王子と従士
「お久しぶりです、殿下」
「止してくれヒルダさん……俺は国を捨てた人間だ。そんな呼ばれ方をされる権利はねえよ」
恥じ入りはしても後悔はしていない。
そんな複雑な表情をするライオルさんに、しかしヒルダさんは微笑んだ。
「いいえ、貴方のその顔を見れば分かります。貴方に、この王都は狭すぎたのでしょう。ご立派になられて……」
「いやその、ハハ、参ったな。カティア、悪いんだが……」
成り行きを心配していたのだが、どうやら険悪な雰囲気にはなりそうも無い。
安心した私はライオルさんの意図通りに退出することにした。
積もる話もあるだろうし、その場に私達は必要ない。
「ええ、分かりました。行きましょうミナーシャさん」
「え、何で! 二人の話が気になるんだけど!」
「余人が邪魔になる時もあるんですよ、特に昔の知り合いとの話は。私達は外で待ってましょう」
ミナーシャの腕を掴む私にヒルダさんが申し訳なさそうな顔をする。
気にしなくていいのに。
「ごめんなさいね、お構いもせずに……牛のお嬢さん」
そう言えば名乗ってすら居なかった。
出る前に一言だけ、出来ればその呼ばれ方は遠慮したい。
「……私はカティアです、ヒルダさん。では失礼します」
ドアを閉めて院長室の外に出ると、待っていましたとばかりに子供達に囲まれた。
期待に満ちた表情の子供達に、私とミナーシャは子供部屋に引き摺られて行くのだった。
子供達の相手から解放されたのは夕食になってからだった。
「お味は如何ですか? カティアさん」
「とても美味しいです。ありがとうございます、ヒルダさん」
(やさしい味でおいしいねー)
ヒルダさんが作る夕食は美味しかった。
アカネも喜んでいる。
子供達に必要な栄養も考えられているし、何よりも味付けが丁度いい。
その子供達の遊び相手は非常に体力を消耗したが……。
髪の毛は引っ張られるし、女の子のままごとは何度何度も同じ内容をやらされるし、男の子のチャンバラごっこは何故か多対一だった。
子供の無尽蔵の体力に振り回され、私もミナーシャもへろへろである。
手が掛からない様な、静かに読書したり絵を描いたりしている子は少数派だ。
この施設では遅くても十代半ばで自立して出て行くらしく小さな子が多い。
その後はミナーシャのように時々帰って来る位が普通だとか。
現在は食事をしつつの歓談が続いている。
「ミナーシャ、ありがとうね。帰って来てくれて子供達も喜んでいたし、それにあのお金だけど……本当に頂いても良いの?」
「いいのいいの! 一度やってみたかったんだよねー、大金をポンと恩返しに使うの。カティア、私格好いいニャ?」
「自分で言わなければ格好いいですよ」
「ニャ!?」
(うん、言っちゃうと台無しな気が……ミナーシャちゃんらしいけど)
(実際やっていることは立派なんだけどね。残念な子……)
ミナーシャは闘武会の賞金の大部分を孤児院に寄付したらしい。
中々出来る事では無いし、正直見直した。
一方で、それだけこの孤児院が良い場所なんだという印象も受ける。
ミナーシャは獣人国育ちの割には攻撃的な性格をしていない。
お調子者ではあるが、この孤児院がきっとそういう環境を作っていたからだろう。
現に今居る子供達も、のびのびと暮らしているように見えた。
「そういやルイーズはどうしてるんだ?」
ライオルさんが食事を口にかき込みながらヒルダさんの方を向く。
ルイーズさんというのが察するに、ライオルさんの元従士でヒルダさんのお子さんなのだろう。
「ああ、あの子なら今でも王城勤めですよ。今は文官をやっています」
従士から文官……?
結構思い切った方向転換だな。
従士は大概武官寄りのはずだから、余程の才能を認められないと文官になるのは難しいと思う。
「ルイーズ姉さんは筆頭文官ニャ。今日もそろそろ帰って来るんじゃないの?」
その言葉を聞いたライオルさんは大層慌てた。
椅子を倒しながら立ち上がる。
「何っ! ここに戻って来るのか? どこか隠れる場所は……」
「ライオルでかいんだから隠れてもすぐバレるニャ! 大体どうして隠れるの!?」
「だってよ、今更どんな顔して会えば――」
「――へえ、どんな顔で会うつもりだったのか見せて貰いたいですね……ライオル元王子」
ヒルダさんを若くした様な豹系獣人の女性がライオルさんの背後に仁王立ちしていた。
豹の持つイメージとは裏腹に、眼鏡を掛けた知的そうな美女だ。
そのまますっとライオルさんに近付くと、その顔に渾身のストレートを叩き込んだ。
「ぐほっ!」
「ルイーズ、一体何を……!?」
「母さん、お願いだから少しだけ黙ってて。お久しぶりです、元王子」
「お前いきなりそれか……まあ仕方ないが……」
ライオルさんが口元を拭って姿勢を直す。
対してルイーズさんは一層まなじりをつり上げた。
もしかしたらライオルさんの反応を開き直りと取ったのかも知れない。
緊迫した雰囲気に口出しできない。
ちらりと他の二人の顔を見ると、オロオロしているヒルダさんと目を輝かせるミナーシャが見えた。
って修羅場を楽しんでるんじゃないよ、どういう神経してるんだこのニャンコは。
怒りの余りか、手振りを交えながらルイーズさんが叫ぶ。
「私が許せないのはですね! ……どうして私に黙って国を出て行ったのか、それだけです。貴方が居なくなった城を、王都の市街を、私がどんな思いで探し回ったと……!」
ライオルさんが虚を突かれたような顔をしたのは一瞬だった。
喉の奥から声を絞り出すように呟いた。
「――すまん。お前だけには伝えるべきだったな……」
頭を下げて詫びるライオルさんに対して、ルイーズさんの目には涙が溢れた。
ヒルダさんがその肩を抱いて、椅子に座らせて落ち着かせようとする。
(お兄ちゃん……この二人、仲悪いの?)
アカネにはそう見えたらしい。
だが、少し想像や推測を膨らませると違った面が見えて来る。
(逆じゃないかな……)
(逆?)
(仲が良かったからこそ許せない事がある……そんな風にも見えるな)
誰にも言わずに国を出てきたというのは、以前ライオルさんから聞いていた。
しかし、それで泣く人が居たという事実が目の前にある。
ライオルさんは今、それに対してどう思っているのだろうか?




