二人の二十年
「王子が国を去った後、私は内政の勉強を始めました」
やや気まずい夕食を終え、ルイーズさんからお互いに約二十年何をしていたか、納得行く様に話したいとの提案があった。
ここも二人きりにするべきかと思ったのだが、彼女の方から引き止められた。
「夕食の雰囲気を台無しにしてしまったので、お嫌でなければ同席して下さって構いません。あ、あとおかえりミナーシャ」
「ついで!? 扱い酷いニャ!」
との事だった。
義理堅いというか、いきなり殴りかかったりとインパクト充分な登場だったが、今のところ私は彼女に悪い印象を持っていない。
「王子……いえ、ライオル様が仰っていた台詞が私の中でずっと引っ掛かっていましたから」
ルイーズさんが眼鏡のつるを持ち上げながら、ライオルさんを見た。
思い返す様に、また、探るように。
「俺の?」
「ええ、この国の在り方について……このままで良いとは思っていない、というあの言葉です。私なりに考えて、何とか変えられないかと考えた結果が今です。残念ながら成果は上がっていませんが」
「そうか……お前はすげえよ。俺は国の外に答えを求めた。ガルシアは俺の理想の国だった」
ライオルさんが思い返す様に腕を組んで語る。
その時、私の隣のニャンコが元気よく立ち上がった。
「そうニャ! ご飯も美味しいし皆優しいし給料も良いニャ!」
これは酷い、悪気は無いにしても。
私はミナーシャの首根っこを掴んで引き寄せた。
「はーい、ミナーシャさん少し黙ってましょうねー。首回りナデナデー」
「うにゃにゃにゃにゃ……ってやめてよ! その辺の猫と猫獣人を一緒にしな……うにゃー……」
おとなしくさせるとルイーズさんが目礼してくる。
私は続きを手で促した。
「貴方のご活躍は聞いています。本当に……水が合っていたのですね」
「そうだな。合い過ぎて、すっかり帰る気を失くす程度にはな……実際もう戻るつもりは無かったんだ」
「ですが、貴方は帰ってきた」
「ただの使者だぜ。今の俺はガルシア王国の兵士だ。獣人国の王弟じゃない」
「……知っています、使者の目通りの手続きを進めたのは私ですから。それでも、獣人国の現状を聞いてくれませんか? そうしないと私の気が済まないのです」
それまで黙って成り行きを見ていたヒルダさんが立ち上がる。
手を合わせて懇願するように声を上げた。
「聞いてやって下さいまし、ライオル様。私はこの娘の努力をずっと傍で見てきました。夫が亡くなってから、気落ちした私を今日まで引っ張ってきてくれたのはこの娘なんです……」
努力を認めてほしい。
ただそれだけの願いを聞き入れないほど私が知っているライオルさんは狭量ではない。
果たして、彼は首を縦に振った。
「……聞いても良いが、何もしないぜ。それでも構わないか?」
「構いません。聞いている内に気が変わるかもしれませんし」
「お前な……随分図太くなったじゃねえか」
話す内にお互い余裕が出て来たのか、軽口の応酬が起きる。
僅かに弛緩した空気に、私はお茶を一口含んだ。
「余り歳のことは言いたくないのですが……お互い幾つになったと思っているんです? それに何ですか女連れなんて、いやらしい。未だに独身の私への当てつけですか?」
と思ったら飛び火した。
必死にお茶を吹き出しそうになるのを堪える。
苦しい……気管に入らなくて良かった。
(お兄ちゃん大丈夫?)
(う、うん。何とか)
「ちげえよ! 知ってるだろうが、使者の内の一人だよ!」
「どうですかね。それに昔のライオル様、胸の大きな女性が好みだと仰っていたではないですか。到底信じられませんね」
「言ったがこいつをそういう目で見た事はねえよ! 妹弟子みたいなもんだぞ!」
喉が落ち着いた所で止めに入る。
少し会話に入り難い雰囲気だが、これ以上はライオルさんが不憫だ。
「あ、あのー。差し出がましいようですが……本当にライオルさんからそういう視線を感じた事は……」
「無いと? ……そうですか。同じ女性が言う事ですから信じましょう」
「あはは……」
(駄目だよお兄ちゃん、しっかり自信もって言わないと。バレちゃうよ)
(お兄ちゃんと呼びつつ女として自信を持てと言うのか……難しいなあ)
ライオルさんが少し荒っぽく椅子に座り直した。
ルイーズさんを軽く睨む。
「ったく。さっさと本題に入れよ!」
「では失礼して。この国の最大の問題点は弱者救済を行わない事による人口流出と経済の停滞ですね」
ホープも見捨てられていたし、王都への途上でも打ち捨てられている村を幾つか見た。
それだけ分かり易く表面化している問題だとも言える。
しかし、ライオルさんが不思議そうな顔をした。
「人口流出はガルシアに流れてるんだと分かるが……経済停滞ってのは何でだ? 人口が減ったのもそりゃあ関係あるだろうが、そこまで一気に出るもんじゃないだろう?」
「王都をご覧になって分かる通り、この国の商売は売り手側の独占状態なのです。 見たでしょう? 小さな商店が一つも無い所を。これが何を生み出すか分かりますか? カティア殿」
「うぇ! 私ですか……ええと、売り手が自由に価格を設定して莫大な利益を得る事が出来ますね。買い手側からすれば選択肢がありませんし、どうしても欲しいものがあれば一つの店から買う事しか出来ませんから」
驚いた、何故私に聞くんだ?
挑みかかる様な攻撃的なルイーズさんの視線が私を捉え、答えると視線がふっと緩んだ。
何か試されている……?
「ええ、正解です。貴女は見た目よりも大分賢い方のようですね。商売敵が出たら大店が直ぐに潰しにかかる。そんな事を続けた結果、国の物価は上がり続けています。経済格差の為かスラム街も昔より広がっていますね」
「やはり気のせいじゃなかったのか。昔はもっと一般層の住宅地が広かったよな?」
「今在るスラム街全体の三割ほどは、ここ二十年で広がったものです」
「兄貴は……レオ王は現状を認識してるのか?」
「いえ、あの方は……残念ながら先王様に良く似ていらっしゃいます。方針を変えて下さるとはとても……弱者に割く労力は持ち合わせてはいない、と」
顔を伏せて答えるルイーズさんに対して、ライオルさんの目に憤りが宿る。
「ちっ……あいつらは何も分かっちゃいねえ! 弱者はずっと弱者のままだと思っていやがる。自分達で育つ筈の芽を摘んでいることにまだ気付かねえのか!」
「ライオル様……」
「俺はガルシアで何人も見てきたんだ。才能なんてのは早咲きの奴も居れば遅咲きの奴だって居る! 才能なんか無くたって他で補っている奴も居るさ! だが、その機会すら与えられない奴はどうしたら良い? 他所に移るか諦めるしかないじゃねえか!」
目を見開いたルイーズさんが微かに震えた。
そのまま震える唇で言葉を紡ぐ。
「ライオル様、やはり貴方は……そんな貴方にこそ私は――」
「やめろルイーズ! その先は言うんじゃない……」
ライオルさんが言葉を遮ったその時だった。
外から轟音と悲鳴が聞こえて来る。
私は椅子から立ち上がって窓の傍に近付いた。
「何でしょう……?」
窓から外を見ると、夜にも関わらず不自然なほどの明かりが広がっていた。
壁も、屋根も、全てが光と煙を放っている。
――王都ルマニが炎に包まれていた。