瞬間を永遠に変えるもの
食堂には八人ほどが座れる長テーブルがあり、そこで食事を頂くことになった。
剣などの装備は外して預けてある。
食材は領内の村で穫れるものばかりなので目新しさはないが、作物の集積地だけあって種類が豊富だった。
空腹も手伝い、非常においしく頂いた。
現在は食後の談笑といった雰囲気である。
爺さまの話や今後の予定、王都で気を付けることなどゲイルさんは親切に色々と話してくれた。
「そういえば、お姉さんは食事はされないのですか?」
話が途切れた所で、家に居る筈のお姉さんについて聞いてみた。
結局現れなかったんだよね。
「あー、フィー姉っすか……父上、いつものっすか?」
「そうだね。いつものだよ」
いつもの?
分かるように話してほしい。
察してくれたのか、ニールさんが説明してくれる。
「ああ、すみません。下の姉はフィーナという名前なんすけど」
言葉の続きをゲイルさんが引き継ぐ。
「フィーナは絵描きでね……それに夢中になると暫く部屋から出ないんだよ」
絵描き?
お姉さん、画家なのか。
食事を忘れるほど熱中できるものがあるなんて、少し羨ましいかも。
いや、まあ私も今世では剣ばかり振ってきた訳だけども。
剣を振りたい、教えて! って言うと爺さまが物凄く嬉しそうな顔をしたんだよね、小さい頃。
あの顔は卑怯だ。
つい、剣そのものの深みに嵌って今日までずっと剣を振り続けてきた。
「フィー姉は有名でして。人物画がメインなんすけど、依頼でスパイク様の肖像画を描いたこともあったりで、自慢の姉っす」
「それは凄いですね。まだお若いんでしょう?」
嬉しそうに語るね、ニールさん。
先王の絵かあ。
普通の画家で無いことは確かだ。
「二十歳だよ、フィーナは。親としては結婚する気がなさそうでなんとも。楽しそうに生きてるから何も言えないんだけどね」
ゲイルさんが苦笑と愚痴を交えて年齢を教えてくれた。
どんな人なのだろう。
俄然興味が湧いてきた。
会ってみたい。
「明日の朝には会えるさ。さて、もう遅いから休んだ方が良い。メイドに部屋まで案内させるよ。お風呂は部屋にあるからね」
そう言って、ゲイルさんがハンドベルを鳴らした。
メイドさんが一礼して入ってくる。
では、お言葉に甘えますかね。
今日は色々あって疲れた。
「ありがとうございます。では、おやすみなさい、ゲイルさん、ニールさん」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさいっす、カティアさん」
メイドさんに連れられて、ゆるくカーブした階段を昇って行く。
客室は二階のようだ。
「こちらでございます。御用の時は、何時でも御呼び下さい」
メイドさんが一礼して去って行った。
部屋のドアを開けると広い部屋に二つのベッド、ローテーブルと椅子、そして人物画の前で逆立ちをしている女性が居た。
服が肌蹴て綺麗な白い背中が見えている。
……!?
「あ、すみません。間違えました」
ドアを閉じた。
と、中から声がする。
「間違ってないよー。ここが客室で合ってるよー」
間延びした声。
ええ……。
あれ、例のお姉さんだよね。
他に該当者がいない。
どうして客室に居るんだ。
「えーと、失礼します」
ともあれ、待っていても事態は変わらないのでもう一度ドアノブを捻り入室した。
今度は普通にこちらを向いて立っている。
ゲイルさん似の美女でセミロングの金髪、長い耳に緑色の瞳と見た目はコテコテのエルフである。
ニールさんもこの人も、同じハーフエルフとは思えない程に似てないし片方の種族に寄った容姿だ。
体型はスレンダーで、背は百六十センチくらいかな。
服は紺色の作業着で、あちこちに顔料が付着している。
「いやあ、ごめんごめん。自室で集中できなくてさー。お客さんが来る前には完成してる筈だったんだけどね」
「あー、いえ、気にしてません……よ? はじめまして、私はカティア・マイヤーズと言います」
困惑しきりだが、まずは自己紹介から。
「んー、ご丁寧にどうも。カティアちゃんね。アタシはフィーナ・ラザだよ」
ニールさんのお姉さんで正解。
「あの、どうして逆立ちを……」
正直、脳の処理が追いつかない光景だった。
意味が分からな過ぎて。
「いやあ、人っていろんな角度から見ないとこう本質が見えないじゃん? 絵も一緒だからこう逆立ちしてだねー」
ちょっと常人には理解し難い。
いや、前半は分かるのだけれど。
「それって、絵を逆さにしたのでは駄目なんですか?」
もしかしたら、逆立ちすることに何か意味があるのか?
自分自身が逆さにならないと駄目とか。
すると急にフィーナさんが笑いだした。
「あっはっはっは! 確かにそうだね! なんで逆立ちしてたんだアタシは!」
意味は特に無かったようだ。
そしてこの特有のゆるい雰囲気は、間違いなくこの家の人間の共通点だ。
笑っていたフィーナさんが呼吸を整えた。
「ふーっ。しかし、カティアちゃんの顔、どっかで見覚えが――。あ!」
急にフィーナさんの雰囲気が変わった。
どうしたんだろう。
「ちょっとそこでじっとしてて!」
フィーナさんが焦った風に部屋を出て行く。
戻ってくると新しいキャンバスらしきものと画材を持っていた。
「動かないでね!」
何か必死な様子が感じ取れる。
気圧されたこともあって私は言われた通りに立ったままでいた。
深い緑色の眼差しが私に固定される。
ただ、何か違和感がある。
上手く言葉に出来ないけれど、私を見ているようで、見ていないような。
フィーナさんの視線がキャンバスと私を忙しなく往復し始めた。
暫くの間、かなりのスピードで手を動かしていたフィーナさんがその手を止めた。
出来あがったらしき自分の絵を見て呆然としている。
もう動いて良いかな?
私は回り込んで、フィーナさんの手元の絵を見てみた。
……誰?
そこに描かれていたのは、確かに私に似てはいるけれどもどこか違う別人だった。
右目の下に泣きボクロがあって、細部も少しずつ違う。
髪の色も目の色も茶色だ。
どちらかと言えばニールさんの髪色にかなり近いような……?
と、そこでフィーナさんが呟いた。
「確認しなきゃ……!」
キャンバスを抱えてフィーナさんが慌てて出て行く。
状況が分からないが取り敢えず、追いかけよう。
フィーナさんは階段を駆け降り、恐らくサロン(談話室)と思われる部屋に入っていく。
私も後に続いた。
「父さん! 父さん!」
「どうしたんだい、フィーナ。大声出して」
部屋の中でゆったり目の少し大きな椅子に座ったゲイルさんに向かってフィーナさんが絵を見せた。
ニールさんも対面の椅子に座っている。
何か話をしていたようだ。
絵を見たゲイルさんの反応は劇的なものだった。
訝しむ表情が驚愕の表情で塗りつぶされる。
「レナ……!」
「やっぱりそうなのね! 父さん、アタシやっと思い出せたんだよ、母さんの顔!」
そう言ったフィーナさんの表情は凄く晴れやかで嬉しそうだった。
つまり、あれは母親の絵って事かな?
フィーナさんがこちらを向いた。
「カティアちゃん、アタシの話を聞いてくれる?」
私に否やはない。
というか、聞かないと事情がさっぱり分からない。
「はい」
「カティアちゃんね、アタシの母さんに似ているのよ。雰囲気も顔も。きっとそれで記憶が刺激されて思い出したんだと思うの」
反応に困るな。
そう言えば、昼間も同じような事を言われたね。
「ニールさんには上のお姉さんに似てると言われたのですが」
「うん、確かに顔立ちだけならレン姉さんにも似てる。カティアちゃんの方が美人だけどね。でも、姉さん怒りんぼだから、いつも優しかった母さんの記憶と結びつかなかったんだと思うの」
上のお姉さんが怒りそうな余計な言葉を含みながら、フィーナさんが説明する。
言われてみれば、私が託されたこの体の出自は分からない。
もしかしたらラザ家と血筋が近い可能性もある。
「アタシが絵を描き始めたのは、大好きだった母さんの顔を思い出せなくなったからなの。だから小さい頃から思い出そうと毎日記憶を手繰りながら必死に絵に描いたけど、結局今日まで思い出せなかったわ」
察するに、フィーナさんが幼い内に亡くなったのだろう。
顔もしっかり覚えられないほど幼い時期に。
「大事な人の顔を思い出せないのはとても寂しくて、悲しい事だから。他の人にはそんな思いをして欲しくなくて、いつの間にか依頼を受けて絵を描くようになったの」
この世界に写真はない。
だから大事な人の面影を、記憶の中にしか求められない人がたくさん居る。
フィーナさんは母親の顔を記憶に留める事が出来なかったことを悔いているようだ。
その後悔をきちんとエネルギーに転化できているし、人の為に使うということまで出来ている。
それは、形は違えど前世の自分が死ぬまでに出来なかったことだ。
本当に凄い人だ。
「だから、ありがとうカティアちゃん。アタシに母さんの顔を思い出させてくれて」
フィーナさんはそう言って、とても澄んだ綺麗な笑顔を見せた。
その笑顔は眩しくて、前世の男の状態だったら一発で惚れそうなくらいに素敵な笑顔だった。