学校
幸いにも逮捕された日、昨日は休日で学校に知られることはなかった。
あの男が金ですべてを揉み消したのだから、休日ではなくてもよかったのかもしれないが。
とにかく、幸磨は今自分が通っている高校へと向かっている。
例の石はポケットに入れたまま。
精霊は、契約を結んだ人間と声に出さずに会話ができるらしい。
契約の内容が頭に流れ込んだにも関わらず、理解せずに契約した幸磨にとってはどうでもいいことだった。
「お兄ちゃん、私も外に出ていい?」
頭に直接流れ込んでくるような声には
「黙ってくれ」
と対応しておく。
頭の中に声を送られると、気分が悪いというのが理由だった。
ミアの出したのはテレパシーのようなものだが、幸磨は実際に声を出した。小さい声なので、周りにいる誰にも気付かれていない。
家から少し離れた学校。
若干時間がかかるが、ここ以上に近い学校がなかったので、それだけの理由でここに決めた。
入試はそれほど難しくなかったので、特別勉強することもなく、簡単に入ることができた。
今日は登校時刻ギリギリで歩いているが、道は人が多くて、気が滅入る。
遅刻寸前だが、通学路にはまだ生徒がわんさかいて、焦っている様子はない。
これが普通。いつも通りでないのは自分だけで、皆それぞれの日常を楽しんでいる。
そんな普通のことを羨ましく感じながら、幸磨は校舎内に入る。
校舎内は至って普通で、壊れている物が無ければ特別高級な物もない。
下靴を履き変え、自分の教室である一年五組へと向かう。
「結構普通なんだね お兄ちゃんのがっこー」
再び響く幼い声。
「呼び方変えろ。いちいちそう呼ばないでくれ」
今回もまた声に出す。誰も気付いていない。
「えー、じゃあこーちゃんで」
「止めろ」
「じゃあご主人」
「……もうそれでいいよ」
結局呼び名は最初に戻り、不思議な会話が途切れたところで教室に着く。
いつも通りにスライド式ドアを開けると、教室内の会話の合唱が一際大きくなる。
クラスメイトの少数なこちらを振り向いたが、すぐに会話に戻った。
そんなことは気にせず、窓際の席に座る。
「おー、こーちゃん。久しぶりー」
と隣から幸磨に声をかけてきたのは幼馴染みの小野星雫。
子供の頃からそう呼ばれているので、少なくとも精霊に呼ばれるよりは抵抗がない。
「久しぶりって言うほどでもないと思うけどな」
会ってないのは休みの二日だけ。
「冬休み入ったらなかなか会えないし、いいじゃん」
「冬休みが明けてからでいいだろ、それは」
朝礼のチャイムが鳴り、二人の会話は中断される。
「じゃ、また後で」
「ん」
星雫は座っていた椅子から立つと、自分の席へと戻っていった。
その後にドアが開き、このクラスの担任が教室に入る。
「静かに。では、朝礼を始める」
堅物の初老の男で、生徒からの人気はあまりない。
生徒の誰かの号令がかかり、全員が立ち上がる。一人だけ少し遅れて立ち上がる。それが幸磨。
再び席に座り、担任が今日の連絡を言い終わった後、再び号令がかかる。
今日も、平凡な一日が始まった。
昼休み、食事という行為が面倒な幸磨は立ち入り禁止の屋上で時間を潰す。
「私、お腹減ったよ 。ご主人、何かないの?」
「それがご主人に言う言葉か」
耳から入ってくる少女の声に簡単に答えてやる。
ミアは誰もいないこの場所で勝手に実体化した。戻そうとすれば戻せるが、面倒なので放っておく。
「やっぱりここにいた」
この違う声は後方から聞こえた声。
慣れ親しんだ声は一瞬で分かる。
身体を寝かした姿勢のまま、後方に屋上の鍵を投げる。
「あれ? その子は誰?」
鍵を受け取った星雫が冷静に聞く。
学校に子供がいるのに不思議に思うのは普通だが、その子供が浮いている時点で人間じゃないと分かるだろう。
「精霊らしい」
幸磨は隠すことなく答える。
この幼馴染みには何を隠しても見破られる、無駄だということを知っているから。
「ふーん」
片手に弁当の包みを持った星雫がミアに近付く。
「精霊って、最近話題のあれ?」
「そう、あれ」
あれ、と言われたミアは不満そうに頬を膨らませる。
「あれじゃない、ミアだよ!」
「ごめんね、ミアちゃんって言うんだ」
ポンポンと緑の頭を叩きながら謝る星雫。見ていてほのぼのとする光景だ。
「もう! 見てくる!」
「人に見つかんなよ」
見てくるというのは、校舎を見学してくるという意味だろう。
豪快に屋上のドアを閉めると、再び静かな時が流れる。
「……どうするの?」
雰囲気の変わった星雫が口を開く。
「……さあな。成り行きに任せるよ」
幸磨もその雰囲気に合わせ、真面目答える。
「成り行きって……そんなことで」
「いいんだよ」
熱くなりかけた星雫の言葉を遮るように言う。
星雫は言葉が詰まり、沈黙する。
お互い無言になり、冬の空気が身に染み込んでいく。
「あたし、諦めないよ」
そう言い放った後、包みを開け、弁当を食べ始める。
幸磨はそれに答えることなく、空を眺めていた。
「私もなんか食べたいよー、ねー」
いつの間にか幸磨の足元で浮遊していた、ミアが言う場違いな言葉。
「俺は何も持ってない。星雫に頼め」
ミアの視線が幸磨から星雫へと移動すると、星雫はふっと微笑み
「いいよ。あたしもあんまりお腹空いてないし」
優しくそう言い、食べていた弁当を差し出した。
幸磨は、その表情はどこか悲しげで、力がない気がした。
今までの雰囲気のせいかもしれない。
「いいの? ありがとう!」
そんな星雫にお構いなく、ミアは弁当を少し乱暴に受け取る。
「……気のせいだよな」
自然と口から漏れた声は、この場にいた全員、気付くことはなかった。
呟いた本人、幸磨は、二人から空に視線を戻した。
「今日も疲れたねー」
「お前と生活するのはまだ二日目だと思うけどな」
「昨日も疲れたんだよ」
帰宅したあと、一人と一個の石は近くの山へ向かった。
子供の頃はよく星雫と遊んだ山だが、最近は訪れることすら少なくなってしまった。
平日の深夜に、人などいるはずもない。ミアは勝手に実体化して浮遊していた。
「で、なんなんだ。ここに用って」
「……落ち着いて聞いてください」
先程までの表情とは一転し、声を潜めて声を出す。
「この近くに、敵がいます」
「そんな状況でよくあんなに無警戒に喋れたな」
呆れ顔の幸磨にはお構いなく、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回すミア。
はぁ、とため息を吐き、幸磨も辺りを警戒してみる。
しかし、そんな誰にか分からない集中は長く続くはずもなく、すぐに切れてしまった。
ふと空を見上げると、金色の満月が明るく輝いていた。




