継承
水竜が消滅した闘技場中央には敵味方問わず、その場に居た全員の視線が集中していた。
数瞬、闘技場全体の動きが止まる。
今の内に観客席へ――。
「……待って、カティ……」
私の踏み出した足を止めたのは……避難したはずのリリ姫様だった。
ライオルさんとルミアさんも一緒に居る。
逃げた筈じゃ……何故戻ってきた!?
「許せカティア。しかし、儂らはこういう王族じゃからこそ付いて行くんじゃ」
「言い出したら聞かねえからなあ、ウチの王族様方は……親父殿も焚き付けるような事言いやがって」
二人はどうやら同意の上らしい。
何をさせる気かは知らないが……私は姫様がここに居ることに賛同できない。
「分かっているんですか姫様! 王子が裏切った今、直系の継子は姫様と幼い第二王子だけです! 姫様にもしもの事があったら、間違いなくこの国は滅びます!」
「……分かってる。でも……」
姫様が決意に満ちた表情でこちらを見る。
その手にはリングアナウンサーが使っていたような拡声器が握られていた。
そして、息を大きく吸った。
「聞きなさい、人であることを捨てた者達よ。我が名は第一王女リリ・ガルシア! 兄とは違い、私は逃げも隠れもしない! 貴方達が本当に人を超えた存在だと言うなら私を……私を殺してみなさい! それが出来ないなら貴方達は断じて超越者などではない! 人であることの苦しみから逃げた愚かな敗北者だ!」
これまで聞いたことが無いほどの声量で、凛とした姫様の声が会場中に響き渡った。
エドガー王子の内心を良く知る姫様だからこその言葉。
理屈としては滅茶苦茶だが、それは王子の仲間たちの神経を的確に逆撫でした。
一斉に翼を広げたバアルの眷属達が姫様目掛けて殺到する。
それを見たライオルさんが獰猛な笑みを浮かべた。
「ははっ、本当に敵全員を集めるのに成功しやがった! カティア、ここからは俺達の出番だろう、なあ! ……上の奴らは怪我人の救出と避難を優先させろ! 下は請け負った!」
「カティア、気合をいれい。そして早めに諦めよ。スパイクに気質が似たリリは、今後も無茶をするじゃろう。守れ、ティムのように!」
二人は昔を懐かしむかのような顔をしている。
恐らくスパイク様が在位の時も似たような状況があったのだろう……爺さまの苦労が偲ばれる。
それは余りにも非常識な光景だった。
今後、国を率いていかなければならない人間が裸の命を晒して国民の前で盾となっている。
何という不合理か。
そして、何と頼もしい背中なんだろう。
この状況に持ち込めた時点で、姫様への危険性を無視すれば周囲の被害は間違いなく減らせる。
それだけ敵を一カ所に纏められたのは大きい。
(お兄ちゃん……何度も言うけどそれはもうお兄ちゃんの体。だから、心のままに……)
(ありがとうアカネ……本当に)
私は一つ、大きな息を吐く。
たった今、スパイク様から姫様へと民を守る意志というものは引き継がれたのだろう。
だったら私も引き継がねばならない。
爺さまの想いと、託された願いを。
――覚悟は決まった。
「姫様は――リリ姫様は私が全力でお守りいたします! 姫様を殺したいと言うのなら、まずは私を超えてみせろ!」
残りの火の魔力は二割。
だが、魔法剣の使用に用途を絞れば充分な威力を保てる。
炎を撒き散らしながら二本の剣を構えた。
「どれ、まずは儂から」
ルミアさんが杖を掲げる。
敵の数は全部で二百ほど。
杖から強烈な突風が巻き起こり、飛来する眷属の半数ほどを地面に叩きつけた。
追撃に土魔法で形成された大量の槍が眷属達の体を貫く。
高速で属性を跨ぎながらの連続攻撃。
魔法使いとして並の技術ではない。
しかし、眷属達は動きを止めない。
あの全身甲冑と同じような黒い霧と共に普通の赤い血を吹きだしながら、よろよろと起き上がる。
「なんと、腹に大穴が空いても動けるのか。ライオル!」
「応!」
ルミアさんの言葉通り眷属達は、まだ生きている。
何という生命力だ。
中には心臓を穿たれても動いている者もいる。
ライオルさんが追撃に入る。
「だったら頭を潰せばいいだろが!」
ライオルさんが左の拳で一発、威力が足りないと見るや右でもう一発。
トマトの様に頭部が潰れた眷属はようやく完全に停止した。
「カティア、リリの方に五!」
「はい!」
二人の攻撃を縫って姫様に近づく眷属達が居る。
二本の炎剣で迎え撃つ。
「教えを拒絶する愚か者め!」
「バアル様の為に!」
口々に呪詛を乗せながらそれぞれが持った武器で姫様を狙う。
私は目を見開いた。
集中力が高まり、周囲の動きが遅く感じる。
ランディーニを迷いなく振り抜く。
一閃、二閃、三閃、三つの首が飛んだ。
確かに手応えは普通ではなく、もしかしたらそこらの魔物の皮膚よりも固いかもしれない。
四人目はマン・ゴーシュで額を突き刺し、五人目は跳躍して頭部を蹴り潰した。
「な、この化け物が!」
一瞬で五人を物言わぬ肉塊に変えた私に、他の眷属が怨嗟の叫びを上げる。
まだまだ眷属の数は多い。
姫様から離れすぎないように、近付いてきた敵を更に屠っていく。
しかし敵が多すぎて処理が間に合わない。
もう少し下がって敵を受けるべきかと思ったその時だった。
「死ねえ! 赤い悪魔め! はっ――!?」
「な、何だ!? ――っ!?」
横合いから出てきた影が、凄まじい踏み込みと共に敵を縦に両断した。
更に、圧縮された風の刃が一人の首を跳ね飛ばす。
「ニールさん! フィーナさん!」
「カティアさん、遅くなりましたっす!」
「お待たせ、カティアちゃん!」
最高のタイミングで二人が援護に駆け付けてくれた。
三人で連携して一気に敵の波を押し返す。
「嘘だ、嘘だ! 我々は超越種だ! 負ける筈が……」
「くそっ、何故だ! 何故ですかバアル様!」
「殺せ! 皆殺しにして我らの優位を証明するのだ!」
聞くに堪えない言葉を口々に叫ぶ眷属達。
歪んだ盲信がそうさせるのか劣勢に追い込んでも未だ闘志が衰えない。
その時、沈黙を保っていた姫様が口を開いた。
「……カティア……皆を……下がらせて」
「リリ姫様?」
「……準備が完了した……精霊魔法を使う」
「……承知しました。ライオルさん、ルミアさん!」
近くに居るニールさんとフィーナさんには聞こえている。
私はやや遠くで大量の敵を受け止めている二人を大声で呼んだ。
恐らく事前に姫様との間で意思疎通が完了していたのであろう。
素早く敵をあしらって撤収してくる。
「姫様!」
「……水の大精霊よ……」
「望ムハ静謐……全テノ時ヲ止メマショウ……」
空気が急速に冷える。
凄まじい量の霧が噴き出し、敵の群れを包んだ。
姫様が選んだのは水の大精霊、恐らく魔法は水の派生である氷魔法だろう。
予想通り、私が竜に向けて放った魔法と真逆……全ての敵を凍り付かせる氷が出現した。
次々と氷柱に眷属達が閉じ込められていく。
姫様の魔法によって動く眷属が居なくなり、ようやく襲撃は終わりを告げた。
しかし……。
「……っ……ぁ……頭が……!」
「姫様!」
大精霊の思念をまともに浴びた反動で、姫様が蹲った。