死神
「あれ? これって……」
ミアの指差す先には赤いシミのついた地面。
緑の芝生の一部が赤いのなら、普通すぐに気付ける。
だが、今はもう暗い。灯りもないこの山で、見つけるのは一苦労だった。別に探していたわけではないが。
「誰か死んだのかな?」
「縁起でもないこと言うな」
さらっと恐ろしいことを言ったミアだが、間違いとも言いきれない。
赤いシミは広範囲に広がっていて、致死量に達しているかもしれない。
「この辺にいるんじゃないのか、敵ってのは」
幸磨はミアに聞くが、ミアの返事はない。
幸磨と逆の方向を向き、どこか一点を見つめている。
「見つけたか?」
ミアはそこから目を離さずに、深く頷く。
「じゃあ、後は任せた」
浮いているミアの肩を軽く叩き、この場を後にしようとする。
ただでさえ眠い、面倒で、ここまで来る必要があったのか疑問だ。
「待って! ご主人、止まってください!」
突然、ミアの叫び声。
焦るようなその言葉に足を止めると、
「……おっと」
軽く後ろにステップを踏む。
すると、今までいた場所に、紫の光線が降り注ぐ。
人一人分入るくらいの丸い穴を地面に開けると、徐々に勢いが衰えていく。
「やっと出てきたか」
心底、うんざりした気分で幸磨は呟く。
正直のところ、出てきてほしくなかった。明日にでも片付けられればよかった。
「出てきて悪かったかい?」
「ああ」
紫のドレスで身を包んだ女が空から降りてくる。
年齢は二十くらいだろうか。その 厚化粧の見た目はとても美人とは言えない。むしろ気持ちが悪い。
「悪かったね。すぐに終わらせてやるわ、お前を殺すことでね」
「……なるほど」
女が何を言っているのかは聞いていないので分からないが、いつの間にかその手に握られた得物を見て、幸磨は勝手に納得する。
「鎌、か」
女が右手で握っていたのは、その体長に匹敵するほどの大きな鎌。
持ち手が漆黒に染まっており、うっすら赤い刃は大きく湾曲している。
「おや、この鎌のことを知っているのかい? 知らないだろうねぇ。教えてやろう、この鎌は」
「失礼します!」
魔女、そう呼ぶに相応しい外見をした彼女にミアがなにかで斬り掛かるが、幸磨の後ろから斬りかかったので、幸磨には何の武器を持っているのかが分からない。
魔女はミアの武器を、両手で受け止めると
「ちっ」
軽い舌打ちを残し、後方へ下がる。
ミアは空中で浮いたまま、武器を構えなおす。
「お前も、鎌か」
今ならよく見える。
手に持っているのは緑の少女に不釣り合いな、漆黒の鎌。魔女が持っているものと外見は同じだ。
「これは、ご主人の『心器』です。心によって武器が変わるんですよ。基本、精霊はそれを使って戦います。また今度、詳しく説明しますね」
ミアが魔女を見つめたまま解説してくれる。幸磨は苦笑を顔に浮かべる。
「俺の武器は、あのケバい化粧をした女と同等なのか」
「そうみたいですね、でも負けませんよ。私、強いですから」
自信たっぷりのミアの一言。今更のように幸磨は敬語に戻っていることに気付くが、どうでもよかった。
相手の魔女は、こちらの様子を伺っている。下手に突っ込んでは来ないようだ。
「俺は? どこにいればいい?」
魔女の動きを確認しながら幸磨は尋ねる。
「随分落ち着いてるんですね。いきなり殺されかけたっていうのに」
「んなことどうでもいいだろ。早く」
「そうですね……私から離れていて下さい。それだけでいいです」
そう言い終わると、ミアは魔女へと高速で向かっていった。
ミアが通った後の土が、風で巻き散らされていく。
「さて、こうなると帰るわけにも行かないな」
こんな騒ぎで住宅街に向かうと、どんな騒ぎになるか分からない。
人が死ぬ可能性もある。人に見られる可能性もある。
どちらも、厄介そうだった。
移動する必要もなさそうなので、遠くであの二人の戦いを眺めることにする。
……すぐに飽きそうな気もするが。
全く分からなかった。
戦いでも、ミアは幸磨のことばかり考えていた。
普通の人間なら、こんな状況で冷静にいられるはずがない。
あの男の心が余程頑丈なのか、元々こういう体験をしていたのか。
可能性は、後者の方が高い。
一体どのような体験をしたのかは分からないが、今でも全く動じないくらいだ。相当な経験をしたに違いない。今はこいつよりも幸磨のほうが知りたかった。
「で、あなたは何なんですか!」
互いの刃が交わる時に、ミアは問う。
実力は僅差だが、空中を自由に動けるミアの方が少し有利だった。
だが、光線を放てる魔女も負けているわけではない。
「ふん……知ったところで何が変わるの、どうせここで死ぬんだから!」
顔の近くを刃が掠め、薄く皮が斬れる。一旦距離を取り、斬り合いを中断する。
ミアの息は荒く、ところどころ傷も負っている。
ところが魔女は、傷を負うどころか、息を乱してすらいない。
「ハァ……負ける、のは、あなたです」
呼吸をするのが精一杯で、満足に話すことすらできない。
切れた頬から何かが流れる感覚があった。
「別にいいけどね……あたしは死神様に指令を受けてここに来た。やることはただ一つ、あいつを殺すためよ」
爪の長い指で差されたのは地面で座って空を眺めている幸磨。
「なんで、そんな……」
聞きたいことは他にもあるが、一番聞きたいころだけを選ぶ。
「死神様が会いたがっている、あのガキと。生身の身体じゃ死後の世界に行けないからね。殺して行くのが一番手っ取り早い!」
魔女は幸磨に手を向け、紫の火球を放つ。
「……ッ!」
ミアは急いで火球の後を負う。
当の本人は、空を眺めていて、火球が迫っていることにすら気付いていない。
そんな人間の元に来てしまったことへ若干の苛立ちを覚えながらも、火球を鎌の先で打ち消す。
「ハァ! 人が、戦ってる時に……何やってるんですか!」
「んー、星見てた」
「星見てたって……!」
ぼんやりと答える幸磨にさらに苛立ちは募る。
「もういいです!」
余計なことを口走らない内に、ミアは強制的に会話を中断する。
吐き捨てるように言い放った後、再び魔女に向き直る。
「もう大丈夫だぞ。これ以上暴れたら消されるぞ」
「黙っててください!」
話す体力が勿体無い。それに、今はあの魔女と戦うことに集中したい。
魔女は不気味に口の端を上げ、嗤う。
募った怒りを彼女にぶつけようと高速移動する準備を整えると
「待て! 今日は引かせてもらう。次はないからな、フハハハハ!」
こちらに発言する時間さえ与えず、闇に溶けるようにして消えてしまった。
「え?」
あまりに拍子抜けな展開に、少し戸惑ってしまう。
「だから言っただろ、大丈夫だって」
ミアの後ろで、目を瞑っている幸磨が言う。
どうりでさっきの攻撃の後で追撃をしてこないわけだ。思えば、その時に気付くべきだった。
「消されるって。よかったな、もうちょっとでお前、消えるとこだったよ。」
その言葉が、妙に不気味で、恐ろしく聞こえた。
「じゃあ、あの女は!」
「消えてないよ、ギリギリセーフだったらしい。それから、また今度使者来るってさ。また殺し合わないように気を付けろよ」
一体この男は何者だろうと、ミアが気にし始めたのはこの時からだ。
「さて、そろそろ帰るか。眠いし」
欠伸をしながら立ち上がった幸磨の後を、無言で付いていく。
今日は、自分には分からないものが大過ぎて、少し気分の悪い一日だった。




