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第十三章 王国 その4

     4


 そうか、とワタシは答えを見つけた。

 キンスキー家に来た瞬間から、ワタシたちは妖精の世界に迷い込んでいたのだ。もしかしたら、ハンナがこの空間だけをねじれさせているのかもしれない。だから変なことばかり続くのだ。ここは人間がいちゃいけない場所なのだ。だから早く戻らなきゃ。元いた場所へ。幸せと苦しみの入り混じった世界へ。

 キンスキー家が見えてきた。あいかわらず人を寄せつけない(かげ)を落としている。


 陰……①光の当たらないところ ②見えない暗いところ ③若い女性に好かれる要素


「来た!」

 コンラートの言葉にハッとして振り返ると四つん這いになり走ってくるハンナの姿が映った。キンスキー家にふさわしい住人のように見えて、やっぱりここはワタシたちのいる場所ではないと改めて思った。

 扉を開けて急いで閉める。奥へと駆け出そうとしたそのとき、ドアが破壊されてコンラートを直撃した。

 大きな音を立てて扉とコンラートは転倒し、やがて静かになった。

「お姉ちゃん」と、ティルがつかんでいる腕に力を入れた。痛みをこらえながら、ワタシはもう一度、「大丈夫よ」と云ってあげたけど、ハンナと視線が交差し、自然と身体が震えだした。

「ティル、妖精はいる?」

 ティルはあたりを見渡し、「ダメだ、どこにもいない」と答えた。

「そう、わかった。ハンナ、聞いて!」

 ワタシの声に反応して動きを止めるハンナ。野生の動物のように低いうなり声を上げながらワタシたちをにらんでいる。

「あなたは、ハンナよ。リヒャルトおじさん、フランシスカおばさん、ザックス、マギーに愛された、ハンナ。思い出して!」

 そのとき、ハンナは頭を押さえて苦しみだした。記憶を取り戻そうとしているのかもしれない。そう判断したワタシはさらに追い打ちをかける。

「妖精に、大切な何かを奪われたかもしれないけれど、自分の力で、心で、思いだすの!あなたなら出来るわ。自分を信じて! 負けないで!」

「イヤアアアアアアあああははははは!」

 ハンナが叫んだ。屋敷が振動する。屋敷が悲鳴を上げる。屋敷から、苦しみと哀しみが流れてくる。

 ハンナは跳躍した。顔には涙、笑顔、長い舌。狙うは、ワタシ。

 かろうじてハンナをかわし、ティルを引いて逃げる。そのとき、何故、地下へ向かったのかわからない。袋小路となって追いつめられるだけなのに、何故、地下へ降りたのか。本能が導いたのかもしれない。能力が足を地下へ向けたのかもしれない。ダメだよ、と今にも泣きそうな声で云うティルだったけど、それを無視した。

 ハンナが追いかけてくる。手足をばらばらに動かしながら近づいてくる。べったんべったんという音を立てながら、迫ってくる。

 ワインセラーを通り過ぎ、鳥かごのあった空部屋へ向かう。

 ハンナの短い呼吸音が耳のすぐ後ろから響いてくる。

 生暖かい息も感じる。

 部屋の床には、一本の光が伸びていた。その光が唯一映している物体、それは鳥かごの欠片だった。その瞬間、ワタシの能力が何を求めているのかがわかった。新たなる能力の開花のために、ここへ、ワタシを導いたのだ。

 ワタシは欠片を手に取り、ティルを部屋の奥へ避難させ、べたたたたと部屋の中に入ってきたハンナに、空いているほうの手で、触れた。


 情報の爆発。本来の意味を持ったまま瞬時に流れ去る記憶。いくつもいくつも……。


 ハンナは声にならない悲鳴を上げて、その場へ倒れこんだ。


     ☆


 鳥かごの記憶は、ワタシには見えなかった。まったく見えない、という訳ではない。遠くで流れる映像のように、心に届いてこなかったのだ。だから、苦しむことなく客観視できた。

 物質の記憶をワタシが引き出し、それを触れている相手に流す。

ちょっとだけこんなこともできるのか、と驚いたけど、ハンナが元気になったので問題ない。まあ元気になったとはいっても、筋力は衰え、栄養失調ぎみだったので、本当の意味では、元気ではないのだけど。


 翌日はみんなの介抱で大忙しだった。

 意識を取り戻したハンナは、妖精と出会う直前からの記憶を失っていた。だから彼女に、妖精事件の詳細を、一から説明しなければならなかった。


 擦り傷や噛み傷、それからちょっとした打撲を負っていたリヒャルトおじさんは、治療を途中で放棄し、ハンナの側にずっとついていた。


 食事やらタオルやら必要なものを取ってきたり戻したりと、マギーはずっと走っていた。


 ザックスは左腕を骨折、右足を捻挫(ねんざ)していて、病院へ搬送された。行きませんここにいますハンナ様が心配なので連れて行かないでくださいと哀願していたけど強制的に連れて行かれた。


 フランシスカは、ずっと、泣いていた。


 ティルが《奇麗な顔で》、こう云っていた。

「妖精さんたちがみんなを治してくれたんだよ。だって、そう云ってたんだもん」だそうだ。頬に負った傷が消えているのだから、それを信じるしかない。

「お礼を云いたいんだけど、呼べる?」という質問に、「無理だよ。妖精さんたちはみんな、自分たちの世界に帰ってしまったから」と答えたので諦めるしかなかった。

 けっきょくワタシは妖精の姿を見ることは出来なかった。でもそんなことはどうでもいい。何故なら、


 運命の夜は、今夜なのだから…………。


つづく

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