交換条件
こちらが一方的に相手の素性を知っているのは失礼だと思ったので、ライオルさんには自己紹介をした。
場所は喫茶店である。
いつまでも往来で立ち話もなんだしね。
「ティムの弟子だと……!? だったら教えてくれ! 奴は、奴は今何処に居るんだ!」
そしてライオルさんの第一声がこれである。
もしかしなくても、爺さまの所に戦いに行く気なんだろうなぁ……。
爺さまのことは良く覚えていたらしい。
「駄目ですよ、教えられません」
「何故だ! まだ一度として土を付けていない内に奴は消えたんだぞ。勝ち逃げじゃねえか!」
以前聞いた話の通り、爺さまが何も告げずにこの人の前から去った理由が分かった。
これだけ負けず嫌いなら、勝つまでずっと爺さまに付いていこうとしかねない。
一人で隠れて暮らすことを考えていた爺さまにとっては問題だろう。
ましてやこの人はそれなりの立場の人間だ。
目立つことこの上無い。
「爺さまは腰を痛めているんですよ。とても全力で戦える状態ではありません」
「ぬ……腰を? ……そんなに悪いのか?」
おや、一気にクールダウンした。
この心配そうな表情を見る限り、そこまで自分勝手な人ではないのか。
爺さまから聞いた話とは少し食い違うが、何せ二十年近く前の話だからなあ。
「実生活には支障はありません。心配なさらずとも、無理をさせなければ大丈夫ですよ」
「そうか……。む、いやいや、心配などしてねえぞ。結局勝ち逃げじゃねえか! スッキリしねえな、おい!」
素直じゃないなあ。
あきらかにホッとした顔をしたのに。
勢いのまま、ライオルさんがお茶を一気に煽ろう……として止めた。
あ、物凄いフーフーして冷ましている。
猫舌なの?
「そういう訳で、爺さまとの再戦は諦めて下さい」
「くっそぉー。今の俺なら全快の奴にも勝てるのによぉ!」
……今聞き捨てならないことを言ったね。
頭に血が昇って行く自覚はあるが、止められない。
誰が誰に勝てるって?
「貴方がどれだけ強かろうと、爺さまが負ける筈ないではありませんか」
腰さえ問題なければ、相手が誰であろうとあの爺さまに敗北はあり得ない。
私は誰よりも近くでそれを見てきた。
「あん? だったら身を以って体験してみるか? 俺がいかに強いかってことを!」
「いやですよ。何だか急に貴方のいうことは聞きたくなくなりました」
俄かに場の緊張が高まる。
ライオルさんと私のオーラが膨れ上がり、テーブルのカップがカタカタと震えた。
店内の客の何人かが悲鳴をあげる。
「ちょっとちょっとカティアちゃん落ち着いて! どうしたの、らしくないわよ」
フィーナさんが店の端に私を引っ張って行く。
後ろでは、ニールさんがライオルさんに何事か謝っている様子が聞こえた。
頭が冷えて行く。
「爺さまを馬鹿にされた訳ではないのは分かっているのですが……」
「よっぽど好きなのね、剣聖様のことが」
「はい」
「でもさっきのは良くないわ。もう落ち着いたわね?」
「……はい」
周りのお客さんに謝りつつ席に戻ると、バツの悪そうな顔をしたライオルさんが座っていた。
先に過剰な反応をしたのはこちらだ。
こちらから謝るのが筋だろう。
「申し訳ありません、ライオルさん。爺さまのことになるとつい」
「いや、俺も悪かった。ティムは俺が知る限り最高の剣士だ、貶める気はなかったし簡単に勝てる相手でも無え。ただよぉ、もう戦えないのは寂しいぜ……」
「ライオルさん……」
ライオルさんにしてみれば置いていかれた気分なのだろうか。
この人にとっては戦うことがコミュニケーションの手段なのかもしれない。
傍迷惑な話ではあるが。
「それはそれとして」
「はい?」
「カティア、俺と戦ってくれないか?」
「やっぱりそうなりますか……」
「おうよ! ティムの弟子ってことを抜きにしてもお前は只者じゃない気配がするぜ!」
話が戻った形だ。
そもそも、この人が私に声を掛けた理由がそれだった。
私のことを買い被り過ぎていないといいけど。
「私はそんな大層な者では……」
「お前らから見てカティアはどうだ?」
って、無視?
ラザ姉弟から私の評価を聞きたいようだ。
確かに自己分析に自信はないけれど。
「カティアさんが弱かったら自分はその辺に居る子犬よりも弱いっすよ? 謙遜も度が過ぎると嫌味っす」
「カティアちゃんは強いだけじゃなくて格好良いのよ! 戦っている姿が凄く綺麗なの」
「な?」
「な? じゃないですよ。何ですか」
「お前なら絶対に自分を低く見せて戦わないようにすると思ったぜ。ティムの野郎も最初そうだった」
うっ。
爺さまと同じような言動をとっていたらしい。
だから予防線を張ろうとしたらすぐに切り返してきたのか。
別に戦いを避けている訳ではないが、こうもグイグイ来られると一歩引いてしまうというか。
「あまり気が進まねえんなら交換条件といこうや」
「交換条件?」
「おう。戦いに応じてくれるなら俺に出来ることを一つ何でもやろう。無論、こちらの先払いで良い」
「え? ええと……」
急にそんな提案をされても、何も思い付かないぞ。
交換条件の話がでた瞬間、フィーナさんの目が光った気がした。
「鬣のオジサン! ちょっと相談してきて良い?」
「いいぞ。色よい返事を期待してるぜ」
「ラザ家集合! ほら、カティアちゃんも」
「はいっす」
「あ、はい」
そういえば私はフィーナさんの宣言で便宜上ラザ家に組み込まれていた。
慣れないなあ。
店員にすぐに戻ることを告げて一度店外へ。
にしても、フィーナさんのライオルさんの呼び方酷いな。
それを気にしていないライオルさんも鷹揚というかなんというか。
「ね、あのオジサンにオーラ制御を教わったらどうかな?」
「自分のっすか? でも、カティアさんが何も得しないっすよ」
「気にしないで下さい。ニールさんが強くなってくれたら、それが私にとっての利益です」
「カティアさん……」
「はいはいごちそうさま。どう、カティアちゃん? 貴女が嫌なら受けなくても良いとは思うけど。個人的にはあの人と戦っているカティアちゃんを見てみたいわ。命の危険もないことだし」
うーん。
悪くない条件か。
ライオルさんはこの国トップクラスの武人だ。
むしろ私の経験の上でも、ニールさんの為にもこの上なく好条件と言えるかもしれない。
ただ戦うよりもずっと良い。
それにさっき一瞬出したライオルさんのオーラ。
何処となくニールさんのものに近い性質のような気がした。
案外ライオルさんが示す訓練法が上手く適合するかもしれない。
「受けましょう。もともとその為にこの町に来たのですから」
「よしよし。じゃあ戻ろうか?」
店内に戻ると、ライオルさんがそわそわした様子で座っていた。
お茶は既に空になっている。
待たせてしまったかな?
「戻ったか。どうだ?」
「戦いには応じようかと」
「そうかそうか! 体が疼いてきたぜぇ、久しぶりに本気でやれそうだ!」
拳を鳴らすライオルさん。
うわ、なんか迫力あるな。
気が弱い人ならこれだけで委縮してしまいそうだ。
「それでね、交換条件なんだけど」
フィーナさんが掻い摘んで説明をする。
ライオルさんは腕組みをしてフンフンと頷いている。
「なるほどな。オーラ制御か、俺も若い頃は苦労したもんだ」
「ライオルさんはどんな訓練をしてたんすか?」
「まあ、その辺りは実際にやりながら説明した方が早いな。荒療治だが、確実に成果が出る方法があるぜ。じゃあお前ら、店を出るぞ」
「え、荒療治っすか? だ、大丈夫なんすかね……」
「ニール……ガンバ!」
「穏当な方法ではなさそうですね……」
ライオルさんの口振りからして、早速訓練を行う気のようだ。
店に飲食代と、喧嘩の迷惑料として多少のチップを置いてから外に出た。