1話 黒い少女
『君たちは幼い頃、自分が今見ている世界以外は本当は無いんじゃないか、なんて考えたことはあるかい?この新聞記事に書かれている場所は実は筆者の嘘っぱちで、自分が今見ているここだけしか世界は無いんだ…なんて。実はね、僕は昔から…今もまさに、そう思っているんだ。だから、僕の中で世界を真実で満たす為に、僕は旅を続けているんだよ。』
ー冒険家 エド・バートンの逸話集よりー
心地よいそよ風を顔にうけて、イドラはその目を開いた。
晴れ渡った空の下、ここ大国シアベルクから隣国クリムゾニアとの国境を目指し、穏やかな森の中の道を歩いて数時間。
ロシェに跨り揺られているうちに、ついうとうとしてしまったようだ。
ロシェは「脚鳥」と呼ばれる種類の飛ばない鳥で、脚が発達していて、頭がよく人にもよく懐くため積荷や人間を運ぶのに役立てられている。
橙の羽毛の彼は、今回の旅のメンバーでもある。
「・・・・どのくらい寝てた?」
イドラは、ロシェの横を歩いている、旅のもう一人のでメンバーある赤髪の青年に声をかけた。
彼はフェン。顔立ちは東洋人だが、瞳の色は西の人間のそれのように青い。
服装はここから遥か東にある乾燥した高原の人のように見えなくもない。いったいどこの人間なのか。
「10分程度だ。」
フェンは短槍を背負って歩きながらぶっきらぼうに答えた。
「いくら何もないからといって、寝るのはどうかと思うぞ。」
「そうね、気をつけるわ。」
イドラは苦笑して、目線を前方に戻す。彼女の、高いところでくくられた白髪が揺れる。
吹く風は僅かに湿り気を帯び、季節の変わり目を告げている。
ふと、ロシェが歩みを止めた。
「あら、疲れたの?」
声をかけられると、ロシェはキュルッと鳴いた。
「近くに小川があったはず。」
イドラはロシェから降りた。
「向かうか。」
そういって一向は、小道を外れて森の中へと入っていった。
小川の水は澄み切っていた。
生い茂る木々の間からの木漏れ日も優しく、普段の机仕事からくる疲れも吹き飛んでしまいそうだ。
このまま日が暮れるまで読書に没頭したい…なんて考えも浮かぶ。あいにく、それらしい本は一冊も持ち合わせていないが。
「なあ、イドラ」
一心に水を飲むロシェの羽毛を指先でいじりながらフェンは言った。
「地溝帯って、ほんとうに龍がいるのか。」
「わからないわ。」
イドラは端的に答えた。
この世界には、「龍」と「竜」がいる。
「竜」というのは、世界各地で目撃されている生物だ。
姿形は地域によって異なるが、総じて鋼の剣をはじく硬い鱗を持ち、脳が他の生物より遥かに発達していて、ヒトよりも長寿である。
個体によってはヒト語を話すモノもいる。
一方、フェンの言った「龍」というのは、ほとんど伝説に近い存在だ。
竜よりも大きな巨体をもつといわれたり、竜の長であるといわれたりしているが、定かではない。
ただ、目撃数がゼロでないということは存在する可能性もゼロではないということなのだろう、と世の「竜学者」達は考えている。
地溝帯ー文字通り、大地にできた溝が帯のように連なっている地形のことであるーには、そのどちらの目撃数も集中しているのだ。
「竜学者」である私は、まだ未知の部分が多い彼らについて調査するために、今回の旅に出た。
「正直なところ、あまり期待はしていない。でも……」
「?」
「なんらかの情報は、得られるとおもって」
「危ない!!!!」
突然フェンが言葉をさえぎって叫び、イドラを突き飛ばした。
が、僅かに遅く、目の端で辛うじて捕らえた黒い塊に左肩を裂かれた。
イドラを刺し損ねたそれは、小川の中につっこんでいった。
すかさずフェンが後ろ手に私を庇い、戦闘態勢にはいる。
黒い塊は、小さな女の子だった。
真っ黒な衣装で身を包んですばやく動くため、黒い塊に見えたのだ。
彼女は体勢を立て直すと、こちらにつっこんできた。
それに対しフェンは、彼女の武器をもつ手の手首を槍の柄で強打した。
ぼきっと硬いものが折れる音がした。
黒い彼女は悲鳴をあげ、体勢を崩した。
フェンは間髪をいれず彼女の腹を蹴り上げる。
小さな体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。
その体を踏みつけ、止めを刺そうと槍を振り上げる。
相手は抵抗の身じろきさえしない。
「やめなさい!!!」
とっさにイドラは叫んだ。フェンは不服そうな顔でこちらを振り返る。
「なんでだよ!」
「その子は無抵抗よ。それ以上はやらなくていい。」
「でもこいつ、イドラを殺す気で・・・!」
「わかってるわ。」
イドラは、フェンの足の下にいる女の子の顔を覗き込んだ。気絶しているようだ。
「それがこの子の意思なのかそうじゃないのか、聞かなきゃいけないわね。」
各々の怪我の応急処置を済ませ、一向は元の目的地とは僅かにずれた場所に向かった。
日はとうに落ちて、辺りは真っ暗だ。
昼間は穏やかそうだった森も、大きく影をおとし彼らを飲み込んでしまいそうだ。
ランタン以外まともな明かりはない
先行くフェンの体が引っ張った枝が後方のイドラにビシバシあたる。
顔に当たる度に、「うっ」だとか「あ痛っ」だとか声をあげていた。
黒い少女は、荷物と一緒に最後尾のロシェに乗せられている。未だに目を覚まさない。
そのうち、一点の明かりが見えてきた。
よく見てみると、巨大な木のうろに木の扉がたてつけてある。
扉の窓から、やわらかく橙の明かりが漏れている。
どうやらあれが目的地のようだ。
フェンが近くの木にロシェを繋いで荷と少女を降ろしているあいだに、イドラは古びて蔦の這うそのドアをノックした。
すると、ドアが音を立てて内に向かって独りでに開いた。
「いつ見ても珍妙だな。」
少女を肩に担いで、フェンは呟いた。
「そうね」とだけイドラは答えて、二人と一人は中に入っていった。
ドアは、開いたときと同じように独りでに閉じた。
「あ~らあらあらあら!イドラちゃんだったのねぇ~いらっしゃ~い!!!!突然どうしたのぉ??」
地下に長いこの家の螺旋階段を下った先に待っていたのは黄色い声だった。
声の主はソルシエール。
金髪のツインテールに大きくてどぎついピンクの瞳、極め付けは大きな魔道帽に紫とピンクのふりふりの衣装と、兎にも角にも目立ってしょうがない女魔法使いだ。
「確認もしないで入れたのあなた・・・・夜分遅くに悪かったわね。怪我人を診て欲しいのよ。」
「怪我人てフェンきゅんの肩に乗っかってるその子?」
「その呼び方やめろソルシェ。」
フェンは盛大に顔をしかめながら、俵担ぎをしていた黒い少女をソルシェことソルシエールに引き渡す。
「あらあらあら手首折れちゃってるじゃな~い!!どうしたのこの子。」
「森の中で突然襲い掛かってきたんだ。」
「は?今なんて??」
「だから、森の中で、こいつが、俺たちに、襲い掛かってきた。」
「・・・・・・・・・・・・あひゃひゃひゃひゃ!!!!!!なにそれ!!!!フェンきゅんたち相手に襲い掛かるとか命知らずにも程があるわ!!!!あひゃひゃひゃ」
ソルシェは堪えられないとばかりに笑い出した。
「だからその呼び方はやめろと」
「そうですよ主。」
そう言って奥から出てきたのは、顔に大きな傷のあるメイドだった。
「それより、早く治療をしないと。」
「ありゃ、怒られちゃった!!ヨーコ、とりあえずお茶とか出しといて!!!!」
そう言い残すと、ソルシェは笑いすぎで潤んだ目をこすりながら奥の間へと消えていった。
「こちらへどうぞ。」
ヨーコと呼ばれたそのメイドは、イドラとフェンをリビングへと案内した。
そのリビングは、本だの瓶詰めだのであふれていた。
どうやらソファで読んだ本や標本をそのまま周りに置いているらしく、高いものではイドラたちの腰の辺りまで詰みあがっている。
それらの山をよけながら、大きなソファに腰をかける。
ヨーコは二人分の紅茶を運んできて、テーブルの空いている部分においた。
「私の主が申し訳ありませんでした。」
そう言って彼女深々と頭を下げる。
「気にしないで。こちらこそ申し訳ないわね、夜遅くに訪問した挙句怪我人押し付けちゃって。」
「お気になさらず。彼女は夜行性なので。」
ではごゆっくり、と言い残し、ヨーコは下がった。終始無表情である。
彼女は人間にこそ見えるが、実はゾンビなのだ、と以前ソルシェは言っていた。
が、見た目からはとてもそうは見えない。ましてや腐臭もしない。
「いつ見ても不思議ね・・・・。」
イドラはそう呟き、複雑だが上品ないい香りのする紅茶を口に含んだ。
一方イドラの向かいに座ったフェンは、それに口をつけず、こう呟いた。
「なんで助けたんだ。」
「だから言ったでしょ?誰の意思で殺そうとしたのか聞きたいって。そういう意思を持ってるヒトが同業者にいたら、こまることもあるのよ。」
「・・・・・・・・・。」
フェンは黙ったまま紅茶を一口含んだ。
「あぁ~~もう目が沁みて沁みてどうしようもないぜ~~~~」
突然、男性の声が聞こえた。
声が聞こえた方を見やっても、帽子が浮かんでいるだけで人間の姿はない。その光景はまるで透明人間が帽子をかぶって歩いているように見えた。
と、その帽子の深い皺の間から、大きな一つ目がのぞいた。
「ステューピッド。」
そう、彼ステューピッドは単なる浮く帽子でも透明人間でもなく、れっきとした帽子型の生き物なのだ。
彼が過去に語った内容によると、帽子を寄り代にしているだけでもとは人間だった・・・らしい。
どのみち珍妙なことには変わりない。
「ソルシェは夜鍋して薬湯を焚くってさ。旅の途中なんだろうけど、夜遅くて危ないから泊まっていけとも言っていた。」
「わかった。助かるわ、ありがとう。」
イドラは大きく頷いた。夜の森は危険だ。治療だけではなく泊まらせてもくれるといったら、ありがたい以外の何物でもない。
後でソルシェにお礼を言わなければ、とイドラは心の内で思った。
「嬢ちゃんたちの助けになるんだったら本望ってもんよ~。あ~湯気のおかげで目が沁みる。」
そう言って、ステューピッドは大げさに薄ら赤い涙目を瞬きしてみせた。
少し苛立っていた場の空気が、彼のお陰で和らいだ。
「毛布を持ってまいりました。」
奥の間からやってきたヨーコの手には、二枚の厚手の毛布があった。
「地下といえども、山中は冷えるので。」
「ありがとう。」
毛布を各々受け取り、ソファに横になる。
クッションの効いたソファで寝るのは、ベットで寝ているのとそう大差ない感覚だった。
毛布もなかなか暖かく、相当な眠気を呼ぶものだった。
明かりが消され、暗闇の中でたまに聞こえてくる物音を聞きながら、二人は眠りについた。
次の日の朝。
イドラは凄まじい叫び声で目が覚めた。
地下にもかかわらず居間には窓から朝日がさしこんでいた。
何事かと飛び起き周りを見ると、フェンも同じように起きて槍を近くに引き寄せていた。
こんな朝から、一体何事なのか。
そんな中、ソルシェは奥の間から悠々と余裕の表情で歩いてきた。
「完治したわよ〜手首の骨折も頭のタンコブも損傷した内臓も全部!」
「…じゃあ今の悲鳴は?」
フェンが訝しげに問う。
「すぐ内臓を治すために強いお薬を飲ませたの。痛いのは一瞬だけよ。」
これで流動食を食べなくて済むわよ、と付け足し、後ろに向かって声をかけた。
「着替え終わった〜?」
すると、
「終わった!今行く!!!」
と、聞きなれない声が聞こえた。
声の主はもちろん、あの黒い少女だった。
少女は、イドラとフェンの姿を捉えると、「ゲっ」と言いたげな表情を浮かべた。
フェンはイドラの傍らでその少女を睨みつける。
「よかった、本当にちゃんと治ったようね。」
失礼な!と抗議するソルシェを尻目に、イドラは少女の前に歩み出て目線を合わせるようにしゃがんだ。
「初めまして、貴女に命を狙われた者です。」
「は、初めまして……?」
少女は、不安そうな顔を浮かべている。
それもそうだ。昨日自分が襲った人間が目の前で親しげに自己紹介をしているのだから。
「貴女、名前は?」
「…カラス。」
「そう、カラスちゃん。覚えたわ。私はイドラよ、知ってると思うけど。早速ですがカラスちゃん、貴女は誰の意思で私を殺そうとしましたか?」
「いし……?」
カラスというその少女は、よく理解できない様子で首を傾げた。
「自分で、私を殺そうと思ったのか、誰かに頼まれて殺そうとしたのか、どっち?」
今度は、回りくどい言い方をせず単刀直入に問う。
「ええとな……」
彼女は少し悩んだ素振りを見せたが、やがて語り出した。
「せきしょってところの近くで、何だかよくわからないけど偉そうに見える全身紫色の服を着た男に声をかけられたんだ。
干し肉をやるから、白い髪と赤い目の女…あんたを殺せって。
お腹が空いてたから、おれ受けたんだ。でも、あんたを殺さなきゃ肉は手に入らないし、じゃあ殺したついでに食べ物もいただこうと思って、それで、あんたらを襲った。」
カラスは返り討ちにあったけどな、と付け足し、終始こちらを睨むフェンを睨み返した。
「その男とは、殺した後どこで落ち合う予定だったの?」
「関所のアルベルトって男に伝えれば報酬を貰えるって言われた。」
「なるほどねぇ…。」
イドラはしばらく考えると、こう言い出した。
「ねえカラスちゃん、ちょっと提案があるんだけど……」
「なんだ?」
「私たちと一緒にこない?」
「はぁ!!!?」
まず声をあげたのはフェンだった。
「イドラ、お前、何考えて」
気が狂ったのかとでも言い出しそうな狼狽えぶりだ。
「多分上手くいくと思うのよ。カラスちゃん、貴女さえ上手くやってくれれば。」
フェンの抗議を殆ど無視して、イドラはカラスに向き直った。
「来てくれるかしら。」
「うん!!!」
カラスは躊躇いなく元気に返事をした。
こうして、納得がいっていない者が一名いるが、旅の一行は二人と一羽から三人と一羽になったのだった。
初めての人は初めまして凡人です。
芸術の秋ですね。せっかくの創作日和の連休でしたが完全に暇を持て余していたので、前々から書こう書こうと思っていた友人との合作の創作の執筆に取り掛かることにしました。
ようやく出だしを書くことができ、とりあえず一安心です。
このまま流れに乗っていきたいものです。
さて、読めばわかると思いますがこれはファンタジーな世界観の物語です。
補足も兼ねて、軽く今回のキャラクターの紹介をしたいと思います。
今話の主人公のイドラは20代女性。長い白髪に赤目を持っている、中々目立つ容貌の女性です。職業は竜学者で、この旅も仕事に関連しているようです。
旅のパートナーのフェンは10代後半の男の子。イドラの用心棒のようなものをしているようです。どこの生まれだかよくわからない容姿をしています。
脚鳥のロシェは本文の中である程度詳しく書かれていますが、飛ばない鳥です。
実はロシェと同種の鳥の羽毛は布団に使われることもあります。
ソルシェことソルシエールは夜行性のド派手な魔女です。 実は彼女の製作者は合作している私の友人です。作中には友人の製作したキャラも多々出演するので、できる限りこの後書きで紹介していこうと思います。
ヨーコは寡黙なゾンビのメイドさんです。うるさい主人の世話に忙しい日々を過ごしているようです。彼女も友人が提供してくれたキャラです。
ストゥーピッドは、帽子の形をした生き物です。普段は帽子としてソルシェの頭に収まっていますが、自力で浮くこともできます。彼も友人からの提供です。
さて最後に、黒い少女ことカラス。彼女もまた友人作の人物です。
名前通り肌以外真っ黒な見た目です。人に頼まれてイドラを襲ったはいいが返り討ちにあい、少し残念な登場の仕方になってしまいました。依頼人のことを話してしまうところを見ると、少し頭が弱いようです。
とまあ、こんな感じです。後書きにしては随分長くなってしまいました。
最後に更新については、できるだけ一定ペースで続けたいと思っていますが、諸事情により停滞することもあるかもしれません。ご了承ください。
ではそろそろ私はここでお暇させていただきます。ここまで読んでくださった読者の皆様、ありがとうございました!