第十三章 王国 その1
第十三章 王国
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部屋の中には畏怖の念が渦を巻いていた。リヒャルトたちのことでも頭がいっぱいだったのに、ここにきて、妖精、が割りこんできたのだ、普通でいろ、というのが不可能な話だった。
少しでも恐怖心、混乱を追い払おうとワタシは窓を閉めて、外界からの邪気を遮断した。そんなことをしても、何の効果もない、とわかっていたのに。
畏怖……①不気味な威圧感などを感じて恐れおののくこと ②暗い人と思われるので口にはしないほうがいいこと
ワタシは振り返ってコンラートに云った。
「ティルを妖精から守らなきゃ」
「どうして?」と彼は眼を丸くする。
「リヒャルトおじさんたちを変にしたのは、妖精だったのよ。心を壊されたの。だから近づけてはいけない。近づいちゃいけない。妖精は、危険な生き物なの」
「違うよ!」ここでティルが口をはさむ。「妖精さんは悪くない。おりこうさんなんだ」
ワタシとコンラートは小さな天使に顔を向けて次を待った。
「おじさんたちがいじめたから仕返しをしただけなんだよ。だから妖精さんは悪くない」
「今は怒ってないの?」
「うん。ありがとうって云ってる」
「どこにいるの?」
ティルは天井を指差した。見上げる。しかし、そこには白いファンがくるくる回っているだけで何もない。
「見えないわ」
同意するようにコンラートも頷いている。
「姿を隠しているんだ」そう云って、ティルは天井に向かって語りかけた。「この人はお姉ちゃんのアムールで、隣の人はおともだちのコンラートって云うんだ。ふたりとも良い人だから安心して。君たちにいたずらなんかしないよ」
ワタシは視線を上からティルへと落とした。
「ダメだ」ティルは首を横に振る。「警戒しているみたい」
「とにかく、ボクたちに危害を加えるつもりはなんだね?」
というコンラートにティルは力強く頷いた。
とりあえずひと安心。つっぱっていた肩がふにゃふにゃとなる。重くなった重力が頬をたらす。肺が勝手に息を吐き出す。
「なんだかどっと疲れちゃった。妖精は害をもたらさないのね? よかった。妖精の願いはなんだろう。やっぱり自由を得たかったのかしら? じゃあ、解放されたからもう自分の世界に帰ってめでたしめでたし、かな? あ、でも、リヒャルトおじさんやフランシスカおばさんやザックスやマギーの心を治せるのかしら? もしも可能なら治してから帰ってほしいわ。そうじゃなきゃこれまでと同じじゃない。ねえ、ティルからお願い出来ないかな?」
と、一気にまくし立てたものの、ワタシはある疑問に気づいた。あのとき、リヒャルトおじさんが口にしていた。その真意を知ったとき、取り返しのつかない事実に行きあたるかもしれない、と不安になった。だけどこの不安を不安のままやり過ごすことは出来なかった。だからワタシはティルに、云った。
「ちょっと待って。妖精さんへ、これから云う言葉を伝えてほしいの。
『あなたたち妖精を愛していたハンナなのに、何故、心を壊したりしたの?』
お願い、ティル。この言葉を、伝えて」
「あれ? 妖精さんがいなくなってるや」
そう云ってティルはベッドの上から飛び降り、窓の方へ駆け出した。窓を開けて、ベランダへ。弟の姿がカーテンの向こうへ消えたとき、コンラートが云った。
「気配、というものもいっさい感じなかったんだけど、本当にいたのかな」
「それは、居たと思うわ。ティルがこんな無意味とも取れるウソをつく必要がないし」
「そうだよね。メリットなんてないしね」
「だけどこれだけは真実よ」ワタシはベッドに腰を下ろし、「リヒャルトおじさんたちは、病気などではなくて、何者かに心を壊された」
コンラートの次の言葉、というより、彼の推理を待った。
コンラートはしばらく顎に手をあてたまま動かず、やがて、意を決したかのようにつぶやいた。
「さっきアムールが云ったよね、妖精が彼らを狂わせたと。まず初めに、ハンナが壊れた。それに激怒したリヒャルトさんたちが妖精を閉じ込め、怒りを買い、心を破壊された。それは自業自得だとうなずける。だからすべてのきっかけはハンナにあるということになる。彼女は何か妖精が嫌いなこととか、イヤがることとか、傷めつけたりしたんだろうか。ボクは昔のハンナを知っている。彼女は決して、他人がイヤがることをしない心優しい少女だ。いったい、彼女と妖精の間に、何があったんだろう?」
コンラートは、ワタシと同じ疑問にたどり着いている。彼の頭の良さに感動し、洞察力の鋭さに感心し、あふれそうになる涙をこらえながら云った。
「そこが、唯一、腑に落ちない部分なの。でも、妖精を落ち着かせ、ハンナの心を治してもらえば、すべて解決するわ。だからティルにお願いしましょう」と、云ったあと、ワタシは弟のことが急に気になりだした。
それはコンラートも同じようで、「ティルは、まだ外にいるのかな?」とワタシの心の代弁をしてくれた。そう、遅いのだ。
妖精の行方を探しにベランダへ出て、妖精がいなかったらすぐに戻ってくるはずだ。
ワタシは腰を上げて、カーテンを開けた。コンラートも後に続く。
ティルは、忽然と消えていた。
忽然……①たちまち ②突然 ③それほどむずかしい言葉ではないので、これを使うと頭がいいふりをしているな、と思われること
つづく




