記憶喪失
☆
「(ザーーーーーーーーーーーー…………)」
☆
「(ザーーーーーーーーーーーー…………)」
☆
「記憶……喪失……」
アルダシールの頭の中で衝撃の言葉が反響する。目線こそカイネの方を向いているが、焦点はこの世界のどこにも合っていなかった。
カイネは無言で頷くと、空から湖へと視線を移し、続けた。
「正確には二年から前の記憶がね。あるのはアタシが森に倒れてたときから。もちろん、そのときサナに見つけられたってことも覚えてる。そのこともあってサナに強く言うことができないのかも」
言いながら苦笑し、背後にあるその森を眺める。事実、サナがいなかったら彼女は今ここにいないだろう。森で飢え死にするはずだったのだ。彼女はふっとそんなことを思い、改めて心の底からサナに感謝の意を表した。
するとアルダシールは、
「強く言ってないこともないけど」
と、同じく苦笑混じりの言葉を放つ。それがその場の雰囲気を和ませるためか、天然なのかはカイネにはわからなかった。だが、考えてみればそうかもしれない。そう思うと、まあね、と返して再び笑うしかなかった。
しばし沈黙が続いた。カイネは言いたいことを整理し、アルダシールはあの七文字を延々と考えていた。そして先に口を開いたのはアルダシール。あの、と口にした瞬間。
背後から気配と、確かな木の音をカイネが感じ、素早く振り向いた。すかさず右手を後ろに引き、戦闘態勢に入ったが、すぐに解いた。現れた男に、嫌というほど見覚えがあったから。
「なんでここいんだよ」
「こっちのセリフよ」
「いや先に質問したの俺だからそっちから答えろよ」
「女性には優しくしなさいよ」
「俺は男女平等精神だからな」
「……はいはい。よーくわかりました」
カイネと同じ護衛兵、レイだった。話しながら森からでてくる。
何故彼がいるのか疑問だったが、とりあえずこっちから答えないと教えてくれないらしい。カイネはサナから逃げてきた経緯を簡単に伝えた。レイの返事は、
「追っかけられるのはよくあるけど、ここまで逃げたのは初めてなんじゃねえのか?」
というものだった。肯定し、その原因がアルダシールにハグしたからだと伝えると、
「アホか」
見事に切り捨てられた。だが確かにそんなことしたらどんな悲劇が待っているかは考えればわかったことで、一言でまとめると「アホ」でいいのかもしれない。カイネは隣で未だ腕を組んでうーんと唸っている王子様を見る。多分レイがいることに気づいていないだろう、と思いながら。
するとカイネは、アタシのターン!とでも叫びそうな勢いで視線をレイに戻し、質問をする。これ以上何か言われる前に。それも無駄に上から目線で。
「で、なんでアンタはここにいるの?恐竜退治サボった?」
「終わらせてきた。その帰りの寄り道」
「えぇー?ハザーから王城まで帰るのにここに寄るのはめちゃくちゃ遠回りでしょ?」
「あの…いや…だって……パーティーやってるから……」
「パーティーやってるから早く帰るんじゃないの⁉アタシなんか行きたくても敵がいるからいけないんだけど!何その贅沢な苦悩!吹き飛ばされたいの!?」
「俺にあたられても……。てか何でそんな勢いいいんだよ。あと行けばいいだろ。どーせ隊長さん忘れてるぜ」
「ん……。言われてみれば確かに……」
隊長というのはサナのことだ。意外と大丈夫かもと思って、その旨をなおも考えごとをしているアルダシールに伝えるため、声をかける。こっちを向いたアルダシールは、
「わ。レイ兄いたの?」
と、逆に声がでなくなるほど驚いた。本当に気づいてなかったのかと、レイは割にも合わずショックを受けてしまった。だがカイネは気にせず少年に話しかけた。
「もう城帰る?」
「え、でもサナは……」
「大丈夫。多分忘れてるから」
「……ああ、確かに」
満場一致でサナがカイネ追跡を忘れているということになった。
ちなみにアルダシールはレイとカイネと両親、つまり王と王女以外は呼び捨てだ。何故そんなことになっているかは、本人もよくわかってないらしい。
戻ろっか、とカイネは一言残し、森の中に入ろうとした。そこでカイネは、レイに言おうとしていたことを思い出した。
「そういえばレイ、頭痛どうなの?」
「ん?ああ、なんか城にいたときより酷いというか……今も十分痛え」
そういうと彼は右手で頭を抱える。
「……そう……。パーティーは?」
「多分行かね」
「……そう」
カイネは少し俯く。それを見たレイはわざとらしくため息をつき、言った。
「……その、なんだ。治ったら行くかもな」
カイネはそれを聞くと、にやっと笑って言った。
「もうちょい素直になればいーのに。かわいーですなー」
「絶っっ対に行かねえ」
「わー!ごめんごめん! …でも一応パーティーの主役っていう自覚はもちなさいよ?」
「あれ絶対タイトル間違ってんだろ。『生誕二周年』?俺は御年二歳ですかコノヤロー」
「だから自分のパーティーじゃないっては言わないわよね?」
何故こんなタイトルになったかと言うと、カイネが発見された二ヶ月後、つまり二年前の今日にレイが発見されたのだ。カイネ発見から一週間後、同じ森で、だ。この話を聞いた王族も勿論とても偶然とは思わず、何があったのか、たまに捜索などをしているが、少しも手がかりは掴めていない。
レイは適当に返事をすると、湖の淵まで行って座り込んだ。今のところは行く気はないという意思表示だろうとカイネは判断したので、それ以上は何も言わずにアルダシールの手を握って帰ろうとした。
瞬間。
「じゃあ行く前にちょっと話をしましょう」
『っ!?』
今までなかったはずの気配が、この場から立ち去ろうとしていたカイネと、座っていたレイの二人の中間に現れた。二人は素早く背後を見る。レイは飛び起きるように勢いよく立ち上がりながら。カイネはアルダシールの手を離し先の戦闘体制に移りながら。急に手を離されたアルダシールは驚き彼女の顔を見上げる。
そこに立っていたのは、二十歳ほどと思しき銀髪のスーツ姿の男。その鋭い目を笑顔で隠しているように、レイには見えた。左手に黒と金を纏うペンを握って、右手には片手を広げて十分握れる大きさの四角いブロックをもっている。ブロック自体は透明で、どうやら中にある黄金に輝く謎の光を保存するためのものらしい。
と、そこまで考えたところでレイは、今までの頭痛が暴走したような感覚に襲われた。今まで経験したことのない痛みに加え、大音量のノイズが走った。あまりの痛みに顔をしかめたが、この男に隙を見せるのは危険だという本能の指示に従い、歯を食いしばり、男の顔を睨みつける。男はそれを気にせず、やはり笑顔のまま話し続ける。
「といっても、用があるのはあなたの方ですがね……ルビー=レイ」
「……俺かよ」
何とか平静を保ちながら、声を絞り出す。だがそのがらんどうの平静も、この男には見透かされているようだった。
「そんなに怯えなくてもいいですよ。今日話したいことは……これのことです」
左手のペンを回しながら、右手のブロックをレイの前に突き出す。
すると、レイの頭痛は最高点に達した。呻き声を堅く閉めた口から漏らし、剣を地面に刺して剣をもたない右手で頭を力の限り押さえた。ノイズが脳を蝕み、何かを無理やり植えつけようとされている感覚に陥った。だがその視線は狂わず、ブロック一つを凝視していた。
「まあそうなるのも無理はないでしょう。これはあなたを思い、あなたもこれを欲しているのですから。そうでしょう?」
「……ああ……きれいなライトだな……土産に欲しい」
変わらない表情で皮肉をとばすレイに、男は苦笑した。そして、相手を憐れむ表情をオーバーに出しながら皮肉を無視して再び話した。
「お気づきでしょうが……その頭痛もこのブロックのせいです。これはそれだけあなたの下に帰りたがっている存在。何だかわかりませんか?」
レイはその男が自分に訊いていることを承知の上、無言で待つ。無言といっても、嗚咽は漏れ続けている。男は相変わらず笑顔のまま苦痛に歪むレイの顔を見ている。とそこで、
「ち、ちょっと!レイに何してんのよ!」
耐えきれなくなったカイネが大声をあげ、右拳にグッと力を入れる。それに男は顔の向きを変えないまま答えた。
「言ったでしょう?原因は僕じゃない、このブロックのせいだと」
「そんなこと言ってるんじゃないわよ!じゃあそのブロック壊すとか何とかして止めなさいよ!やらないならアタシがやるわよ!?」
ものすごい勢いで捲し立てる少女に、男はようやく顔を向けた。明らかに敵意剥き出しの表情を見て、今度は困惑したようだった。
「まあ待ってください。これが何なのかも、僕が何者かもまだわかってないでしょう?争うには早過ぎる」
「……何か言いたいことあんなら、早く言いなさいよ」
「言おうとしたのに、止めたのはあなたじゃないですか」
「う……ま、まあ、そこは……ごめんなさい」
「謝んなよ」
先ほどまでのカイネの剣幕は、男が発する言葉だけであっさり消えてしまった。思わずレイがツッコムほどに。まあ彼女はそんなに論争が得意でない、感情的なヤツだと知りながらもツッコムほどに。
「ではお望み通りにお答えします。僕の名前はリバース。正体はおいおいわかると思うので省略。そしてこのブロックは……」
間隔を置き、男は崩れない笑顔のままレイの瞳を覗き込む。レイも負けじと睨み返す。
三秒ほど時間が経つと、男はブロックを持った右手を掲げ、丁度二人の視線が重なる位置にもってきて、言い放った。
「これはあなたの記憶です。そう、あなたが失った、あなた自身の記憶です」
様々な意味をもつ四つの視線が、この狭い空間を交錯した。ブロックの中の謎の光は、一層強く光った。