互いを見やる。結構勢いよくぶつかったものだから、しかもまったく予想していなかったから、フェリスの心臓はどきどきである。
「あ、あなた……どうしてこんなところにいるんですの!?」
相手はジャネットだった。なにか瓶のようなものを、ささっと背中に隠す。
「え、えっと、近道してたんですけど……それ、なんですか?」
ジャネットが隠したものをフェリスが覗き込もうとすると、ジャネットは大慌てで後じさった。
「あなたには関係ありませんわ! どんな権利があってわたくしに尋問なさるんですの!? そして拷問なさるんですの!?」
「ご、拷問なんてしませんよーっ!」
「だったら尋ねる必要もないでしょう! さっさとここから立ち去ってもらえますからしら!」
「あの、でも、わたし、ここ通りたいですし……」
「っ……勝手になさい!」
ジャネットは常に正面をフェリスに向けながらひらりと身を翻すと、サササササッと素早い後ろ歩きで去っていった。
(どうしたんでしょう……)
フェリスは首を傾げながら、路地を再び歩き始める。
と、道端の木箱から微かに物音がした。フェリスは立ち止まって中を覗き込む。
「にゃー」
中にいたのは、小さな小さな動物だった。フェリスはこれを図書館の百科事典で見たことがある。
ふわふわしていて、つぶらな瞳で、弱々しい足で……子猫だった。
「ふわああああああああああ」
一目見ただけでフェリスは胸がきゅうううんと締めつけられる感覚を覚え、手を握り締める。
「かわいいです! すっっっっっごくかわいいですうううう!」
思わず木箱から子猫を抱き上げ、頬ずりした。
ふわふわ。すりすり。ふわふわ。すりすり。
夢中ですり寄せられるフェリスの頬を、子猫がぺろぺろ舐める。
「あははっ……ザラザラして不思議な感じですっ!」
フェリスは子猫を胸に抱いて、木箱を見下ろした。親猫の姿はない。これはひょっとして、孤児なのではないだろうか。
独りぼっちは寂しい。それはフェリスが誰よりも知っていることだ。
それに、こんな小さな生き物が一人で生き抜くのは、とても大変なことだろう。
「家に連れて帰ってあげないと……!」
フェリスは子猫をポケットに入れ、奮然と路地から駆け出した。
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「ペットは、禁止だよ!」
フェリスが寄宿舎に子猫を連れ帰るなり、寮長は腰に手を当てて宣告した。
大柄な中年の女性寮長。面倒見のいいお母さんのような性格をしていることから、寮生たちからは『ママ』とか『オカン』とか呼ばれている。
「どうして……ですか?」
フェリスは子猫を抱き締めてふるふると寮長を見上げた。
「どうしてもこうしても、それが決まりだからだよ。生き物ってやつは、家具を壊したり部屋を汚したり、大変なんだから。誰が後片付けをするってんだい」
「ううぅ……」
「さ、元の場所に返してきな。木箱に入ってたってんなら、誰かこっそり世話してる子がいるんだろうさ。あたしもそこまで目くじら立てたりはしないからねえ」
寮長は大きな手の平をフェリスの頭に載せ、言い聞かせるように話した。
すると、ロビーのあちこちから女生徒たちが駆け寄ってくる。
「わー、かわいい!」「返す前に私にも触らせて!」「私にも!」「ねっ、ミルクをあげるくらいいでしょ、オカン!」「あー、ハムとかもあげたーい!」「ふわふわ~!」
「つ、つぶれちゃいますからーっ!」
あっという間に群がった女生徒たちに、フェリスは押し潰されそうになって離脱する。
子猫を囲む女生徒たちの輪から少し離れ、呼吸を整えるフェリス。
その隣には、アリシアが並んでにこにこと笑っている。一人だけ、女生徒たちの輪に入っていこうとしていない。
「あの、アリシアさんは猫を撫でたくないんですか?」
「撫でたくないことはないけど、私にはフェリスがいるから」
「……わたし、ですか?」
きょとんとするフェリスをアリシアが後ろから抱きすくめ、よしよしと頭を撫でた。
女生徒たちが思う存分子猫を可愛がってから、フェリスが責任を持って子猫を元の場所に返しに行くことになった。
ポケットの中にやわらかな膨らみを感じながら、フェリスは路地を目指す。
寄宿舎で飼えなかったのは残念だが、またエサなどを持って来てあげれば、子猫も寂しくないだろう。要らない布を誰かに譲ってもらって、あったかい寝床も作ろう。
そんなことを考えると、フェリスは胸がときめくのを感じる。
そのとき、ジャネットがおろおろしながら歩いているのが見えた。拳を握り締め、必死に辺りを見回している。
「ううううう……どこですかしら……どこー……?」
地面に手を突いて植え込みに頭を突っ込み、わさわさと揺らしている。普段の上品な姿からは想像も付かない慌てっぷりである。
「ジャネットさん、どうしたんですか?」
「きゃあああっ!?」
フェリスが後ろから声をかけると、ジャネットは仰天して茂みから頭を戻した。綺麗な長い髪に、葉っぱがたくさん付いている。
「な、なんでもありませんわ! ありませんったらありませんのよ! ありませんってばーーーーーー!」
ジャネットはひたすら何事もなかったように装い、汗をだらだら流しながら後じさっていった。
「ジャネットさん……?」
いつもと違うクラスメイトの様子に、フェリスは首を傾げることしかできなかった。
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次の日、フェリスが古い毛布やミルクを寮長からもらって路地に行くと、その奥からなにやら高い声が聞こえてきた。
「よしよし、寂しかったですわねぇ~! ほ~ら、わたくしが来てさしあげましたわよ! よしよしよしよしーっ! あぁーん、もう、かわいいですわぁー! さいっこーにかわいいですわぁ~! きゅんきゅーん!」
その女の子は、木箱から子猫を抱き上げ、頬を擦りつけまくっている。
猫に額に熱烈なキスを浴びせ、頬を染め、とろーんと目をとろけさせていた。もう夢中だった。
なので、近づくフェリスの足音にも気付いていないようだった。
「ジャネットさんも子猫が大好きなんですね!」
「ひゃああああああああああああああ!?!?!?」
ジャネットのあられもない悲鳴が、路地裏に響き渡った。
あまりの大音声が鼓膜に突き刺さり、フェリスは思わず防御態勢を取る。
一方、ジャネットは顔を真っ青にし、子猫を抱き締めて震えていた。
「な、な、な、フェリス!? どうしてここに!?」
「子猫に食べ物を持って来たんです!」
「い、今の、見ましたの……?」
「今のってなんですか?」
「わ、わたくしが……とにかく今のですわよ!」
ジャネットは悔しそうに口ごもる。
ああ、とフェリスはうなずき、両手をぱちんと合わせる。
「ジャネットさんって、あんな顔もするんですね!」
「っっっっっっーーーーっ!」
ジャネットの喉から、声にならない音が漏れた。顔は羞恥で真っ赤っかである。
ジャネットは子猫を木箱にそっと下ろし、フェリスの鼻先に指を突きつけた。
「いいこと!? 今見たことは、ぜーったい誰にも言っちゃダメですわよ!?」
「……どうしてですか?」
「ラインツリッヒ家の子女が猫に夢中になって『きゅんきゅん!』とか口走ってるなんて知られたら、一族の名誉に関わるでしょうが!」
「めいよ……?」
「とにかく! これは秘密ですわ! わたくしがここに来ているのも、授業中もひたすら子猫のことばかり考えているのも、もはや子猫の顔を見ないと一日だって落ち着かないのも、全部全部秘密ですわ! いいですわね!」
勢いで秘密を全部バラしてしまっているジャネットである。
「はいっ! 一緒に子猫を守っていきましょうね!」
「い、一緒!? な、なにをおっしゃってますの!?」
さらにジャネットの顔が赤く染まる。
「でも……」
「わ、わたくしの秘密を誰かに言ったら、許しませんからね! 覚えておきなさい!」
捨て台詞を残して走り去っていくジャネットを、フェリスはぽかんとして見送った。
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その夜。
寄宿舎の大浴場で、ジャネットが浴槽に一人で浸かっていた。
頬が熱い。昼間のことを考えると、思わず顔がにやけてしまう。
「ふふ……秘密ですわ……フェリスと二人の秘密ができましたわ……」
ジャネットは嬉しそうにつぶやき、お湯の中でぶくぶくと息をついた。