真実の宮殿
それからも、フェリスは魔術の分析を続けた。
自分の言葉だけで炎や氷が生まれ、世界に大きな変化が現れるということが、面白くて仕方なかったのだ。
より高度な、より秘められた魔術を求め、図書館の文献を読み漁った。自分にできることをどこまでも増やしていきたかった。
もはや図書館の表面に並んでいる魔術書だけでは飽きたらず、司書さんにお願いして地下の倉庫にまで潜り込んでいた。
蜘蛛の巣だらけの倉庫でホコリを被り、せっかくの可愛い制服を真っ黒に汚しながらも、フェリスは目をきらきらと輝かせていた。
倉庫には、もはや魔法学校の誰も相手にしていないような、時代遅れの魔術書がたくさん置かれていた。
それは黄ばんでいたし、古くさくはあったけれど、授業で使う教科書とは違って不思議なオーラに満ちていた。
その中でも特にボロボロで、赤いシミがあちこちについている魔術書のページを開き、フェリスは小首を傾げる。
「真実に……到達する魔術……?」
妙な魔術だった。
それは火魔術でもなく、水魔術でもなく、幻惑魔術でもない。現実世界になんらかの影響を及ぼすとは、一言も書かれていない。
ただ、そこには、こうあった。
『この言霊を使えば、貴女は真実に戻れる』と。
貴女という表現が、まずおかしい。これでは男性の読み手を想定していないではないか。
しかも、その文章が書かれているページ以外は、すべて白紙だった。
奇妙な魔術書。
だが、なぜかフェリスはその魔術書に強く惹かれるのを感じた。
指を吸い寄せられるようにして魔術書の文章をなぞり、そこに記された言霊を読む。
「我は……今還る」
視界で光が爆発した。
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気が付くと、フェリスは不思議な場所に立っていた。
歴史の授業でロッテ先生が幻惑魔術を使って見せてくれた宮殿にも似た、荘厳な建築物。
巨大な柱がぐるりと周りを取り囲み、大空へと伸びている。
床は湖の表面のように見えたが、そこに立つフェリスの足は沈むことがない。
壁はどこにもなく、四方を星空が取り囲んでいた。
フェリスのいるところから真っ直ぐに道が伸び、左右には太い柱が立っている。
道の先にはエメラルドグリーンの階段があり、頂上にはきらめく宝玉で造られた秀麗な玉座が据えられていた。
「こ、ここは……どこでしょう……?」
フェリスは震えながら道を歩いていく。
自分はさっきまで図書館の倉庫にいたはずなのに、なにがどうなっているのか分からない。
柱の立ち並ぶ道を抜け、玉座へ続く階段の一段目に足を載せた。
途端、大量の映像がフェリスの脳内に駆け巡る。
血、絶叫、死、戦い、炎、死体、死体、死体。
恐ろしいイメージや音、情報が、とてつもない速度で現れ、小さな思考を襲ってくる。
「ひあっ!?」
フェリスは反射的に階段から足を戻した。
「い、今のは……?」
狼狽していると、背後から声が聞こえた。
「恐れる必要はございません、女王様」
「え……?」
振り返るや、大きな四つの柱にそれぞれ、奇怪な生き物が立っているのが見えた。
一つは、真っ黒な影のような化け物。
一つは、筋骨隆々たる巨人。
一つは、三つの目を持つ妖艶な美女。
そして一つは……炎の塊のような、レヴィヤタン。
レヴィヤタンは丁寧にお辞儀をする。
「よくぞお帰りになられました、女王様。我々は長らく、貴女様のご帰還をお待ちしておりました」
「え……えっ? ど、どうゆうことですか!?」
フェリスは混乱する。
「そのままの意味でございます。そしてわたくしどもは、貴女様のしもべ。お分かりいただけたでしょうか」
「わ、分かりませんけど……」
「ならば、その玉座にお就きください。そうすれば、貴女様は自らの真実の姿を知るでしょう」
「あそこに……ですか……」
レヴィヤタンに指差され、フェリスは玉座を見上げた。
綺麗だけど、なんだか怖い感じがした。
階段を一段登っただけであんなに怖いイメージを見せられたのだ。玉座に座ったらどうなることか分からない。
フェリスの躊躇を察したのか、レヴィヤタンが笑う。
「恐れる必要はございません。そこに座りさえすれば、貴女様はすべてを手に入れます。知識も、真実も、力も。そして、貴女様は必ずや愚かな人間たちを滅ぼし、女王として混沌の世界を支配することでしょう」
「人間を……滅ぼす……?」
フェリスは階段から後じさった。
「ええ、そうですとも。貴女様の本当の力をもってすれば、かようなことはたやすいこと」
レヴィヤタンがくすりと笑い、語る。
「そもそも、人間たちが用いる魔術の『言霊』とは、貴女様の言葉を模倣し、魔素を騙して操っているだけなのです。貴女様なら、命じるだけで魔素を従わせることができるのでございます。人を滅ぼすくらい、児戯にも等しいのですよ……」
レヴィヤタンはざわざわと炎の体を蠢かせた。
他の化け物たちも、期待に満ちた眼でフェリスを凝視している。
断れば今にも飛びかかってきそうな迫力に、フェリスはすくんだ。だけど、大人しく言うことを聞いてはいけないとも思った。
「わたし……いやです!」
フェリスは叫んだ。
「はい……? 今、なんとおっしゃいましたか……?」
「わたし、事情がよく分かりませんけど、人間を滅ぼしたいなんて思いませんから!」
「ほう……ならば、支配するだけでもよいのです。玉座にお就きくだされば、すぐにあらゆる力が手に入りましょう」
「支配もしたくありませんから! わたしが欲しいのは……そういうのじゃないんですっ!」
拳を握り締め、声を限りに訴える。
その声は奇妙に通り、宮殿に響き渡った。
「……ご、ごめんなさい、せっかく待っていてくれたのに。でも、わたしが帰るのはここじゃないんです。……わたしを、元の世界に戻してください」
フェリスが頼むと、レヴィヤタンがため息を吐いた。
「無論、女王様の命令には従うしかありませんが……よいのですかな? 元の世界に戻れば、女王様はここでの記憶を失います。十歳の少女の肉体には、高次元の情報は存在できないのです」
「大丈夫です……覚えていなくて」
「貴女様は、女王様なのに……?」
「いいんです。だってわたしは……女王じゃなくて奴隷ですから!」
フェリスは朗らかに笑った。
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「フェリス! 気が付いたのね!」
アリシアの悲痛な声と共に、フェリスはぱちっと目を開けた。
目の前に、涙を溜めたアリシアの顔のアップ。
それを視認したときには、フェリスはアリシアに思いっきり抱き締められていた。
そこは魔法学校の医務室、ベッドの上。
窓の外の景色は真っ暗になっている。
「はれ……アリシアさん……? わたし、どうして……?」
「あんまり帰りが遅いから、図書館に探しに行ったのよ! そしたらフェリスが倉庫で倒れてて、揺さぶっても起きないし、治療師さんも倒れた原因が分からないって言うし!」
「ご、ごめんなさい、心配をかけて……」
アリシアの涙声に、フェリスはおどおどしてしまう。
「ううん、いいの。フェリスが起きてくれたから。……お帰りなさい、フェリス」
「はい! ただいま!」
アリシアに優しく抱き締められ、フェリスは抱き締め返す。
図書館の倉庫で魔術書を読んでいたときからの記憶が、すっぽり抜け落ちていて、自分がなにをしていたか分からなかったけれど。
でも、なにか、正しいことをしたのだという感覚だけは、フェリスの小さな体の中に満ちていた。
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そして、真実の宮殿では。
レヴィヤタンを初めとした召喚獣たちが、寄り集まって頭を抱えていた。
「しかし……困ったな。まさか女王様が拒否されるとは」
「仕方あるまい。我々は御意に従うだけのこと」
「このままで済ませるつもりもないしねえ」
「時が来るまでは、陰からお支えするしかないでしょう」
「御身に到達しようとする愚か者どもも、いるようだしな……」
召喚獣たちは体を揺らめかせ、幻のように柱の上から消え失せた。