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第十二章 十―裏切り―愚か その2

 二日目。

 部屋に入ったわたしたちを待っていたのは、高校に通う、恋する乙女のようなカタリーナの姿だった。うっとりと、視線を泳がせている。

 彼女の元に駆け寄ろうとするエルンスト。しかしそれをわたしは制し、

「惑わされてはいけません」と云い、カタリーナに向きなおった。

「さあ、始めようか、エキドナ、リリス、それともファミリアーか?」

「そんな雑魚の名前で呼ぶな!」

「エルンスト、祈りを」

「わかりました」と答えて手にしていた聖書を開く。

 フレデリックに眼をやると昨日と同じく片隅でカタカタ震えている。

 十字架と聖水が出番を迎える、が、前日同様、無意味のように思える質疑応答が繰り返される。

 やがて、フレデリックに止められる。

 疲労はわたしたちにも蓄積される。

 悪魔祓いとは、重労働なのだ。


     ☆


 十日目。

《悪魔祓い》という戦いに初めて参加するエルンストに、疲れの色が浮かんできた。

 フレデリックが彼を診察するが、ただの疲労だというので一応は安心する。今日は休んでいなさいと助言するが、彼はそれをかたくなに拒否した。よほど、カタリーナのことが心配なのだろう。

 そのカタリーナもエルンスト同様、眼に見え衰えて来ていた。

 二十四時間の監視はできない。不可能だ。その隙をつき、カタリーナは自分で自分を傷つけた。夜食を持って行ったシャルロッテがその現場を目撃したらしい。止めに入るが、恐ろしい力で壁まで叩きつけられて、彼女は気を失ったという。

 わたしたちが家に到着したとき、シャルロッテは廊下にまだ倒れていた。フレデリックが彼女を見、わたしとエルンストは部屋に飛び込んだ。ベッドに横たわる肉塊。すぐさまフレデリックを呼んだが、血の量に反して、軽傷だったので儀式を続行することにした。それでも医者に念を押された。

 それも仕方がない。誰の眼にも、そろそろ限界だと思われた。

 焦燥、という言葉が脳裏に浮かんだが、それを受け入れる訳にはいかない。ここであきらめたら、振り出しに戻り、今回のような意欲は決して戻ってこない、と誰もが認識していたからだ。

「今日こそは、成功するでしょうか……」

 エルンストがハンド・タオルを額に当て、冷たい汗を拭いながら静かに云った。

「それは、神のみぞ知る、です」と、わたしは答えた。それしか、答えようがなかった。


 もう、この家に薔薇の香りが漂っているのか、自分の身体からにじみ出ているのか、わからなかった。前後が、不覚になっているのは、どうやらワタシも同じようだった。


 めまい。発汗。動悸。鼓動。焦り。期待。薔薇の香り。


 汝が犯したすべての罪を許す父と子と聖霊の御名によりて命ずるお前の名を名乗れ。

 汝が犯したすべての罪を許す父と子と聖霊の御名によりて命ずるお前の名を名乗れ。

 繰り返される幻想。

  現実に食われる夢。

 カタリーナはよだれを垂れ流し、嘔吐を繰り返す。

汝が犯したすべての罪を許す父と子と聖霊の御名によりて命ずるお前の名を名乗れ。

 そのときカタリーナは縛られていたロープを引きちぎり、驚くべき跳躍力を見せ、エルンストへ飛びかかった。突然の出来事に、誰も動くことが出来なかった。ふたりは転げまわり、男の声が重なって響いている。どれがエルンストの悲鳴なのか判別できない。数瞬後、我を取り戻したわたしはすぐさま駆け寄った、が、カタリーナの腕のひと振りで、大きく弾き飛ばされた。それを見たフレデリックも動き、大人の男性三人の力で、やっと、十九歳の少女を止めることが出来たのだ。


 再びカタリーナをベッドの上に縛りつけ、

 フレデリックが部屋の片隅に戻って祈りを口にし、

 エルンストが聖水をかけたとき、

「名を云え!」と、わたしが叫んだとき、


 カタリーナが絶叫した。


「アザトース! クトゥグア! ナイアルラトホテップ! ハスター! イタカ! アブホース! ショゴス! ノーデンス! ナイトゴーント! セベク!」

 カタリーナの肉体から、これまでずっと緊張していた力が抜け、そのままベッドに体重を預け、眠るように、眠った…………。


 フレデリックはすかさず彼女の元へ近づいて診察を開始する。

 エルンストはその場へ腰を落とし、ほっとした表情で十字を切る。

 わたしは外へ出て、シャルロッテを連れて戻ってきた。

 顔を上げるフレデリック。わたしはその顔に頷き、

「これからカタリーナさんを病院へ連れて行ってください。非公式の儀式のため、わたしたちが運ぶことは出来ませんが、お見舞いにはかならず行きます」

「もう大丈夫なのですか?」というシャルロッテの問いに、「いいえ、まだ途中ですが、もうこれ以上は無意味です」「どういう意味ですか?」

 それにはエルンストも反応して立ち上がり、

「ゴットフリート神父、カタリーナさんを見捨てる、という意味ですか?」

「そうではありません、むしろ、その逆です」

「治すつもりなのに儀式を中断する? さっぱりわかりません。もっとくわしく説明してください」

「ここから先は私が説明しましょう」そう云ってフレデリックが腰を上げた。

「悪魔憑きという現象には、憑いているかいないか、の他に、もうひとつの解釈があるのです。それはつまり、憑いていると『思い込んでいる』、ということです。私は悪魔憑き現象の統計をとったことがあるのですが、不思議なことに、この『思い込み』という症状を出しているのは、敬虔(けいけん)なクリスチャンに多い、ということなのです。つまり、異なる宗教を信仰する信者には見られない現象なのです。カタリーナさん母子は、熱狂的なクリスチャン、おそらく、父親の死に対してなんらかの罪の意識が働き、その重みが、悪魔憑きという現象を誘発させたのでしょう」

 ここでわたしは続きを引き継いだ。

「これまでに、何度も何度も、悪魔祓いを行いました。その都度、わたしは自分の心に問いました。『本当に、悪魔は存在するのか』……と。その結果は今でもわかりません。わからない、という理由は、今までの患者は、すべて、病院へ連れて行くことによって完治したからなのです。いや、それでは言葉が足りません。すべての患者は、『悪魔を追い払った』と思い込ませることによって、完治したのです。つまり、『悪魔憑き』という病は、信者だけに起こり()る、職業病ではないかと、わたしは推測するのです」

 納得の行かない顔をしているエルンストだったが、わたしとフレデリックは、カタリーナを病院へ連れて行く準備を始めた。


     ☆


 十一日目。


 カタリーナは、病室で静かに、息を引き取った。


つづく

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