第九章 お喋り その1
第九章 お喋り(プラオダラー)
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キンスキー家の前庭にビニールで覆われた大きな温室があり、様々な種のバラが栽培されている。バラだけではなくて真っ赤なシクラメンやフサフサボンボンしたヤグルマギク、年中お花を楽しめるラベンダー、その美しさではバラにも引けをとらないチューリップ、いろんな花が元気に育っている。だけど、バラの香りには何者もかなわない。
嗅いだ人を極限までリラックスさせ、身体中の隅々まで満足させてくれる、香り。
ワタシは、屋敷の中にこのにおいが残っていたことを思い出した。
「アムール様は、妖精を見たのですか?」
質問しながらバラの間から姿を現したのは、ザックスだった。まるで温室の主でもあるかのような姿にワタシはぞっとした。
後ろ手にロープか何かで縛られていることに気づいた。意識を刈り取られ、ここまで運ばれ椅子に縛られたのだ。
「どうしてワタシをこんなところへ連れてきたの?」
そして、ティルの姿がどこにもないことも、知った。
「ティルはどこ?」
ザックスは薄闇の中、大きな顔をヌッとワタシに近づけて、云った。バラの香りを彼方へ押しやる異臭がワタシの鼻先を包んだ。
「旦那様たちと別の場所へ行っております」
「何故こんなことを、今すぐ解放しなさい」
「別に危害を加えようとしているわけではございません。ただ、《妖精》の所在をお聞きしたいだけなのでございます」
「妖精なんて知らないわ」
「ほう。ではなぜ、妖精に関する本を調べ、ティル様は《妖精》という言葉を何度も発したのでしょうか。日常ではまず口にしないはずですが?」
極彩色の中に浮かぶザックスの影が、まるで、地の底からニョキニョキと生えているかのように見える。そのせいもあって、ワタシは言葉につまった。
異世界の植物が、風に揺られてしなるように首を背後にぐいっと曲げて、闇の中に言葉を放った。
「マギー、マギー」
ザックスに呼ばれて、頬をじゅくじゅくに濡らしたマギーが姿を現した。祈るように、手を前で合わせている。
「アムール様はどうして私たちを苦しめるのでしょう? いやですいやです。さっさと白状してみんなで幸せ(グリュック)になりましょう。だから、ね? お願いします、妖精の居所をさっさと白状しろ! みんなで幸せになりましょう。いやですいやです」
反復する言葉、バラに囲まれた異物、ワタシの頭が悲鳴を上げている。甘い香りと、一週間ほど地中に入れておいた生卵のような香りが、ワタシの脳髄を侵食する。
もうダメ、これ以上は、耐えられない、とあきらめかけたそのとき、羊水の中から天使の顔が浮上してきた。
お姉ちゃん、助けて!
ワタシはしっかりと眼を見開き、弟に大きく頷いて、
「あなたたちの目的はなんなの?」と前方に立つ化け物たちに云った。
「わかりません」
つづく




