ベヒーモスの洞窟
聞く者が思わず恐怖せずにはいられない咆哮が上がる。
怒りの声は、その重量を示す地鳴りとワンセットだった。
己の縄張りを荒らす者は――いや、動くものは全て破壊すると言わんばかりの攻撃性を感じる。
闇の中から紫黒に近い色の、十メートルは下らない巨大な体躯が現れる。
長い角に鋭い牙、太い手足と棘のついた尾……敵意に燃え盛る目が私達を見据える。
威圧感に肌が粟立った。
広い洞窟だが当然逃げ場は制限される。
四足歩行で巨躯に似合わない速さで駆けて来た。
「ハハッ、堪らねえな! 強者に挑むこの瞬間は!」
ライオルさんが魔物に全く引けを取らない獰猛な笑みを浮かべる。
腰を落とし、拳を握り、もう戦闘態勢は万全の様だ。
この人ときたら……王になっても基本的なスタンスが全然変わっていない。
「行くぜカティア!」
「りょ、了解」
走り出すライオルさんに続いて私も接近を開始する。
わざわざ私達がこんな危険を冒しているのは理由がある。
ライオルさんが語ったところによると、ベヒーモスの肉は栄養が異常に良いらしい。
過去にその肉を食べたら病気が治ったとか、数日間何も食べずに満腹だったとか、その手の逸話に事欠かない。
一頭で数百人分、それも数日分の食を賄えるとか何とか。
そんな魔物の肉が市場に出回っていない理由は単純明快。
狩猟難易度だ。
「っ!」
風切り音を発しながら、尾が目の前を横切る。
速い、しかも当然の様にオーラを纏っているのは上級の魔物の証。
当たれば即死、良くても行動不能は間違いない。
防御の体勢によっては体が真っ二つにされそうだ。
「ガァッ!」
続けて前足を振り下ろしてくる。
私はその下に潜り込むように走り、脇の下を狙う。
ギャリッという音で両手持ちのランディーニが弾かれた。
オーラ密度が……これは人間でいうと極級並だ。
「カティア!」
ベヒーモスの大口が迫る。
それに飲まれようとした刹那――ライオルさんが渾身のストレートでベヒーモスの目玉を殴りつけた。
オーラを貫通し、血飛沫が上がる。
「ゴァァァァアアアアアッ!」
「うへえ、嫌な感触……カティア、離脱!」
「はい!」
ライオルさんに助けられ、一度距離を取る。
あのオーラ量では人によってはダメージそのものを与えられない。
数に任せて狩り取る、ということも出来ない訳だ。
これまで見返りが大きいにも関わらずに放置されてきたのも納得の強さだ。
ライオルさんが牽制を掛けて注意を逸らす。
そして目で合図を送って来る。
(お兄ちゃん、いつでもいいよ!)
(よし、必殺を期すよ。強力なのをお願い!)
オーラ頼みで攻撃してくるベヒーモスに対して、オーラを削り取れる魔法剣の相性は最高だ。
範囲魔法では威力が分散してオーラで防がれる可能性がある。
魔法剣の準備を完了して様子を窺う。
ライオルさんなら必ず隙を作ってくれる筈だ。
危なげなく押している現状、半端な状況で加勢するのは危険だ。
魔物の予期せぬ動きを誘発する恐れがある。
じっと期を待つ。
「っらあ!」
「!」
ライオルさんが角の間、皮膚が柔らかそうな部分に踵を捻じ込んだ。
ベヒーモスが悲鳴を上げる。
私は暴れる四肢を躱しながらベヒーモスの巨体の下に入り、首筋目掛けて斬り上げる。
先程とは違って剣がしっかりと首筋に埋まっていく。
しかし思った以上の重い手応えに、剣がもう少しで首を切断できるという位置で止まってしまう。
「このっ!」
私はランディーニを手放してマン・ゴーシュに魔法剣を発動させた。
瀕死のベヒーモスの体を蹴ると、三角飛びの要領で無傷な首の上部まで飛んだ。
そのまま首筋を裂きながら、ぐるりと回って着地した。
「おっし流石だ、上出来!」
ライオルさんが私に喝采を送ったと同時、ベヒーモスの頭部とランディーニが地に落ちた。
ここまっでやればどれだけ生命力があっても即死だろう。
ライオルさんがランディーニを回収して渡してくれる。
「まずは一頭だな!」
「え? 今、何て?」
「おーい、回収班!」
まずは? 一頭? ちょっと何を言っているのか……。
遠くで待機していた兵士たちが近付いてくる。
口々に驚きの声を上げながら。
「撤退準備しかしてなかったぜ」
「本当に倒すのかよ。嘘みたいな光景だな……」
「新しい国王様つよ……」
「赤毛の牛っ娘つよー……」
「無駄口叩くな、急がないと血の臭いですぐにもう一匹寄って来るぞ! 死にたくなかったら動け!」
「「「ウッス!!」」」
ライオルさんの指示が効いたのか、そこからは迅速に作業が進んだ。
元々硬いとはいえオーラを失った体は刃も通り、多数の兵士が群がって持ち運べる大きさに解体していく。
この後は荷車に乗せて洞窟の外に出し、凍らせてから王都に運ぶ。
外には獣人国では貴重な魔法使いが待機しているので、冷凍は彼等の仕事である。
ものの数分もせずに二十人超の兵士によって食肉にされたベヒーモスが運ばれていった。
この辺りは流石狩猟国家といった所だろうか。
皆、手慣れている。
(ドナドナー)
(アハハ……)
アカネの発言に渇いた笑いしか出ないが、栄養価が高い大事な食料だ。
王都までは洞窟から二日の距離なので帰路も注意が必要だ。
ライオルさんの発言からして一匹狩っただけでは済まないようだし……。
私達は直ぐには帰れないのだろう。
「俺達も一度外に出て休もう。肉に関する伝聞の真偽も確かめないとだしな。それによってはまだまだ狩りが続くんだから、体力配分はしっかりな」
「そういうことは最初に言ってくださいよ、最初に!」
複数匹狩る、などと言うのは聞いていない。
この場で試食というのも初耳だ。
言われてみれば確かに必要なのだけれど!
「言ってなかったか?」
「言ってないです!」
表情は笑っているので明らかに故意だ。
王都を出発する前に言わなかったのことも含めて、私の反応を見て楽しんでいるな……。
ライオルさんは国民の急場の飢えを凌ぐ為の選択として、ベヒーモスに目を付けたのだろう。
噂の類が本当ならば一頭で相当数の国民の飢えを防げる。
外に出ると既に兵たちが肉を調理する準備を始めているが、果たしてどうかな……?