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第十一章 泉 その2

     2


 生活感はないのだけど、清潔感はあった。

 存在感はないのだけど、現存(げんそん)感はあった。

 ピンク色のベッドの上、ハンナは座していた。

 茶色の髪を優しく肩に乗せ、大きな瞳は開いたカーテンの向こうを見つめている。桃色のネグリジェが彼女を、童話に出てくるプリンセスのように思わせた。

 月光の差す窓は神々しくもあやうく、そして、美しかった。窓の持つチカラなのか、月の魔力なのか、とにかく、ハンナ同様うつくしかった。

 ワタシは窓際へ寄り、外を眺めながら、そっと云った。

「ずっと都会で暮らしていたから知らなかったのだけど、森って、人間の元素に含まれているのかわからないけれど、心を、癒す効果を持っているわね。心が本当に求めている場所、もしくは、人間という生物が、最後に癒しのために求める場所なのかもしれない。昔の人々は森でひっそりと暮らしていて、それを懐かしく思うだけかもしれないけれど、ワタシはとにかく、森を愛しているわ。心が安らぐもの。あなたもそう思わない? ハンナ」

 そこでワタシは振り返るのだけど、ハンナの視線は動かぬまま、窓の外を見つめているだけだった。

 ワタシはあきらめずにハンナの隣に腰を下ろした。パリッとしたシーツ、バラの香り、ハンナの体温が現実感となってワタシを安心させてくれる。

 ここでワタシはハンナの心に刺激を与えるべく、こう云った。

「妖精を見たわ」

 ところが反応はない。

「リヒャルトおじさんたちが、妖精に襲われたかもしれないの」

 妖精を連呼するが、ハンナはじっと窓の外を眺めているだけだった。

 次にワタシはハンナの手を取った。そうすればワタシの熱意が直接つたわるかもしれないと思ったけれど…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

のこぎりで四本あるテーブルの足を一本だけ切ってバランスが取れなくなり上に乗っていたお皿がバリバリと音を立てて砕け散りバラの茎が落ちて花びらが飛ぶとドアが開いてハンナがダンケシェーンと云って笑いだしそれを見ていたフランシスカも楽しくなって妖精さん妖精さんと合唱ハーモニーすると今度はザックスが乱入してきて髪の毛を一本また一本とぬいて痛くなったのでやめるとリヒャルトが吠える妖精さん妖精さんあなたのおうちは何処ですか泉ですそうです泉です泉しかありません泉ですか?……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

ワタシはハンナの手を離した。呼吸が乱れ、冷たい汗がにじみ出す。血の気が引き、めまいをおぼえた。

 何故とつぜん能力が発動したのか。そんなつもりはなかった。危険だとわかっているから。だけど発動してしまった。すぐに解除されたから無事だったけど、危なかった。

 ワタシは立ち上がり振り返ってハンナの顔を見つめた。彼女はわずかな変化もなく、ただただ、窓の外を眺めているだけだった。

 それを見てワタシは悟った。

 彼女は、生物ではない、のだと。

 死んではいない。それは触れたときに感じた。では何故、彼女に触れて能力が発動したのか、その理由はひとつしか考えられない。

 ハンナの精神は壊れている。

 石や砂や鉄といった物質は普通の映像をワタシに伝えてくれる。だけどハンナの場合は異常としか云いようのない映像だった。壊れた精神の映像だった。ワタシはここで推理を働かさなければならない。夢のような前後不覚の映像から真実を見抜かなければならない。それは簡単だった。夢なのだ。寝ているときに右手がしびれていると右手に異変をきたす夢を見る。それと同じなのだ。

 つまり、ハンナが妖精と出会ったことにより、リヒャルトを筆頭に、フランシスカ、ザックスたちが狂った、ということ。マギーはワタシたちが来たあとに狂った。だから映像に映っていなかった。

 ここでひとつの真相が浮かび上がる。

 妖精は、本当に居て、なおかつ危険な存在なのだ、ということ。

 ワタシはドアへ駆け出し、人形のようなハンナと別れを告げて、ティルの元へと急いだ。


     ☆


 空き部屋を通り過ぎてワタシたちの部屋へ着いてドアを開けるとコンラートとティルがビクッとしていっせいにワタシを見つめた。なんだか悪いことをしたようになってごめんなさいと謝る。だけど視線は上げたまま。そこで気づく。ティルの頬に傷があることに。

「どうしたのその傷?」

「大丈夫だよ。痛くないから」

 コンラートが何かを云おうとしたけどワタシはそれを止めて、

「ティルに質問があるの」ワタシはベッドに腰を下ろし、「妖精は鳥かごに閉じ込められて今は自由になっているの?」

 ティルは困ったような眼をワタシに向けて、

「そうだよ。それにね、妖精さんは今、この部屋にいるよ」

 それを聞いてワタシは、これ以上ない寒気を、背中に、感じた。


つづく

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